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四納言(前編)

     久しぶりの公任さん。忘れていた訳ではないのですが、なかなか手が回りませんでした……。
     今日は今後の登場人物紹介も兼ねて、公任さんと同僚三人について簡単に紹介していきましょう。前後編に分けて、二人ずつ紹介します。

     一条天皇の時代、藤原道長の下で活躍した四人の公卿のことを、「四納言(しなごん)」と呼ぶ。「道長四天王」的な存在だと思っていただければ。
     名前の由来は、全員大納言または権大納言まで昇進したので、この名前で呼ばれるとのこと。公任さんも文献では「四条大納言」と称されていることが多いので、当時から大納言のイメージが強そう。
     ちなみに、この言葉がはじめて確認されたのは『十訓抄』で、「四納言」という呼び名の元ネタは、中国漢の時代に実在した「四皓(しこう)」という四人の賢者ということである。

     根明タイプと根暗タイプ……と、いうと語弊があるかも知れないが、光タイプと闇タイプで見事に二つに分かれる、と私は思っている。


    藤原公任(ふじわらのきんとう)

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     まずはお馴染み、公任さんから。
     私の絵では、つり目かつ八重歯でキャラクターを表してます。あと、烏帽子の中にぴっちり髪を収めているのは、根が真面目なのと優等生に見られたいからという設定です。(漫画的表現で、史実ではありません。念のため)

    生年:966年
    没年:1041年(新暦では2月4日だけど、旧暦では1月1日に亡くなったそう。没日が元日とはそこも公任さんらしい)

     おじいさんとお父さんが太政大臣で、お母さんと奥さんが皇族というエリート中のエリートな環境で生まれ育った、当時の認識でもお坊ちゃんな生い立ち。
     はじめに紹介した通り、三舟の才と例えられるほど文化的な才能があった。本来なら道長より出世してもおかしくなかったのだけれども、入内したお姉さんが子供を産めなかったので、公任さんの家はだんだん落ちていくことになります。

     この人の最大の欠点が「失言癖」。油断するとすーぐ失言しちゃうんですね。具体的エピソードはまた個別にやっていくとして……。でもそのほとんどが、おそらく悪気なく言っちゃった感じなので憎めません。(当事者はそんなこと言ってる場合じゃないこともある)
     あと、謙遜の仕方や感激の仕方が大袈裟だったり、ちょっと調子に乗りやすいようなところがあるので、そういうのが鼻につく人は当時からいたかもしれませんね。平安貴族は大概そういうものだけど、公任さんは特に……存在自体目立つからかも?

     長所は、和歌が大好きなところ。いわゆる「和歌の家」と言われる家の歌詠みって、なんとなくお高く止まっているというか厳しい印象があるのですが(※偏見です)、公任さんは質問されたら教えてあげているし、非常にわかりやすい歌論書も書いているのですね。和歌の舟を選んだのも計算ではなくて、実は純粋に和歌が好きだったから乗ったんじゃないかなと思えます。
     それから、まあ愛嬌があってなんか可愛いところ。家族に優しそうなところですかね。姉・妹や娘とも仲が良かったみたいです。
     あと、めちゃ本書いたり編纂したりしているから、仕事の方は適当にやってるのかと思いきや、意外と真面目です。検非違使別当(今でいうところの警察のトップみたいな役職)の時、当時の刑罰に関する法律をちゃんと読んで改正させたそうで。和歌の判事を務めている時も、勝ちをつけた和歌のどういう点が良いのか、負けた和歌のどういう点が悪いのか、の説明が丁寧です。
     そういう迂闊なところと真面目なところのギャップがとても面白い人ですね。心を許せる親友は少ないけど、基本的には周りに人が集まってくるような、光タイプだと思う。
     四納言の中では斉信のことを特に意識していたようだけれど、基本的に全員ライバルだと思ってそう。


    藤原行成(ふじわらのゆきなり)

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     次は、藤原行成。おそらく四人の中では歴史的に最もメジャーな人。教科書に載ってる。そして、日記が残っています(『権記』)。
     宮中では忌引きも規定日数取れなかったり、歯の治療にも行けなかったり、とにかく激務だったらしいので、私の絵では、寝不足感を出してちょっとクマをアピールしていきたい。当時Twitterがあったら「 #行成寝ろ 」のハッシュタグが流行ってそうですね。
    (実は前の漫画で公任の話を聞いていた貴族は行成のつもりで描いたのですが、キャラデザがちょっと変わりました)
     まつげが長いのは、おじいさんもお父さんも美形なので、はっきり書いてある文献はまだ見ていないけどおそらく行成も美形だろうと想像してのことです。私の絵が表現したい水準に追いついてないのはご愛敬ということで一つ。

    生年:972年(公任さんより6歳年下)
    没年:1028年(藤原道長と同じ日に没したので、世間ではそちらの方で大騒ぎで、行成の死どころじゃなかったらしい。気の毒)

     「三蹟」という、字が上手いトップ3に数えられるほどの能書家で、「世尊寺流」という書道の流派を作りました。ちなみに他の二人は、小野道風と藤原佐理。ちなみに佐理は公任のいとこである。
     余談ですが、「三筆」と混同しがちなので受験生は気を付けて。三筆は平安時代前期の人たちで、「空海、嵯峨天皇、橘逸勢」の三人です。

     また、おじいさんは太政大臣であり、そういう点ではやはりエリートなのですが、お父さんが行成が赤ちゃんの時に若くして亡くなっているので、出世コースが早々に閉ざされています。
     行成の日記を読むと、宮中デビューしてからしばらくは母方のおじいちゃんである源保光に色々聞きながらやっていたようなので、「よかったな、母方のおじいちゃんがいて」と思いきや、そのおじいちゃんも行成が20代前半の時に亡くなっている。そのあと程なくしてお母さんもおばさんも亡くなっています。不幸すぎないか?
     
    しかも本人も道長と同じ日に死んで世間的に忘れられてたんだよなあという……。

     そんな不幸体質な行成、もちろん字が上手い系の逸話も残っているのだけれど、私は「空気を読まない人」という印象が強いですね。読めないというか、積極的に読まない感じ。
     日記を読んでも、「あの人、今日の儀式の時にこういうふうに動いてたけど、そんな作法ありえない」みたいな感じで結構他人をどストレートに非難していたりする。有名なのは藤原実方をdisった事件だけれども、それはまた別の機会に。 

     『枕草子』には清少納言とは談笑する描写もあるし、『更級日記』にもちょっと出てたりするので、女子ともそこそこ話すし、コミュ障という訳ではなさそうだけれども、四納言の中では闇キャラの部類かな。


     前編はここまで!
     残り二人は明日紹介します。

     

     
     
     
    小説や古典紹介を書いています。 また、中高の国語の教員免許を持っています! ご連絡はこちらのリンク集内のフォームへお願いします→ https://lit.link/satsukiayame55

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