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公任さんと長能さん(前編)

    皐月あやめ

     今回は、前回和歌勝負に負けた長能(ながとう)さんと公任さんのお話。前後編になります。
     この話はその筋(?)では結構有名らしく、『袋草紙』『十訓抄』『古本説話集』『俊頼髄脳』『古今著聞集』などに掲載されています。

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     花山院の歌会に参加した長能さん、「三月尽」というテーマで以下の和歌を詠みました。(公任さんの家で開かれた歌会というバージョンもあり。ただ、長能が花山院の歌壇で活躍した人なので、花山院かな〜と個人的には)

    心憂き年にもあるかな二十日あまり九日といふに春の暮れぬる

    ざっくり訳:いやな年だなあ、二十九日なのに春が暮れてしまう

     当時、二十九日のことは「はつかあまりここのか」と読みました。20+9という発想ですね。
     また、旧暦で1ヶ月は基本的に三十日なのですが、この年の三月は「閏月(小の月)」だったので、二十九日で終わったのです。昔は現在の閏年のような制度はなくて、ちょこちょこ調整を入れていました。現在の2月のように固定された月ではなくて、年によって違うらしいです。
     この年は、たまたま三月が二十九日で終わる年だったので、長能さんは、

    「いつもなら三十日まで春があるのに、今年は二十九日までしかないから春がいつもより早く終わってしまって嫌だなあ」

     という気持ちを歌にしたのです。 

     で、この和歌に対する公任さんのコメント。

    「そもそも春は三十日じゃなくね? 一月から三月までずっと春だったじゃん」

     なんという……ツッコミ……。絶対そういう話じゃないじゃん……。
     ちなみに原典では「春は三十日やはある」という、シンプルさがまたこう……、胸にくるっていうか、切り口が鮮やかっていうか……。「やはある」は反語なので、古文の授業風に訳すと、「春は三十日であろうか、いや、違う」となります。それを意訳すると、先に書いたセリフの感じですね。

     漫画にも書きましたが、ざっくりいうと、当時の季節は一月から3ヶ月ごとに区切っていると考えてください。だから、三月は春の終わり。
     長能さんは「三月」に注目して和歌を作ったのですが、公任さんは、「春」に注目していたんでしょうね。二人とも間違っているわけではないと思います。公任さんの方が、ど正論ではありますが。

     まあ、とにかくそんな揚げ足取りみたいなことを言っちゃうわけです。前回紹介した話でも、公任さんはリアリティを重視するタイプなので言わずにはおれんかったんでしょうね。本人は「つっこんでやったぜ」という軽い気持ちだったかもしれませんが、公任さんは既に和歌の大家として有名だったわけです。その公任さんに批判されるということは、歌詠みにとってかなりの大ダメージでした。しかも歌会の場でみんなの前で言われてしまった長能は、大ショックを受け、真っ青になって無言のまま退席してしまいます。
     歌会では和歌を作った後、読み上げる専門の人が各歌人が作った歌を朗詠することになっているのですが、その読み上げを聞かずに帰ったそうです。

    「公任さんに指摘されてしまった。とり返しのつかない失敗をしてしまったのだ……」

    と、落ち込み切った長能さん。
    この時の公任さんの反応は書いてありませんが、さすがに歌会の途中で帰ったとあっては、ちょっとくらいは「あれ、私のせい?」とは思っていて欲しい……思っていたんじゃないでしょうか……少なくとも帰ってからは……。

     次回は、落ち込む長能さんのその後です。

     
     
     
    小説や古典紹介を書いています。 また、中高の国語の教員免許を持っています! ご連絡はこちらのリンク集内のフォームへお願いします→ https://lit.link/satsukiayame55

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