
本屋さんの最後の配達 背後から脱走を狙う猫あり
認知症による社会的生活の縮小 今では珍しい本の配達をやめた話し
母が長年、定期購読していた本。それは毎月、昔ながらの街の本屋さんが配達してくれていました。本当にずっと、ずうぅっと、何年も配達してくれていました。
本が届くとお金を払う。
本屋のお兄さんはいつもニコニコして、母とは猫好きという共通点があり、毎月、猫談義をして、とても良い交流をしていました。
しかし今年から少しずつお金のやりとりがおぼつかなくなってきた母。
私が、訪問した時に、財布が広げて出してあり、小銭が散らばっている時もありました。
本屋さんが来て、慌てて何とかお金を払おうとしたのでしょう。
こういう事も難しくなってきたんだなあ、と、思いましたが、母の数少ない社会的活動であり、介護保険サービス以外での貴重な社会とのつながりのように捉えていて、先延ばしにしていた問題でした。
何とか母の負担にならないように続けられないかなあ、と、考えて、あらかじめ、本の代金を私が準備して、袋に入れ、渡すだけでよいよ、と伝えたりしました。
これで、2、3回はうまくいきました。
しかし今度は、本屋さんが来ても玄関口まで行くことができなくなっていました。
ピンポンが鳴っても、何かなあ…と、考えて動かなかったり、居眠りしてることが増えて、気づかなかったり。
これでは本屋さんが何度も来なくてはならず、いよいよ、断らなくては…
本屋さんにも申し訳ない、と思っていた矢先、私が母の家にいる時に、本屋さんがやってきました。
すみませーん、と、本代を渡して、今後のことを話そうとしたら、本屋さんから、
お母さんのことで相談があります、
と、切り出されました。
🧒ちょっとなかなか…話が通じない時があって…
と、申し訳なさそうに言います。
すかさず、私も
🐱そうですよね、すみません。
なかなか難しくなってきてますので、今月でもう、終わりにしてもらってよいですか?
と伝えました。
本屋さんも、
🧒そうですね、すみません、なかなか波がありますね…
と、また申し訳なさそうな顔をします。
このあたりから私の背後に忍び寄る猫あり。
いつもの猫好きの本屋さんが来たぞ、
とばかりに、様子を見にやってきました。
あわよくば、開いた玄関口から、外へのランニングを目論んでいます。
その気配を感じ、私が振り向くと、
猫は
ぬぬ、気づかれたか、
という顔。
あ!やばいっ、
と、私と本屋さんは、どちらからともなく、玄関口を10センチ程に縮め、背後を気にしつつ、私は片目で、本屋さんを見やりながら、会話を続けます。
🐱こちらこそ、すみません。ついつい、母が、本屋さんとのお話を楽しみにしていたので、先延ばしにしてしまって…
本当にありがとうございました。
🧒こちらこそ本当に長い間、本当に長い間ありがとうございました。
そう言って、深々と頭を下げられしばらく頭を上げませんでした。
それを私は10センチのすき間から長年の感謝を込めて、見つめました。
玄関口を閉め振り返ると、後ろで猫が
え、行っちゃったのか?
という怪訝な顔をしています。
外へ行けなかったことと、いつもと違う様子に、仏頂面で座っていました。
なんだか、その場では、
あーよかった、これでスッキリ
円満にまとまったなあ、
と、思いましたが、
今、こうして、記事にすると、
なんだか涙が出そうです。
なんだろう?この気持ち…
母には、本が届いたよー、と、いつも通りに伝えましたが、
ふう〜ん?という感じ。
以前は届くと、すぐ本を広げてじっくり見ていましたが、今では、すぐに手を伸ばしません。
でも時折、深夜一人の時間に、手に取って眺めている時もあるので、いつでも手が届く所に置いておきます。
本屋さんの配達は、今日で終わりだよ、とは伝えません。
本屋さんが毎月、本を届けてくれる、という事を認識しているのかもよくわからないので、ふんわり、させておきます。
本屋さんも、猫好きだもんね、
と話しかけると、
あ、思い出した、という顔で、
うん、あの人、良い人だよ、
と、笑顔で母が答えました。