
小説 「重力ノイズ」 短編小説
「重力ノイズ_」
天野さんが転校してきたのは、
六月の終わりだった。
雨が続いていて、
教室の窓はずっと白く曇っていた。
ホームルームの途中、
担任が面倒そうに言う。
「転校生」
教室の空気が少しだけ動く。
入ってきた女子は、
妙に色が薄かった。
白い肌。
黒い髪。
眠そうな目。
かわいい、というより、
雨の日の景色みたいだった。
「天野です」
小さい声だった。
それだけ言って、
黙った。
席は僕の隣だった。
天野さんは、
ほとんど喋らなかった。
休み時間も、
ずっと窓の外を見ている。
雨とか、
雲とか、
飛行機とか。
そういうものを。
授業中も静かだった。
ノートは最低限しか取らない。
字は綺麗だった。
でも時々、
知らない記号みたいなものを書く。
僕が見ると、
すぐ消した。
最初に変だと思ったのは、
昼休みだった。
財布を忘れて、
一人で教室へ戻った時。
屋上へ続く扉が、
少し開いていた。
風かなと思った。
なんとなく、
そのまま屋上へ出る。
灰色の空。
湿った風。
フェンスの近くに、
天野さんがいた。
眠っていた。
そこまでは普通だった。
でも。
彼女の体が、
少し浮いていた。
本当に、
少しだけ。
数センチ。
髪がゆっくり揺れている。
靴は、
地面から離れていた。
僕は立ち止まった。
世界が急に静かになった気がした。
その時。
天野さんが目を開ける。
僕と目が合う。
数秒。
それから。
「あ」
とだけ言った。
次の瞬間、
彼女の体がストンと落ちた。
沈黙。
遠くで、
体育の笛の音が聞こえていた。
天野さんは起き上がる。
制服についた埃を払う。
少しだけ困った顔をして、
小さく聞いた。
「……見た?」
僕はうなずく。
天野さんはしばらく黙っていた。
言い訳を考えているみたいだった。
でも結局。
「隠すの、
下手で」
と言った。
それから、
少しだけ話すようになった。
でも、
やっぱり変だった。
自動ドアの前で毎回立ち止まる。
電子レンジを怖がる。
炭酸を飲むたび、
涙目になる。
あと、
時々浮く。
本人は隠れてやってるつもりらしい。
でも、
ぼーっとしている時とか、
眠い時とかに失敗する。
ある日。
放課後の教室で、
僕は聞いた。
「天野さんってさ」
途中で止まる。
でも。
天野さんは窓の外を見たまま、
小さく言った。
「うん」
それだけだった。
肯定なのか、
違うのか、
よくわからなかった。
雨の日。
僕たちは一緒に駅まで帰った。
天野さんは傘を持っていなかった。
だから、
半分だけ入れる。
踏切で止まる。
赤い警報音。
濡れたアスファルト。
電車が通り過ぎる風。
その時。
天野さんの耳元が、
少しだけ光った。
青白く。
一瞬だけ。
僕は何も言わなかった。
天野さんも、
何も言わなかった。
「地球って、
重いね」
踏切を待ちながら、
天野さんが言った。
「……重い?」
「うん」
少し考えるように、
彼女は空を見る。
「みんな、
ちゃんと地面にいるから」
意味はわからなかった。
でも、
その言い方は少しだけ寂しそうだった。
数日後。
天野さんは学校に来なくなった。
先生は、
「転校した」
とだけ言った。
理由は知らないらしい。
クラスも、
すぐ元に戻った。
最初から、
そんな生徒いなかったみたいに。
でも。
僕は時々、
屋上を見る。
雨の日。
空が低い日。
そこに誰かが浮いている気がして。
卒業の日。
教室でアルバムが配られた。
友達の寄せ書きを見たり、
写真を眺めたりしている時。
ふと、
クラス写真で手が止まる。
最後列の端。
そこに、
天野さんが写っていた。
少しだけ眠そうな顔で。
ちゃんと、
地面に立っていた。
最後まで、
本当に宇宙人だったのかはわからない。
ただ。
天野さんは、
確かにこの教室にいたのだと思う。