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ジハード第1話「みせかけの正常」

    日本の工場で働くインドネシア人エンジニア、ファジャール。専門知識のある高度人材として来日し、デジタル推進室の一員として現場改善に携わる彼は、ある日「正常」と表示されるシステムの裏で起きる異常に気づく。その違和感はやがて彼自身への疑いへと変わり、社内には噂と不信が広がっていく。同調圧力の中で居場所を揺るがされながらも、彼は自分の判断を信じ、共に働く仲間たちと向き合う。会社とは何か、守るべきものとは何か。見えない敵に挑む、"居場所”をかけた戦いの物語。




    僕の名前はファジャール。
    明日への大いなる希望を意味する。




    バーン!ガチャン!ウィーン!
    共進金属加工株式会社の工場からは今朝も例外なくありとあらゆる加工音が響き渡っている。
    それぞれの設備がまるで俺はここにいる、と声をあげるかのようだ。
    活気に満ちたこの会社のそんな音に囲まれていると、自分自身も仲間になれたような、心安らぐものがあった。

    日本に来て、この会社に入って良かった。
    そう思った時だった。

    ビー!ビー!ビー!ビー!

    10月のよく晴れた日に似つかわしくない警告音が響き渡った。

    なにがあったんだ?

    僕はデジタル推進室のパソコンで設備の数値を確認した。

    「ー通常稼働ー」

    機械は動いている。コンベアも流れている。
    なのに、その隙間に、耳に刺さるような警告音が混じる。
    誤報だろうか?

    「ファジャール、サン!」

    振り向くと、作業着姿の男が立っていた。カタコトの日本語で、言葉を選ぶように続ける。

    「デジタル……キテ、ホシイッテ」

    呼んでいいのかを確かめるような目だった。

    「分かりました。行きます」

    ブラジル人作業員と共に警告音のする工場内へと向かう。
    汚れたアルミ製のドアを開けると空気の重さが変わる。
    油に混じった金属の匂いが鼻腔を刺激した。そして、ドアを開けた途端に、どこか他人事のように遠くで聞こえていた警告音が目のまえの現実を突きつけてくるかのようにけたたましく耳に突き刺さった。
    「これ、見てくれ」
    現場監督に差し出されたモニターには、機械の状態を示す数字が並んでいた。
    温度も、動きも、負荷も――全部「いつも通り」。
    体温で言えば、きれいな36.5℃だろう。
    どこにも異常はないはずの数字である。
    だが、横を見れば 不良品の山に、押された非常停止ボタン。まごうことなき現実がある。
    僕は画面に視線を戻す。
    数字を追って、おや、と気づいた。
    ――綺麗すぎる。
    普通なら、少しはバラつく。
    人間の体温だって、完全に同じ数字が続くことはない。
    なのに、このデータは違う。
    まるでテストで満点だけを並べたように、揃いすぎている。

    「システム、正常って出てるけど…」

    普段の大きな声とは比較にならないほど頼りない現場監督の声が、状況の異様さを際立たせている。
    プレス三号機の前には、ひしゃげた鉄、いびつに曲がった鉄、製品とは呼べないアンバランスな物体が積み上がっている。
    普段なら「なにやってるんだ!?」「やっちまった!」とでも聞こえてきそうな状況も、今日は誰も怒鳴らない。ただ、どうしていいか分からないといった空気だけが皆の口を覆っている。

    「表示上は」

    そんな空気に飲まれないように僕は短く答えると、背後で小さく笑う気配がした。
    振り向く。染地昇がいた。腕を組み、こちらを見ている。
    そして、意志の力だけで口角を引き上げる。

    「正常、ねぇ…」

    ひとごとのように放たれたそのひと言が僕の背中に冷たいものを走らせた。
    もう一度、視線を画面へ向ける。
    自分が作ったシステム。
    本来なら、現実をそのまま映すはずのもの。
    それが今、何も起きていないことにしている。

    ――壊れているんじゃない。

    ある考えが、ゆっくりと黒い影として湧き上がる。

    ――嘘をついている。

    次の瞬間、奥で何かが崩れる音がした。誰かが短い叫びをあげるが、その声は設備の音にかき消される。
    何事もなかったかのように。

    正常。正確、精密。
    通常通りならば、ここにはスムーズな音が響く。
    それは生活のリズムといってもいいだろう。

    そんな音が、ほんの少しずつズレていく。
    そして得体の知れないそのズレが、静かにこちらへ歩み寄ってきたことに気づいた時には、もう後戻りは出来なくなっていた。

    #創作大賞2026

    #お仕事小説部門



     
     

    陽夢

     
     
    平日は工場勤務。週末は家族を養うために副業。 子どもが寝静まった夜だけ、小説やエッセイで文章を磨き、絵心ゼロなのに絵本作家を目指しています。 笑われることには慣れました。 誰かを笑顔にできるなら、それで十分。 週末だけ酒を飲みますが 大体お腹が悲鳴をあげるようになりました。

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