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高島屋本店のサロンの包装技術は一流

モスクワに住むようになってから気づいた。

家の中に、日本から持って行ったお土産の箱が残っていた。

空き箱でゴロゴロ転がっているのではなく、子供たちのおもちゃや、ちょっとした小物などを入れて、道具箱として使っていたのだ。

おかげで、私が珍しくバレンタインデーのチョコレートを買って、国際郵便で送ったチェブラーシカのチョコレートの箱も家のあちこちにそのまま残っていた。

その他にも鳩サブレの缶だったり、うなぎパイの箱だったりも家にあった。

また、ある日、義母はとらやの羊羹の黒い紙袋に荷物を入れて出かけたことがあった。
そういえば、とらやの羊羹もいつだかお土産で渡した。そして、紙袋が黒いことによって、ちょっとおしゃれだし、何よりも造りが丈夫なのだ。
さらに、ジップロップを無造作に台所に置いておいたら、義母は自分の部屋にとりこんだ。
住んで分かったが、日本で手頃に手に入る物がロシアでは、高かったり、品質がよくなかったりするのだ。
そのため、日本の袋の丈夫さ、デザイン、使い勝手などを知っている義母は、捨てることなく、しまい込んだ。

日本では、当たり前に捨てていた物を大事に使うことが分かった。
ソビエト崩壊を経験している義母や夫は物を大事に使う。

そんなある日。日本から知り合いがモスクワ旅行に来た。
その頃、原田のラスクのお土産を義母に渡したら、「手作りのようにおいしい。」と言って、ラスクをものすごく気に入ったのだ。
それで、お土産は何がいい?と訊かれたら、「原田のラスク」と答えることが多かった。
知り合いは、しっかりした箱入りの原田のラスクをお土産に持ってきてくれた。私が買ったことがないような、高級なセットだった。
日本からのお土産が届くと、我が家は、つかの間の日本の味を楽しむ。当時は、義理の母、義理の妹家族(5人)と夫と同居していたので、一人が食べる量はわずかになるが、ロシアでは手に入らない日本のお菓子を食べる喜びにあふれていた。

そして、箱や包装紙がきれいたど、義母や義理の妹がしまい込む。

お土産を食べてから約1か月後、義理の妹が姪となにやら作っていた。

それがこちら。

この箱を見た時に、この間の原田のラスクの箱だと思った。

箱の上には、原田のラスクという文字が印刷されていたが、そこをハートの形の紙を貼って、隠していた。さらに、左上の『誕生日』の文字は、誕生日のお祝いのお金を入れる封筒を切り抜いて貼ったものだった。
その頃、姪はちょうちょが好きだったから、ちょうちょのシールを貼って、プレゼントの箱を作っていたのだ。
プレゼント用の箱もお店で売っているが、意外と高い。こうやって、箱をとっておいて、ちょっと手を加えることによって、素敵な箱に変身するのだ。

この写真を日本から来た知り合いに送ったら、喜んでいた。

そして、私も、お菓子の箱で素敵なものがあるととっておいて、活用するようになった。
例えば、刺繍糸を入れる箱は、ロシアのお菓子のゼフィールの箱を使った。


国際情勢が悪化してから、モスクワに来る日本人の知り合いや友達はほとんどいなくなってしまった。
しかし、留学生が来て、何やらいろいろお土産を持ってきてくれた。
日本のお土産は、箱や缶、包装紙が本当にきれいだ。
やはり、何かに使えそうな箱があったので、食べ終わったあともとってある。

お土産の一つに高島屋の包装紙があった。

中身は何だろう?とそうっとテープをはがして開けてみた。

その時、気づいたのだ。

高島屋の包装紙には、最後の1か所しかテープが使われていなかったのだ。

もう50年くらい前になるが、私の母は、デパートで働いていたことがある。当然、包装紙で品物を包む仕事もしていた。
社員教育では、「マッチ箱を新聞紙で包むことはするな。いかに、少ない紙で、きれいに包むのだ。」と叩きこまれたようだ。
そして、もちろん、テープは、最後の1か所のみ。
まあ、練習でいろんなものを包んだらしい。
一番難しかったのは、やかんだったらしい。
今なら、やかんは段ボールに入っているから、包みやすいと思うし、そもそもやかんを包むこともないと思うが、何でも包めるように練習したらしい。
母は、そういう仕事をしていたから、クリスマスプレゼントなどは、包装紙を買ってきて、自分で包み、どこのお店で買ったから分からないようにし、あたかもサンタクロースが持ってきたかのように演出ができた。

母の包装技術もかなりのものだから、平成になって、「最近は、テープをぺたぺた貼って包む人が増えた。」とよく言っていた。
商品券の箱など、包むのが比較的簡単な箱ものでさえ、テープを何か所もとめている場合もあった。

もう昔みたいに、最後の1か所だけという包装技術に出会うことはないかなあと思っていた。

ところが、留学生が持ってきた高島屋の包装紙は違った。

ゆっくりテープをはがして、きれいに包装紙を外すと、テープを使ったのは、最後の1か所だけということに気づいた。

母が言っていた昔からの包装技術が高島屋では、続いていることを知って、感動したのだ。留学生に訊いたところ、本店のサロンで包んでもらったようだ。もしかしたら、サロンだから、特別に集められたスペシャリストかもしれないということだが、それでも、昔ながらの技術が継承されている。

さらに、包装紙を見て、包装紙の柄が中途半端なところで切れないように、配慮されているのも分かった。
思わず、広げたところを写真に撮った。

あまりにもきれいだから、この包装紙を捨てずに再利用しようと思った。

すぐに、ノートカバーにしようと思った。

私は、2020年の手帳から、自分で手作りしている。
理由は、
・ロシアと日本で祝日が違い、使い勝手が悪いから。
・ロシアの手帳は、土日になるとスペースが小さくなり使い勝手が悪いから。
・日本の手帳は、ものすごく高いから。

中身も自分が使いやすいように、手作りだが、表紙もこだわって、作っている。

2025年の手帳用に、96枚のノートをスーパーで買った。

パンダがものすごく好きではないが、制裁が始まってから、ノートの値段がものすごく高くなってしまった。
高くなったのに、紙質は、以前より悪くなっている。
「hatberというメーカーの紙質はいいよ。」と、以前モスクワに住んでいた友達が教えてくれた。
制裁前と同じクオリティではないが、まだ、紙質がいい。
そのhatberのノートがスーパーでちらし商品となっていたのだ。
残念ながら、在庫は1冊だけだったので、買いだめができなかったし、表紙の写真も選べなかった。
だから、パンダなのだ。

でも、表紙の絵柄はどうでもいいと思った。なぜなら、自分で世界に1つしかない表紙を毎年作っているから、このパンダも隠す予定だったから。

どんな表紙にしようかな?と思いつつ、まだまだ9月だとそれほど真剣に考えない。
そんな時期に、高島屋の包装紙に出会ったのだ。

テープを最後の1か所しかとめていなかったから、きれいだし、A4ノートのカバーにするのにちょうどいい大きさだ。

それで、2025年の手帳の表紙は高島屋の包装紙にすることに決めた。

さらに、学校用品のお店でビニールのノートカバーを買って、完成だ。

ロシアに住んでいると、ちょっとしたものもとっておいて、何かに使えるかもしれないと思ってしまう。

そして、自分で手作りするからこそ、愛着もわく。

【11月22日の過去記事】


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