グラッツイオーソの軌跡一港町琥珀での再会一
(あらすじ)
学生時代5年。二人はそれぞれの職につき、忙しい毎日を送っている。久しぶりに会う場所は港町・琥珀の街でのデートを兼ねた旅行。葵は先に到着して、一人旅も満喫する。後から合流した縁との間に流れる「埋まらない距離」を再確認する。
旅行を楽しみながらも、過去のすれ違いが胸をよぎる中、葵は「一緒に住みたい」と切り出す。それに対し縁が語ったのは、性質の違う二つの湯が隣り合う「金泉と銀泉」の比喩だった。
お互いに混ざり合わずとも同じ場所から湧き出る源泉のように、二人は新しい関係の形を見つけ出す。旅の終わり、汽笛の音と共に二人の時間は重なり、やがて新しい朝へと続いていく。大人の愛と再生を描く物語。
(本文)
ここは、港町、琥珀(こはく)。
潮風が心地よく、吹き抜けていた。
葵は一人旅が好きで、今日は琥珀にやってきた。
一番の目的は、港に停泊している、
グラッツィオーソに乗ることだ。
大きな船で、ランチバイキング付き。
周りは家族連れやカップルばかり。
わかっているが、やはり一人の寂しさを感じる。
わずか向こうに見えるポートタワーの赤が
鮮やかに見えた。
水面が太陽の光で眩い光を放っている。
海から吹いてくるどこか湿気を帯びた風が、
心地よく葵の顔に当たる。思わず、
「いい気持ち。」
と言っていた。
そんなふうに過ごしていると、
グラッツィオーソの出発時間が迫ってきた。
慌てて船に乗り込んだ。
以前から、船旅が好きだった。
陸からわずかに離れるだけでも、異国に旅立つ気分になれた。
レストランの席に着くと、
二人の人達と一緒だった。
先に座っていた二人に、軽く挨拶した。
「こちら、よろしいでしょうか。」
「こちらこそ、よろしく。」
感じのいい二人だった。
もう少し話しかけようと思ったが、
二人で話し始めたので、やめておいた。
船が離岸し、わずかな揺れを感じるようになった。
それとともに、周りの人々が話し始め、
ざわざわし出した。
そんな時、LINEメッセージが入った。
誰だろうと思うと、縁(えん)からだった。
すぐに返信しようと思ったが、せっかくの船旅、
楽しんでからでもいいかなと思い、
返信はやめておいた。
ウエイターが来て、
「お飲み物はいかがですか?
こちらがメニューになっております。」
と言った。しばらく、メニューを見た後、
「スパークリングワインをお願いします。」
と頼んだ。その後、ウエイターは隣の二人に
注文を聞いていた。
船内は、生演奏のピアノ曲が流れていた。
クラシックだったり、ポップスだったり。
静かに音楽を楽しんでいると、
前菜と飲み物が運ばれてきた。
ウエイターが、
「プロシュートとメロンの一口カプレーゼで
ございます。」
と説明していった。
葵がナイフとフォークで食べ始めると、
隣の二人が話しかけてきた。
「琥珀にはよく来るんですか?」
「よくではないですが、何度か来たことが
あります。」
「そうですか。私達は今回が初めてです。
実は船での食事も初めてなんです。」
「そうなんですね。」
そう言って、一口目を食べた。
メロンの甘さとプロシュートの辛さが
口の中で混じり合って、とてもおいしく感じた。
グラスに入ったピンクグレープフルーツジュースを
飲むと、スッキリとした喉越しに感じられた。
あっという間に、料理を食べ終え、デザートが
出てきた。フルーツの盛り合わせと
ガトーショコラ、チーズケーキが乗っていた。
飲み物はコーヒーだった。
食べ終えた後、デッキに出て、
風に吹かれながら、過ごしていると、
後ろから声をかけられた。
えっ、こんなところで、
誰だろうか?と思っていると、
何年かぶりに会う同級生だった。
葵が、
「驚いたなあ、こんなところで声をかけられるから、
誰かと思ったら、環(たまき)さんじゃないの。」
「久しぶりだね。お互い、少し大人になったね。」
「本当に。学生時代より、おしゃれになったね。」
「そうかなあ。卒業してから、
ずっとこっちにいるからね。
地元よりは街だからかなあ。琥珀には旅行?」
「そう。この街が好きで、たまに来るの。
今回初めてのクルーズ船。」
「へえー、そうなんだ。私はたまに、
気分転換に乗るの。季節によってね、
例えば、クリスマスとかは雰囲気が
違っていいんだよ。」
「それは一度乗る価値あるかもね。」
話していると、環さんの友達がやってきた。
「では、またね。」
と言って、お別れした。
学生時代の友人にこんなところで会うなんて
全く予期しておらず、いい出会いだったなあと
感じていた。
海風に吹かれて、遠くの景色を眺めていると、
学生時代を思い出した。
初めて、今でいう、カフェに行ったこと。
ふわふわのシフォンケーキ、食べたっけなあ。
生クリームが乗っていて、
ちょっと大人の気分を味わったっけ。
ぼんやりしていると、
船内アナウンスが流れて、
そろそろ船内に戻らなくてはならなかった。
席に戻ると、二人のうち、
一人がニコニコと話しかけてきた。
「デッキでは素敵な景色を眺められましたか?」
「はい。天気が良かったので、水面がキラキラして、
まぶしいくらいでした。
お二人はデッキには出られなかったのですか?」
「私達は、ここでずっとおしゃべりしてました。
久しぶりに会ったので、話に花が咲きましたよ。」
「そうでしたか。それはよかったです。」
その時、LINEが来ていたのを思い出し、
慌てて返信した。いつものスタンプを押しながら
思った。港に戻ったら、連絡しなくては。
明日こっちに来る予定で、待ち合わせ場所や時間の
連絡をすることになっていたからだ。
久しぶりだなあ。会うのは。
お互い仕事が忙しくて、なかなか予定が
合わなかったからなあ。
まあ、たまには違うところで会うのも
いいかもしれない。
港に降り立つと、
早速電話をした。5コールくらいしたが、
出なかった。まだ、飛行機の中かなあ。
まあ、折り返しがかかってくるかな。
お昼から、フルコースを食べたので、
お腹がいっぱいで、どこか、少し歩かなくては
と思っていると、前から、
ちぃちゃなトイプードルが走ってきた。
かわいいな。思わず頭をなでてしまった。
飼い主の人が、
「すみません。」
と謝ってくれた。
「いえいえ、こちらこそ、
いきなりなでてしまって。ごめんなさい。
ありがとうございます。」
昔飼っていた犬、メモリーのことを思い出した。
足音だけで、家族かそうでないか、聞き分ける
賢い犬だったなあ。
思い出すとちょっと悲しくて、
涙が出そうになった。
20分ほど歩いただろうか。
疲れたので、休もうと思って、座るところを
探していた時、老舗の帽子店を見つけた。
大好きなブランドのお店だったので、
高級そうな佇まいで、少し気が引けたが、
勢いで、店内に入ってしまった。
帽子の品数は多くはなかったが、
お店の外観はさほど気にならなかったが、
少しレトロな店内に、
上品に飾ってある帽子の数々には
心惹かれるものがあった。気になるいくつかを
試しにかぶらせてもらうと、
どの帽子の縫製もしっかりしていて、
職人さんの手で一つ一つ手作りされたことが
よくわかる。ベレー帽も形やフォルムだけでなく、ニット、ベルベットなど素材感の違いからも
かぶった時の雰囲気を変えてくれる。オシャレも楽しみたいが何よりかぶった時に自分の頭に
しっくりときたものを選びたい、そう思っていた。
すると、この子は自分と出会うために作られのだと思える一品があった。
一瞬の迷いもなく、
「これいただいていいですか?」
と聞いていた。本当はうれしくて、
かぶって帰りたかったが、やめておいた。
ふと、着信が鳴った。
縁(えん)からだった。
「もしもし、どうしたの?何かあったの?」
「いやあ、空港で荷物の受け取りに
手こずってしまってね。連絡遅くなってんだ。
これから残務処理して、そちらへ向かうつもり。」
「じゃあ、気をつけてね。今晩、
ホテルのフロントで待ってるね。」
その足で、葵は、今度はちょっと休みたいと
思えるバルを見つけた。
少し薄暗いけど、入ってみると意外に、
健康を気遣っているメニューが目に入って、
だから、私はこの店に惹かれたんだと納得した。
少し高いカウンターに、少し高い椅子。背の低い
葵は、少し背伸びして、席に着いた。少し間があって、ゆっくり何を注文しようかと考えていたら、
ちょうど決まった頃、声をかけられた。
若い茶髪の女の人で、長い髪は後ろでくるんと巻いてあった。毛先が少し痛んでいるのだけど、
そこが光に反射して、輝いて見えた。
「何にしますか?」
「おすすめのちょっと濃いめのジンジャーエールを
お願いします。」
「少しきつめですが、大丈夫ですか?」
「そうですね。たぶん大丈夫かと。」
「それなら、お作りしますね。お客様によっては
苦手な方も見えるので、お聞きしているんです。」
「楽しみです。
ジンジャーが効いているってことですよね。」
少し生姜の辛味を想像しながら、
飲み物ができるのを待っていた。
店内を見回すと、夜に注文されることの多い
お酒の種類がたくさんブラックボードにも棚にも
書かれていた。見て想像できるお酒もあるが、
どんな味だろうと、興味をそそられるものも
あった。結構長い間、そうやって過ごしていた。
やっとジンジャーエールが出てきた。
ロングのグラスに、ストローがささっていた。
氷で冷えたグラスは外気にさらされ、
たくさんの水滴がついていた。
ストローから、一口飲むと、
生姜の濃い辛味と甘さ、そして、
炭酸のシュワっとした感じが口の中で、
弾けて絶妙なバランスをとっていた。
「なかなかパンチのある味ですね。でも、
ジンジャーエールって感じがして、美味しいです。」
「それはよかったです。その強さが苦手で、
最後まで飲めずに帰る方もいるので。」
「また、飲みたくなるような味ですね。
私は好きです。」
「ありがとうございます。」
「ところで、こちらには観光で来られたのですか?」
「そうです。この街が好きで、
たまにふらっと来たくなるんです。」
「そうなんですか。どこか回られましたか?」
「いいえ。まだ、ランチクルーズをしただけです。
ここを出たら、宿泊するホテルに行こうかと思っているので、出かけるのは明日ですね。」
「それは楽しみですね。ホテルに行く前に、
少し先に神社があるのですが、もしお時間あれば、
寄って行かれたらどうですか?」
「神社仏閣は清らかな気持ちになれるので、
行ってみたいなあ。」
「ぜひぜひ。」
店を出ると、左手すぐ歩いて2分くらいのところに
神社があった。行ってみると、見たことがある神社だった。一度来たことがあるのかなあ。そう思っていたら、思い出した。TVによく映っていたからだ。
なるほど、それで見たことあったんだ。
朱色の鳥居が、太陽の光で輝いていて、
中に入ると、都会の喧騒から一歩入ると、
すぐ静かで厳かな空気に変わる。
そんな都会の神社ならではの雰囲気が
伝わってきた。きっと初詣はすごい人出だろうな。
そう思いながら、葵は自分の足が踏んでいる、
敷き詰められた玉じゃりの音を聞きながら、
本殿の前まで歩いていった。
何をお祈りしようか、そう考えながら、
本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らしていた。
鈴緒(すずお)がうまく動かせず、
鈍い音しか鳴らせなかった。
旅の無事と二人の行く末について祈った。
お参りした後で、感謝の言葉を伝えるのが、
本当だと何かで言っていたのを思い出して、
今回はできなかったが、
次からはお礼も言おうと思った。
ゆっくりと過ごしていたので、気がつくと、
4時になっていた。そろそろホテルに向かって
行かないと間に合わないなあ。ここから30分以上
かかるからなあ。
どこから乗るのだっけ、シャトルバス。
駅の方へ歩いていった、
特に旅行シーズンでもないため、
バスの中はそれほど混んでいなかったが、
それでも座席がほどよく埋まるくらいは
お客さんが乗車していた。
ホテルの方に渡る橋からは、海が見えて、
水面がゆらゆらと揺れていた。時折り、
太陽の光が反射して、
キラッとまぶしくなることもあった。
ホテルに着くと、先に着いていた縁が
ロビーに座って待っていた。
「ごめんね。待たせちゃったね。
どのくらい待ったの?」
「10分くらいかな。」
「じゃあ、部屋の鍵をもらって、
部屋に荷物を置きに行こうか?」
「そうだね。ところで、お腹すいてない?
お昼は何か食べたの?」
「空港で軽食を食べたよ。だから、
とてもお腹が空いてるんだ。」
「実はね。ここのホテルの琥珀牛の鉄板焼き、
有名らしいよ。食べてみない?」
「鉄板焼き、いいね。夕食は鉄板焼きとするか。」
「予約取らなくてもいいかなあ。」
「部屋から予約とれるか聞いてみよう。」
エレベーターの中で、会話しながら、
部屋へと向かった。
ホテルの部屋から見える月は、満月で、
確か6月はストロベリームーン?ブルームーン?
葵が好きな少しぼんやりとしたオレンジ色の月が
好きだった。
「ああ、素敵だな。」
思わずそうつぶやいていた。
「月なんて久しぶりに見たな。葵といる時しか、
見ないだろうな。」
次の日、レンタカーを借りて、
十六夜山(いざよいさん)のドライブに
行く予定だった。
「天気になるといいけどなあ。予報では、
曇りだからね。」
「そうだね。」
「ところで、そろそろ鉄板焼きを食べに
行かないか?」
「もうそんな時間。ロビーで予約しておいて
よかったね。」
そこはホテルの中にある鉄板焼きのお店。
店内は落ち着いた雰囲気で、まだそこまで
混み合ってなかった。
少し香ばしい匂いがして、
葵はまだそこまでお腹が空いてないと
思っていたのだが、急に食欲が湧いてきた。
「こちらの席にどうぞ。」
お店のウエイトレスが案内してくれた。
案内された席は、目の前でシェフが焼いてくれるところだった。時間的に早いためか、まだ店内には
誰もいなかった。
席に座ると、マネージャーが、飲み物のメニューを持ってきてくれた。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
一息ついてから、
「当店のおすすめはこちらの赤ワインに
なっております。」
と言った。
葵はワインのことは全くわからないので、
縁の顔を見て、よろしくと合図を送った。
そうすると、縁は、
「では、おすすめのワインをお願いします。」
「ボトルとグラス、ございますが、
どうなされますか?」
「グラスでお願いします。」
「それでは、ご準備させていただきます。」
ワインはすぐ準備され、ボトルからグラスへ
ゆっくりと注がれた。
注がれるワインとグラスの煌めきの相乗効果で
2人とも高揚した気分になった。
学生時代、一度少し背伸びしたディナーを
食べに行った時はただ、周りとのアンバランスさを意識し、緊張で肩が固くなっていた。しかし、
今度は違う。マネージャーとのやりとりも
普段通りに行える。
ワインが注がれて、一口飲んだタイミングで、
シェフは、鉄板焼きする具材を葵達のテーブルに
置いた。右から並べてある野菜、海鮮、牛肉の順に
説明した。野菜から、焼いていった。焼く手捌きや
焼き加減は絶妙で、まるでマジックを
見ているような滑らかさであった。
一つ焼くごとにそれぞれのお皿に置かれて、
食すシステムである。もちろん、
野菜は洗練されたものを使っているのであると
思うが、スーパーで売られている野菜とは
異なる味と食感であった。
食事がだんだん進み、琥珀牛を焼く順番になった。
シェフが、
「焼き加減はどうなさいますか?」
と聞いた。縁は葵に目配せして、先にどうぞと
伝えてきた。そこで、葵は、
「ミディアムでお願いします。」
と言った。次に縁は、
「レアでお願いします。」
と言った。
「かしこまりました。」
そういうと、慣れた手つきでシェフは焼き始めた。
「以前はウェルダンじゃなかった?」
と葵が聞くと、縁が、
「琥珀牛はレアがいいと聞いていたから。」
と答えた。
「そうなんだ。」
そう、葵が言うと、シェフがすかさず、
「どうなさいますか?今なら変更できますが。」
と聞いてくれた。
さすが、気の利いている、ホテルのシェフは違う
と思いながら、
「ミディアムで大丈夫です。ありがとう
ございます。」
と答えた。
しばらくすると、牛肉が焼けてきた。
まずは、縁から一口大に切られたお肉がお皿に
置かれた。その次に葵のお皿に。
一口食べると、口の中に、肉汁が広がり、
おいしさで思わず二人は顔を見合わせていた。
その顔を見たシェフもとても満足げだった。
次々とお肉が焼かれ、
二人はおしゃべりする暇もなかった。
せかせか急がされているわけではないが、
お肉のおいしさを逃したくない二人は
ゆっくり味わいながらも、そこに会話を
はさむ余地はなかった。
鉄板焼きの全てが終わり、最後のシャーベットが
来るまでの間、
「琥珀牛のレアはやはり違った?」
「うん、そうだね。やはりレアがいいと思う。
柔らかくて、口の中でとろける感じ。」
「そうなんだ。私はやっぱりミディアム派だな。」
「レア感を残しつつ、焼き加減も楽しみたいからね。」
「何度も琥珀を訪れているけれど、
琥珀牛は初めてなので、縁と食べられて
よかったよ。」
「そっか、それは良かったよ。」
次の日の朝、葵達は、十六夜山(いざよいさん)にある牧場を目指して、ドライブした。
窓を開けると、風が心地良くて、
梅雨の蒸し暑さは全く感じられなかった。
葵は、どこかで景色を見るために、
停車したいと思ったが、車で走ることの気持ちよさとどちらがいいのか、選ぶことができなかった。
少し白い雲がかかった青い空が、穏やかな気持ちに
させてくれた。
「十六夜山の牧場のソフトクリームが
おいしいらしいよ。生乳100%で、
濃厚な味なんだって。」
「葵、好きだよな。ソフトクリーム。出かけると
いつも食べているよな。」
「そうだね。なんかいつも食べたくなるんだよね。」
ソフトクリームって、ご当地それぞれあって、
いろいろ売り出しているでしょう?だから、
いろいろな味が楽しめるからね。」
曲がりくねった道を通るたび、車が左右に揺れていた。運転が上手な縁は、助手席の葵が
ほとんど揺れることなく、走ってくれていた。
そういうところもよくわかっていて、
安心できるよなあ、と思った。
よく西洋の映画に出てくる紳士のような
完璧なレディファーストではないけれど、
さりげない心遣いがいいところだ。そして、
またそこを主張したり、媚びを売ったりしない
ところも心地よい。
「次のカーブ曲がると、展望台があるらしいよ。
行ってみる?」
「行く行く。今日なら、天気もいいし、
眺めもいいだろうなあ。」
「写真撮ろうよー。景色と一緒に。」
「そうだね。」
展望台に着くと、何台かの車が止まっていて、
家族連れや夫婦が数組いた。
車のドアを開けた途端、青々とした草の匂いが
真っ先に飛び込んできた。その後、
パッと広がる景色。
一瞬太陽の光がまぶしすぎて、
一面真っ白になったが、その後見た
琥珀の街と海と空のコラボレーション。
青い海に光る太陽のキラキラした光、
その反射ではないけれど、
高い建物のガラス張りの窓、そして、そこから
視線を上に移すと、
青というよりはブルーといった少し薄めの空の色。
そして、しっかりと形づくる雲。
梅雨の雨で恵みを得た草達が、伸び伸びと成長し、
その草に当たる風の音が微かに聞こえてきたのだ。
「いい気持ち。ここで停めてよかったね。
体中に、自然のエッセンスを感じてる。」
「そうだね。景色も風もいい感じだね。」
「実は運転、疲れていたりして。図星でしょ?」
「どうしてわかったの?」
「話しかけた時、ちょっと微妙な感じがしてさ。」
「そんなのわかるんだ。ちょっと驚いたよ。」
「何年の付き合いだと思っているの。」
「そうだね。もう五年か。」
「きっかけはなんだっけ?」
「通学電車で会ったところだろう?」
「えー、そうなの。いついつ?」
「葵は違うの?じゃあ、いつだよ。」
「私は何人かで行った映画かなあ。」
「そこからなの?俺のこと、見てたの?ちょっと
がっかりだなぁ。」
「ごめんなさい。ところで、電車で会ったのって、いつのことが教えてよ。」
「確かアルバイトかなんかで葵が電車に乗ってた時、
バッタリ会っただろう。」
「そんなこと、あったかなあ。あるような、ないような。ごめん、あんまりはっきり覚えてないよ。」
「そうなんだ。本当にショックだな。聞かなければよかったよ。」
「本当にごめん。あの頃はさ、
いろいろ必死で過ごしていたからさ。留学のお金を
貯めながら、大学も通っていたし、通学にも
時間かかっていたからさ。」
「縁はそんな前から気にしてくれてたんだ。本当に
知らなかった。なんかすごくうれしい。」
縁が少し照れている横顔越しに見る景色は
また最高に素晴らしかった。
縁とは今までたくさんの場所に旅行に行った。
北海道、神戸、静岡、名古屋、岐阜、京都…
私が行きたいというとどこへでも、
一緒に出かけてくれた。怒ったり、
文句を言われたりしたことがない。
どうしてなのか、わからない。
穏やかな性格なのか、それとも私が怒られるようなことをしないのか、本当にどちらかわからない。
1、2度私が怒ったことはあったけどね。
「そろそろ、頂上まで行くかな。」
縁がそう声をかけた時、私は、はっと我に返った。
「ごめん、ちょっとぼっーとしていた。
待ってないで声をかけてくれたらいいのに。」
「うーん、なんか声をかけづらくて。
まあそろそろだなぁ、と思って声をかけたんだ。」
車に乗ると、さすがに車内は太陽光で
熱くなっていて、冷房全開でも
なかなか冷えることはなかった。
葵の額にうっすらと汗がにじんできた。
縁はポタポタと汗が落ちるほどだった。
「これで汗を拭いた方がいいんじゃないの?」
と手渡したタオルは小さくて、
汗を拭き切れるものではなかった。そんなことを
している間に、冷房がきき始めた。
「やっと涼しくなってきたよね。」
「6月だからと、油断すると、ダメだね。」
「そうだね。」
まだまだ続くカーブの道を進んでいくと、
縁が音楽をかけ始めた。よく聴く曲だったが、
アーティストの名前も歌の題名もわからなかった。
音楽を聴きながら、しばらく景色を見て走った。
時折り、海が見える、そんな道だった。
葵は、
「私の運転ではこんなにスムーズには
運転できないなあ。」
と思っていると、山頂に着いた。
さすが十六夜山。山頂にはたくさんの車が
駐車されていた。車を降りると、
観光客でいっぱいだった。普段は人混みは
苦手だったけど、縁といると、
そんなことは何も思わない。
展望台から見える、琥珀の街の景色は最高だった。
高いビルの中に見える木々の様子。
街のずっと向こうに見える港町。
旅の情報誌で読むと、
夜景はもっと素晴らしいみたい。
「夜の景色も見てみたい。」
と葵が思っていると、縁が、
「夜も来たいって思っていたよね、今。」
「どうしてわかったの?縁。なんか心の中を
のぞかれてたみたいで、ちょっと怖いんだけど。」
「顔を見てたら、わかるよ。」
「そんなに表情でわかるの?」
「わかる。わかる。」
2人で顔を見合わせて、微笑んでた。
10分ほど、景色を眺めた後、2人で写真を撮った。
本当は自撮りでなく、
誰かに頼んで撮ってほしかったが、
頼めそうな人が見つからなかった。
葵が残念だなぁと思っていると、縁に、
「ちゃんと笑って、スマイル、スマイル。」
と言われてた。
葵は、また心を読まれたか、と思っていた。
縁が声をかけてくれたからか、いい笑顔の2人で、
写真が撮れた。
「バッチリだね。笑顔も景色も。」
「後から、私のスマホに送ってね。」
そのまま、お目当てのソフトクリーム売り場に
行った。葵はもちろん、
生乳100%のソフトクリームを注文した。
迷っていたが、縁も同じものを注文していた。
ソフトクリームの食べ方には自信がある葵は、
少しもソフトクリームをポタポタ落とさずに
食べることはなかった。でも、
縁はちょっと苦手で、いつも必ず、最後のコーンを
ソフトクリームで柔らかくして下から
食べることになったり、ソフトクリームが
コーンに垂れたりしていた。
今日はどうなるのかと思っていたら、
2人の視線が合って、笑ってしまった。葵はまた、
心を読まれてしまったと思った。
「ここのソフトクリームは本当においしいね。
さすが生乳100%だね。濃厚だしね。」
「そんなことまで考えて食べないよ。おいしいよ。」
いつも押しつけず、ちょっとはにかみながら
言うところも好きだなあと思った。
今の心読まれてないよねと思わず、
縁の顔を見た。今回は縁がソフトクリームを
必死に食べていたので、葵の方を一度も
見なかった。内心ほっとした。
「ソフトクリーム食べたばかりだけど、
お昼は何が食べたいの?」
「何にしようかな。昨日は鉄板焼きだったから、
違うジャンルのものがいいね。」
「じゃあ、中華街の食べ歩きでもする?」
「いいね、それ。本当は考えてくれてたんでしょ?
お昼ご飯、どうするか。いつもありがとうね。」
「中華街に行くのはドキドキするね。」
「ラーメン、豚まん、それとも、炒飯?油淋鶏?
何が好きなの?」
「そういえば、よく食べたよね?以前。炒飯。
学生時代。どこのお店だったか?」
「そうだね。私、実は街の中華屋さんの料理、
初めて食べたんだよね。かまぼこが入ってる炒飯とか。」
駐車場に車を停めて、街に出ると、
観光客でいっぱいだった。葵は、
1人だったら絶対来ないだろうと思いながら、
縁と2人で中華街へと向かって歩いた。
よくある赤い門が見えてきた。
店が何軒か立ち並ぶ中、
縁はある店の前で立ち止まった。
中華点心倶楽部「閑雅」というお店だった。
「どうしたの?」
「ここで、食べるのもありかな。」
と縁が言った。
「点心がおいしそうだなと思ってね。」
「点心か、おいしそうだね。
じゃあ、ここで食べよう。」
中に入ると、中華独特の店の雰囲気だった。
店員さんが来て、すぐ注文したが、
料理が出るまで、20分ほどかかると
いうことだった。
「明日、どこに行くか決めない?」
縁が言った。
「そうだね。これから、どうするの?
今日の宿泊先は、和里亜(まりあ)温泉だから、
この辺りを少し散策して、
ホテルに向かうのはどう?」
「それがいいかも。今日も天気がいいし、
街歩きにはもってこいだからね。」
「明日は和里亜温泉でゆっくりして、その周りを
散策するのはどう?」
「そうしようか。私、和里亜温泉、実は
とても行きたかったんだ。
お湯の質が他とは違うらしいので。効能も抜群で、
とても肌にもよいと聞いたから。」
「今夜泊まるホテルも実は泊まってみたかった
ホテルで。2種類の温泉が引いてあって、
これが魅力らしい。他のホテルだとなかなか
そうなっているところがないらしいので。
そこまで知ってて、予約したの?」
「いやあ、そこまでは知らなかった。
ただ、どの情報誌にもはじめのページに
掲載されていたから、人気なのだろうなと思って
予約しただけだよ。」
「ありがとう。とても楽しみだね。」
「本当に。」
縁が何か言いかけた時、店員さんがやってきて、
「左からチャーシュー、前菜のクラゲの冷菜、
蒸し鶏です。」
と前菜をテーブルに置いていった。
「さっき、何か言いかけたよね?何だったの?」
「えー、忘れたよ。」
「忘れたの?なんか気になるんだけど。
思い出したら言ってね。」
「ところで、仕事の目処はつきそうなの?
最近とても忙しそうだけど。
今回も出張先からじゃない?移動だけでも、
大変だよね。まだまだ続きそうなの、
こういう状態。」
「少なくとも一年くらいはそうだろうね。」
「そうなんだね。お疲れ様。ちょっと聞きたいことあるんだけど、いいかな。」
「なんだね。急に改まって。どうしたの?」
「一緒に住みたいんだけど、どう思う?」
いきなり質問されて、縁は飲んでいたお水が気管支に入り、むせた。次の瞬間、見ていた店の景色がぼんやりとした。遠くで店員の注文を聞く声が聞こえていた。その注文を取り終えた頃、やっと葵の方を見ることができた。
急に黙り込んだ縁を見て、葵は口の中が急に乾いて行くのを感じた。肩が少し重だるく感じた。
少し経った後、縁は、少し意を決して言った。
「いきなり、一緒に住みたいって、
どういうことなのか、教えてほしいんだけど。」
「そろそろ、一緒に住んでもいいのかなあと思っただけなんだけど。一緒にいる時間が前より
減ったから、一緒に住めば、少しでも
長くいられると思って。」
縁は、肩の力が抜けて、息を吐いている自分に
気がついた。
「仕事も忙しいし、少し考えさせてくれても
いいかな。」
少し頬が緩んだ。
「わかった。考えてみて。」
葵も少し微笑んで答えた。
2年前のことを思い出した。
葵はちょうどクリスマスイブとクリスマスに
泊まりの仕事が入った時だった。
葵は、「そんな日に仕事が入ってごめんね。」と
あらかじめ謝っておいたけれど、気が引けて、
当日の朝もLINEで
「夜には連絡するからね。」と
入れておいた。
ところが、夜何時になっても、
LINEの既読も返事もつかない。心配になって、
電話を入れても、つながらない。
何かあったのではないか、と気が気でなく、
ベッドの上で、寝る前に天井を30分くらい
見てたのではないか。ようやく眠りに
ついたものの、朝起きると頭がぼんやりしていた。
すぐにLINEを見たら、朝早い時間に、
返事が来てた。
「友達と遊びに行ってて、LINEは見てなかった。疲れたので、そのまま寝た。ごめん。」
と入っていた。葵は、
「連絡ありがとう。」
とだけ返事をした。
葵は頭が重いまま、仕事に行った。
その日の仕事はいつもより少し緊張感が
ない仕事だったので、なんとか乗り切れた。
これが昨日の仕事ならやりきれないだろうなあと
思った。
その日、帰宅後、縁に電話した。
「昨日は誰と遊びに行っていたの?」
「葵も知っている、香織と一華だよ。
たまたまこっちへ帰ってきてたんで、
ご飯行こうということになって。」
昨日のことを聞こうと思っていたが、なかなか切り出せずにいたら、縁から話し始めた。
「学生時代のことや今のことを話してたら、
気がついたら、深夜になっていて。帰って
そのまま寝てしまってた。」
思わず涙が出ていた。うまく言葉が出なかった。
言葉にできないという方がふさわしいかも
しれない。涙とともに、言いたいけど
言えない思いが頭の中でぐるぐるしていた。
葵が無言でいるのを察して、縁が、
「ごめん、ごめん。連絡しないの、悪かったよ。」
と言った。
ちょっと合ってて、ちょっと違った。でも、
それもうまく言えず、涙しか出てこなかった。
縁は、
「何か言いたいことがあったら、言ってほしい。」
と聞いてくれた。
でも、葵は仕事が入ったことがきっかけで
あることは確かなので、もうこれ以上は
言えないなと思った。
葵のすすり泣く音だけが続いていた。
どのくらい経っただろうか、葵は、
「明日も仕事だし、早いから、ごめんね、
付き合わせちゃって。」
そう言って、電話を切った。
1年前のこともまた思い出した。
会えない日にはできるだけ連絡するようにした。
そんな時、たまたま時間がお互いに合って、
電話した。
「ここ最近、毎日電話で話せているよね。
時間無理してないの?」
と葵が聞くと、縁は
「大丈夫!」
と言った。
「今日はお店の販売スタッフの仕事をしてね、
なかなか大変だったんだよ。」
と縁の方から話し始めた。結構長い時間
話していて、葵はたまに記憶が遠のくのを感じた。
その時に、また明日にしよう、
と言えばよかったのだが、
言うことができなかった。
気がついたら、
少し眠ってしまっているようだった。
電話はもちろん、切れていた。
その時にすぐかけ直したが、もう出なかった。
すぐLINEを打った。
『ごめんね。最近仕事でかなり疲れていてね。眠ってしまったみたいなの。』
次の日の朝、連絡した。でも、つながらなかった。
仕事が終わった後、何事もなかったようにLINEの返事が来てた。怒ってないんだと
葵はほっとした。だけど、本当のところは
何か言いたかったんじゃないの?ともやもやした。
気がついたら、帰りの電車を
一駅乗り越してしまっていた。
学生時代から今までのことを考えてみた。
他にも数えたら、こういう小さなすれ違い
みたいなものがもっとあったのかもしれない。
でも、やはり会うと楽しいし、うれしい。
学生時代とは何か違う感覚は否めない。
お互い、違う世界を
持ってしまったからかもしれない。
葵と縁は、夕食を終えて、部屋に戻ってきた。
その夜は、ちょうど港で花火が上がる日でした。
港に隣接したホテルだったので、
ホテルの部屋から、花火を見ることができた。
潮風や少し蒸し暑い空気、花火から流れてくる煙や
火薬の匂いなどは感じられなかった。
かなり上層部の階だったため、
とてもきれいに花火を見ることができた。
涼しい部屋から見る花火はとても贅沢なものだが、
反面蒸し暑さや熱気みたいなものが感じられず、
少し寂しい気持ちにもなった。
葵と縁にとって、
花火はとても思い出があるものだった。
それは2人が付き合うことになったことにも
関係がある。
あれは、私が高校生の時、友達と大人ぶって、
花火大会に出かけた時のこと。
確か数人で行くこと、夜9時までに帰ってくることを条件に家族に許してもらった時だった。
そんなに有名な花火大会ではなかったが、
地元では結構大きなイベントだった。
花火大会なので、友達みんなで浴衣を着て行こうということになり、夕方みんなで出かけた。
着慣れない浴衣、それ以上に履きなれない下駄。
足に幾つの擦り傷を作ったことだろう。
あの痛みはなかなか忘れられない。
花火を見終わった後、帰り際、
足の擦り傷に絆創膏を貼り替えようとした時、
ぶつかってしまった男の子達の集団。
その中に、縁がいた。2人ともそれに気づかず、
ずっと付き合っていた。いつだったか、
花火大会の話をした時のことだった。
ある初夏。
「今度花火見に行きたいんだけど。
どこかいいところないかな。」
「花火大会かあ。ちょっと考えてみるね。」
「プリズム・スカイ花火大会はどう?」
「この花火大会、有名だよね。」
「スパークル・ノート花火大会はどうかな?」
「行ったことあるよ。ずっと前。若い頃。」
「俺もある。いつの?」
「あの花火は子どもの頃、見たけど、
すごい迫力だつたよね。花火の音が地面から
ドンって響いて。花火は空から降ってくるくらい
大きく見えてよく覚えてる。帰りには、
かき氷を食べて帰ったのをよく覚えてる。
自分の顔より大きくて、食べ終えるとお腹が
すごく冷えて、お腹が痛いまま、駐車場までの
長い道を帰ったのを覚えてる。」
「あの花火大会、俺も行ってたよ。
毎年行ってたんだけど、あの年だけ妙に
記憶に残っててさ。ずっとなぜだろうと
思ってたんだ。ついこの間その理由が
分かったよ。」
「どうしてだったの?」
「あの帰り道、ぶつかってきた女の子がいてさ、
かわいい浴衣を着てたんだけどね。」
「ぶつかってきたってことは失礼だったと
いうこと?」
「違う、違う。なんか受け止めてあげないと
心配だな、という感じだったんだ。」
「そうなんだ。それで、その女の子は
どうなったの?」
「ぶつかった後、こけずに帰れたんだ。その子が
葵だったんだ。」
「えー、本当に。」
「そうそう。」
「全く覚えてないよ。」
「それは偶然だね。すごいね。」
「運命の赤い糸でつながっていたみたい。」
そう言うと、葵は、自分の小指から縁の小指まで、
反対の人差し指ですうっーと、
線を引くようにたどった。そして、
「こうやって?」
縁はまたいつもの優しい笑顔で、微笑んでくれた。
葵は、その話を聞いて、
「巡り合わせって、あるんだね。しかも、そんなに
前からの知り合いだなんて。」
「僕も最近まで、気がつかなかったからさ。」
「私、どんな顔してたんだろう?縁だけ覚えていて、
私だけ覚えてないなんて、ずるい。」
そう言いながら、膨れっ面をする葵を縁はまた、
にっこりして見ていた。余裕があるよなあ、
この人はと思わずにはいられなかった。
そう、学生時代から、なんかいつも余裕があって、
でも、何にも考えてないような感じもした。
一番面白かったのは、ベッドフォンを考えたこと。初めは何バカなことやってるんだろう、と思った。
でも、葵はだんだんと心から笑えてきて、最後には笑い転げていた。
本当に、全然考えてないような感じなのに、
肝心なところはきちんと考えていて、
かなわないなあと思ってた。
就職の時もそう。
「就職はどうするの?」
「転勤がない会社がいいなあ。
それと上場企業で、安定色強いので
A社にするつもり。」
「いつからそんなこと、考えてたの?」
とこんな感じ。
逆に葵は何にも考えてないような、割と一旦馬力で
やってきたようなところもある。
ほしいものがあれば、そのために、
どんどんバイトを入れて、お金を貯めることも
できる。
予定を覚えておくのは、まあまあ得意だったから、予定を記録する習慣もない。
名前も割とすぐ覚えるから、
バイト先でも困ることはない。そんな適当なところもある。
ただ、目標や期限が迫ると、
少し見通しが持てるようになり、
ぐんぐん進むことができる。
そんな葵を知ってか、知らずか、
いつも支えてくれているような気がする。
勉強でも、何でもよく知っていた。
特に趣味や流行、いろいろなところに出かけるのは
抜群のセンスだ。
バンっと大きな音がした。クライマックスの花火かが上がったらしい。
「贅沢だよね。ホテルの部屋からの花火は。」
改めて、葵は話し始める。
「ドーンという体に感じる音や臨場感には欠けるけど、安心して見れる気がする。」
「そうだね。実は俺も初めてなんだ。
ホテルからの花火。ここまできれいに大きく
見れるなんて思ってなかったよ。最高だね。」
30分程度で終わるのかと思っていたら、
1時間近くあって、部屋のソファに座って
ゆったり花火鑑賞ができた。
次の朝、目が覚めると、ホテルの部屋の中が
明るかった。カーテンを開けると、
朝日がまぶしいくら、光輝いていた。
ゆっくりと朝の時間を過ごし、
少し遅めのチェックアウトをした。
今日行く居留地の街や異人館街は、
ホテルから距離があったので、車で出かけた。
煉瓦造りの街と新しいファッションビルと融合した
この辺りは、以前住んでいたかのような
懐かしい感じがして、歩いていても飽きない。
昔からの洋館の中に今のオシャレなお店が
入っていても全く違和感が感じられない。
あるお店のショーウィンドウが気になって、縁に、
「このお店、ちょっと見てみたいのだけと、
いいかな?」
と声をかけた。笑顔で、
「いいよ。」
と返事をしてくれた。
入ってみると、すぐ、
「いらっしゃいませ。」
と声をかけられた。
「何か気になるものはありますか?
ご案内いたしますよ。」
「大丈夫です。ゆっくり見て、必要なら
声をかけます。」
さっと店員さんは引いていく。引き際も
さらりとしている。
いつも、さすがだなと思う。声をかけるが、
かけすぎない。絶妙である。
葵が店内を見渡すと、気になったものが
目に入った。それは、一つの陶器だった。
近づくまで陶器だとわからない。その商品の説明と
手触りで、陶器だと感じた。
すぐに縁は気がついた。葵の気になったものを。
何も言わず、ただ見ているだけだった。
「旅の記念に買おうっと。」
葵がそう言うと、静かにうなずいていた。
「ありがとうございます。」
お店の人の声を聞きながら、店を出た。
昨日行った港近くの公園にも、二人で立ち寄った。
潮風が涼しいけれど、初夏であり、
梅雨時期でもあるので、湿り気のあるものだった。
少し遠くにタンカーのような船が浮かんでおり、
時折り、汽笛が聞こえてきた。海面が昨日よりも
揺れていて、波の高さが感じられる。
しばらく黙って海を見ていた。
学生時代もよく海を見に行ったことを思い出した。
あの時、どんなことを話してたんだろう。
そう、考えながら、ふと隣の縁を見ると、
縁も何かを考えているようだった。
お互い何かを言うわけでもなく、しばらく
そこにたたずんでいた。
どちらともなく、顔を見合わせて、
街の方に戻るために歩き始めた。
また、遠くの汽笛が鳴り始めた。
次に訪れたのは、異人館街。
葵は何度も琥珀を訪れているが、
実は一度もここを訪れたことがない。
どうしてだろうか、もしかしたら、
忘れているだけなのか。琥珀に来たら、必ず
訪れる場所なのに。
観光地として、知られるここは、
たくさんの洋館が建っており、日本とは思えない。
「どこから、見てみる?」
車から降りてながら、縁は言った。
「そうだね。ここから近い有名なところから
見てみたら、いいのではないの?」
「そうしようか。」
よくいる観光客と同様、
建物の前で写真を撮ったり、
中に入って回ったりした。
2つ、3つ回ったところで顔を見合わせて、
「疲れたね。」
と顔を見合わせた。
ここへ来るまでに通ってきた道の側に、
カフェがあり、そこに行くことにした。
二人が席に座ると、どうも満席になったらしく、
入り口のところに人が並び始めた。
観光客がそろそろ疲れてきたのだろう。
「よかったね。少し後だったら、
待つところだったよね。」
「本当だね。何頼む?」
葵は、メニューを見て、おすすめの
ホットコーヒーを注文した。縁は、
ご当地ミックスジュースを頼んだ。
葵は、
「ちょっとそのジュース、気になっていたんだ。
少し飲ませてもらってもいい?」
と聞いた。一時期、シェアするのはどうかという
風潮だったが、今はみんな、それぞれ違うものを
頼んでシェアするのは当たり前になっている。
混んでいるせいか、すぐに飲み物が届いた。
店員さんは早口で、飲み物の名前を言って、
足早に去っていった。
コーヒーの味は苦くもなく、酸味もなく、
すっきりとした味わいで、ミルクもシュガーも
なしで飲めた。
「飲んでみる?私、先に飲んじゃったけど。」
と縁に聞いてみたら、
「飲む、飲む。」
と言った。
「どう、味は?」
「飲みやすい味だよね。おいしいよ。」
「もっと飲んでもいいよ。どうぞ。」
「もう一口飲もうかな。」
もう一口飲んで、
「ありがとう。俺のも飲む?」
「もちろん、飲む。ありがとう。」
「どう?味は。」
「濃厚な感じ。でも、あんまり甘くなくて、私好みでおいしい。ありがとう。」
そのカフェを出ると、ドライブしながら、
和里亜温泉に向けて、出発した。
途中、音楽をかけて、車を走らせた。
いつも縁は当時流行っていたアーティストの曲を
かけていた。葵はそのアーティストのことはよく知らなかったが、友人の雅(みやび)からよく聞く
アーティストと同じだということに気づいていた。
軽快なリズムと音楽だった。
いつもよく聞く曲なので、自然と耳に入ってきた。
縁はあまり歌詞は聞かないらしい。私は歌詞が気になり、メロディよりも聴き入る時もあった。
夕方の時間だからか、それともこの道自体が
混むのか、車の量がとても多くて、驚いた。
葵は少し眠ってしまっていた。
疲れていたのだろうか、気がついたら時には
時計が20分ほど進んでいた。
「ごめんなさい。縁に運転させて
眠ってしまって。隣で寝ていると
運転しにくいでしょう。眠くならなかった?
縁も疲れていたのにね。」
「よく眠れた?ぐっすり眠っていたので、
わざと起こさなかったんだ。」
「うん、ありがとう。とてもいい気持ち。
縁といるといつも安心して眠っちやうね。」
「大学時代も、いつも車で出かけると私、
眠っていたもんね。」
「そうだった、そうだった。」
「いつも怒ってないか、心配だった。でも、縁、
全然何も言わないんだもん。」
「別に怒ってなかったからさ。あの時アルバイト
掛け持ちしてて、疲れてただろう。」
「あの時は本当に大変だったよね。
休みという休みはアルバイトしていたからね。」
「でも、縁はいつも待っててくれたもんね。」
「今でも思うんだ。どうしてあんなに
待っててくれたのかって。よく車でも
送ってくれたし。なぜなのかって。」
優しさを表に出さない縁、
それに今更ながら気づく葵。
和里亜温泉に着くと、ちょうど夕方頃で、
宿泊客で賑わっていた。
宿泊登録するのに混み合っていて、待つ間に
抹茶をいただけるシステムになっていた。
日本の老舗旅館という感じで、
ロビーの落ち着いた空間や大きく広い窓から
見える日本庭園は、
手入れが行き届いているだけでない、
人の手をかせた愛情を
感じられるものだった。真ん中に池があって、
石の橋がかかっていて、渡れるようになっている。
規模こそ小さかったが、昔、足代美術館に行った時の日本庭園に勝るとも劣らぬものであった。
混み合ったロビーもこの雰囲気と庭園により、
時間の流れがよりゆったりとしたものに感じて、
いつも時間に急かされている、
葵と縁の心を穏やかな気持ちにさせた。
お抹茶のお菓子は紫陽花で、色とりどりの寒天で
きらきらとした雨露や花を
表現しているものでした。
抹茶の苦味が寒天の柔らかさや甘さと
コラボレートして、口の中でハーモニーを
奏でていた。
食べ終わって一息ついた頃に、順番が回ってきて、
宿泊の手続きをすませることができた。
部屋までは部屋付きの女中さんが荷物を持って、
案内してくれた。
部屋につき、少しゆっくりした後、
このホテル自慢の温泉に行くことにした。
2種類のお湯があり、どちらも源泉から
引いているらしく、楽しみであった。
入り口までは、縁と一緒に行き、
互いに出てくる時間が違うので、
部屋で待つことにした。
葵は、まずあまりないという銀泉に
入ることにした。身体をしっかり洗った後、
楽しみにしていた湯船に入ることにした。
無色透明のお湯に一歩足を踏み入れると、
肌に吸い付くような
少しとろみのあるお湯の感覚だった。
目に見えない小さな気泡が肌の成分に入っていき、
肌がすべすべしてきたと感じられた。
また、じっくり温泉につかっていると、
葵は自分の身体の芯が意外と冷えていることに
気がついた。なぜなら、じんわりと血の巡りが
よくなっていくのを感じたからだ。
頬がほのかにぽっぽとして、額に汗がじんわりと
出てきたので、葵は一度、湯船から出た。
ぬるめのお湯に入り、身体を覚ました後、
次は隣の大浴場にある、金泉に行ってみることに
した。金泉は、その名の通り、濃い赤錆色の湯で
あった。入るのに躊躇うほどの色と、
ドロリとした質感であった。ひとたび、
足を沈めると、お湯がずっしりと肌に
まとわりついた。微かな鉄の香りが鼻腔を
くすぐった。しばらく湯船に浸かっていると、
ほんの1分ほどで身体の芯がじんじんとしてきた。
冷え性の葵にとっては、最適のお湯である。
さっきの銀泉では、汗をかいたが、金泉では
身体がポカポカするが、なぜか汗は
なかなか出なかった。思わず長湯をしてしまった。
お湯から出て、脱衣場に行き、時計を見ると、
縁と約束した時間より、10分も過ぎていた。
慌てて、着替えを済ませ、部屋へ向かった。
縁は早く出てきたらしく、待ちぼうけていた。
温泉はあまり得意じゃないらしい。
「ごめんなさい。ゆっくりしていたら、
気がついた時には時間過ぎちゃっていたから。」
「いいよ。だから、互いが気を使うから、
部屋で合流にしたのだから。」
「もうそろそろ、食事に出かけてもいい頃だよ。」
和室の個室に行くと、
もう懐石料理がセッティングしてあり、
葵達が席につくと、タイミングよく仲居さんが
来た。
飲み物を注文して、持ってきた。
葵が、
「今回の旅行は、いつもと違って楽しかったね。
お互い、違う場所からの合流でしょう。それから、
私は初めてグラッツイオーソに乗船。そして、
鉄板焼きを食べて。」
昨日、今日の旅行の思い出話は尽きない。
「ところで、私はいつも全力で動いちゃうけど、
縁はいつも一歩引いて見守ってくれるよね。」
縁が、
「さっきの金泉と銀泉みたいだね。」
と微笑む。
「葵が熱くて勢いのある金泉だとすると、
俺は穏やかで透明な銀泉。性質は違うけど、
身体に効果があるという意味では同じ。
同じ場所にあるから心地いいよね。
一緒に住みたいって話だけどさ、
仕事が落ち着いたら、
二人の『源泉』になるような場所を探そう。」
と、言った。
「わかった。そうしよう。仕事が落ち着くまで、
待っているね。」
と言った。
「今思えば、これまでちょっとした心のすれ違いがあった。その時はかなり悩んだし、
信じられないくらい苦しい思いもした。
あの時は本当に寂しかったし悲しかったけど、
それがあったから、今の心地よい距離感が
とれるようになった気がする。前ならきっと、
待てなかっただろうから。」
葵が言った。
食事を終えて、少しほろ酔いぎみの二人は、
ホテル自慢の日本庭園を散策することにした。
夜はライトアップされ、木々の緑が昼間とは違って
幻想的な雰囲気を醸しだしていた。歩いていると、
微かであるが、風が吹いてきた。
空には雲があり、風に吹かれ、少しずつ動いていた。月が綺麗にほのかに輝いていた。
いつも月を見ると思う。この光は、何億光年前の光なのだろうか?その光の頃はどんな時代だったのだろうか?
葵が、
「明日の天気はどうかな?」
縁が、
「曇りでも二人なら悪くないよ。」
「そうだね。」
完璧な答えではないけれど、それが今の二人には
一番しっくりくる。
琥珀の街で買った陶器のように、少しずつ形を
変えながら、二人の時間はこれからも
重なっていく。
遠くでまた、あの汽笛が小さく鳴った。
数ヶ月後。
「おはよう。」
「おはよう。」
掃き出しの窓にあるカーテンを開けると、
朝日が一気に部屋に入ってくる。その光が
強すぎて、思わず目を閉じてしまう。
ああ、今日もいいお天気になりそう。
暑くなりそうだなあ。葵がそう思っていると、
いつのまにか、隣に縁が立っていた。
窓を開けると、爽やかな秋風が吹いてきた。
もう、秋なんだなあ。赤とんぼが、ふわふわと
飛んでいる。風も少し乾燥した草の匂いに感じる。
「さあ、朝ごはんの支度をそろそろしないと
間に合わなくなるよ。」
縁が言った。
「そうだね。」
台所に向かいながら、葵が答える。
「今朝は昨日買っておいたサンドイッチにしないか?ベーコンやチーズ、トマト、レタス、卵を入れて。」
「いいねえ。そのサンドイッチ。」
「じゃあ、一緒に作ろうか。」
「そうしよう。」
「そういえば、職場で薦められたスムージーを
買ってあるんだ。いつものコーヒーの前に
飲まない?」
「どんな味か楽しみだね。」
***
汽笛の音は、夜の静寂に吸い込まれるようにして消えていった。
ライトアップされた庭園を歩きながら、葵はふと、今日立ち寄った帽子店で選んだベレー帽のことを思い出していた。あの時、職人の手仕事を感じるしっくりとした感覚に「自分と出会うために作られた」と直感した一品。けれど、縁との関係はどうだろうか。長く付き合い、互いの癖も、沈黙の意味も理解しているつもりだった。それでも、ふとした瞬間に見せる縁の横顔に、自分の知らない「別の世界」を感じて、胸がちくりと痛むことがある。
「ねえ、縁。さっきの『源泉』の話だけど……」
葵が言葉を紡ぎ出すと、縁は足を止め、池のほとりに立つ石灯籠の明かりを見つめた。
「金泉と銀泉。混ざり合うことはなくても、同じ場所から湧き出している。僕たちも、そんなふうになれたらいいと思ってるよ。無理に一つになろうとしなくても、隣にいることが自然であるような、そんな場所に」
縁の言葉は穏やかだったが、その真意は夜の霧に包まれているようではっきりとは見えない。一緒に住むという提案への答えは、まだ宙に浮いたままだ。
翌朝、窓の外は予報通りの曇り空だった。
昨夜の幻想的な月光は影を潜め、真里亜温泉の街並みはしっとりとした灰色の空気に包まれている。チェックアウトを済ませた二人は、どちらからともなく、初日に葵が一人で歩いたあの港へと向かった。
再び訪れた琥珀の港。
グラッツィオーソが停泊していた桟橋には、今は別の小さな船が繋がれている。潮風は昨日よりも少し冷たく、湿り気を帯びて葵の頬を撫でた。
「一人の時に見たポートタワーの赤は、あんなに鮮やかで、どこか突き放すような強さがあったのに」
葵が呟くと、縁がその視線を追うようにして言った。
「今は、どう見える?」
「……少しだけ、優しく見えるかな。でも、明日になればまた、違う色に見えるのかもしれない」