
体育会系、私は失格。
小学生の頃から、バドミントンをやってみたかった。
クラブの授業でラケットスポーツを選択した時、おもちゃのラケットで幼馴染とやったバドミントンがとても楽しかった。
もっとバドミントンをやりたいと思った。
ただ、それだけ。
小学生の頃の私のスポーツテストはE。
筋力が無さすぎて、測定不能だった。
サボってはいない。
きちんと全力を出している。
やるからには真面目に実施するタイプだ。
スポーツテストの記録については、腹筋と懸垂の回数が圧倒的に足りなかったように記憶している。
他にも50m走は10.3秒であり、とにかく全般的に運動はできないタイプだと、私も周囲も思っていた。
そんな運動神経のない私が、おもちゃのラケットでバドミントンをした時、運動神経抜群の幼馴染とも対等に、ふんわり打ち合い幼馴染のところにきちんと返すことができた。
嬉しかった。
楽しかった。
これが、運動苦手だと思っていた私にできるスポーツかもしれないと思った。
たまたま父が職場の人と週一でバドミントンをしていたと知り、たまに混ぜてもらっていた。
ルールなど分からないが、とにかく本物のラケットでバドミントンをできて楽しかった記憶がある。
中学校にはバドミントン部が無かった。
仕方がないので、将来バドミントン部に入るため、ラケットを使う部活に入ろうと思った。
選択肢は2つ。
ソフトテニス部と卓球部。
最初はソフトテニス部に入ろうとしていた。
バドミントンのラケットに長さが近いから。
重さはテニスのラケットの方が重いが、その分、バドミントンをやった時に軽く感じるはずと思った。
ソフトテニス部に入ろうと考えていた時、ふとした事で小学生の頃に目立つ女子たち(お洒落やアイドルに興味があり、教室内では比較的大きな声ではしゃぐタイプのほう)が、ソフトテニス部に入ると聞いた。
そこまではいい。
タイプは違うが部活の全員が同じタイプではないだろう。
相性の合う友人を見つければ良いだけだ。
だが、ここで、私にとって大きな問題が立ちはだかった。
私の小学生時代の一番嫌いな女子が含まれていたのだ。
その女子は覚えていないであろうが、私は鮮明に覚えている。
小学一年生の昼休み。
ワンピースを着ていた私のスカートを捲ってきたのだ。
女子なのに。
女子なのに、女子のスカートをめくってはしゃいで騒ぎ立てる此奴はなんなのかと。
スカートを捲られたことのなかった私は知らなかったのだが、スカートを履く場合はブルマあるいはスパッツ(今で言うレギンス)を履かねばならない、と騒ぎ立てたのだ。
その当時の私は恥ずかしさと屈辱と憤りで頭がいっぱいになった。
一瞬でその女子の事を嫌いになったのだ。
当時の私には、その女子と三年間、同じ部活で活動するなど考えられなかった。
絶対に嫌だった。
そのような非常に残念な理由で、私は中学時代の部活を卓球部に決めたのだった。
私が入った女子卓球部は弱小部だった。
他の部活に比べたら圧倒的に練習量が少ないが、校舎周りのランニングはあったし、少ないながら筋トレのメニューもあった。
卓球マシンもあった。
卓球部だった中学時代の経験が役に立たなかったわけではない。
ただ、体育会系の部活ではあるが、体育会系の精神を培う様な環境ではなかった。
中学一年の頃の三年生の先輩たち。
私たち一年生の側から見たら、部長を除いた三年生が、気弱で真面目な部長をからかっているように見えた。
なんなら、いじめているようにすら見えた。
この時点で部の雰囲気は良くない。
部長を除いた三年生の女子たち。
先輩方はイジっているだけの感覚かもしれないが、私からみたらちょっと一線超えてると思った。
気弱な部長に、部長業や雑務を押し付けているようにしかみえなかった。
でも、先輩方が(雰囲気的にも年齢差的にも)怖くて誰も逆らえなかった。
顧問は学年主任をしており、なかなか部活に顔を出せなかったので、顧問は気づいていなかったと思う。(先輩方がサボっているのはなんとなく察していたと思われる)
先輩から、体育会系の上下関係を教わることは無かった。
空気が悪くならないように回避する能力は身についたかもしれない。
次に同級生。
私たちが二年生になった頃だろうか。
練習メニューを決めたり、後輩を指導したりする立場だったはずだ。
下級生に練習をさせておき、自分たちは卓球台を入れていた器具室にパイプ椅子を円状に並べ、おしゃべりをすることが多かった。
内容は当時のアイドルやテレビの話が多かったと思う。
私は、練習がしたかった。
やるからには真面目にやりたい派だからだ。
同時に「みんなと仲良く」という、親や先生からの教え、そして「仲間はずれにされたくない」の思いが、私を器具室に留まらせた。
ただし、その空間にはいたが、パイプ椅子には座らずにひたすら壁打ちを行った。
耳では話を聞いているので、同級生との会話をすることはあった。
1人で壁打ちを続けるのにも限界がある。
その時は下級生の練習に混ぜてもらっていた。
学年主任が現れた時には、器具室のみんなに声をかける事もしていた。
結局、長いものに巻かれていた点において、私はサボりの共犯だったのだ。
なお、筋トレや外周を走るトレーニングはきちんと行っていたので、多少、筋力や体力は上がったと思う。
校舎の周りを走るのは、体力のない私にとってはきついメニューではあったが、
バスケ部に入った親友や吹奏楽部の練習中の音を聞きながら走るのは楽しかった。
他の部活の人たちの筋トレメニューを真似して取り入れてみることもあった。
何かのきっかけで1週間、幽霊部員になってみたりしたが、外周ランニングの時に別の部の友達に会えないのも寂しくてやめた。
幽霊部員になることの罪悪感にも勝てなかった。
その後、何かのきっかけで同級生が以前よりは真面目に練習してくれるようになった。
少なくとも、卓球台で打ち合うことができた。
大会には全員出場した。
顧問の学年主任の先生がエントリーしてくれるので、私も大会に出ることができた。
とはいえ、練習していないので初戦敗退か、2回戦敗退かのどちらかだった。
(私は同級生よりは真面目に練習していたので2回戦まで行けることが多かった。私の練習は少なかったが、無駄では無かったと記しておく)
中学生までの間はこのように体育会系の上下関係や根性論などとは無縁に過ごしてきた。
だから「体育会系、失格」と思ったのかというと、そうではない。
ここまでてあれば、どちらかというと「体育会系、無縁」になると思う。
ではなぜ「失格」と思ったのか。
それは、やっと入れた高校バドミントン部でのことである。
中学でのテストの成績は、地元の塾に入っていたおかげで普通よりは少し上くらいだった。
高校を選ぶ時、最優先は「バドミントン部があること」だった。
私の住んでいた地域では、私が調べた限りではバドミントン部がある高校は3校だった。
そのうちの1つは自宅から通うのが難しい距離なので、実質2つから選ぶことになった。
成績上はありがたいことに、どちらを受験しても受かるだろうという感じだった。
本来はどちらのバドミントン部が強いか、練習はどんな感じか、そういった情報を調べることと思う。
しかし当時はネットもSNSも無かったし、高校についてはパンフレット以上の情報は手元になかった。
そもそも、「調べる」ことなど思いつきもしなかった。
その発想が無かった。
(親も先生もパンフレットを取り寄せて終了だったのだ。当時の私には情報を受け取ることしか選択肢が無かった。言い訳だが)
パンフレットから情報を得たところによれば、一つは女子校だった。
薙刀部という珍しい部活動が印象に残っている。
女子校出身の方々には申し訳ないが、その時の私は小中までの経験から、女子の比率が多いと面倒ごとに巻き込まれることが多いと感じていた。
家から通えなくもないが、自転車とバスで結構な時間がかかることも、私にとっては問題だった。
もう一つは、自転車で30分程度かかるが、自力で通えなくはない共学の高校だった。
サッカー部が強いらしいとの情報もあった。
また、父の母校でもあった。
当時の私は特に“理想のこども“を無意識に演じていた事もあり、父の母校になんとなく惹かれているようにも思った。
実際に私のこの選択について、父がどう思っていたかは分からない。
ただ、当時の私にとっては、父が喜ぶという打算がわずかにあったように思う。
とにかく、私はこの自転車で30分の場所にある、普通科の共学高校に入ることを決めたのだ。
無事、入学できて新入生の体験入部が始まった。
私はもちろん女子バドミントン部の体験入部に行った。
当時、体験入部にきた新入生は結構多かった。
最初は30人近くいたように思う。
最終的に体験入部で最後まで残ったのは私を含めて15人のメンバーだった。
この15人のうち、1人はマネージャー志望の子。
それ以外は“ちゃんとした“運動部の出身の子達だった。
厳しい練習をこなし、チームワークを磨いてきたバスケ部員。
ずっと走り込みを続けていた陸上部員。
別の中学校からきたソフトテニス部員。
マネージャーを除いて14人。
入部当時の運動能力でいえば私はマネージャーよりも走るのが遅かったし、体力も持たなかった。
前述の残念な中学部活時代に真面目に外周や筋トレをしていなかったら、それこそもっとついていけなかったに違いない。
私はバドミントン部のコーチに個別に呼び出され、この部は厳しい練習が多いから別の部に行ったほうが良いと言われた。
マネージャーよりも遅い足。
筋トレの不出来さ。
中学時代のスポーツテストの結果などを見て判断したのだろう。
わからなくもない。
だが、私はバドミントン部に入りたくてこの学校を選んだのだ。
悔しくて悲しくて辛かった。
ようやく、バドミントンができる場所に来れたと思ったのに、と。
そこまで言われても、体験入部は最後までやり切った。
毎日、恐ろしい筋肉痛になりながらも最後まで走り切ったし、最後まで筋トレをサボらずに行った。
バドミントンがしたくて高校を選んだくらいだ。やる気だけはあった。
コーチからすれば私は真っ先に落第の対象だった。
しかし、たまたま当時のバドミントン部顧問が、本来なら7名程度、多くて10名のところを最後まで残った全員を部に入れてくれたのだ。
当時の顧問は新卒一年目の女性の先生だった。
本来は新入生を多く入れた場合、一人当たりの練習量や一人当たりのコートに立てる時間が短くなり、部の成績が下がるところだった。
しかし、顧問の先生が誰かを落とすのはかわいそうだということで、奇跡的に私もバドミントン部に入れてもらえたのだ。
バドミントン部に入るためにこの高校に入ったことは伝えてあったと思う。
顧問がこの先生ではなかったら、私のバドミントン人生もなかった。
正式に入部して、私のバドミントン人生は無事、始まった。
入部当時の私は弱小卓球部上がりで、マネージャーよりも体力も走力もない状態。
ただ、念願のバドミントン部に入れたので、体は毎日筋肉痛で痛くて辛くても、私は嬉しかった。
外周5周走れと言われたら、たとえ遅くても最後まで走った。筋トレを指示されたら、時間がかかっても最後までやり切った。週一で部活の休みがあったが、休みの日もラケットで素振りを行った。なんなら部活中の休憩時間も、友人を誘って軽くヘアピン(お互いにネット前に落とす練習)も行った。
(正直、全身筋肉痛により授業中は眠気がひどく、成績は中学時代よりも落ちたかもしれない)
一年生の時、大会に出たが1回戦か2回戦負けだった。まだまだ打ち返す力も弱く、体力ももたなかった。
自分は負けてしまったが、先輩や同じ一年生の子が3位入賞していたので、大会自体は最後まで観戦することができた。
先輩方や上手い人の動きを見て、真似をしてやってみるのが好きだったので、最後まで楽しんでいた。
ここだ。
ここに体育会系失格である理由の一端が、見え始めている。
私が観たアニメや読んだ漫画には、
「大会では、同じように辛く苦しい練習をした仲間を応援する」
描写がある。
大きな声で、仲間に向かって精一杯の声をかける。
そこには気持ちが乗っている。
私には、果たしてそれがあったのだろうか?
仲間が最後まで試合をしている時、私も声をあげて応援していた。
「がんばれー!」
「いっぽーーーん!!」
と、ここは気持ちも乗っていた。はずだ。
だが、同時に、相手の動きをみて「自分ならどう動くか」も考えていたかもしれない。
100%応援できていたのか?
アニメや漫画の見過ぎと言われるかもしれないが、アニメや漫画の世界では100%の気持ちで応援しているように読み取った。
当時の私に、それはあったのか?
流石に高校一年生の時の記憶が薄れているので、定かではない。
だが、過去の私の過去の所業を考えると、疑わしいと思ってしまう。
この時点で、私には既に体育会系失格の気配が漂い始めていた。
高校二年生。
真面目に筋トレをしていたため、外周ではマネージャーよりも速く走ることができるようになった。
同級生の中では中間くらいのペースで外周を終えることができるようになっていた。
実は元々、運動神経はあるほうだったようだ。小学生時代はゲームや漫画ばかりだったので、筋力や体力がなかっただけのようだ。
基礎練も苦手なハイクリアー(大きく高く後ろのラインギリギリに飛ばすもので、パワーと体力が必要)もなんとか返せるようになってきていた。
部長と副部長はシングルスで2位や3位になるくらい強くて上手いので、コートが使えない時は部長と副部長の動きをよく観察していた。
(1位は中学からバドミントンをしている、いわゆる経験者だった)
強さのランキングを付けるため、同級生の中で試合をすることになった。ランキングによって団体戦のメンバーを決めるためだと思う。
確か総当たりだったはずだ。
一年生の時に新人戦でシングルスで3位であり、一番強かった同級生と戦った。
当時の私は同級生にはシングルスで勝利していた。実質、二年生の中でのNo.1とNo.2を決める戦いだった。
相手はリーダーシップがあり、シングルスの強さからして二年生の代表的存在。
対する私は、一年生の頃はマネージャーよりも走るのが遅く、筋トレの完了も遅い部類。
二年生になる頃にはマシになったが、まさかランキング上位に入るとは誰も予想していない状況。
そんな二人での戦いだった。
ネットを挟んで、試合をした。
私の心境。
その時はこれで良いと思っていた。
思い返せば甚だ失礼な話であったと、今の私は理解している。
私の心境。
"この子より強くてはいけない"
"この子に私が勝った場合、二年生の代表的存在であるこの子のメンツが立たない"
"その場合、部の運営に支障が出る可能性がある"
私は、戦いながらそう考えていた。
手を抜いた覚えはない。
ただ、戦う最中の私の脳裏には自然と「調和を乱さないこと」「関係を乱さないこと」が過っていた。無意識に。本当に無意識で手を抜く可能性がある考えが脳裏に過っていた。
結果はどうだったか。
私は負けた。その子がNo.1になった。
実際には手を抜いたつもりはない。
…はずなので、相手がNo.1であることに異論はない。
私のような、そういう精神状態も含めてランキングを付けるのであれば、バドミントンが上手くてもメンタルや考えも含めて、トータルで私はNo.2なのだろう。
ただ、私には、私に対する負の感情が残った。
厳密には、当時はそれで正解を選んだつもりだったので、負の感情は数年後、思い返した時に湧いたものだ。
もし、無意識に手を抜いていたとしたら…
それは、「部の調和を乱さない」という点においては、正解だったかもしれない。
だが、今回は部内のランキングを付け、試合に出る選手を選ぶための戦いだった。
部として好成績を収めれば、来年の部活動の費用や新入生部員の向上が見込めたかもしれない。
「部としては好成績をおさめる実力のある選手を見つけ出す」ものだとしたら、私の思考は誤りであった。
当時の体力などを考慮しても、次期部長のほうが手を抜かずとも実力は上だった。
次期部長は精神的にも私より安定している。中学時代もたしか部長をやっていたはずだ。
だから、あの時のランキング戦の結果は、私の思考とは関係なく、同じだったと思う。
そう。そうであるはずだ。
もう一つ、同じ高校二年生頃。公式戦。
結果的に私は3位だった。
私が奇跡的に準決勝まで勝ち上がった時の戦いだ。
相手はもちろん強かった。
準決勝なのだから当たり前だ。
次期部長はたしか、どこかを痛めていた。
次期部長のこれまでの成績は3位入賞。
準決勝の戦い。
私はこの時、
「ここで勝つと、2位以上確定になる。次期部長よりも上になるのは良くない」
という思考が脳裏を過っていた。
明確に、気を抜いた。
相手はこの後、優勝した。
中学からバドミントンをしていた経験者だ。
この地域で、同じ世代では少し抜きん出ていた。
とはいえ、私は明確に気を抜いたのだ。
シャトルを最後まで、ギリギリのところまで終えていたか?
といえば、限界まで喰らいついていなかった。
最終的に私は3位入賞はした。
運動神経ゼロと思われていた私にとって、
3位でも大満足の結果だった。
(もしかしたらあまり目立ちたくない、という気持ちも入っていたのかもしれない。目立てば面倒なことが起きる、と小学生時代に感じていたと思う)
当時は3位に入れて、
学校でも朝礼の時に生徒の前で賞状をもらい、それなりに嬉しかった。
それで、良かったのだろうか?
大人になってから、
何度かその時のことを思い出す。
全力で戦わないことは、相手に失礼だったのでは。
部員たちの応援に応えておらず、不誠実ではないか。
あとから。
あとから後悔が湧き出てくるのだ。
勝手に忖度する私は、
体育会系としては失格だと思う。
いとこの中で一番上で、弟を含めた小さい子たちの面倒を見ていた。
小さい子たちの面倒を見るにあたっては、私が譲歩するのが一番簡単だった。楽だった。
物を譲るのが当たり前に。
勝ちを譲るのが当たり前に。
話を合わせるのが、当たり前に。
そうして、勝ちに対するこだわりは薄れていった。
ただただ、バドミントンができれば良い。
部員の気持ちも考えず、
応援に応えることもせず、
ただ、自分がバドミントンを楽しくできればそれでいい。
変なところで自己中で、
他者の気持ちを考えられない。
チームとして動けない。考えられない。
そんな私は、体育会系失格。