メインコンテンツへスキップ
見出し画像

昭和40年代の記憶、緑の傘とホッチキス

    昭和40年代。

    我が家は大工の父、化粧品セールスの母、姉、私、弟の5人家族で、暮らしはとても貧しかった。けれどあの頃は、見渡せば誰もが同じように貧しかったように思う。

    友達の家を訪ねれば、庄屋屋敷のような立派な家の納屋の二階に身を寄せる母子や、間借り暮らしの家庭が当たり前にあった。我が家とて、六畳二間の二階建て。わずか一畳ほどの台所に、五右衛門風呂、そしてポットン便所。そんな狭小な空間で、家族5人が身を寄せ合って暮らしていた。

    ​当時通っていた保育園は、地元の神社の中にあった。神主のお婆ちゃんが園長先生を務めており、白い着物に紫の袴をまとって、毎朝、竹箒で境内の石段を掃きながら私たちを迎えてくれた。朝早くに登園すると、離れのプレハブのような部屋へ入れてもらい、先生の膝に抱かれながらテレビで『赤胴鈴之助』を観たことが、今でも懐かしく思い出される。

    ​その園生活の中で、とりわけ強烈に記憶に残っている出来事がある。

    ある日の工作の時間、ホッチキスを使っていた私は、なぜだか自分の親指を挟んでみたくなった。衝動のままに針を刺し、その指を担任の先生に見せたのだ。

    先生は激怒し、「神様に謝ってきなさい!」と、園庭の向こうにある神殿の前に私を正座させた。

    ​激しい雨が降る中、私は泣きながら「神様、ごめんなさい」と何度も何度も頭を下げた。ただ無心になって、先生に指示されるまま神様に許しを請う幼い私の姿は、いま振り返れば実に滑稽で、まるで何かに洗脳された者のような、なんとも愉快な有り様だったと思う。八百万の神の国に生まれた女の子。そのDNAは、この瞬間すでに発動されていたのだ。

    ​そうして泣きじゃくっていると、激しい雨の向こうから、ひとりの男の子が傘を差して迎えに来てくれた。当時、私が大好きだった「けんちゃん」だ。彼は緑の傘を差し、私をそっと迎えに来てくれた。

    「自分の大切な体を傷つけてはいけない」という戒め。 そして、私がけんちゃんを好きだと知っていて彼を向かわせた先生の粋な計らい――。大人になった今なら、あの時の先生の気持ちが、手取るようにわかる気がする。

    ​だが、記憶というものは本当に曖昧で不思議なものだ。

    後に手元に残った、園手作りの手形入り誕生日カード。そこには、好きなものとして「けんちゃん」と「カレーライス」の文字が並んでいた。

    首を傾げてしまう。私は昔も今も、カレーライスが苦手なのだから。

    過去のどこかに、カレーを大好きだった私がいたのだろうか。自分の知らない「私」の存在に、どこか不思議な愛おしさを覚えている。

    ​さて、このお話の終わりに、ちょっとした余談を添えたい。
    幼い日の私を神殿へと向かわせたあの「ホッチキスの衝動」だが、同じような経験を持つ子供は、世間に何人くらいいるものなのだろうか。長いこと、そんな奇特な人には一人も会ったことがなかった。
    ​しかし、灯台下暗し。なんと驚いたことに、今の夫がまさにその一人だったのだ。彼もまた、幼少期に私と同じようにホッチキスを指に刺したことがあるという。
    ​「類は友を呼ぶ」とは、本当によく言ったものだ。かつて別の場所で、それぞれ自分の指にホッチキスを刺していた二人が、今こうして夫婦としてガチャンと「ホッチキス」されたのだから。出会うべくしてそうなったのかもしれない。人生は実に妙で、やはり愛おしい。

    あなたへのおすすめ