
逃げてよかった ~平日の朝、パチンコ屋の前で立ち止まった理由~
休職二週間目の朝
適応障害で休職して二週間が過ぎた頃だった。
平日の朝、近所を散歩していたら、パチンコ屋の前に行列ができていた。
開店前なのに、何十人もの人の行列。
会社員だった頃の私なら、
「朝から何やってるんだろう?」
と思ったかもしれない。
でも、その日、私が思ったことは違った。
いいな。
羨ましいな。
もちろん、パチンコがしたかったわけじゃない。
羨ましかったのは、その人たちが持っている時間だ。
平日の朝。
会社へ向かわなくてもいい時間。
好きな場所へ行き、好きなことをする時間。
私はそれがとても羨ましかった。
私はこれまで、ごく普通の会社員として生きてきた。
仕事が好きな人間ではなかった。
出世したいと思ったこともなかった。
むしろ面倒が増えるので、出世なんてしたくなかった。
理想は二番手か三番手。
責任者ではないけれど、ある程度自由を得られる立場で、少し文句を言いながら働くというのが、一番気楽でおいしいと思っていた。
やりたい仕事も特になかった。
それでも真面目に働いてきた。
社会人だから、与えられた仕事はきちんとやるべきだという思いは、人並みに持っていた。
その結果、気づけば20年以上、会社員を続けていた。
評価もされたし、昇進もした。
法務の専門家として頼られるようにもなった。
客観的に見れば、順調だったと思う。
でも今、私は適応障害で休職している。
休職すると決まった日、私は愛猫に添い寝してもらいながら、ひたすら眠った。
解放感は少しだけあった。
でも、それ以上に大きかったのは虚無感だった。
20年以上続けてきた会社員人生が、突然止まったからだ。
不思議だったのは、その後だった。
好きな時間に起きる。
ゆっくり朝ごはんを食べる。
愛猫と過ごす。
朝一番に近所のパン屋へ行く。
平日に気になっていたお店でランチを食べる。
そんな何でもないことが、驚くほど幸せだった。
そして思った。
休職って、こんなに簡単だったんだ。
一年以上悩んでいた。
休みたいと思いながら休めなかった。
無責任な気がして。
自分だけ逃げるわけにはいかないと思っていた。
でも実際に休んでみたら、世界は終わらなかった。
会社も回っていた。
部下も生きていた。
取引先から怒られることもなかった。
だったら私は、何をそんなに怖がっていたのだろう。
休職して初めて考えた。
私は何のために働いていたんだろう。
私はずっと、必要とされる人になろうとしていたのだと思っていた。
でも本当にそうだったのだろうか。
平日の朝、パチンコ屋の行列を眺めながら、そんなことを考えていた。

私はやりたいことを諦めるのが上手だった
私は長い間、自分はやりたいことがない人間だと思っていた。
でも今振り返ると、それは少し違う。
やりたいことは、その時々でちゃんとあった。
ただ、諦めるのが上手だったのだと思う。
子どもの頃は刑事ドラマが好きで、刑事になりたいと思っていた。
実際に警察官の採用試験も受けた。
筆記試験には受かったけれど、体力テストで落ちた。
そこであっさり諦めた。
獣医になりたいと思ったこともある。
猫が好きだったからだ。
でも理数系の成績は壊滅的だった。
獣医学部なんて到底無理だと思った。
大学では法学部に進学した。
法律を学ぶのは好きだった。
法律の知識は、社会で生きていくための武器を集めているような感覚があった。
知れば知るほど、自分を守れる気がした。
一時は裁判官を目指そうと思ったこともある。
でも周囲には本気で司法試験を目指している人たちがいた。
彼らの勉強量や能力を見ているうちに、自分には無理だと思った。
新聞記者になりたいと思ったこともある。
予備校にも通った。
就職試験の対策もした。
でもどこにも受からなかった。
今振り返ると、私は夢がなかったわけじゃない。
現実を見るのが早かったんだと思う。
無謀な挑戦を続けるタイプでもなかった。
自分の能力を見て、
これは難しいな。
そう思ったら、比較的あっさり別の道を探した。
良く言えば現実的。
悪く言えば、自分の可能性を信じてなかった。
そんな私が最終的に選んだのが法務の仕事だった。
大学で学んだ法律を生かせる。
営業や企画のような仕事は、自分には向いてない気がする。
法務ならできそう。
その程度の理由だった。
法律の勉強は嫌いではなかったし、むしろ好きだった。
だから法務という選択に不満はなかったけれど、いっぽうで強い憧れもなかった。
新聞記者を諦めた後の私は、
とりあえず働こう。
一年くらい働いたら、公務員試験でも受けよう。
そんなことを考えていた。
当時の私にとって法務は、「これで生きていこう」と決めた仕事ではなかった。
仮の人生。
でも、その仮の人生は思ったより長く続いた。
新卒で入社した会社で法務系の部署に配属された。
法務の仕事そのものよりも、毎日怒られないように働くことで精一杯だった。
それでも書類を作る仕事は嫌いではなかった。
何もないところから文章を組み立てていく作業は楽しかった。
後になって契約書を作る仕事が好きになったのも、その延長線上だったんだと思う。
ゼロから何かを形にすることは、昔から好きだった。
だから法務という仕事を嫌いにはなれなかった。
でも同時に、心から好きにもなれず、その中途半端さは、ずっと変わらなかった。
私は与えられた仕事は真面目にやった。
任されたことは最後までやった。
迷惑をかけないようにした。
社会人なんだから、それが当たり前だと思っていた。
評価されたいわけではなかったし、出世したいわけでもなかった。
ただ、仕事だからちゃんとやる。
それだけ。
でも、その「ちゃんとやる」は思っていた以上に強力だった。
気づけばどこへ行っても評価されるようになったし、頼られるようにもなった。
日常の法務相談の場で、頼りになると言われるようになった。
人当たりが良くて相談しやすいとも言われ、他の人に相談しづらいことも相談してもらえる機会が増えた。
そして少しずつ昇進していった。
客観的に見れば、順調だったと思う。
でも私はずっと不安だった。
本当に優秀なわけではない。
なんとなく「できそう」に見せるのが上手いだけだ。
そんな感覚が消えなかった。
実際にはそこまでできない。
だからいつも怖かった。
いつか化けの皮が剥がれるんじゃないか。
本当は大したことがないとバレるんじゃないか。
そんな不安を抱えながら働いていた。
そしてもう一つ。
私は法務の仕事を嫌いではなかったけれど、情熱を持っているわけでもなかった。
好きな人は強い。
もっと知りたい。
もっと学びたい。
もっと成長したい。
そう思えるから。
でも私には、その熱量がなかった。
やるからには頑張る。
勉強もする。
スキルアップもする。
でも、それは責任感だけ。
好きだからではなかった。
私はいつの間にか、情熱ではなく責任感だけで働く人になっていた。
そして、その働き方を20年以上続けることになる。

会社員の限界は50歳だと思っていた
新卒で入社した会社は、上場企業ではあったけれど、実態はベンチャー企業に毛が生えたような会社だった。
忙しかった。
本当に毎日忙しかった。
長時間残業は当たり前。
上司や先輩を見ても、「ああなりたい」と思える人は一人もいなかった。
今振り返ると、それが一番つらかったのかもしれない。
仕事が大変なことよりも、この先の未来に希望が持てないことのほうが苦しかった。
尊敬できる上司がいない。
目標にしたい先輩もいない。
それなのに、自分もその会社で歳を重ねていく。
そんな未来しか見えなかった。
私は法務という仕事に強い情熱を持っていたわけではない。
だから、
「好きだから頑張れる」
という感覚もなかった。
好きでもない仕事を、ただ必死でこなしていた。
途中からは管理職も任された。
責任は増えた。
でも自由は増えなかった。
仕事だけが増えていった。
それでも辞めなかった。
というより、辞めるという発想がなかった。
私はその環境に慣れきっていたし、働くとはそういうものだと思っていた。
世の中の会社はみんなこんなものだと思っていた。
過去に一度だけ退職を申し出たことがある。
でも強く引き止められた。
今思えば、あの時に辞めていてもよかったのかもしれない。
でも当時の私は残った。
自分の市場価値も分からなかった。
転職できる自信もなかった。
だから働き続けた。
ただ一つだけ、強い気持ちがあった。
ここから抜け出したい。
その思いだけは消えなかったから、法務の勉強を続けた。
経験を積んだ。
転職市場についても調べた。
そして13年かけて、ようやく転職した。
転職先は驚くほどホワイトな会社だった。
定時で帰れる。
有給休暇も自由に取れる。
制度も整っている。
私はそこで初めて知った。
世の中には、こんな会社もあるのだと。
毎日終電近くまで働かなくてもいい。
体調不良でも休める。
有給休暇を取るたびに申し訳なくならなくてもいい。
当たり前のことが、当たり前にできる。
それだけで感動した。
人生で初めて、会社に対して安心感を覚えた。
そして数年後、私はもう一度転職する。
今度は逃げるためではなく、キャリアアップのために。
年収も100万円以上増えた。
客観的に見れば順調だったと思う。
ブラック企業から抜け出した。
ホワイト企業に転職した。
さらに年収も上がった。
ここまで来れば十分。
私はそう思っていた。
でも、その頃から別の不安が少しずつ大きくなっていった。
このまま定年まで会社員を続けられるのだろうか。
そんな不安だった。
私は昔から、会社員という働き方にどこか期限があるような気がしていた。
特に50代の社員たちを見ていると、その思いは強くなった。
もちろん、年齢を重ねても第一線で活躍している人はいる。
でも、それは一部の人だけな気がしていた。
多くの人は疲れていた。
理解に時間がかかるようになっていた。
出世コースから外れた人たちは、どこか居場所がなさそうに見えた。
早期退職の対象になる人もいた。
昔は優秀だったはずの人が、50代になって急に評価を落としていく姿も見てきた。
私はその姿を見るたびに思っていた。
きっと私も同じだ。
私は役員を目指しているわけじゃない。
仕事に人生を捧げたいわけでもない。
だからこそ、定年まで会社員を続ける自分の姿が想像できなかった。
ブラック企業からは抜け出せた。
転職にも成功した。
年収も上がった。
それでも、どこかで分かっていた。
私が本当に欲しかったものは、会社員としての成功じゃない。
別の何かなんだ。
ただ、その時はまだ、それが何なのか分からなかった。
だから私は、相変わらず会社員を続けていた。
未来への違和感を抱えたまま。

努力では乗り越えられなくなった
私はずっと、努力で何とかしてきた。
やりたい仕事に就けなくても。
ブラック企業に入ってしまっても。
法務の知識が足りなくても。
勉強して、経験を積んで、少しずつ前に進んできた。
だから今の会社に転職した時も、同じように考えていた。
客観的に見れば、転職は成功だった。
年収は100万円以上増えた。
法務としてもキャリアアップだった。
会社そのものもホワイトだった。
ただ、一つだけ想定外だったことがある。
求められるレベルが高すぎた。
これまで経験してきた法務とは違った。
扱う案件も難しい。
求められる判断も高度だった。
周囲のレベルも高かった。
私は焦った。
ついていかなければ。
もっと勉強しなければ。
そう思った。
休日も勉強した。
本も読んだ。
セミナーにも参加した。
努力で埋めようとした。
でも、ある時から気づき始めた。
私は頑張れていないんじゃない。
頑張りたくなくなっているんだ。
若い頃なら、
知らないことがあれば勉強した。
できないことがあれば挑戦した。
でも今は違った。
勉強しなきゃ。
そう思う。
でもやりたくない。
やらなきゃ。
そう思う。
でも身体が動かない。
法務の仕事が嫌いになったわけじゃない。
法律の勉強は今でも嫌いではないし、契約書を作る仕事も好きだった。
でも、法務という仕事に人生をかけたいとは思えなかった。
その感覚を認めるのが怖かった。
そんな頃、社内表彰の話が出た。
上司の推薦だった。
普通なら嬉しい出来事なんだろうけど、私は本当に、心の底から嫌だった。
どうして自分が表彰されるのかが分からなかった。
自分では何も成し遂げていないと思っていた。
むしろ、
私はまだ全然できていない。
そう思っていた。
だから表彰は、評価ではなく期待に見えた。
これからもっと頑張る人。
もっと成果を出す人。
もっと成長する人。
そんな人として見られている気がした。
その期待が重かった。
表彰式の日も、ストレスで体調が悪かった。
倒れるのではないかと思った。
周囲から見れば順調だったと思う。
でも私の中では、
周囲が見ている私と、
自分が認識している自分の距離がどんどん離れていっていた。
そんな時、若手社員が入社してきた。
彼は法務の仕事が好きだった。
法律の話を楽しそうにする。
勉強熱心だった。
改善提案も積極的だった。
向上心もあった。
ある日、彼とペアになってプロジェクトを遂行することになった。
私と比べると法務経験の浅い彼を、私はサポートする役割だった。
でも、彼は私なんて比ではないくらい、積極的にプロジェクトに参加していた。
分からないことは周囲に質問攻めをして、改善案も複数用意している。
ダメ出しをされてもめげない。むしろ楽しそうだ。
私は彼を見ていて苦しくなった。
彼は何も悪くない。
むしろ優秀だった。
でも思ってしまった。
法務という仕事は、本来こういう人がやるべきなんだろうな。
私にはもうその熱量がない。
私は法務を嫌いではない。
でも好きでもない。
いっぽうで彼は、法務の仕事が大好きだった。
その違いが痛かった。
そして私は課長に昇進し、部下を持つことになった。
一般的には喜ばしいことなのだと思う。
でも私は不安だった。
法務という仕事に情熱を持てなくなった人間が、部下を育てていいのだろうか。
仕事へのモチベーションが低い人間が、部下の成長を支えていいのだろうか。
私は自分自身を信じられなくなっていた。
ストレスで体調もどんどん悪化していた。
朝起きられない。
頭痛やめまいが続く。
眠れない。
異常に疲れる。
喉の奥に何かが詰まっているような感覚が消えない。
それでも会社へ行っていた。
休職も考えていた。
でも決断できなかった。
課長になったばかりだった。
部下もいた。
無責任な気がした。
そんな時、同僚が休職した。
適応障害だった。
その後、あっさりと転職して会社を辞めていった。
その時の感想を今でも覚えている。
いいな。
と思った。
そして、
ああ、やってもいいんだ。
とも思った。
それでも自分が休職するとは思っていなかった。
私はずっと、努力で解決しようとしていたから。
でも、その日は突然やってきた。
身体がしびれるような感覚で目が覚めた朝だった。
会社には行きたくなかった。
それでも起きた。
支度をした。
家を出た。
駅へ向かった。
空は気持ちが悪いくらい快晴だった。
その時、急に思った。
私は何をやっているんだろう。
こんな状態なのに。
こんなに苦しいのに。
会社へ行こうとしている。
急に馬鹿らしくなった。
そして思った。
もういいや。
逃げよう。
人生で初めてだった。
努力ではなく、撤退を選んだのは。
私はその足で心療内科へ向かった。
休職が決まった。
家に帰ると愛猫がいた。
添い寝してもらいながら、私はひたすら眠った。
少しだけ解放感があった。
でもそれ以上に大きかったのは虚無感だった。
20年以上続けてきた会社員人生が、そこで一度止まった。


やりたいことだけやってみる
休職して最初の一週間は、ほとんど何もしていなかった。
猫と寝ていた。
Netflixを見ていた。
そしてまた寝ていた。
何かをしようと思っても、すぐに疲れてしまう。
少し元気になったと思って外出すると、その反動で翌日は一日中寝込んでしまう。
そんな状態だった。
私はそれまで、休職したら何かを始めるものだと思っていた。
資格の勉強をするとか。
将来について考えるとか。
転職活動をするとか。
でも実際には違った。
何もできなかった。
ただ眠ることしかできなかった。
それでも不思議と焦りはなかった。
20年以上働いてきて、こんなに休んだことがなかったから。
人生で初めて、何もしなくてもいい時間を手に入れた気がした。
朝は好きな時間に起きる。
と言っても、7時頃には自然に目が覚めることが多かった。
でも、もう急いで支度をする必要はない。
満員電車に乗る必要もない。
朝ごはんをゆっくり食べられる。
白いご飯にお味噌汁。
簡単なおかず。
会社員時代には考えられなかった。
当時の私は、朝食を食べないことも多かった。
食欲もなかったし、時間もなかった。
バナナ一本で済ませることも珍しくなかった。
でも今は違う。
食卓に座り、ゆっくりご飯を食べる。
たったそれだけのことが、とても贅沢に感じた。
あの朝、パチンコ屋の行列に「いいな」と思った気持ちの意味が、ようやく分かってきた気がした。
羨ましかったのは、その人たちが持っている時間だった。
平日の朝。
誰かに決められた場所へ向かわなくてもいい時間。
好きな場所へ行き、好きなことをする時間。
私が羨ましかったのは、きっとそれだった。
休職してから、私は初めて真剣に考えるようになった。
もし会社を辞めたらどうなるんだろう。
実は、この不安自体は最近始まったものじゃなかった。
私は以前から、定年まで会社員を続ける自分を想像できなかった。
だから会社以外の収入源が欲しいと思ったこともあった。
副業にも興味はあった。
でも本気で考えたことはなかった。
会社員でいる限り、毎月お給料が振り込まれる。
生活に困ることはない。
だから「いつかやろう」のままだった。
でも休職して、その状況に初めて現実味が出てきた。
私はこの先も会社員として働き続けるんだろうか。
もしそうでないとしたら、どうやって生きていくんだろう。
そう考えた時、副業は「興味のあること」ではなく、「自分の人生の問題」になった。
そんな頃、少しずつ元気が戻ってきた。
ある日、SNSの投稿をしたいなと思った。
しばらく放置していたアカウントを触りたくなった。
別の日には、AIの勉強をしたいと思った。
体調を崩してから、ずっと中断していたことだ。
以前なら、
勉強しなきゃ。
やらなきゃ。
と思っていた。
でも、その時は違った。
やりたい。
そう思った。
実際に始めてみると、すぐ疲れた。
一時間もすると横になりたくなった。
昼寝が必要な日も多かった。
それでも楽しかった。
久しぶりだった。
何かを楽しいと思えたのは。
AIを学んだからといって、人生が変わったわけではない。
副業で稼げるようになったわけでもない。
まだ収益はほとんどない。
未来も見えていない。
それでも、少しだけ希望があった。
会社から与えられた仕事ではなく、
自分が興味を持ったことを学ぶ。
自分で考える。
自分で試してみる。
そんな時間が楽しかった。
もう一つ、驚いたことがあった。
何もしなくてもお金が入ってくることだった。
有給休暇が残っていたため、休職中の今もお給料が支払われている。
もちろん、そのためにこれまで働いてきたんだけれど。
制度として当然のことなのかもしれない。
でも私は初めて実感した。
会社員という仕組みは、本当に強力なのだと。
20年以上働いてきた。
だから今、休むことができている。
そう思うと少しだけ気持ちが楽になった。
いっぽうで、不安が消えたわけではなかった。
有給がなくなればどうなるんだろう。
退職したらどうなるんだろう。
失業手当だけでは生活費が足りない。
副業もまだ稼げてない。
将来のことを考えると怖かった。
でも、不思議だった。
怖いのに、前より苦しくない。
以前は、やりたくないことをやり続けながら不安だった。
今は、やりたいことをやりながら不安だった。
同じ不安でも、まったく違った。
私は休職して初めて知った。
やりたいことだけをやる人生は、案外悪くないのかも。
そして初めて考えるようになった。
会社の外に、自分の人生を作れないだろうか、と。


必要とされたかったわけじゃない
未来はまだ真っ白だ。答えは一つも持っていない。
それでも以前とは少し違う。
私は今まで、
会社に依存しなければ生きていけないと思っていた。
だから働いていた。
だから頑張っていた。
だから無理をしていた。
会社員として生きること以外の選択肢を、本気で考えたことがなかった。
気づけば20年以上経っていた。
私はずっと、
必要とされる人になろうとしていたんだと思っていた。
仕事で評価されること。
頼られること。
昇進すること。
それらを積み重ねてきたのだから、そう思うのも自然だった。
でも休職して分かった。
違った。
私は必要とされたかったわけじゃない。
評価されたかったわけでもない。
出世したかったわけでもない。
だから表彰されても嬉しくなかった。
だから昇進しても苦しかった。
だから管理職になっても達成感がなかった。
私が欲しかったのは、
自由だった。
好きな時間に起きる自由。
好きな場所へ行く自由。
好きな人と過ごす自由。
やりたいことをやる自由。
やりたくないことをやらない自由。
それだけ。
そんな当たり前のことに、40代になって初めて気づいた。
もちろん、自由には責任が伴う。
会社を辞めれば守ってくれる人はいない。
給料も保証されない。
だから怖い。
本当は今でも怖い。
でも、それ以上に怖いことがある。
会社だけに依存して生きていくことだ。
会社が嫌いなわけじゃない。
会社員という働き方を否定したいわけでもない。
ただ私は、自分の人生の選択肢を会社だけに預けたくないんだ。
私はまだ何者にもなれていない。
副業で成功したわけでもない。
自分の力で稼げるようになったわけでもない。
今はまだ、人生を作り直している途中。
それでも、休職してよかったと思う。
あの日、快晴の駅前で立ち止まった自分に言いたい。
逃げてよかった。
あのまま頑張り続けていたら、私はきっと、自分が本当に欲しかったものを考えないまま生きていただろう。
20年以上かけて初めて、
私は自分の人生を考え始めた。
もう、必要とされるためには働かない。
自分で選んで働く。
猫と穏やかに暮らしながら、
自分の人生を自分で作っていく。
今は、それを目指している。
