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Burningman

    2000年代初頭に複数回体験した、ネバダ州ブラックロック砂漠のBurningmanは今もわたしの根っこにある超絶体験のひとつだ。
    去年のものだったけど、Burningmanに行ったひとの動画をいくつか見てみた。いろいろ言われているけど、昔のBurningMan——全員が自分で水や食料を運び、キャンプを設営し、砂まみれになりながらサバイブし、フリークアウトする——のあの一体感は、現在では経済力によっていくつかの階層へと分岐していってるんだろうなという印象(2005年あたりが分水嶺)。
    とはいえ、さて自転車乗ってどっか行ってみるか→食べ物もらう→変なやつに巻き込まれて遊ぶ→気がついたらはぐれててキャンプ帰還→チル→日も暮れたし繰り出しますか→踊る、ぶっ飛びまくる→また変なやつに巻き込まれる→なんじゃこりゃ→気がついたらはぐれてて朝日を見ながらキャンプ帰還→倒れる。的な本質は特に変わってなさそうで、もちろん巨大化によってチケット代の高騰など、変わってしまった部分も多々あるのだろうが、わたしは普通にまた行きたい。
    現在はBurningmanに内包されるさまざまな要素(Mad Max終末世界、サイバーパンク、テック、ヒッピー、オーガニック、アート、音楽)がそれぞれ独立、特化したような催しが全米各地の砂漠や森にあってそれはそれでとても興味深いのだが、それぞれの要素に純化した分、例えばMad Max終末世界に特化したWasteland Weekendでは厳格なドレスコードまで存在する。さまざまな属性の人間が集まり、それぞれが勝手なことをやりながら、一週間だけ巨大な都市を形成する。その懐の広さこそ、BurningManの一番の強みだったのではないかと思う。
    ちなみに、わたしが通っていた頃でさえ、現地で知り合った人たちはシリコンバレーのお偉いさんだったり、弁護士だったり、企業の社長だったりとお金持ちが多かった。そもそも、わたしたちのようなサバイバルスタイルで行くのでなければ——いや、そうだとしても——BurningManは本質的に一定以上の経済力がなければ参加できるものではない。やはり変化の原因は、Instagram価値観だったと見てよいだろう。「普段の社会的立場を脱ぎ捨てるための狂気」として資金を使っていたのに対し、現在は「その空間にいる自分を演出、消費する」ための資本投下に変化したということだ。

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    DJもした