
【小説】 耳たぶの底
未明。ぼんやりとした意識の外側で、うっすらと蝉の声が聴こえてくる……気がする。
☆
世間が夏休みだお盆だと賑わうなか、わたしは憂鬱な休みをすごしていた。この休みじゅう、ほとんど毎日雨が降っているせいだとも思う。
もともとアウトドアには縁がなく、雨が降っていても困ることはないのだが、雨は憂鬱さを誘う。過去のほのぐらい記憶が、もやのように立ちのぼってくるように思える。実態のない曖昧な記憶がこの1年まとわりついて、この頃はひどくたまらない。
職場に勧められるがまま休みをとり、数年ぶりに実家に帰った。この3日、まったく家から出ていない。燃え尽き。無気力。いろいろと言われ、心配させてしまっているのは知っているが、感覚としては、ただただ憂鬱、としか言えない。
憂鬱で仕方なく、そんな気分を忘れるために、できることならずっと寝て過ごしたい。それなのに、朝の4時には目が覚めてしまうのだ。
そろそろお盆休みもおわる。仕事にもどるためには、もうすこし体を休めて、心を休めて……。
「やすむ」って、なんなんだろう。休みなのに休んでいる気がしない。この1年、休みが休みに感じられない。この憂鬱さから逃げられるなら、仕事をしていたほうがマシだ。
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またもや家族の誰よりも早く起きた朝。この日はいつもとすこし様子が違っていた。ふと目が覚めて憂鬱さに捕まってしまう前の、ほんのわずかな瞬間に、ふと、10代のころの記憶の断片が脳裏に浮かんだのだ。
高校2年の夏休み明け、およそ1年ほど学校に来ていなかったクラスメイトが、2学期から突如学校に戻ってきた。ただそれだけといえば、それだけなのだが、どうもわたしはこのクラスメイトが気になった。
彼女はなんというか……。おとなしいとか、おとなしくないとか。イケてるとか、イケてないとか。そんな分類に当てはまる気がない様子で、周りとは違った雰囲気を醸し出していた。
半ば押し付けられるように学級委員をつとめていたわたしだったが、この時ばかりは都合がよかった。ことあるごとに「久々に登校した彼女を心配する」という名目で、何かしら声をかけていた。勉強の進捗、移動クラスのこと、関係のない「好きな本」まで聞き出して、それから、文化祭について……。
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そうだ、文化祭だ。
変に頭が冴えてきた。
文化祭の準備をしていたあの日、壁画製作で遅くまで残っていたわたしたちのクラスは、そのほとんどが片付けを放棄し、結果、わたしと数名だけが残っていた。あと片付けをさせられている、というよりも、それが当たり前なのだからただやっているのだ、というさっぱりした雰囲気。不思議な一体感のなか、わたしたちはいつもより饒舌になった。
そのなかに、彼女もいた。
「おまえってさ、考えてるとき、耳たぶさわるよな」
わたしには考え事をすると耳たぶを触るクセがある。その様子をみた一人が、「変なクセ」を話題にした。ちなみにそいつは、テスト中に思考が止まると、上半身を前後に揺らすクセがある。普段聞いているロックンロールのビートを脳内で再現し、体を揺らしていると「答えがおりてくる気がする」という。
そして、彼女の変なクセも、この数名で聞いた。それはたしかに、変なクセ、だったと思う。
「円形劇場って、しってる?」
第一声は、たしかこうだった。
円形劇場とは、古代ギリシャ・ローマで、演劇や剣闘士の戦いなど、見せ物が行われた施設。中央の舞台を観客席が取り囲むものだ。世界史の資料にも、たしか出ていたような。
その円形劇場、ミヒャエルエンデの「モモ」の舞台としても出てくる。
「モモ」のなかの円形劇場は野外にある小さなもので、すり鉢状の形をしていて、時代に置き去りにされた場所だ。
「モモ」の名を口にすると、彼女の目が、ぱっと輝いた。
「そう、モモ! モモのなかに、こんな表現があるの。夜、だれもいない円形劇場で星をみあげていると、まるで星の世界の声を聞こうとしている大きな大きな耳たぶの底にいるようだ、って」
わたしは、嬉しそうに話す彼女の姿に内心ドキドキしながら、話の行末に耳を傾けていた。
「それでね、わたしあるとき、からっぽのバスタブにはいってみたの」
わたしたちの頭上に、ハテナが浮かぶ。
最後まで聞いてわかったのは、つまり彼女は、家族の誰より朝早く起きたときに、空(から)のバスタブに入って、「耳たぶの底」を味わっている、ということだ。
「バスタブもね、横たわって、静かにしていると、円形劇場のように耳になるの。浴室に窓があるお家や、なんとか横になれる大きさのバスタブなら、おすすめ」
バスタブのなかで横たわり、目をとじてしばらくすると、周りの音がよく聞こえてくる。時間を決めず、もう良いと思ったタイミングで目をあけると、なぜだかほんのりと、気持ちが前向きに、すっきりしていたという。
それから彼女は、夏の間、朝早すぎる起床の際には空のバスタブで横になり、いつしか早すぎる朝が減り、こうして登校できるようになったんだそうだ。
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あの場にいたみんな、彼女の話を、どこまで本気できいて、どこまで覚えているだろう。わたしは、久々にひっぱりだした記憶とはいえ、こうして覚えている。想像の中で、空のバスタブで横たわる彼女の姿を忘れられないでいる。
「どうせ眠れないんだ、試してみようじゃないか」
実家の浴室は、都会のねぐらにくらべて広い。大きな窓もついている。突飛な思いつきに、不思議な高揚感をたずさえながら、わたしは、まだ誰も起きていない家の中を、静かに 洗い場に 浴室へと向かい、バスタブに入った。
「お湯の入っていない空のバスタブに横たわり、定位置をさがす」という、人生で初めてのよくわからない苦労を乗り越え、やっと、目を閉じた。閉じたまま、ぼうっと周囲の光を感じていると、少しずつ夜があけ、日が差してくるのがわかる。
パラパラという雨の音が止み、すこしだけ日が射したかと思うと、そのあとまたすぐに日がかげり、雨の音がはじまる。雨音のなかをぬうように、蝉の鳴き声が、遠くに、近くに響き始める。
それらの音を、いつしか注意深く、一心に聴いていた。
家のなかで一番静かで忘れられているようでいて、周囲の音をすべて拾い集めているような。
なるほどたしかに、空のバスタブが耳たぶの底に感じられてきた。
……どうやら、母が朝食の支度をはじめたようだ。
父が2階から降りてくる音がする……。
空のバスタブに横たわり、どのくらいったったのか。少しの時間にも思えるし、だいぶたったような気もする。寝心地は決して良くはない。しかし、ほんのすこし、うとうとと眠ってしまった。
☆
あの日、変なクセの話をした最後、彼女はなんと言っていただろう。
たしか……、そうだ。
「ほんのすこし、生まれ変わった気持ちになったの」
と、彼女は言った。
まぶたを少しずつ持ち上げる。
やわらかく日が差す、浴室の窓。
雨の音。
蝉の声。
いつぶりだろうか、この早朝の時間帯にいくらか眠ることができたからなのか、どうやらわたしは機嫌がいい。
ほんの少し、だけど。
雨が止む。
そうか、わたしももしかして、「ほんのすこし、生まれ変わった」のかもしれない。
きしむ体をゆっくりと起こしてゆく。
あの日教えてもらった、彼女の変なクセ。
「空っぽのバスタブに横たわり、周囲の音を聴く」。
たったそれだけで、明らかに、このごろ日増しに膨らんで行った憂鬱の薄皮が、少しずつ剥がれおちるような気がした。
再び、雨が降り出す。
でも今度は、憂鬱さとは遠く離れた場所から聞こえる。
(おしまい)
−−−「耳たぶの底」あとがき−−−
なにかを解決するためには、その問題を明らかにして対処する、というのが一般的に思えますね。けれど、問題そのものを触らなくても、ひょんなことから解決の糸口が見つかったり、気分が上向くこともあります。物語にはそういう効果もあるよなあと思いながら書いたお話です。ちなみに、作者に空のバスタブに横たわるクセはありません。
2026年は、作中に登場するミヒャエル・エンデの「モモ」が邦訳刊行されてから50年だそうで、なんと岩波書店から特別仕様のダブルカバー本が出ている。モモは家に2冊もあるけれど、ほしいなあ……。こっくりとしたオレンジ色に、箔押しの時計、素敵すぎます。
なお、この作品は、2025年夏、Radiotalkにて企画主催した「夏を味わおう、物語で。」(わたしのなかでの略称「ナツアジ」)のために書き下ろしたものに、加筆・修正を加えました。この音声配信企画では自分の作品をいろんな方に読んでいただき、音楽も加えて編集をし、大変楽しかった記憶!あらためて、ご協力いただいた皆様、ありがとうございます。
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