
「毒親」の二文字で片付けられない母親との歪な関係|01.母について
私の母の視線は、私を見ているようで、注がれる世間の目(と思い込んでいる)を見ているような人だ。
これは邪推だが、出生と関係するところがあるだろう。
母の両親、つまり私の祖父母は自営業を営んでいた。
子供の頃の記憶では、私自身会社に遊びに行ったり、お手伝いをしたりもしていた。だが子供だった故、その規模感などについては意識がなかった。
私が高校生の頃、祖父が亡くなり、おのずと会社も畳むことになった。
葬式には多くの人が参列しており、おぼろげながら祖父はすごい人だったのかなとも思った。
のちに聞いたところ、私が物心がついたあたりまでは、会社としても景気が良かったようだ。時代的なところもあったのだろうか。
そのような家で生まれたので、母も昔はそれなりに裕福な暮らしをしていたようだ。
そうした環境が作り上げた自尊心からか、繰り返しになるが、つまり私の母は世間体を気にする人だ。
「○○君のお父さんは銀行だから、金持ちだからね」とか「そりゃ××さん家はうちより裕福だからね」などのことを小中学生の頃によく言われた記憶がある。
当時は何も感じなかったが、振り返ると少し異様だ。
また私が小学2年生の時に購入していたマンションを、ある事情から売りに出してアパートへ引っ越すことになった際には、「引っ越すまで誰にも言っちゃだめ」と、仲の良かった友達に挨拶もさせてもらえなかった。
また自分ではユーモアだと思っているのか、皮肉を口にすることもしばしばだった。
私は小学生までクラブ活動でサッカーをやっていた。6年生の中盤でようやく控えメンバーになれた程度の実力ではあったが、それなりに熱心に行っていたと思う。
秋の地区大会決勝、ここに勝てば全国大会に行けるという中で、惜しくも1点差で敗れてしまった。私自身はスポットでの出場だったが、かなり悔しかったことを覚えている。
メンバー一同がうなだれながら、保護者の待つ応援エリアに戻った。数々の励ましや慰めのの声の中で、私の母親私の方に近づくと少し笑みを浮かべながら「あんたも泣いた?」と聞いてきた。私の熱くなっていた目元はだんだんと冷めていき、「第一声で普通そんなこと聞いてくるか!?」と冗談のように返した。
そんなことを言ってくる親はどう考えても私の母親ただ一人だっただろう。
本人は慰めのユーモアだったのかもしれないが、そんなことが時折あった。
だがもちろん、悪い記憶だけではない。
小学生の頃、ウォークラリーや企業のイベント(今より景気が良かったため、無料で景品を多くもらえた。)、ヱスビー食品が主催するマラソン大会など、様々なイベントに連れて行ってもらった。
クラブ活動での揃いのジャージを買ってもらえないなど、決して裕福な家庭ではなかったが、年1回は必ず泊りで旅行にも連れて行ってくれた。
こうして書き連ねると、良くも悪くもこういう人物だと紹介できるイベントは、いずれも私が小学生から中学生頃の事柄が中心になる。
なぜなら、中学生の中盤には両親は別居状態となり、高校生の頃には正式に離婚してしまったからだ。