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おいで!スランプ!~作家の天敵を手なずける術~

    いやだよ、なんて言わずに。

    きみもスランプを愛でよう!

    (ほぼ)すべての創作者にとっての天敵がいる。
    呼ばれなくてもやってきて、一方的にこちらの筆を止め、頭の中にあぐらをかいてのさばる怪物。

    スランプである。手なずけるどころか、正直関わりたくもない。

    他の多くのクリエイターにとってもスランプは脅威だ。
    その証拠に、Googleやnoteの記事を探すと「いかにスランプを脱するか」という、先人たちのノウハウがぎゅっと詰め込まれた記事がたくさん出てくる。
    休憩しろとか、創作から距離を取れとか、逆に頑張って絞り出してみろとか。ひとつ試したらまた取り組んでみなさい、というアドバイスもある。
    みんなスランプの来襲に苦しみながらも、ヤツに少しでも対抗できそうな術を形にして残してくれているのだ。
    スランプに苦しむのは私一人ではない。真摯に創作と向き合う(ほぼ)すべてのクリエイターが対峙せねばならない仇敵なのだ。熱い。エモい。

    でも、と思った。
    恐るべき怪物に対して、時としてただならぬ愛を感じるのは人の癖(ヘキ)である。

    あらゆるクリエイターにとっての怪物であるスランプを、どうにかして愛でてみることもできるんじゃないか。

    もちろん、スランプに襲われている最中はとても辛い。
    創作をなによりの生きがいにしている私にとって、スランプに陥っているときはまるで低酸素の部屋に放り込まれたような息苦しさを感じる。
    何をやっても楽しくないし、気が焦るばかりでちっとも書きたいものが書けない。そのくせ書きたくてたまらないのだ。発狂しそうになる。いっそ殺してくれ。

    しかし、創作においてスランプに陥るというのは、それだけ真摯に創作に取り組んでいることの証である(異論はあるだろうが今回はこの視点を採用する)。
    創作に対して真面目に取り組んでいるからこそ、スランプも相応に牙をむくのだ。

    スランプは己の努力の証である。そう考えると、多少はスランプを愛でてやってもいいかもなという気持ちが1ミリでも湧いてこないだろうか。
    そして、努力の証たるスランプがもたらすものはマイナスだけではなく、プラスの面もあるはずなのである。

    「創作ができない苦しみを経由してスランプに立ち向かう」よりも、視点を変えて「スランプそのものの来訪を歓迎し、スランプと共に生きてみる」ことも可能なんじゃないか。

    飼い慣らしたい、スランプという怪物を。共に本を読み、共に眠り、たまに一緒にバーベキューに行ったりして肉とか食べたい。
    まだ見ぬスランプの魅力を世に解き放ちたい。そんな理由で、スランプというものの愛で方を自分なりに考え、実践してみようと思った。

    恐れるべきものではなく、立ち向かうものでもなく、歓迎するべきものとしてスランプの存在を寿ぐために。
    やってみよう。挫折するかもしれないが。

    ※なお、私自身が小説の執筆を専門としているため、これからの記事は物書きとしての体験ベースで執筆するが、イラストや作曲など適宜ご自身のジャンルに当てはめて読んでほしい。


    入門編:これからよろしくね、スランプ!

    ・スランプのこと、おしえて!――創作者にとってのスランプ

    スランプスランプと日常的に言うが、そもそもスランプとは一般的にどのような状態なのか。ズバリこうである。

    名詞:仕事がふだん通りうまくいかなくなること。不調。不振。「スランプに陥る」
    用法:「上達しなくなっている状態」の意味でこの言葉を用いるのは誤りである。その場合は「プラトー」を用いるのが適切である。


    ウィクショナリー(Wiktionary)「スランプ」より引用。

    超うすぼんやりしている。
    わかる、けど、なんかこう、定義が広い。なお「プラトー」については一般に成長曲線の停滞(踊り場)現象として説明されるが、なんか、そうなんだけど。
    個人的に「プラトー」については「すぐには目に見える成果がなくてもコツコツ取り組むことでステップアップへ至れるような状況」と捉えているので、「創作が思い通りにいかない苦しみ」とはまた違うものであるように感じる(プラトー下では書くしかないんだろうなあという気持ちである)。

    今ここで問題にしたいのは、「書きたくてたまらないのにどうしても書けない」という脳の半分をもがれたような苦しみとしてのスランプであるのだが、どうやら一般的には「何らかの要因により仕事や手がける物事がうまくいかなくなること」をまとめてスランプと言うらしい。
    いや、それはそうなんだが、なんかもっとこう、書きたいのに書けないみたいな、そんなクリエイティブな方面で用いられるスランプの定義って、もっと、こう、ねえ(ろくろを回す江古田)

    恐らく、「スランプ」という言葉の持つニュアンスは各分野によって非常に多彩なものであるのだろう。野球などでも使われるし。
    そのため、この記事ではざっくりと「『創作したいのにできない』というクリエイターにとっての主観的な苦しみ全般」をスランプとして定義する。
    ちょっと怪物の輪郭が見えてきた。おぞましい。まだ愛せない。

    以前、冬季うつの個人的な乗り越え方に関する記事を書いた。
    執筆から数年経った今でもご反応をいただくことがあり、江古田のnote記事の中では異様なほど「スキ」が多い記事となっている。

    その記事中で、冬季うつ状態ではスランプと同じく創作ができない、という点に言及した。もちろん、冬季うつ状態とスランプを同列に語ることはできないが、「書きたいのに脳が固まってしまって書けない」という点はおおむね同じだなあと感じている。詳しくは当該記事をご参照ください。

    創作分野に絞っても、スランプの要因はさまざまである。
    「インプット不足」「過去の作品のアラが目立つ」「アイデアがマンネリ化しているように感じる」など、スランプに直面するきっかけは無数にある。
    特にSNSなどで

    「自分よりも伸びている人の投稿を見かけた」
    「自分の好きなものだけを書いていては成長しないのかと焦りを感じた」

    などの、ちょっとした(かつ他者評価を主とした)要因によってつまずいた結果、自己評価とのギャップを感じてスランプに陥ってしまう人は多いのではないだろうか。
    かくいう私も現在進行形でそのパターンである。ああいやだ。

    ・スランプの贈り物――自己内省を促す怪物

    こうして見ると創作者にとってのスランプとは、自己評価と他者評価のギャップや、理想と現実のギャップといった具合に、内外の要素の大きな差により生じるものだと見ることができるだろう。
    ここでスランプの役割(愛でられそうな箇所)がひとつ見えてくる。スランプの一番かわいいところ。

    「ムリしてない?だいじょうぶ?」と自己内省を促してくれる面である。

    そりゃあ理想は山ほどある。多くの人に読まれたいしコメントや感想だって毎秒欲しい。めっちゃ評価されたいし閲覧数だって指数関数的に増えてほしいし投げ銭だけでイーロンマスクの総資産額を超える額を手にしてみたい。
    さすがに冗談だ。しかしもっと一般的な「評価されたい」という理想でさえ、思い通りに叶えるのは無理な話である。
    何故なら、人間心理を知り尽くしたプロのメンタリストや卓越した演出家でさえ、他人の感性をコントロールすることは(恐らく)絶対にできないからだ。

    万人に同じように受け入れられる作品なんてものはたぶん存在しない。
    「大ヒットしている作品ほど見る気がなくなる」なんていう逆張り人間いるよね~、と共感してくれる人もいるだろう。あなたがそのタイプだった場合は謹んでお詫びします。私もそういうタイプです。

    結局、うまく書けようが書けまいが、作品の捉え方は読者次第なのだ。
    その感性に作者は介入できない。ついつい忘れがちだが、作品は作者の手を離れた時点で読者のものだ。
    スランプはそこに立ち返らせてくれる。「あなたは何と戦ってるの?」と。

    自分がどれほどスランプに苦しめられていようと、読者が「ああこの作者はスランプだな、ネタ切れだな、もうダメだな」と感じることはほぼない。と思う。
    大好きな作者の作品をあれこれ読んで「この作品はハズレだなあ、調子悪かったのかなあ」と思うことなんてそうそうないだろう。好みは多々あれど、どの作品にも違った魅力があるはずである。

    自分のスキルを磨くことは楽しいことだし、好きなのだからもっとうまく書きたいと思うのも当然の欲求である。
    だがそれが(特に外部からの)過剰なプレッシャーになっていないか。こうあらねばならない、こうなりたい、に囚われていないか。

    「周囲の評価から一歩引くための気づき」を与えてくれるのが、スランプの力なのである。

    どうだろうか。
    内外とのギャップを強く感じた際に自己内省を促してくれる存在、周囲の評価からすこし距離を取らせてくれる存在と思えば、多少はスランプという化け物が可愛く見えてきたのではないだろうか。
    だいぶ自分を騙している気もするが、できればこのまま騙され続けてほしい。
    スランプという存在が恐るべき怪物からちょっとこう、なんか、超絶ブサイクだけどキモカワイイ番犬くらいに見えてきたところで、次は実践的にスランプと仲良くなってみよう。
    スランプの持つ力を使いこなすのだ。
    やれるやれる。やってみよう。


    実践編:スランプとお友達になってみよう!

    ・創作ができないという力

    前の章では、スランプの持つ力として

    「内外のギャップを元に自己内省を促す力」
    「外部評価から距離を取るための気づきを与える力」

    を挙げたが、そこにさらに一つ、スランプをスランプたらしめる強力な要素、活用すべき力を加えてみよう。

    ズバリ「創作ができなくなる力」である。

    待って。帰らないで。マジで。
    もちろんこれは、創作者にとっては致命的な要素である。
    創作を生きがいにしているどころか、創作によって生きながらえているような創作マグロからしたら、クリエイティブな活動に関して頭が全く回らないというのはエラを塞がれたような苦しみだ。低酸素どころか窒息死する。

    だがちょっと待ってほしい。
    「創作に関するものではあるが、面倒でやってない機械的な作業」があなたの周囲にいくつかないだろうか。

    作品の予約投稿。各種SNSへのポストの自動投稿。作品の誤字脱字の訂正。登録したはいいが全く活用していないWebサービスはないだろうか。せっかく作ったにも関わらずほったらかしの個人サイトはあるだろうか。過去作品の読み返し、書きかけの作品の整理、これまでのイベントでいただいた名刺やショップカードの整理。などなど。他にもたくさん。

    「いつかやらなきゃと思ってるけど執筆が優先だからな」ということでついつい後回しにしていた、普段ならやる気がまったくわかない、あるいはついつい忘れがちになってしまう作業。

    心当たりが、ないだろうか。
    私はある。挙げた例の全てが心当たりだ。

    スランプ状態に陥っているときはクリエイティブな行為がほとんどできない。しかし脳は創作をしたくてしたくてたまらない。
    つまりスランプ状態というのは「さほど創造性を発揮しなくてもよい、創作まわりの事務的作業」をまとめて片付けられるまたとないチャンスなのだ。

    ・クリエイティブだけが創作ではない

    たとえば私は、このSNS時代において宣伝がまったく得意ではない。
    SNS映えやネット受けしない作風であることを自覚しているが故に、キャッチーな短文で作品や作者の魅力を発信するという行為が脳がねじ曲がりそうなほど苦手なのだ。
    やだ。やりたくない。できれば避けて通りたい。

    だが、スランプに陥った今。それしかできることがなかったら。
    私は事務的ながらもその行為をするだろう。

    いくら宣伝が苦手だのなんだの言っても、創作活動をしている以上は「こういうものを書いています」という最低限の発信をしないと誰の目にも留まらない。
    地味で、地道で、創造性も要求されない作業。だから普段はあまりやる気になれないのだが、スランプ状態に陥っているときなら「しゃあねえ、やってみるか」と思えるようになる。
    マルチポストツールを開き、むこう一か月の宣伝ポストを簡単に打ち込んでみる。なんも考えずに、簡単な定型文を、さくっと。

    するとあら不思議。普段はあれほど避けていた作業がひとつ片付いてしまったではないか。
    まさしく創造性に蓋をしてくれたスランプの賜物である。

    さらに嬉しいことに、たとえ(普段と比べて)創造的でない行為だったとしても「創作に関する作業をした」というのは事実であり、それによって「創作したいのにできない」というジレンマからも少しだけ解放される。
    スランプ中でも創作のよろこびが得られるのだ。止まれば死ぬ創作マグロにとってはまたとない僥倖である。

    さあ、過去作の誤字脱字を訂正し、もらったきりのチラシやショップカードを見返し、個人サイトをちょっとリニューアルしてみよう。書きっぱなしで公開していない作品があれば、週一作くらいのペースで予約投稿してみよう。半年以上ログインせずに忘れていたサービスがあれば思い切って退会しよう。
    スランプ中でもやれること、むしろスランプ中だからこそやれることはたくさんある。

    かつて創造性を封じることで創作者を苦しめていたスランプは、いまや郵便受けからあふれんばかりになっていた手紙をくわえて持ってきてくれる……なんか……ブサカワな犬くらいには愛でられるようになった。
    少なくとも薄目で見ればそれっぽく見える程度にはなったのではないだろうか。ちょっと尻尾を振ってくれてるかもしれない。おお、かわいい(当社比)。

    どうだろう。ここまでの分析で、このスランプという怪物をだいぶ愛でられるようになってきた気はする。
    半分は錯覚かもしれないが、錯覚でも可愛く見えればあとはどうにでもなる。大事なのは理屈ではなく「ヘルシーな創作活動のために、創作者がスランプをポジティブなものとして私的に受け入れること」だからだ。

    さあ、念願のバーベキューまであと一歩だ。野菜も忘れずにね。
    ヘルシーに行こう。


    応用編:スランプとも~っと仲良くなってみよう!

    ・スランプ状態だからこそできる創作

    ここまでスランプの正体をあれこれ分析したことで、スランプを
    「創造性をブロックし、停滞をもたらす存在」
    から

    「自己内省を促し、避けていた作業に目を向けさせてくれる存在」

    と捉えることができるようになった。なりましたよね。なったという前提で話を進めます。
    さらにギアを上げよう。スランプの力で直接的に創作をするのだ。

    たとえばこの、現時点ですでに5000字を突破しているこのnote記事。
    これを書いている私は絶賛スランプ中である。

    うそこけ、と思うかもしれない。でも本当なの。
    短編のアイデアはまったく浮かんでこないし、SNSを開けば焦りを感じる情報ばかりだ。Web媒体での見せ方もしっくりこないし、閲覧数や反応の数、インプレッション数に一喜一憂する。今後も物書きを手放さずに生きていけるのか不安でたまらないし、自分の文章が求められているのか分からない。自分はものを書くべきではないのかもしれないなんて思い詰める夜もある。夢見は悪いし、朝は起きたくないし、花粉症で頭がぼんやりする。
    何が原因かは分からないが、自分が元の通り書けなくなっているということは分かりすぎるほどよく分かっている。つらい。

    でも、そうした経験を分析して記事にすることはできるのだ。
    それはこの記事の執筆が私にとって創造的な行為ではなく、すでに自分の中にある材料を加工して、うまいこと出力するだけの行為だからだろう。
    例えるなら、頭の中にある編み図をもとに一針ずつブランケットを編んでいく作業に近い。無心で行える作業といってもいいかもしれない。

    なにも私に限った話ではないだろう。
    スランプに陥るほど打ち込んできたものであれば、その中に一つ二つ、無心で取り組めるものがあるはずなのだ。

    それは私のような分析系エッセイの執筆かもしれないし、150字短編の執筆かもしれない。寝かせていたアイデア出しかもしれないし、キャラクターや世界観の書き出しかもしれないし、好きな作品の筆写かもしれない。
    まさしく人によるだろうが、自身がメインにしている創作において半ば自動的に行える行為にはどんなものがあるのか、ぜひ探してみてほしい。

    無心で行える創造的行為は、創作者を救う。
    そしてそれは、時として創作の幅を広げることもある。げんに無心でカタカタ打ってたnote記事はこうしてほぼ完成している。
    筆に任せて書き散らした150字短編も、一日一作ずつ投稿すれば立派なコンテンツだ。アイデアや設定だって、オリジナルのハッシュタグを付けて投稿すれば誰かに刺さるかもしれない。筆写はシンプルにすごく力が付く。

    もちろん、書いたからには形にしなければと気負う必要はない。
    むしろその逆である。「なんとなく書いていたら一作できたから、ちょっと公開してみるか」くらいの気持ちでいいのである。

    そして忘れないでほしい。
    創作において、スランプ下でも無意識に取り組めることというのは、時としてとんでもない才能である場合もあるのだ。

    創造性を奪われてなお半自動的にできること。
    それがどんなものかは人によるだろうが、少なくとも他者が真似したくともできない強みであることは確かである。
    ちなみに私は文章が冗長すぎるばかりに150字短編や1ページ短編がなかなか書けない。毎日投稿するなんてもってのほかである。だから150字短編を毎日投稿できる人ってほんとにすごいなあと思います。

    ・スランプによる自己批判を健全に活かす

    他にもスランプの力を活かす手はある。
    自分の作品について、普段なら「とりあえずは完成したぞ、全体的には満足!」で済ませられたところが、スランプに陥っているときはちょっとイヤになるくらい作品のアラが見えてきやすい。
    多少なりとも引っかかっていた場所がくっきりと浮かび上がってくるのだ。

    もちろん、それに対して「うへえ」と顔をそむけたくなることもあるだろうし、それは悪いことではない。
    むしろスランプ下でやみくもに作品をブラッシュアップするとどんどん泥沼にはまっていくだけだから基本はやめた方がいい。

    だが、ここまで読んでスランプを飼い慣らせそうと思ってくださった方なら、他者評価による自己否定感から少し距離を取って、淡々と(それこそ事務的に)作品に向きなおることもできるのではないだろうか。

    「ここの展開、くどいかも」
    「ちょっと後半のオチが弱かったかもしれない」
    「三人称視点のゆらぎが目立つな」

    という風に、筆が乗っているときの自分の書きグセをスランプの力で客観視することができるし、新たに作品を書くとしたらどうしたいか、むしろクセを思い切り表現してみようか、など平常時では得にくい視点を得やすくなるのだ。
    (とはいえスランプ中の作品の手直しはあまりおすすめしません。作品を読んで、感想をまとめる程度にとどめておくのがよいかもしれません)

    気づけばスランプは、手紙を運ぶどころか率先して創作の手助けをしてくれる、頼もしい忠犬へと成長していた。
    おぞましい怪物として脳内にのさばっていた頃と比べて、ずいぶん親しみが持てるようになったものである。立派に尻尾も振っている。これは文句なしに可愛い。
    ここまで読んでくれたあなたはスランプとのバーベキューも無事に満喫し、デザートのアイスクリームも仲良く分け合っていることだろう。

    ……とはいえ、やはりスランプが創作者にとって恐ろしい牙をもつ存在であることは忘れてはならない。
    これを読んで、なるほど私はいま絶賛スランプ期だからさっそく取り組んでみよう、とはどうしてもならないものである。だってスランプ辛いもん。
    辛くて落ち込んでネガティブになっているときにこんな記事を見たって、単なる理想論としか思えないかもしれない。
    おいで、と呼ぶにはまだちょっとだけ早いのだ。

    なので、最後に「スランプに陥ったときに備える対策セット」をまとめてこの記事を締めようと思う。
    現時点であなたがまだ(幸運にも)スランプに陥っていないなら、事前に自分なりの対策セットを作っておくことで、スランプの到来に備えられるかもしれない。
    怪物を手なずけるのにもリードとか口輪とか必要だし。そういうものだと思ってもらいたい。


    番外編:スランプといっしょ!対策セット

    ここからは、平常時に頭の片隅に置いておくことで、いざというときにスランプと対峙しやすくなるかもしれないチェックボックスを置いておく。

    • よく寝て、よく食べ、適度に動く

    • 「普段面倒で手を付けていないが現状なんとかなっている作業」をリストアップしてみる

    • 無心でやれることをいろいろ探してみる

    • 1ミリでも創作に絡めたことを続けるよう意識する

    • 創作のレンジを広げてみる

    • SNSは見るな

    以下に具体的な解説をひとつひとつ添えていこうと思う。
    参考になるものがあれば取り入れていただければと思うし、自分なりのアレンジを加えたっていい。
    こういう方法で取り組んでみました、というものがあればぜひ教えてほしい。


    ▢よく寝て、よく食べ、適度に動く

    例:普段より睡眠を多めに、運動は無理のない範囲で
    ド大事。
    どれほどスランプと仲良くなりたくても、心身が弱っているときは主観的なネガティブ思考や他者評価にぐるぐる振り回されてしまうものだ。
    スランプによるストレスを感じるときは、平常時よりはるかに疲れが溜まりやすい。
    まずは心身のケアを一番に、ついで創作周りのケアを行っていこう。

    適度な運動に関しては、私は中山きんに君の「世界一身体が温まる準備体操」などをやったりしています。あとは1万歩散歩したりとか。
    もちろんしない日もあります。スランプに陥る人はみんな頑張り屋さんなんで、ゆるくやっていけばええんです。


    ▢「普段面倒で手を付けていないが現状なんとかなっている作業」をリストアップしてみる

    例:SNSの宣伝、HP整備、ショップカードの印刷など
    いざスランプに陥ったとき、何をやればいいか考えるのは結構しんどい。「これやらなきゃと思ってるんだよな~」という風に、適当にリストを作って放り込んでおくのがよいかもしれない。
    ショップカードの数量チェックとか忘れがちだし、イベント前に慌てて入稿するよりはこういう創作のスキマ期間に総点検するのがよいだろう。
    少なくともなにかをやった気になれる。


    ▢無心でやれることをいろいろ探してみる

    例:自分の中に材料のあるものの出力。ネタ出し。書き出しだけなど
    多分、探すのが最も大変な作業。
    こればかりは自己分析しつついろいろ試してみるほかないが、ひとつ指針になるのは「やっていて時間が溶けるかどうか」「疲れているときでもある程度やれるか」。
    スランプに陥っている脳はとにかく創作がしたくてたまらない。なので、創作周りで「締め切りを気にせず好きなだけ時間が使えたら、飽きるまでこれをやるのにな~」と思えることをなんとなく掴んでおくのがいい。
    あとはスランプの最中って身体的にも疲れが溜まっていることがあるので、そういう状況でも無理なくやれることを探すのがいいです。


    ▢1ミリでも創作に絡めたことを続けるよう意識する

    例:創作まわりの事務作業など
    スランプ打破のマニュアルの中には「創作から離れてリフレッシュしよう」という意見もあるが、少なくとも私はそれをやると焦りが出る。
    例えるなら夏休みの宿題をまったく終わらせずに最終日に突入してしまったような得体のしれない焦り。そういう気持ちのまま好きな映画を観ようものなら「この作品と比べたら私の作品なんて……」と必要もないのに創作に絡めて、どんどんこじれていくことになるのだ。めんどくせえな。
    何をやっても創作に絡めて考えてしまうのなら、いっそ自己の活動と創作を切り離そうとせず、少しでも自己の創作に関することを片づけていった方がいい。
    創作をしたという実感が得られるし、具体的な成果も得られる。
    わりといいことずくめじゃないか。
    ※もちろん個人差はあると思うので、最終的には「自分の気持ちが楽になるか」を基準にしてほしい。他者ではなく、自分が救われるかを。


    ▢創作のレンジを広げてみる

    例:映画鑑賞、音楽鑑賞、ゲームなど「ただ自分が楽しいこと」
    とはいえ、「実になることをしたい」と焦る気持ちはなかなか抜けないだろう。であれば作品制作だけが創作ではないとして、自分にとっての「創作」の幅をぐーっと広げてみるのも手である(たぶん普段から育てていったほうがいい意識である)。
    先に挙げたような映画鑑賞であれば、映画全体の空気感やカッコいい言い回しなど、自分がアガる要素のみに着目して、それ以外の表現技法やプロットなどには一切目をつぶってみる。
    技術を学び取るのではなく、ただただ「自分の好きなもの」を心ゆくまで浴びることを目的とする。それを「まあこれも創作活動の一環なんで」と開き直ってしまうのだ。
    映画鑑賞に限らず読書でもいいし、音楽鑑賞でもいい。学ばなくてはと意識せずとも作品の骨子は吸収しているはずなのだから、「好きな作品を思いっきり楽しむことも創作活動の一環なのだ」というマインドセットをあらかじめ作っておくのだ。
    そうすることで、スランプ下でできる創作活動がまた一つ増える。


    ▢SNSは見るな

    例:読んで字のごとし
    見んでいい。トレンドを覗くな。通知も切れ。
    せっかくスランプの力で内外の評価から距離を取ろうとしているのに、他者評価のごった煮のような場所にわざわざ自分を叩きこむ必要はまったくない。
    投稿を見なくてもマルチポストや予約投稿はできるし、アカウントを一か月覗かなかったところでフォロワーは減らない。仮に減ったとしてもそれは作者のコントロールできることではないし、しようとするべきでもない。一か月で増減するフォロワー数に一喜一憂したって仕方ないだろう。
    どうしても反応が気になるなら「諸事情により〇月ごろまで浮上頻度が減ります。通知も切っているため、急ぎの用事の場合はDMを送っていただけると幸いです」と事前にポストを固定したり、その内容も含めて予約投稿しよう。
    SNSは社会の小さな窓である。外が強風なら閉めていいんだよ。


    こうした具合に、事前の準備をあれこれしておくことで、スランプに陥った状況を「創作周りの事務作業を片づける期間」や「普段やれない創作に没頭できる期間」、「創作のセルフチェック期間」にすることができる。
    スランプは確かにあなたの創作の泉を塞ぐ。しかし普段であれば気づかなかった別の泉へといざなってくれる、卓越した嗅覚も持っているのだ。

    ここまで書いて私はようやく、スランプの到来を心から喜べるようになった。
    スランプを題材に、たった二日足らずで10000字を超える記事を書けたのだから。ぶっちゃけ普段であれば考えられないようなハイペースである。
    そして、この記事はいつかまた私自身を救ってくれることだろう。
    スランプはもはやあなたの敵ではない、スランプと仲良くするための術をあなたは実践し、記事にして残していたじゃないかと。


    最後に――私含めスランプにのたうつ人へ

    スランプによって感じる「うまくいかなさ」を現実のものだと思ってはいけない。

    あなたがスランプに陥る前から、あなたの作品を楽しんでくれたファンや友人がいる。
    あなたが好きに手掛けた作品を楽しんでくれる人は必ず今も近くにいる。
    今よりはるかに未熟な自分の作品を好きだと言ってくれた、あなたにとっての最初のファンを思い出してほしい。

    あなたの手がける創作は、他でもないあなた自身のためのものなのだ。

    今のあなたが楽しいと思えることを、存分にしてほしい。
    一人の創作者として、私はあなたの創作を心から尊ぶ。
    そして、この記事を最後まで読んでくださったあなたにとって、もはやスランプは恐れるべき敵ではなく、不定期に訪れる心強い仲間となっていることだろう。

    さあ、一緒に呼ぼう。ちょっと怖くて、とても頼りになる仲間の名を。
    おいで!スランプ!

     
     
    えごたぼんじん。アマチュア小説家。一次創作小説個人サークル「泥眼書房(どろめしょぼう)」主催。 過去に同人文庫として発表した作品をアーカイブしています(泥眼書房STORESにて書籍販売中)。 泥眼書房HP→https://doromesyobou.jimdosite.com/

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