
背中にのこるもの
ある文学賞で箸にも棒にもかからなかったものをここに掲載する。結局、私はずーっと父の霊と向き合い続けてるんだなと思っている。まだまだ書くことはあるんだけど、これから書くことはきっと父であって父ではない何か。そんなものになる気がする。
背中に残るもの
子どもが自分からおんぶをねだるようになってきた。腕を私の首に力なくまきつけ、だらんと背中によりかかる。バランスを崩せば今にも落ちそうな人任せのおんぶ。「ちゃんと掴んでよ」と言っても、三歳になった人は笑うばかりで聞いていない。
力感のないおんぶで思い出すのは、父が杖をついてなんとか歩いて病院に行った日のこと。母に頼まれ、父の診察に同行した。その診察で、余命一ヶ月の宣告を父は受けた。医師は淡々と、今後は自宅か病院で緩和ケアを受けるよう勧める。父は「ほんのわずかな可能性に賭けて治療を続けたい」「死ぬなら前のめりで死にたいんですよ」と食い下がった。医師はこれまでに尽くした治療の経過と数値を説明し、「これ以上の治療は身体に負担を与えるだけです」と重ねて言う。父はなおも納得できないのだが、母の「もうお家でのんびりしようよ」という一言に「うーん」と、ようやく自分自身を説得するようにうなずきだす。診察室を出てからの父の表情は、悔しさなのか安堵なのか、判別がつかなかった。
病院の窓口へ向かう廊下を歩く三人は、無言だった。ロビーで借りた車椅子を返すときになり、父が「立ち上がれない」と呟く。何度か挑戦するが、あまり間を置かずに「なあ、きみくんおんぶしてくれる?」と言う。頼んできたのは父だったか、母だったか、よく覚えていない。むしろ私は自分の逡巡のほうをよく覚えている。病気で痩せたとはいえ、もともとガタイがよく筋肉質な父に対して、背丈はあっても細い私が背負えるのか。ここで転んだら、余命一ヶ月があと一日に短縮されるかもしれない、などという現実的なのか失言なのかわからない計算が頭をよぎる。
ふと父を見ると、もう準備のできた顔をして「絶対こけるなよ」と、さっきまで前のめりで死にたがっていた人が念押しをする。そんなことは言われなくても分かっているのに、そのギャップがおかしく、思わず「ええー」と笑ってしまう。母の介助を受けつつ、父は前のめりに私の背中にもたれかかる。イメージとは裏腹に想像以上に父は軽く、私はひょいと立ち上がる。ロビーにいたほかの患者や家族がこちらを見ている。好奇とも応援ともつかない笑みで、その視線につられてこちらも口角が上がってしまう。
「きみくんに、おんぶされる日が来るとはなあ」と父が言う。子どもの成長を実感するタイミングとしては、もう少しましな場面もあっただろうに、と少しだけ気の毒に思った。しかしよく考えてみれば、それも無理な話である。父は、子どもである私の仕事の様子を聞くことはあっても「ふーん」と言うのみで、名刺を渡すように求めるのが常だった。一瞥するなり「まだ主任か」と小さく呟き、「営業も一度はやってみたらいいのに」等と、若い頃の自分の話へと持っていくのがお決まりの流れである。男が息子に向ける関心は、たいてい「どんな仕事に就き、どこまで昇るか」に集約される。父もその例にもれず、その父のもとで育った私たち世代の男が自分に向ける期待もおおよそ、その範囲内に収まりがちである。その調子は、末期癌になってからも変わらなかった。子に対する歯痒さと自己顕示と心配が一緒くたの父との会話は、ミキサーにかけられて嚥下食になっても、たいして飲み込みやすくはならない。
「絶対こけるなよ」という声を、そのあと父の口から聞くことはなかったが、時々耳の奥で再生される。私が子どもをおんぶする時、その危なっかしい身体の預け方を背中に感じる度に。背中の子どもに頭ごなしの言葉を言いかけ、慌てて「ちゃんと掴んでよう」と言い直す。どうやら、昭和製の父親ソフトは、私の中にもそれなりにインストールされているらしい。
父方の祖父母の介護は、ほとんど母任せだった。おんぶの思い出も、お見舞い帰りの愚痴も、父の口からは聞いたことがない。それでも、その役割分担をおかしいと口にする人はいなかっただろう。妻が夫の親を世話するのが当たり前とされていた時代である。しかしお葬式の場となれば、末っ子の父は未練と愛情を隠すこともなく弔辞にして語りきった。その言葉は、聞く者すべての胸にそれぞれの「亡くなった父母」への郷愁を呼び起こしたのか、祖父母をよく知らない近所の人たちまで泣かせていた。その様子を見ていた母の視線の冷たさを知るのは、父が亡くなってからのことである。あのとき拍手まで起きた弔辞は、介護の実務を一手に引き受けた人間にとっては、ずいぶんと華美な薄化粧だった。
ただ、病院のロビーで一度だけ私の背中に預けられた体重だけは、弔辞で語られた愛情でもなく、介護の実務に数えられもせず、どちらの物語にも入らないまま、子どものおんぶと一緒に背中に残っている。