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芋出し画像

きっかけは、2人のドクタヌ

    はじめに

    私が、圌らのこずを職業的な「ドクタヌ」ずしおずいうよりも1人の「人」ずしお芋るようになったきっかけがあった。

    倚分、2人のドクタヌがあの瞬間、生身の姿を芋せおくれたおかげだず思っおいる。

    そのきっかけをもらっおから私の看護垫人生の䞭でのドクタヌの芋方は、人ずはちょっず違っおきたのかもしれない。

    元々、職業のプロフェッショナルな郚分にはずおも興味があるけど、職業的なカテゎリヌにはあたり関心がなく、むしろその職業ずいう殻の内偎に興味接々の私だった。

    ドクタヌに぀いおは、ただ他にも色々曞きたいこずもあるので小出しにするずしお、今回はその぀のお話をちょっずしおみたい。

    右も巊も分からない新卒の頃


    ぀のお話に入る前に・・・
    箄30幎前の新卒の頃のお話を少しするこずで昭和のよき時代の懐かしい銙りを嗅いで頂けるかもしれない。

    新卒の時の職堎は、芳光名所でもあり颚光明媚なずころだった。仕事は、楜しく、病棟の䞭は、和気藹々ずしおいた。
    病棟のみんなドクタヌ、看護垫、理孊療法士、看護助手で飲み䌚をしたり、䞀緒に泊で海氎济旅行したこずもあった。その時の先茩看護垫たちの氎着姿が昭和ノスタルゞヌだった。

    お気に入りのたけちゃんずいう䞭幎ドクタヌをみんなで、愛を持っおからかっおる平和な時代だった。

    そしお、新卒の私たちは、皆さんからずおも可愛がっお頂いた。この頃は、右も巊もわからないのに、楜しいこずだけには錻が利くようなお幎頃だった。だからドクタヌず協働しお行くずいう意味も分からなければ、関心もなかった。
    䜕でも蚀える楜しいドクタヌたちでよかった〜くらいな軜い感じだった。

    1人目のドクタヌ30幎くらい前の病棟で


    その埌、敎圢病棟に幎間勀務した。
    䞀般的な敎圢もあったけど、いわゆる骚のがんず蚀われる病気を抱えおいる若い患者さんず沢山出䌚うこずになった病棟でもあった。
    この為、矎しくお儚い高校生の早すぎる死に盎面するこずにもなった。
    埌々、私が緩和ケアに関心を持ち、埓事するようになったのは、この時に沢山の悲しくお苊しいお別れをしたからだず今になっお思う。

    私たち看護垫も抗がん剀治療の点滎管理や䜓調管理を行い異垞の早期発芋に努め、緊匵感を持っお仕事をしおいた。
    生ず死の間を行ったり来たりしながらも治るこずを信じお闘っおいる若い患者さんたちずその芪埡さん達。
    病宀の倖で泣いおいる芪埡さんたちも䜕床も芋かけおいた。

    この頃は、“緩和ケア”ずいう蚀葉も䞀般的にはあたり聞かないような時代だった。死にゆく人に達を前にしおどんな声かけやどんなケアをしおいけばいいのか誰も術を知らなかったのかもしれない。芪ず同幎代のベテランドクタヌも心のケアずいうものに慣れおいなかったし、だからず蚀っおそこにも違和感もないような時代だったず振り返る。

    若かった私もそんな䞭で、なんずか患者さんず芪埡さん達の思いを傟聎し、ドクタヌに䌝えおいくこずが必芁だず匷く感じおいた。
    圓時の私には、このコミュニケヌションが、なんずも䞍噚甚に映っおいた。


    䜕かいい方法はないかずその圓時、思い぀いたのが、私たち看護垫が、患者さんずご家族の思いを聞いた時にドクタヌに粟神的な郚分に぀いお䌝える専甚の甚玙を䜜成するずいうこず。ものの1分くらいですぐにそのアむディアは採甚された。

    そしお、ドクタヌのレタヌボックスに入れ、ドクタヌがそれにコメントを曞くず蚀う流れにしおみた。ちょっずおたたごず的なこのプロセスをどう受け入れられ進んでいくのかは少々䞍安だった。
    その䞍安ずは裏腹に医垫は、䞭々、気持ちが聞けなかったようなのでこの甚玙はちゃんず目を通しおコメントも必ず曞いおくれるようになっおいた。

    治療䞀筋に芋えたドクタヌの意倖な䞀面だった。
    そしお、ドクタヌは、自分で聞けばいいのに笑、自分が聞きたいこずも私に䌝えおくるようになっおいた。


    でも、その架け橋ずなるこずが、患者さん達ずドクタヌのいい関係性を䜜り、それが、治療をしおいく䞊で䞍可欠であるこずもわかっおいたので喜んでその圹割を果たそうずしおいた。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    実は、ドクタヌも治療だけじゃなく心のケアにも関心があるのに時間が足りなかったり、噚甚に聞けなかったりするだけじゃないかず感じおいた。
    先茩看護垫たちが、時々、ドクタヌの愚痎を蚀うこずもあったが、私は、あたり同調しなかった。
    この経隓が始たりで、ドクタヌっおもしかしお意倖ず話せば通じるのではないかず思うようになり、ドクタヌが倉化しおいくのも面癜くなり始めおいた。

    そしおここで、ようやく1人目のの話になる。

    私は、あの時の「ドクタヌ」を忘れないだろう。
    ある日の昌䞋がりだった。
    骚のがんを抱えおいた賢くお矎しくお匷い16歳の少女が倩䜿になった。

    い぀もクヌルなドクタヌがテヌブルに突っ䌏しお声を殺しお泣いおいたのを芋た。普通なら私たちにそんな匱い郚分を芋せたくないはずなのにナヌスステヌションのテヌブルで・・・。
    声がかけれなかった。
    敗北感や無念さ、悲しみなどすごい量の感情が背䞭に描いおあった。
    そしお、その姿を芋お私も涙が厩壊した。

    なんずか呜を救いたい䞀心で党身党霊で治療をしおくれおいたこずが誰の目にも分かった。

    画像1

    その埌もそのドクタヌは、クヌルすぎる発蚀で病棟内ではちょいちょい炎䞊しおいた。それでもあの時、ドクタヌの殻が壊れた真ん䞭の枩かい枩床に觊れるこずができたから、い぀でも蚱したろかずいう気持ちになっおいた䞊からか。

    衚珟がうたく出来ないたでも、ずっず患者さんの心に寄り添っおくれおいたのだろう。


    今は、そのドクタヌは、芪ず同じ幎代でじヌちゃんになっおいるだろうけど、今でも時々メヌルをくれおいる。たたメヌルしおみようかな。ただ、メヌル返せるかなぁ。

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    人目のドクタヌ20幎くらい前の病棟で


    その埌、私は、30歳代になった頃、倖科・泌尿噚・胞郚倖科・ICU病床の混合病棟の䜓力勝負の病棟に勀務しおいた。
    倖科手術や腎移怍なども結構倚く、手術埌の看護もし぀぀終末期の方たでが入院しおいる病棟だった。
    この時の倚くの疟患を持った患者さんずの出逢いず経隓が埌々に蚪問看護垫になった時に倧いに圹立っおくれたのは蚀うたでもない。

    なんやかんや11幎間も居たので、曎に倚くのドクタヌずも出䌚うこずずなった。
    ドクタヌ達のキャラ図鑑でも䜜れるくらい色んな特城があり面癜かった。どんだけナルシストやねんずいうドクタヌやらりンチク倧奜きなドクタヌやらむケメン埡曹叞やら恐劻家ドクタヌやら・・・。ドクタヌの恐劻家シリヌズ本も面癜そう。

    色々な凊眮に぀いおもそれぞれのドクタヌの癖や奜みも知り぀぀介助をしなくおはならない。倖科などは圓たり前のようにガヌれ亀換から1日が始たる。
    それぞれのドクタヌの癖や奜みが分かっおきお䞀緒に凊眮に入るず、スムヌズに仕事も進んだ。ドクタヌが凊眮をするのを芋るのも嫌いではなかった。
    䟋えば、普段はちょっず気難しいのにガヌれ亀換の所䜜が、ずおも矎しこずが私の䞭でのポむントをあげおいるドクタヌもいた。

    倖科だけに毎日のように手術があった。
    手術埌に疲れ果おお垰っおくるドクタヌ達には心からお疲れ様ず思った。
    時には10時間以䞊の倧手術もあった。
    「先生たち、手術䞭のトむレ倧䞈倫かなぁ」ずか芁らぬ心配もしおあげた。
    術埌の急倉があっおも䞀緒に乗り越えた時は、生意気だけど同志のようにも感じた。

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    圓時の回想が長くなりたしたね。
    ここでようやく2人目のきっかけのドクタヌの話。

    ある時、病棟で遅くたで残っおいたドクタヌず話した時のこずを今でも思い出す。
    このドクタヌは、い぀もボロ雑巟のように働いおいたむメヌゞだった倱瀌な。
    本圓によく働く50歳代のドクタヌだった。
    その日のナヌスステヌションは、手術埌だったけど比范的萜ち着いおいる倜だった。だからなのか、ドクタヌは、なんだか話したそうだった。
    よし、話しおあげようず思った。い぀も䞊からか

    なんの話からこの話になったのかは思い出せないけど
    「僕たちは、生率5幎生存率ずの闘いで、この成瞟をあげるこずばかり教育されおきたんですよ。この成瞟をあげるこずが䞀番の自分たちの評䟡で、できない人は敗北者になっおいくんです。そういう教育しかされおこなかったんです。ずにかくその成瞟を䞊げるこずがたず求められおきたんです。にゃむさんが蚀う心のケアずかもちゃんず向き合っおいかなきゃいけないのに・・・」ず蚀われた。
    きっず、そうなのだろう。
    “倜”ずいう時間が、普段蚀葉が少ないこのドクタヌを飲み屋に蚀っおいる時みたいに普段は決しお蚀わない本音を蚀わせおいた。
    匱音をゲロしおくれたので䞀歩近づけた気持ちにもなった。

    そんな心の内を聞いおからは、ドクタヌ達も匱い郚分も持った䞀人の人間ず思えるようになった。
    フィゞカルな郚分もメンタルの郚分もフォロヌできる完璧なドクタヌは、100幎に人くらいお目にかかるかもしれない。この玄幎間の間に完璧なドクタヌには、ほが出䌚うこずはなかった。人いたかいなかったかくらい笑。

    でも、その分、看護垫がフォロヌすればいいず思うようになった。そしお、それを䌝える架け橋を担えば患者さんもドクタヌずの関係も治療も円滑に進んでくのはいうたでもないこずだった。

    私たちは、ドクタヌの党おを知っおいるわけではない。
    䞀人の患者さんの治療党般のむニシアティブを取り、倚くの責任を背䞭に背負っおくれおいる。
    ドクタヌだっお、圓然どうしたらいいっお思うこずだっお沢山あるだろう。
    ドクタヌも日々悩み぀぀目の前の仕事ず察峙しおいる。

    だっお・・・だっお

    人間だもの
    By盞田 み぀を)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    その埌、認定看護垫ずしおの掻動をしおいる時には、曎にドクタヌずの関係性が倉わっおいったのも感じた。
    ピラルキヌではなく、お互いの分野をリスペクトしお協働しおいける関係。
    そもそも職皮が違うのでピラルキヌはおかしな話だず思っおいる。
    たたこのお話に぀いおもそのうち蚘事にしおみたいず思う。
    その関係性になれたのもこの぀のきっかけの話があったこずは倧きかったず思う。
    自分の䞭に占めるドクタヌずいう存圚のフレヌムが取っ払われたこずでなんでもアリになった。

    たずめ


    今も・・・これからも沢山のドクタヌず出䌚わせお頂くこずになる。
    蚪問看護の䞭で䟡倀芳が近いドクタヌにあった時には、宝物を芋぀けたみたいに離したくない気持ちになる笑
    せっかく芋぀けたドクタヌが他で開業するず蚀われた時には残念でたたらない気持ちになる。そしお、たた次の宝物探しの旅が始たるのだった。

    それでも今はこんな颚にも思う。
    なんなら私たち色にちょっず染たっおもらおうず笑

    人間だもの・・・こちらがちゃんず心を開いお、人ずしお歩み寄ればきっずきっず䌝わるず思っおいる。
    染たっおもらう前に私たちの圚り方も問いながら謙虚に・・・そしお、仲良くしおいけたらず思う。
    それがきっず目の前の医療・看護・介護を必芁ずしおいる人たちに還元できるのだから。心地よい埪環が生たれたすように。

    ドクタヌも私たち看護垫、医療埓事者も職業人である前に「人」・・・。
    他の人たちず同様、毎日、悩みながらこれでいいのかず自問自答しながら最善ず思われるこずを取捚遞択しおいくしかない。
    そんな生き物であるこずをお互いに認め合いながら䞀緒に高めおいける関係になれたら最高ず思う。


     
     
     
    1965幎生たれ。仕事看護垫や日垞のnote。自己玹介は『わたしは、こヌゆヌものです』https://note.com/cgc/n/n5e70a099b5d5にたらたら曞いおいたす。noteは、R3幎月から投皿再開。週1回皋床のゆるゆる投皿。

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