小さな謎からはじまった時間旅行
ポストクロッシングという「世界中の知らない誰かとポストカードを送りあう趣味」を始めた頃、もう一つ新しい世界に出会いました。マキシマムカード―ポストカードの絵柄・切手・消印の3つをそろえる、ちょっとマニアック?なカード作りです。絵柄をそろえるためにはとにかく切手の種類が必要。現行品だけではなく古い切手がほしくなり、時折切手フェアに行きます。
切手フェアへ
切手フェアはあまりにも知らない世界だったので、最初はハードルを高く感じました。勇気を出して会場のビル、そしてフロアまでは行ったものの、中の様子がわからなくてしばらく廊下で右往左往して尻込み…という状態だったのですが、意を決して実際に入ってみたら初心者にも親切にしてくださる方が多く、ホッとしました。と言いつつ、今でもフェアの会場では心の中で「えーい!」と掛け声をしないと入れないのですが。
わたしが買うのは「額面通りの未使用日本切手」。つまり、発行された後どなたかが使わずに所蔵していたものが、切手に書かれている金額通りで売られている状態の切手です。
古い切手は額面通り
古い切手ってそれだけで価値があるのかな、と思っていたのですが現状そうではありません。昔は切手収集を趣味としていた方が多かったので、古い未使用切手は日本全国大量にあるようなのです。そして、昨今では切手収集を趣味としている人口が激減したし、そもそも物理的な郵便を送る機会も減ったので切手自体の必要性も薄れた。
ということで、古い切手でも当時の発行金額通りで普通に変えます。
余談ですが。ある切手屋さんに買い取り希望で持ち込まれたお客さんと店主さんの会話が聞こえてきたことがあります。切手の買取金額はごく貴重なものを除けば額面の4-5割。切手屋さんが買い取っても、なかなか売れないのでどうしてもこのくらいの金額になってしまう。だから、ゆうパックなどに使うのが一番いいですよ、ということでした。(責任がとれないので、本当に切手を売りたい場合はお店で確認してください!あくまで個人の体験談です)
古い切手って、見ているだけで当時の時代背景が感じられて非常に面白いのです。それが価値がないと言われると切ないのですが、おかげでわたしは額面通りで買えているわけで…。なんだか複雑な思いです。
切手を買いまくる
閑話休題。
切手イベントでの「額面通りの未使用日本切手」の購入方法ですが、そのようにラベルが貼られたストックブック(切手収集のためのフォルダのようなもの)にジャンルや時代などバラバラに切手が入っているので、好きなものを自分でピンセットで抜き出してトレイに載せてください…という方式が一般的なようです。
その日もわたしは「なんだかきれいなもの」「葉書や手紙に貼ったら喜ばれそうなもの」「ピンときたもの」という、あるようなないような基準で、気になったものを片っ端からトレイに入れていきました。
「7円!10円!やっすーい!一期一会だから気になったら買っておこ!」
とりあえず買って、じっくり見たり整理するのは帰宅してからです。
帰宅後におやっ?
帰宅後に金額で分けていくと、今日買った10円切手には花モチーフが多いことに気付きました。切手に花、ということ自体は全然珍しくありません。花は誰からも好まれるためか、花の絵の付いた切手はしょっちゅう、ひょっとしたら一番多くつかわれるモチーフかもしれません。
でも、その日の10円花切手は、10という数字の入り方や個性的なフォント、一色だけのシンプルな背景に花を強調した感じが普通の切手と違う感じがして、シリーズ性を感じました。イベント会場ではいかに膨大な数の切手から気になったものを見つけるかという点と、会場の熱気で、頭がぼーっとして気付きませんでしたが、非常に魅力的なデザインです。シンプルが故に心惹かれる。
気になって花切手だけを集めると、全部で12種類ありました。

12種類の花。12イコール12ヶ月?
毎月異なる花モチーフで発行。それが12ヶ月、1年間。
…!!
わたし、この切手知ってる…。
今日初めて見たけど、知ってる…。
不思議な感覚でした。
この切手を今日初めて見たことは間違いない。デザインに既視感を全く覚えませんでした。でも「この切手を知っている」という確信に近い感触があります。理由はわかりませんが頭が「知ってる知ってる!」と叫んでいます。
知らないはずなのに知っているって、どういうことだろう…。
しばし考えました。考えに考えました。
ああっ!!ひょっとして!!
わかったぞ!
本棚に走りました。探しているのは北村薫さんの『リセット』(新潮社)です。
急いで該当箇所を求めて、ページをめくりました。
きっとこれだ…。

『リセット』は北村薫さんの<時と人>シリーズの三冊目。第一部の主人公は昭和10年代に暮らす、女学生真澄。第二部の主人公は和彦という中年男性。日記を見ながら自分が小学生だった昭和30年代を振り返ります。
この第二部の中で、和彦少年が偶然知り合った近所に住む出版社勤務の女性に切手を買ってほしいと頼まれるシーンがあるのです。
昨日の朝刊だ。《来年、花の特別切手が売り出される》と書いてある。
「ひと月に一回、一年かけて十二枚出る。月ごとに違う花を貼って出す―なんて、いいでしょう」
「はあ」
「お金を渡すから、買っておいてくれる?」
切手イベントで見つけた花柄の10円切手は、和彦少年が毎月「おばさん」のために買った切手なのでは。
わたしはこの『リセット』という本がもう大好きで、大好きで。何度も読み返すうちに、いつの間にかこの切手の絵柄を脳内でイメージしていたのでは。そのため、初めて見たのに知っていると思ったのでは。
仮説検証
インターネットのない時代だったら、この推理を検証するためには図書館に行って、切手カタログで昭和30年代に発行された切手を探して…ということになったのでしょうが、ここまでわかったら後は簡単です。作者の北村薫さんと和彦は同年齢という設定だったので、北村さんの年齢から花の切手が発行された年は1961年と推測。「1961年発行 記念切手 花」で検索すると。あっけないくらいあっさりと、わたしの手元にある花切手と同じ画像が現れました。

花切手の第一回をかって来た。なくなっていたら、どうしようと、ちょっと、ドキドキした。(中略)
切手。―すいせん。紫のはいけいに、白い花。
やはり、この10円花切手は1961年発行されたもの。そして、和彦少年が「おばさん」のため、自分のため、一生懸命毎月郵便局で購入していたものでした。
時を超えて
「日常の謎」が解けて満足するのと同時に、ノスタルジアなのか感慨なのか、なんとも言えない温かい気持ちに包まれました。
わたしが生まれる前に発行された切手がこんなにきれいな状態で、今わたしの手元にある。小説の中の小道具だった切手が、現実のものとして今わたしの目の前にある。
北村薫さんがペンネームを持ち、大作家になるずっと前。小学生の和男少年だった頃に、同じ切手に胸をときめかせていた。
時間を超えて、小説の二次元から三次元の現実へと世界を超えて、何かがつながった感じがしました。
『リセット』を含む<時と人>シリーズは、その名の通り時間をテーマとしています。『リセット』の文庫化は2003年なので、初読からもう20年以上が経ちました。
かつてとても親しくしていた、大切な友達と偶然再会。お互い嬉しくなり、お茶をしながらゆっくりと昔のことを懐かしく語り合った。思いがけない偶然に感謝しながら。―そんな気持ちになりました。
小さなミステリーから始まった、ちょっとした時間旅行でした。

