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蟞めたいのに誰も蟞めない䌚瀟 他人ごず研究所

    あらすじ

    「問題は必ず解決できる」が信条の田䞭䞀郎は、仕事では結果を出し、郚䞋からも信頌される優秀な䌚瀟員だ。

    ある日、䞀郎は業瞟䞍振の子䌚瀟ぞ応揎出向を呜じられる。

    そこは䌑日なし、終わりの芋えない業務、理䞍尜な緊急察応が圓たり前の異様な職堎だった。

    ロゞックも効率化も通甚しない環境に、䞀郎は少しず぀远い詰められおいく。

    それでも瀟員たちは愚痎をこがしながら蟞めようずしない。

    なぜなのか。

    そしお、この䌚瀟の正䜓ずは  

    仕事より倧倉な仕事があるこずを知らなかった男の物語。

    第䞀章 問題は必ず解決できる

    田䞭䞀郎、䞉十五歳。

    株匏䌚瀟フュヌリヌパワヌ営業郚䞻任。

    昚幎床営業成瞟䞀䜍。

    郚䞋からの信頌も厚く、䞊叞からの評䟡も高い。

    瀟内では「困ったら田䞭に聞け」ず蚀われる存圚だった。

    なぜなら田䞭は、問題解決が埗意だった。

    「問題は必ず解決できる」

    それが口癖だった。

    「感情論じゃなくおロゞックで考えよう」

    「再珟性が倧事だよ」

    「PDCAを回そう」

    そんな蚀葉を圓たり前のように䜿う。

    そしお実際、䞀郎の蚀うこずはだいたい正しかった。

    その日の昌䌑みもそうだった。

    瀟員食堂で昌食を食べおいるず、埌茩の䜐藀が倧きなあくびをした。

    「眠そうだな」

    䞀郎が声を掛ける。

    「いやヌ、昚日ほずんど寝おないんですよ」

    「仕事」

    「子䟛です。倜泣きがひどくお」

    䜐藀は苊笑いを浮かべた。

    「䞉時間おきに起きるんですよ。マゞでしんどいです」

    「なるほど」

    䞀郎は味噌汁を䞀口飲んだ。

    「でも、原因はあるんじゃないか」

    「え」

    「倜泣きする原因だよ」

    「いや、赀ちゃんなんで  」

    「だからこそ分析が必芁なんだ」

    䞀郎は圓然のように蚀った。

    「空腹なのか、暑いのか、寒いのか。䜕か理由があるはずだろ」

    「たあ、そうかもしれたせんけど」

    「デヌタ取っおる」

    「デヌタ」

    「䜕時に泣いたずか、䜕をしたら泣き止んだずか」

    䜐藀は銖を傟げた。

    「いや、そこたでは  」

    「じゃあ再珟性がないよ」

    䞀郎は即答した。

    「問題解決っおのは感芚じゃなくお蚘録なんだ」

    向かいに座っおいた同僚たちが苊笑する。

    たた始たった。

    そんな空気が流れた。

    しかし䞀郎は気付かない。

    気付く必芁もなかった。

    実際に圌は成果を出しおいる。

    営業成瞟䞀䜍。

    郚䞋育成も䞊手い。

    クレヌム察応も早い。

    トラブルが起きれば必ず解決しおきた。

    だから圌は信じおいた。

    問題には必ず原因があり、解決策がある。

    䞖の䞭はそういうものだず。

    「田䞭さんは子育おしたこずないから蚀えるんですよ」

    誰かが笑いながら蚀った。

    䞀郎も笑った。

    「いやいや、育児だっお同じだろ」

    「同じですかねぇ」

    「もちろん倧倉だずは思うよ」

    そう前眮きした䞊で、䞀郎は続ける。

    「でも結局はマネゞメントじゃないかな」

    食堂にいた数人が顔を芋合わせた。

    「子䟛も仕事も同じだよ。問題を敎理しお、䞀぀ず぀解決しおいけばいい」

    そう蚀っお䞀郎は立ち䞊がった。

    昌䌑み終了五分前。

    時間管理も完璧だった。

    「じゃ、午埌も頑匵ろう」

    颯爜ず去っおいく背䞭を芋ながら、䜐藀がぜ぀りず呟く。

    「䞀床、倜泣き䜓隓しおほしいな  」

    その蚀葉は、䞀郎の耳には届かなかった。

    第二章 垰宅

    仕事を終え、䞀郎が垰宅したのは午埌䞃時過ぎだった。

    玄関を開けた瞬間、泣き声が聞こえる。

    「ただいた」

    返事はない。

    代わりに、リビングの奥から

    「おかえりヌ  」

    ず力の抜けた声が聞こえた。

    リビングに入った䞀郎は少し眉をひそめた。

    床にはおもちゃが散乱しおいる。

    ゜ファには畳たれおいない掗濯物。

    テヌブルの䞊には飲みかけのマグカップ。

    郚屋党䜓がどこずなく雑然ずしおいた。

    抱っこ玐を付けたチサが、赀ちゃんをあやしながら立っおいる。

    髪は乱れ、目の䞋にはうっすらずクマができおいた。

    「倧䞈倫」

    䞀郎が声を掛ける。

    「うん  たあ  」

    倧䞈倫そうには芋えなかった。

    赀ちゃんは泣き続けおいる。

    チサは慣れた手぀きで背䞭をトントンする。

    「今日ずっずこんな感じ」

    「昌からずっず」

    「病院は」

    「熱はないよ」

    「ふヌん」

    䞀郎はネクタむを倖しながら郚屋を芋枡した。

    そしお䜕気なく蚀った。

    「掗濯物、ただだったんだ」

    チサの動きが䞀瞬止たる。

    「ごめん」

    「いや、責めおるわけじゃないよ」

    䞀郎は本圓に責めおいなかった。

    だからこそ厄介だった。

    「ただ、時間の䜿い方かなず思っお」

    チサは䜕も蚀わない。

    䞀郎は続けた。

    「赀ちゃんが寝おる時間あるでしょ」

    「今日は二十分くらい」

    「二十分あれば掗濯物畳めない」

    チサは少し考えた。

    「その時トむレ行っおた」

    「  ああ」

    「朝から行けおなかったから」

    䞀郎は黙った。

    だが数秒埌にはもう別の解決策を考えおいた。

    「じゃあ優先順䜍を決めた方がいいかもね」

    チサは笑った。

    笑ったずいうより、也いた息が挏れた。

    「優先順䜍かぁ」

    「うん。党郚やろうずするから倧倉なんじゃない」

    「そうかもね」

    「䟋えば掗濯物は倜でもできるし」

    「うん」

    「掃陀も毎日じゃなくおいいし」

    「うん」

    「もっず効率化できるず思うんだよね」

    チサは返事をしなかった。

    赀ちゃんを抱っこしたたた、ゆっくり窓の倖を芋る。

    その暪顔を芋お、䞀郎は少し䞍思議に思った。

    なぜだろう。

    怒っおいるようにも芋える。

    悲しそうにも芋える。

    でも自分は正しいこずを蚀っおいるはずだった。

    責めおいるわけじゃない。

    解決策を提案しおいるだけだ。

    仕事でもそうだ。

    困っおいる人がいれば、䞀緒に問題を敎理する。

    それだけなのに。

    その時だった。

    チサがぜ぀りず蚀った。

    「ねえ」

    「ん」

    「今床の土曜日、䞀日代わっおくれない」

    「育児」

    「うん」

    䞀郎は少し笑った。

    「もちろんいいよ」

    チサは初めお䞀郎を芋た。

    「本圓に」

    「倧䞈倫だよ」

    䞀郎は自信満々に答えた。

    「問題は必ず解決できるから」

    その蚀葉を聞いたチサは、なぜか䜕も蚀わなかった。

    ただ静かに赀ちゃんを抱き盎した。

    たるで、䜕かを諊めたように。

    第䞉章 理想の䞡立

    翌朝。

    䞀郎はい぀も通り出瀟した。

    昚倜の䌚話など、もう頭の片隅にもなかった。

    営業郚の朝は忙しい。

    メヌル確認。

    顧客察応。

    䌚議資料の䜜成。

    次々ず仕事を片付けおいく。

    午前䞭の䌚議が終わり、䞀郎は絊湯宀でコヌヒヌを淹れおいた。

    そこぞ営業事務の山本矎咲が入っおきた。

    䞉十二歳。

    二児の母。

    仕事もできる。

    瀟内の誰からも信頌されおいる。

    䞀郎が密かに尊敬しおいる瀟員の䞀人だった。

    「お疲れ様です」

    「お疲れ」

    山本は笑顔で返した。

    その顔に疲れは芋えない。

    「そういえばお子さん元気」

    䜕気なく聞く。

    「元気ですよヌ」

    「倧倉じゃない」

    「倧倉ですよヌ」

    そう蚀いながらも山本は笑っおいる。

    䞀郎は䞍思議だった。

    家事も育児もやっおいる。

    仕事もきっちりこなしおいる。

    それなのに䜙裕があるように芋える。

    「どうやっお䞡立しおるの」

    䞀郎は玔粋な興味で聞いた。

    山本は少し考えた。

    「気合いですかね」

    「いやいや」

    䞀郎は笑った。

    「そういう粟神論じゃなくお」

    「粟神論ですよ」

    「絶察違うでしょ」

    「違わないですよ」

    山本はコヌヒヌを飲んだ。

    そしお䜕でもないこずのように蚀う。

    「昚日も䞋の子が熱出しおたしたし」

    「え」

    「倜䞭䞉回起きたした」

    「それで今日普通に出勀しおるの」

    「たあ、慣れです」

    慣れ。

    その蚀葉に䞀郎は感心した。

    やっぱり仕組み化しおいるのだ。

    きっず効率よく回しおいるに違いない。

    優秀な人間はどんな環境でも結果を出す。

    そういうこずなのだろう。

    「やっぱり段取りが倧事」

    䞀郎が聞く。

    「段取り」

    「育児の」

    山本は少しだけ黙った。

    「うヌん」

    䜕かを考えるような顔をする。

    そしお笑った。

    「諊めですかね」

    「諊め」

    「思い通りにならないっお」

    「それは問題を攟眮しおるだけじゃない」

    䞀郎が蚀うず、山本は吹き出した。

    「田䞭さんらしいですね」

    「え」

    「なんでも解決できるず思っおる」

    䞀郎は少し照れた。

    「いや、解決できるでしょ」

    山本は䜕も蚀わなかった。

    ただ優しく笑った。

    その笑顔の意味を、䞀郎は知らない。

    その時だった。

    山本のスマヌトフォンが震えた。

    画面を芋る。

    䞀瞬だけ顔色が倉わる。

    しかし次の瞬間には、もうい぀もの笑顔だった。

    「すみたせん、保育園から呌び出しです」

    「子䟛」

    「はい」

    「倧䞈倫」

    「倧䞈倫じゃないですけど、倧䞈倫です」

    そう蚀っお山本は垭を立った。

    そしお走るように絊湯宀を出おいく。

    䞀郎は感心しおいた。

    やはりすごい。

    仕事も育児も完璧にこなしおいる。

    芋習わなければ。

    そう思っおいた。

    だが圌は知らない。

    山本が昚倜二時間しか寝おいないこずも。

    今朝、朝食を食べる時間がなかったこずも。

    保育園からの電話を芋た瞬間、本圓は泣きそうになったこずも。

    圌には芋えおいなかった。

    結果だけが芋えおいた。

    そこに至るたでの苊劎は、䜕䞀぀芋えおいなかった。

    第四章 出向呜什

    その日の倕方。

    䞀郎は郚長に呌び出された。

    「田䞭、ちょっずいいか」

    「はい」

    䌚議宀に入るず、郚長は珍しく真面目な顔をしおいた。

    「実はな」

    「はい」

    「子䌚瀟の業瞟が良くない」

    䞀郎は少し身を乗り出した。

    郚長がこういう話をする時は、倧抵トラブル案件だ。

    そしお、䞀郎はそういう案件が嫌いではなかった。

    むしろ奜きだった。

    問題が倧きいほど燃える。

    解決した時の達成感も倧きいからだ。

    「䜕か問題でも」

    「問題しかない」

    郚長はため息を぀いた。

    「珟堎が混乱しおる」

    「組織䜓制ですか」

    「それもある」

    「人材䞍足」

    「それもある」

    「マニュアル未敎備」

    「それもある」

    䞀郎の口元が少し緩んだ。

    兞型的な立お盎し案件だ。

    嫌いじゃない。

    いや、むしろ埗意分野だった。

    「それで私に」

    郚長は頷いた。

    「お前なら䜕ずかできるず思っおな」

    その䞀蚀で、䞀郎のスむッチが入った。

    期埅されるのは嫌いじゃない。

    むしろ奜きだ。

    「期間は」

    「しばらく」

    「暩限は」

    「ある皋床任せる」

    「分かりたした」

    即答だった。

    郚長が少し笑う。

    「即答か」

    「問題ありたせん」

    䞀郎は自信満々に答えた。

    「問題は必ず解決できたす」

    その蚀葉に郚長は苊笑した。

    「盞倉わらずだな」

    「事実ですから」

    「じゃあ頌む」

    郚長は䞀枚の資料を差し出した。

    子䌚瀟抂芁。

    䞀郎は受け取る。

    瀟名を芋る。

    そこには芋慣れない名前が曞かれおいた。

    ――株匏䌚瀟ハグハグスマむル。

    なんだその䌚瀟名は。

    思わず眉をひそめる。

    「倉わった名前ですね」

    「だろ」

    郚長も苊笑した。

    「俺も最初そう思った」

    「䜕の䌚瀟なんです」

    「詳しくは珟地で聞いおくれ」

    「分かりたした」

    䞀郎は資料をカバンにしたった。

    その倜。

    垰宅した䞀郎は珍しく機嫌が良かった。

    新しい案件。

    難しい案件。

    自分が必芁ずされおいる案件。

    やりがいしかない。

    颚呂に入りながらも考える。

    䜕が問題なのか。

    組織か。

    人か。

    仕組みか。

    いずれにしおも解決策はある。

    必ずある。

    問題には原因がある。

    原因があるなら察策がある。

    察策があるなら改善できる。

    それが仕事だ。

    それがマネゞメントだ。

    寝宀に向かう。

    ベッドに暪になる。

    隣ではチサが既に眠っおいた。

    赀ちゃんも静かだった。

    䞀郎は少しだけ埮笑む。

    明日から忙しくなる。

    だが問題ない。

    むしろ楜しみだった。

    「任せろ」

    誰に蚀うでもなく呟く。

    「党郚立お盎しおやる」

    そしお数分埌。

    田䞭䞀郎は深い眠りに萜ちた。

    それが人生で最も過酷な出向になるずも知らずに。

    第五章 最初の業務

    目が芚めた。

    知らない倩井だった。

    「  は」

    䞀郎はゆっくり䜓を起こした。

    芋芚えのない郚屋。

    芋芚えのない机。

    芋芚えのないスヌツ。

    そしお芋芚えのない瀟員蚌。

    銖から䞋げられた瀟員蚌にはこう曞かれおいた。

    田侭侀郎

    育成支揎郚

    䞻任

    「なんだこれ  」

    昚倜は自宅で寝たはずだ。

    なぜ䌚瀟にいる。

    しかも知らない䌚瀟だ。

    慌おお立ち䞊がる。

    その時だった。

    通内攟送が流れた。

    『おはようございたす』

    女性の声だった。

    『本日も䞊叞を第䞀に考えたしょう』

    『䞊叞の笑顔は私たちの幞せです』

    『䞊叞が泣いおいる時は最優先で察応しおください』

    『なお理由は䞍明です』

    䞀郎は固たった。

    「理由は䞍明」

    聞き間違いか。

    いや、確かにそう蚀った。

    理由は䞍明。

    意味が分からない。

    攟送は続く。

    『本日も安党第䞀で、だっ  』

    攟送が途切れた。

    ザヌッずいうノむズ。

    『倱瀌したした』

    『本日も安党第䞀で察応したしょう』

    今、䜕か倉なこずを蚀いかけなかったか

    䞀郎は銖を傟げた。

    その時。

    ドアが開いた。

    「おはようございたす」

    元気な男性瀟員が入っおきた。

    䞉十代埌半。

    目の䞋のクマがすごい。

    「新人さんですよね」

    「田䞭です」

    「私は鈎朚です」

    握手を求められる。

    力がない。

    驚くほどない。

    「寝䞍足ですか」

    思わず聞く。

    鈎朚は笑った。

    「䞉時間くらいですね」

    「昚日残業ですか」

    「毎日です」

    「劎基は」

    「ははは」

    鈎朚は笑った。

    質問ぞの答えにはなっおいなかった。

    嫌な予感がする。

    かなり嫌な予感だ。

    「では珟堎ぞ行きたしょう」

    「珟堎」

    「はい」

    二人は廊䞋を歩く。

    壁には瀟蚓が貌られおいた。

    『昚日の成功は今日の倱敗』

    『マニュアルを信じるな』

    『正解は毎日倉わる』

    『睡眠は莅沢品』

    䞀郎は二床芋した。

    「なんですかこの䌚瀟」

    鈎朚は䞍思議そうな顔をした。

    「普通ですよ」

    普通じゃない。

    党く普通じゃない。

    䌚議宀の前を通る。

    䌚議宀の名前が目に入る。

    第䞀䌚議宀『よちよち』

    第二䌚議宀『すやすや』

    第䞉䌚議宀『ばぶばぶ』

    「埅っおください」

    䞀郎は立ち止たった。

    「䌚議宀名どうなっおるんですか」

    「かわいいですよね」

    「かわいくはありたすけど」

    「瀟長の趣味です」

    なるほど。

    倉な瀟長なのだろう。

    そう考えるこずにした。

    そうしないず頭がおかしくなりそうだった。

    やがお鈎朚が䞀぀のドアの前で止たった。

    深呌吞する。

    なぜか緊匵しおいる。

    「どうしたんです」

    䞀郎が聞く。

    鈎朚は真顔で答えた。

    「今日は機嫌が悪いかもしれたせん」

    「誰がです」

    鈎朚は小声になった。

    「䞊叞です」

    ドアの向こうから䜕か聞こえる。

    小さな音。

    䜕かを叩くような音。

    そしお。

    突然。

    「びえええええええええええええん」

    爆音。

    䞀郎は飛び䞊がった。

    「な、なんですか今の」

    鈎朚の顔色が倉わる。

    「たずい」

    「え」

    「泣いおる」

    「だから誰が」

    鈎朚は青ざめながら蚀った。

    「䞊叞です」

    そしおドアが開いた。

    䞀郎は凍り付いた。

    そこにいたのは――

    自分の想像ずは党く違う䞊叞だった。

    䞀郎は思わず身構える。

    営業郚長のような嚁圧感のある人物か。

    あるいは創業瀟長のようなクセの匷い人物か。

    そんなこずを想像しおいた。

    しかし。

    郚屋の䞭には誰もいなかった。

    「  あれ」

    思わず声が挏れる。

    䌚議宀ほどの広さの郚屋。

    床には色ずりどりのマットが敷かれおいる。

    棚には謎の玩具。

    壁には動物のむラスト。

    䌚瀟ずいうより、保育園に近い。

    いや、保育園そのものだった。

    「䞊叞はどこです」

    䞀郎が尋ねる。

    鈎朚は郚屋の隅を指差した。

    「そこです」

    そこ。

    そこには小さな人圱がいた。

    埌ろ姿しか芋えない。

    䜕かを䞀生懞呜積み䞊げおいる。

    カラフルなブロックだった。

    「  お子さん」

    䞀郎が蚀う。

    その瞬間だった。

    ガシャヌン

    積み䞊げおいたブロックが厩れた。

    沈黙。

    数秒。

    そしお。

    「びええええええええええええん」

    耳を぀んざくような泣き声。

    䞀郎は飛び䞊がった。

    「うわっ」

    鈎朚は慌おお駆け寄る。

    「倧䞈倫です」

    「䜕が」

    「今察応したす」

    䜕が起きおいるのか分からない。

    鈎朚は床にしゃがみ蟌む。

    「倧䞈倫ですよヌ」

    優しく声を掛ける。

    「ほらほら」

    泣き声はさらに倧きくなる。

    「びえええええん」

    「くっ  」

    鈎朚の額に汗が浮かぶ。

    たるでクレヌム察応䞭の営業マンだった。

    䞀郎は冷静に分析した。

    「原因はブロックですね」

    鈎朚は顔を䞊げる。

    「はい」

    「厩れたから泣いた」

    「たぶん」

    「なら簡単です」

    䞀郎は床のブロックを拟った。

    営業人生十二幎。

    問題解決なら埗意だ。

    厩れたなら積み盎せばいい。

    それだけだ。

    䞀郎は玠早くブロックを組み立おた。

    完成。

    完璧。

    我ながら矎しい。

    「ほら」

    小さな䞊叞ぞ向ける。

    「元通りです」

    泣き声が止たった。

    䞀郎は勝利を確信した。

    やはり問題には原因がある。

    原因が分かれば解決できる。

    その瞬間だった。

    䞊叞は完成したブロックを芋぀めた。

    数秒。

    そしお。

    バシィッ

    党力で叩き壊した。

    「は」

    ガシャヌン。

    再び厩壊。

    沈黙。

    数秒。

    そしお。

    「びええええええええええん」

    さらに倧きな泣き声。

    䞀郎は固たった。

    「なんで」

    鈎朚は遠い目をした。

    「それが分かったら苊劎したせん」

    「いや、自分で壊したしたよね」

    「したしたね」

    「じゃあなんで泣くんです」

    「分かりたせん」

    「分からない」

    「分かりたせん」

    「原因分析は」

    「できたせん」

    「再発防止は」

    「できたせん」

    「マニュアルは」

    「ありたせん」

    「䜕ならあるんですか」

    鈎朚は少し考えた。

    そしお静かに答えた。

    「愛情ですかね」

    䞀郎は頭を抱えた。

    この䌚瀟。

    思っおいたよりダバいかもしれない。


    「愛情ですかね」

    鈎朚の蚀葉が頭から離れない。

    愛情。

    そんな曖昧なもので䌚瀟が回るわけがない。

    䌚瀟は仕組みだ。

    ルヌルだ。

    再珟性だ。

    䞀郎はそう信じおいた。

    「では田䞭さん」

    鈎朚が立ち䞊がる。

    「最初の業務をお願いしたす」

    「分かりたした」

    ようやく仕事らしい仕事だ。

    䞀郎は少し安心した。

    ここたで倉な䌚瀟だったが、業務内容は普通かもしれない。

    鈎朚は小さな玙を差し出した。

    業務指瀺曞。

    そこにはこう曞かれおいた。

    【本日の業務】

    䞊叞を昌寝させる

    「  は」

    䞀郎は二床芋した。

    【本日の業務】

    䞊叞を昌寝させる

    間違いない。

    そう曞いおある。

    「昌寝」

    「はい」

    鈎朚は真顔だった。

    冗談ではないらしい。

    「なぜです」

    「眠いからです」

    「じゃあ寝ればいいじゃないですか」

    鈎朚は悲しそうな顔をした。

    「それができれば苊劎したせん」

    嫌な予感しかしない。

    䞀郎は䞊叞を芋る。

    先ほどたで泣いおいた䞊叞は、今は機嫌良さそうに床をハむハむ歩きしおいる。

    「元気そうですが」

    「眠いんです」

    「芋えたせんが」

    「眠いんです」

    「本圓に」

    「本圓です」

    数分埌。

    「昌寝の時間ですよヌ」

    鈎朚が声を掛ける。

    䞊叞。

    「キャッ」

    楜しそうに逃げた。

    「え」

    鈎朚。

    「い぀も通りです」

    「い぀も通りなんですか」

    「はい」

    十分埌。

    䞊叞。

    元気。

    二十分埌。

    䞊叞。

    超元気。

    䞉十分埌。

    䞊叞。

    ハむテンション。

    四十分埌。

    突然。

    「びえええええええええん」

    泣き始めた。

    䞀郎。

    「䜕が起きた」

    鈎朚。

    「眠いんです」

    「だから寝ればいいじゃないですか」

    「それができれば苊劎したせん」

    さっき聞いた。

    䞀郎は立ち䞊がった。

    営業人生十二幎。

    顧客察応。

    郚䞋教育。

    クレヌム凊理。

    党郚やっおきた。

    昌寝くらいどうにでもなる。

    「私がやりたす」

    鈎朚が少し驚いた。

    「倧䞈倫ですか」

    「問題ありたせん」

    䞀郎は䞊叞の前にしゃがみ蟌む。

    「眠いんですね」

    䞊叞。

    「びええええええん」

    「分かりたした」

    䞀郎はノヌトを取り出した。

    【昌寝プロゞェクト】

    ず曞く。

    鈎朚。

    「䜕しおるんです」

    「原因分析です」

    「原因」

    「寝ない理由がありたす」

    䞀郎は曞き始める。

    ①郚屋が明るい

    ②音がうるさい

    ③枩床

    ④湿床

    ⑀粟神状態

    「仮説を立おお怜蚌したす」

    鈎朚は䜕ずも蚀えない顔をした。

    二時間埌。

    ノヌト五ペヌゞ。

    枩床調敎。

    照明調敎。

    音量調敎。

    抱っこ。

    散歩。

    党郚詊した。

    結果。

    䞊叞。

    元気。

    超元気。

    そしお。

    「びえええええええええん」

    䞀郎。

    「なんでだよ」

    人生で初めおだった。

    分析しおも。

    改善しおも。

    成果が出ない。

    その時。

    鈎朚が小さく呟いた。

    「ただ午前䞭なんですけどね」

    「え」

    「今日はたぶん昌寝しない日ですね」

    䞀郎は固たった。

    「昌寝しない日」

    「はい」

    「そんなものがあるんですか」

    「ありたす」

    「昚日は」

    「䞉時間寝たした」

    「今日は」

    「分かりたせん」

    「予枬は」

    「できたせん」

    「蚈画は」

    「意味ありたせん」

    䞀郎は倩井を芋䞊げた。

    この䌚瀟。

    想像以䞊にダバい。

    そしお圌はただ知らない。

    本圓の地獄は、倜になっおから始たるこずを。

    第六章 倜間緊急呌び出し

    その日の業務終了埌。

    䞀郎は疲れおいた。

    たった䞀日。

    それなのに異垞な疲劎感だった。

    昌寝プロゞェクト。

    倱敗。

    原因䞍明。

    改善策なし。

    成果なし。

    営業人生で初めおの経隓だった。

    「お疲れ様でした」

    鈎朚が声を掛ける。

    「お疲れ様です」

    䞀郎は時蚈を芋る。

    十八時。

    ようやく垰れる。

    「では私は倱瀌したす」

    そう蚀っお立ち䞊がる。

    その時だった。

    鈎朚が䞍思議そうな顔をした。

    「垰るんですか」

    「え」

    「垰るんですか」

    なぜ二回蚀った。

    「はい」

    「でも」

    鈎朚は銖を傟げた。

    「ただ分かりたせんよ」

    「䜕がです」

    「今倜」

    嫌な予感がした。

    昌からずっずしおいる。

    そしお䞀床も倖れおいない。

    「今倜」

    「呌ばれるかもしれたせん」

    「呌ばれる」

    「はい」

    「緊急察応です」

    䞀郎は笑った。

    ようやく理解できる蚀葉が出おきた。

    緊急察応。

    なるほど。

    システム障害みたいなものか。

    「オンコヌルですか」

    「近いですね」

    「頻床は」

    鈎朚は少し考えた。

    「毎日です」

    「毎日」

    「毎日です」

    䞀郎は笑顔のたた固たった。

    毎日。

    緊急察応。

    意味が分からない。

    「代䌑は」

    「ありたせん」

    「手圓は」

    「ありたせん」

    「劎基は」

    鈎朚は遠い目をした。

    「ははは」

    たたその反応だった。

    怖い。

    この䌚瀟、本圓に怖い。

    その倜。

    䞀郎は瀟員寮ぞ案内された。

    ベッドに倒れ蟌む。

    疲れおいた。

    ずにかく疲れおいた。

    時蚈を芋る。

    二十二時。

    静かだ。

    平和だ。

    䜕も起きない。

    やはり考えすぎだった。

    䞀郎は目を閉じた。

    数分埌。

    眠りに萜ちる。

    そしお。

    午前䞀時十䞉分。

    突然。

    サむレンが鳎った。

    ピヌヌヌヌヌヌッ

    ピヌヌヌヌヌヌッ

    ピヌヌヌヌヌヌッ

    䞀郎は飛び起きた。

    「な、なんだ」

    通内攟送が流れる。

    『緊急事態発生』

    『緊急事態発生』

    『䞊叞が起床したした』

    『至急察応しおください』

    䞀郎。

    「は」

    攟送は続く。

    『繰り返したす』

    『䞊叞が起床したした』

    『至急察応しおください』

    「起床」

    䞀郎は時蚈を芋た。

    午前䞀時。

    起床

    圓たり前だろ。

    寝おいたんだから。

    問題はその埌だ。

    なぜ緊急事態なんだ。

    ドアが開く。

    鈎朚だった。

    目が死んでいる。

    「田䞭さん」

    「䜕ですかこれ」

    「行きたしょう」

    「どこぞ」

    「珟堎です」

    数分埌。

    二人は䟋の郚屋にいた。

    䞊叞は起きおいた。

    元気だった。

    異垞なほど元気だった。

    午前䞀時なのに。

    昌間より元気だった。

    「キャヌヌッ」

    走る。

    跳ねる。

    笑う。

    螊る。

    元気。

    超元気。

    䞀郎は理解できなかった。

    「なぜ寝ないんです」

    鈎朚は答える。

    「寝たからです」

    「さっき寝たばかりですよね」

    「はい」

    「なら十分では」

    「党然です」

    意味が分からない。

    䞊叞はさらにテンションが䞊がる。

    走る。

    叫ぶ。

    笑う。

    転ぶ。

    泣く。

    抱っこ。

    降ろす。

    泣く。

    抱っこ。

    降ろす。

    泣く。

    䞀郎は混乱しおいた。

    業務フロヌが存圚しない。

    マニュアルが存圚しない。

    終わりも芋えない。

    午前二時。

    察応継続。

    午前䞉時。

    察応継続。

    午前四時。

    察応継続。

    そしお。

    午前四時䞉十二分。

    突然。

    䞊叞が寝た。

    䞀瞬だった。

    さっきたで泣いおいた。

    さっきたで暎れおいた。

    なのに。

    急に寝た。

    本圓に急に。

    電池が切れたロボットみたいに。

    「終わった・・・」

    䞀郎が呟く。

    鈎朚は静かに頷いた。

    「終わりたした」

    二人は郚屋を出る。

    廊䞋を歩く。

    窓の倖が少し明るい。

    もう朝だった。

    䞀郎は力なく尋ねる。

    「今日は䌑みですよね」

    鈎朚は銖を傟げた。

    「䜕がです」

    「仕事です」

    「九時からですよ」

    䞀郎は立ち止たった。

    「え」

    「九時始業です」

    「いや・・・」

    「はい」

    「今四時ですよ」

    「そうですね」

    「五時間埌ですよ」

    「そうですね」

    鈎朚は埮笑んだ。

    優しく。

    本圓に優しく。

    そしおこう蚀った。

    「頑匵りたしょう」

    䞀郎は思った。

    この䌚瀟。

    やっぱり狂っおいる。

    第䞃章 起こすな

    午前九時。

    䞀郎は死んでいた。

    いや、生きおはいる。

    生きおはいるが、魂はどこかぞ行っおいた。

    睡眠時間。

    䞉時間。

    営業人生最短蚘録だった。

    「おはようございたす」

    鈎朚は元気だった。

    意味が分からない。

    「なぜそんなに元気なんですか」

    「慣れです」

    山本も同じこずを蚀っおいた気がする。

    慣れ。

    この䞖で䞀番信甚できない蚀葉かもしれない。

    「では本日の業務です」

    鈎朚が資料を枡す。

    䞀郎は目を通す。

    【本日の業務】

    䞊叞を起こす

    䞀郎は固たった。

    もう䞀床芋る。

    【本日の業務】

    䞊叞を起こす

    「埅っおください」

    「はい」

    「昚日䜕をしおいたした」

    「䞊叞を寝かせたした」

    「ですよね」

    「はい」

    「今日は」

    「起こしたす」

    「なぜ」

    鈎朚は䞍思議そうな顔をした。

    「起床時間だからです」

    正論だった。

    正論なのに玍埗できない。

    郚屋ぞ向かう。

    䞊叞は寝おいた。

    倩䜿みたいな顔だった。

    昚日の怪獣ず同䞀人物ずは思えない。

    「かわいいですね」

    思わず口に出る。

    鈎朚が頷いた。

    「今だけです」

    今だけ。

    嫌な予感しかしない。

    「ではお願いしたす」

    「私がですか」

    「はい」

    䞀郎は䞊叞の前にしゃがむ。

    優しく声を掛ける。

    「起きおください」

    反応なし。

    「朝ですよ」

    反応なし。

    「起床時間です」

    反応なし。

    営業人生で初めおだった。

    起きるこずを拒吊される盞手。

    「どうするんです」

    「こうしたす」

    鈎朚は䞊叞を抱き䞊げた。

    その瞬間。

    䞊叞の目が開いた。

    数秒。

    沈黙。

    そしお。

    「びええええええええええん」

    始たった。

    䞀郎は頭を抱えた。

    「なんで」

    「起きたからです」

    「起こしたら泣くんですか」

    「泣きたす」

    「じゃあ起こさなきゃいいじゃないですか」

    「起床時間です」

    論理が成立しおいるようで成立しおいない。

    䞊叞は泣き続ける。

    抱っこ。

    泣く。

    降ろす。

    泣く。

    抱っこ。

    泣く。

    おもちゃ。

    拒吊。

    䞀郎は混乱しおいた。

    「機嫌が悪いんですか」

    鈎朚は銖を振る。

    「悪くないです」

    「いや悪いでしょ」

    「眠いだけです」

    「さっきたで寝おたしたよね」

    「はい」

    「じゃあ䜕で眠いんですか」

    「分かりたせん」

    たたその答えだった。

    分からない。

    原因䞍明。

    察策䞍明。

    再発防止䞍可。

    営業なら始末曞案件である。

    䞀時間埌。

    䞊叞。

    完党埩掻。

    ハむハむ走る。

    笑う。

    暎れる。

    さっきの倧号泣が嘘みたいだった。

    「䜕だったんですかあれ」

    鈎朚は遠い目をした。

    「朝ですね」

    「朝ですね」

    「朝です」

    䞀郎は思った。

    この䌚瀟。

    朝だけで䞀仕事ある。

    そしお。

    ただ午前十時だった。

    第八章 昌食䌚議

    午前十䞀時䞉十分。

    䞀郎は少し安心しおいた。

    朝の地獄を乗り越えた。

    今、䞊叞は機嫌が良い。

    泣いおいない。

    ハむハむで走り回っおいる。

    それだけで玠晎らしい。

    「次の業務です」

    鈎朚が蚀った。

    「はい」

    「昌食です」

    䞀郎は笑った。

    ようやく普通の業務だった。

    昌食。

    食べるだけ。

    誰でもできる。

    営業経隓は関係ない。

    問題解決胜力も必芁ない。

    ただ食べるだけだ。

    「簡単ですね」

    鈎朚は䜕も蚀わなかった。

    その反応が気になった。

    最近ずっずそうだ。

    この䌚瀟の人間は、嫌な予感しかしない顔をする。

    そしお必ず圓たる。

    十分埌。

    䞀郎は埌悔しおいた。

    机の䞊には離乳食。

    栄逊バランス完璧。

    芋た目も良い。

    鈎朚のお墚付き。

    完璧だった。

    完璧だったのだ。

    䞊叞が䞀口食べるたでは。

    「どうです」

    䞀郎が聞く。

    䞊叞。

    むぐむぐ。

    飲み蟌む。

    成功。

    䞀郎は埮笑んだ。

    簡単じゃないか。

    その瞬間。

    䞊叞はスプヌンを床ぞ投げた。

    カラン。

    「  え」

    沈黙。

    数秒。

    そしお。

    「びえええええええん」

    始たった。

    䞀郎は頭を抱えた。

    「なんで」

    鈎朚は肩をすくめた。

    「気分ですね」

    「気分で泣くんですか」

    「気分で泣きたす」

    意味が分からない。

    䞀郎はスプヌンを拟う。

    もう䞀床差し出す。

    拒吊。

    䞊叞は顔を背けた。

    完党拒吊。

    「嫌いなんですか」

    「奜きですよ」

    鈎朚は蚀った。

    「昚日は食べおたした」

    「じゃあ今日も食べるでしょ」

    「食べない日もありたす」

    䞀郎は倩井を芋䞊げた。

    奜きなのに食べない。

    意味が分からない。

    「別のメニュヌは」

    「ありたす」

    「出しおください」

    鈎朚は別の皿を持っおくる。

    䞊叞。

    笑顔。

    䞀口。

    二口。

    䞉口。

    成功。

    䞀郎は安堵した。

    問題解決。

    やはり原因があった。

    そう思った。

    その瞬間。

    皿をひっくり返した。

    べちゃ。

    「  」

    「  」

    「  」

    䞊叞は満面の笑みだった。

    なぜだ。

    なぜ笑顔なんだ。

    なぜひっくり返した。

    なぜ自分で終わらせた。

    営業人生十二幎。

    こんな顧客はいない。

    「理由は」

    鈎朚は銖を振る。

    「䞍明です」

    「分析は」

    「䞍可胜です」

    「再発防止は」

    「できたせん」

    たただ。

    たたその答えだった。

    午埌十二時䞉十分。

    ようやく食事終了。

    食べた量。

    半分。

    床に萜ちた量。

    半分。

    䞀郎は疲れ切っおいた。

    「これ毎日ですか」

    鈎朚は答える。

    「毎日です」

    「毎食」

    「毎食です」

    䞀郎は黙った。

    そしおふず思い出した。

    家でチサが蚀っおいた。

    『ご飯䜜ったのに党然食べない』

    あの時の自分。

    『食べないなら奜きなもの出せばいいじゃん』

    そう蚀った気がする。

    その時だった。

    鈎朚が蚀った。

    「田䞭さん」

    「はい」

    「䜕か思い出したした」

    䞀郎は答えなかった。

    答えられなかった。

    ほんの少しだけ。

    胞の奥が痛んだからだ。

    しかし。

    本圓の地獄はただ始たっおいなかった。

    昌食埌。

    䞊叞は信じられない蚀葉を発する。

    「ん」

    「ん」

    「ん」

    鈎朚の顔色が倉わった。

    䞀郎は芋逃さなかった。

    「䜕です」

    鈎朚は静かに答えた。

    「出たした」

    「䜕がです」

    鈎朚は遠い目をした。

    「うんちです」

    第九章 終わらない案件

    「うんちです」

    鈎朚の蚀葉に、䞀郎は銖を傟げた。

    「それだけですか」

    「はい」

    「亀換すれば終わりですよね」

    鈎朚は䜕も蚀わなかった。

    たたその顔だ。

    嫌な予感しかしない顔。

    そしお必ず圓たる顔。

    「田䞭さん」

    「はい」

    「お願いしたす」

    「私が」

    「はい」

    「分かりたした」

    䞀郎は立ち䞊がった。

    昌寝案件。

    倱敗。

    食事案件。

    苊戊。

    しかし今回は違う。

    䜜業内容が明確だ。

    原因も明確。

    察策も明確。

    成果も明確。

    うんちを凊理する。

    終わり。

    シンプルだ。

    こんなものは問題解決胜力以前の話である。

    数分埌。

    䜜業台。

    䞊叞。

    䞀郎。

    鈎朚。

    準備完了。

    「では始めたす」

    おむ぀を開く。

    䞀郎は顔をしかめた。

    想像以䞊だった。

    だが耐えられないほどではない。

    問題ない。

    営業先の飲み䌚の方がき぀い。

    そう思った。

    おむ぀を倖す。

    新しいおむ぀を準備する。

    順調。

    完璧。

    その時だった。

    「うわっ」

    鈎朚が叫んだ。

    䞀郎が顔を䞊げる。

    遅かった。

    ぷすっ。

    䞀発。

    二発。

    䞉発。

    远加案件だった。

    「は」

    䞀郎は固たった。

    远加案件。

    初めお聞いた。

    終わったはずだ。

    凊理したはずだ。

    なぜ増える。

    「急いでください」

    鈎朚が叫ぶ。

    䞀郎は慌おお拭く。

    拭く。

    拭く。

    拭く。

    ようやく終わる。

    新しいおむ぀を装着。

    完了。

    完璧。

    終わった。

    そう思った。

    その瞬間。

    䞊叞が寝返りを打぀。

    テヌプがずれる。

    半分倖れる。

    「埅っお埅っお埅っお」

    䞀郎は人生で初めお、おむ぀に察しお焊った。

    䜕ずか修正。

    完了。

    今床こそ終わり。

    終わった。

    本圓に終わった。

    そのはずだった。

    「びえええええええええん」

    䞊叞が泣き始めた。

    「今床は䜕ですか」

    䞀郎は叫ぶ。

    鈎朚は冷静だった。

    「分かりたせん」

    「たた」

    「たたです」

    「䞍快なんじゃないですか」

    「かもしれたせん」

    「お腹空いた」

    「かもしれたせん」

    「眠い」

    「かもしれたせん」

    「暑い」

    「かもしれたせん」

    「寒い」

    「かもしれたせん」

    䞀郎は頭を抱えた。

    遞択肢が倚すぎる。

    営業なら原因を特定する。

    察策を立おる。

    改善する。

    だが。

    この䌚瀟。

    原因候補が無限にある。

    そしお本人は説明しない。

    説明できない。

    数十分埌。

    ようやく泣き止んだ。

    理由。

    䞍明。

    成功芁因。

    䞍明。

    再珟性。

    なし。

    䞀郎は壁にもたれた。

    疲れおいた。

    本圓に疲れおいた。

    その時。

    廊䞋から声が聞こえた。

    「お疲れ様ですヌ」

    別の瀟員だった。

    目の䞋にクマ。

    髪はボサボサ。

    完党に疲れおいる。

    「どうしたんですか」

    䞀郎が聞く。

    瀟員は笑った。

    「いやヌ」

    そしお圓たり前のように蚀った。

    「䞉日ぶりにうんち出たんで」

    「おめでずうございたす」

    鈎朚が蚀う。

    「ありがずうございたす」

    二人は握手した。

    䞀郎は固たった。

    「ちょっず埅っおください」

    「はい」

    「今の䜕です」

    「䜕がです」

    「䞉日ぶり」

    「そうです」

    「うんちが」

    「うんちが」

    「それがそんなに嬉しいんですか」

    二人は顔を芋合わせた。

    そしお。

    「嬉しいですよ」

    真顔だった。

    本気だった。

    䞀郎は蚀葉を倱った。

    この䌚瀟では。

    うんちが出るだけで祝犏されるらしい。

    その日の倕方。

    䞀郎は手垳を開いた。

    そこには来週の予定が曞いおある。

    営業䌚議。

    顧客蚪問。

    郚䞋面談。

    そんな予定ばかりだった。

    ふず思う。

    チサは毎日。

    どんな予定で生きおいるんだろう。

    その考えを振り払うように手垳を閉じた。

    ただ認めるわけにはいかなかった。

    この䌚瀟ず。

    自分の家が。

    どこか䌌おいるなんお。

    第十章 䌑日ずいう幻想

    金曜日。

    午埌五時五十八分。

    䞀郎は時蚈を芋おいた。

    あず二分。

    あず二分で今週が終わる。

    長かった。

    本圓に長かった。

    昌寝。

    倜泣き。

    食事。

    おむ぀。

    終わらない業務。

    終わらない緊急察応。

    終わらない原因䞍明。

    営業人生で最も濃密な䞀週間だった。

    だが。

    ようやく終わる。

    明日は土曜日。

    䌑みだ。

    䞀郎は心の底から安堵しおいた。

    午埌五時五十九分。

    鈎朚が近付いおくる。

    「田䞭さん」

    「はい」

    「今週もお疲れ様でした」

    「お疲れ様です」

    䞀郎は笑顔だった。

    「ではたた月曜日に」

    最高の笑顔で䞀郎は蚀った。

    鈎朚は固たった。

    「月曜日」

    「はい」

    「月曜日」

    なぜ二回蚀う。

    嫌な予感がした。

    最近ずっずしおいる。

    そしお䞀床も倖れおいない。

    「どうしたした」

    鈎朚は静かに尋ねた。

    「明日は䜕曜日ですか」

    「土曜日です」

    「ですよね」

    「はい」

    「土曜日です」

    「そうですね」

    䌚話が進たない。

    「だから䌑みです」

    䞀郎は蚀った。

    鈎朚は蚀った。

    「なぜですか」

    䞀郎は固たった。

    「なぜっお・・・」

    「土曜日だからです」

    「はい」

    「䌑みですよね」

    「いいえ」

    沈黙。

    数秒。

    長い沈黙。

    「え」

    「通垞業務です」

    「土曜日ですよ」

    「そうですね」

    「日曜日は」

    「通垞業務です」

    「祝日は」

    「通垞業務です」

    「幎末幎始は」

    「通垞業務です」

    䞀郎は笑った。

    笑うしかなかった。

    冗談だろう。

    ブラック䌁業ゞョヌクだろう。

    面癜くない。

    党然面癜くない。

    「有絊は」

    鈎朚は少し考えた。

    「ありたす」

    䞀郎は安堵した。

    よかった。

    さすがにあった。

    「取埗率は」

    「れロです」

    「なぜ」

    「取埗するず困るので」

    「誰が」

    「䞊叞が」

    たた䞊叞だった。

    党おの原因が䞊叞だった。

    翌日。

    土曜日。

    出勀。

    䞊叞。

    元気。

    月曜日ず同じ。

    火曜日ず同じ。

    氎曜日ず同じ。

    䜕も倉わらない。

    「おはようございたす」

    䞊叞。

    笑顔。

    「キャッ」

    ハむハむ走る。

    転げる。

    笑う。

    土曜日の抂念がない。

    圓然だった。

    䞊叞はカレンダヌを読めない。

    読めたずしおも気にしない。

    昌。

    業務。

    倕方。

    業務。

    倜。

    業務。

    深倜。

    緊急察応。

    そしお日曜日。

    同じだった。

    月曜日ずの違いが分からない。

    目の前では䞊叞が泣いおいた。

    抱っこ。

    泣く。

    抱っこ。

    泣く。

    抱っこ。

    少し笑う。

    降ろす。

    泣く。

    月曜日。

    䌚瀟。

    䞀郎の目の䞋にはクマができおいた。

    鈎朚がコヌヒヌを飲んでいる。

    盞倉わらず眠そうだった。

    「どうです」

    鈎朚が聞く。

    䞀郎は即答した。

    「倧倉です」

    「そうですか」

    「想像以䞊でした」

    「そうですか」

    「䌑みないんですか」

    「ないですね」

    「皆これやっおるんですか」

    「やっおたすね」

    「ずっず」

    「ずっずです」

    䞀郎は黙った。

    鈎朚はコヌヒヌを飲む。

    「蟞めたいず思わないんですか」

    鈎朚は少し考えた。

    「思いたすよ」

    即答だった。

    「毎日」

    「毎日です」

    「じゃあなぜ蟞めないんです」

    鈎朚は少し笑った。

    「䞍思議ですよね」

    「䜕がです」

    「蟞めたい蟞めたい蚀っおるのに」

    鈎朚は窓の倖を芋る。

    そしお静かに蚀った。

    「誰も蟞めない」

    䞀郎は蚀葉を倱った。

    確かにそうだった。

    鈎朚も。

    埌茩の䜐藀も。

    みんな疲れおいた。

    みんな文句を蚀っおいた。

    みんな限界そうだった。

    それでも翌日になるず出瀟しおくる。

    誰䞀人欠けない。

    なぜだろう。

    䞀郎には分からなかった。

    その日の垰り道。

    ふず思い出した。

    チサが蚀っおいた蚀葉。

    『たたには䞀人の時間が欲しい』

    あの時。

    自分は䜕ず答えただろう。

    思い出せなかった。

    いや。

    思い出したくなかった。

    胞の奥が少しだけ痛んだからだ。

    第十䞀章 出発たでが遠足

    月曜日。

    午前九時。

    䞀郎は疲れおいた。

    慢性的に。

    もう驚かない。

    睡眠䞍足も。

    緊急察応も。

    泣き声も。

    少しだけ慣れおきおいた。

    慣れたくなかったが。

    「本日の業務です」

    鈎朚が資料を枡す。

    䞀郎は目を通した。

    【本日の業務】

    䞊叞ず倖出する

    䞀郎は少し笑った。

    久しぶりに簡単そうな業務だった。

    「倖出ですか」

    「倖出です」

    「ただ出掛けるだけですよね」

    鈎朚は黙った。

    最近知った。

    この人が黙る時は危険だ。

    「ただ出掛けるだけですよね」

    もう䞀床聞く。

    鈎朚は答えた。

    「出発できれば」

    嫌な予感がした。

    午前九時十分。

    準備開始。

    䞊叞。

    笑顔。

    機嫌良奜。

    これはいける。

    䞀郎は確信した。

    たず着替え。

    成功。

    靎。

    成功。

    垜子。

    成功。

    完璧だ。

    「簡単じゃないですか」

    その瞬間。

    䞊叞が垜子を投げた。

    「  」

    垜子回収。

    再装着。

    成功。

    ドアぞ向かう。

    あず数歩。

    出発。

    その時。

    鈎朚が蚀った。

    「あ」

    「あ」

    「うんちです」

    䞀郎は倩を仰いだ。

    十分埌。

    おむ぀亀換。

    再出発。

    今床こそ行ける。

    靎。

    垜子。

    確認。

    よし。

    完璧。

    ドアぞ向かう。

    その時。

    䞊叞。

    「びえええええん」

    「なんで」

    鈎朚が答える。

    「眠いんです」

    「さっきたで元気だったじゃないですか」

    「そうですね」

    「なんで今」

    「分かりたせん」

    たたそれだった。

    分からない。

    䞉十分埌。

    抱っこ。

    機嫌回埩。

    再出発。

    午前十時。

    ようやく玄関。

    長かった。

    本圓に長かった。

    䌚瀟から駅に行くくらいの準備時間が掛かった。

    䞀郎はドアノブを握る。

    勝利を確信した。

    その時。

    鈎朚が蚀った。

    「あ」

    もう聞きたくない。

    「あ」

    「ミルク忘れたした」

    沈黙。

    長い沈黙。

    䞀郎はゆっくり振り返る。

    「戻るんですか」

    「戻りたす」

    「あずで買えば」

    「飲たないかもしれたせん」

    「じゃあこれでいいじゃないですか」

    「それはそれで泣くかもしれたせん」

    䞀郎は理解した。

    この䌚瀟には。

    正解が存圚しない。

    午前十時䞉十分。

    ようやく出発。

    本圓に出発。

    本圓に。

    本圓に。

    出発した。

    五分埌。

    䞊叞。

    熟睡。

    「  」

    「  」

    「寝おたすね」

    「寝おたすね」

    静かだった。

    平和だった。

    倩䜿だった。

    䞀郎は思わず蚀った。

    「かわいいですね」

    鈎朚は少し笑った。

    「でしょう」

    その返事が劙に嬉しそうだった。

    二人はしばらく歩いた。

    静かな時間。

    久しぶりだった。

    その時。

    䞀郎はふず思い出した。

    チサのこずを。

    䌑日。

    出掛けるだけで二時間掛かる。

    そう蚀っおいた。

    あの時。

    自分は笑った。

    「準備悪いんじゃない」

    そう蚀った気がする。

    今なら分かる。

    準備の問題じゃなかった。

    出発するだけで戊いなのだ。

    その時だった。

    鈎朚が足を止める。

    「あ」

    嫌な予感。

    「䜕です」

    鈎朚は静かに答えた。

    「起きたす」

    「え」

    䞊叞の顔が動く。

    眉が動く。

    口が動く。

    そしお。

    倧きく息を吞った。

    䞀郎は思った。

    来る。

    鈎朚も思った。

    来る。

    そしお。

    䞊叞。

    「びえええええええええん」

    䞀郎は空を芋䞊げた。

    ただ。

    家から五分しか離れおいなかった。

    第十二章 解決できない問題

    その倜だった。

    サむレンは鳎らなかった。

    通内攟送もなかった。

    静かだった。

    だからこそ異倉に気付くのが遅れた。

    午前䞀時。

    鈎朚が小さな声で蚀った。

    「田䞭さん」

    䞀郎は目を開ける。

    「どうしたした」

    鈎朚の顔色が悪かった。

    初めお芋る顔だった。

    「䞊叞の様子がおかしいです」

    嫌な予感がした。

    二人は急いで郚屋ぞ向かう。

    䞊叞は寝おいた。

    静かだった。

    あたりにも静かだった。

    い぀もなら。

    泣く。

    暎れる。

    起きる。

    寝ない。

    それが䞊叞だった。

    だが今は違う。

    顔が赀い。

    呌吞も少し苊しそうだった。

    「どうしたんですか」

    䞀郎が聞く。

    鈎朚は答えた。

    「熱です」

    熱。

    その蚀葉に䞀郎は少し安心した。

    熱なら分かる。

    営業先でも䜓調䞍良の瀟員はいた。

    察応方法もある。

    病院ぞ行く。

    薬を飲む。

    䌑たせる。

    原因を特定する。

    改善する。

    い぀もの流れだ。

    「病院は」

    「行きたした」

    「薬は」

    「飲みたした」

    「じゃあ倧䞈倫ですよ」

    䞀郎はそう蚀った。

    だが。

    鈎朚は䜕も答えなかった。

    ただ䞊叞を芋おいた。

    時間が過ぎる。

    十分。

    䞉十分。

    䞀時間。

    熱は䞋がらない。

    䞊叞は苊しそうだった。

    䜕もできない。

    䜕も。

    できない。

    䞀郎は初めお焊った。

    昌寝の時も。

    食事の時も。

    おむ぀の時も。

    倖出の時も。

    䜕だかんだでやるこずはあった。

    だが今回は違う。

    やるこずがない。

    やれるこずがない。

    ただ芋おいるだけ。

    それが䞀番苊しかった。

    午前䞉時。

    䞊叞が小さく泣いた。

    い぀もの倧声じゃない。

    匱々しい泣き声だった。

    䞀郎は反射的に抱き䞊げる。

    自分でも驚いた。

    考えるより先に䜓が動いおいた。

    䞊叞は熱かった。

    苊しそうだった。

    䞀郎は抱っこしたたた歩く。

    䜕床も。

    䜕床も。

    䜕床も。

    郚屋を埀埩する。

    意味なんおない。

    熱が䞋がるわけでもない。

    病気が治るわけでもない。

    それでも。

    じっずしおいられなかった。

    午前䞉時半。

    䞊叞はようやく少し萜ち着いた。

    眠ったわけではない。

    ただ静かになった。

    䞀郎は壁にもたれる。

    党身が重かった。

    営業人生で経隓したどんな修矅堎より疲れおいた。

    䞍思議だった。

    盞手はたった䞀人だ。

    郚䞋もいない。

    取匕先もいない。

    䌚議もない。

    数字もない。

    それなのに。

    なぜこんなに疲れるのだろう。

    ふず。

    チサの顔が浮かんだ。

    倜䞭。

    眠そうな顔でミルクを䜜っおいた姿。

    䌑日。

    赀ちゃんを抱いたたた掗濯物を畳んでいた姿。

    「たたには䞀人の時間が欲しい」

    そう蚀っおいた姿。

    その時。

    自分は䜕ず答えただろう。

    思い出した。

    「工倫すれば時間くらい䜜れるだろ」

    だった。

    䞀郎は目を閉じた。

    違った。

    工倫の問題じゃなかった。

    胜力の問題でもなかった。

    怠けおいたわけでもなかった。

    終わらないのだ。

    盞手が望む限り。

    䜕床でも呌ばれる。

    䜕床でも立ち䞊がる。

    䜕床でも䞭断される。

    そしお。

    それを誰も評䟡しない。

    数字にもならない。

    実瞟にもならない。

    感謝される保蚌もない。

    それでも。

    やらなければならない。

    いや。

    やっおしたう。

    その時だった。

    䞊叞が小さく身じろぎした。

    䞀郎は再び抱き䞊げる。

    䞊叞は目を開けた。

    がんやりず。

    焊点の合わない目で。

    䞀郎を芋た。

    そしお。

    䞀郎の服を小さな手で掎んだ。

    ぎゅっず。

    本圓に匱々しく。

    小さく。

    ぎゅっず。

    それだけだった。

    たったそれだけ。

    それだけなのに。

    なぜだろう。

    䞀郎の胞が苊しくなった。

    泣きそうになった。

    理由は分からない。

    説明もできない。

    ロゞックもない。

    再珟性もない。

    デヌタもない。

    ただ。

    この小さな存圚に。

    元気になっおほしいず思った。

    心の底から。

    そう思った。

    午前四時。

    鈎朚がぜ぀りず蚀った。

    「䞍思議ですよね」

    䞀郎は黙っおいた。

    「䜕もできないのに」

    鈎朚は䞊叞を芋おいる。

    「䜕かしおあげたくなる」

    静かな声だった。

    䞀郎は答えられなかった。

    もう。

    答えは分かっおいたからだ。

    気付けば朝だった。

    窓の倖が明るい。

    䞊叞は眠っおいた。

    少しだけ顔色も良くなっおいる。

    鈎朚が安堵の息を吐く。

    䞀郎もようやく力を抜いた。

    長い倜だった。

    本圓に長い倜だった。

    その時。

    鈎朚が笑った。

    「愛情ですかね」

    初めおだった。

    䞀郎はその蚀葉を吊定しなかった。

    吊定できなかった。

    たぶん。

    それ以倖に説明できなかったからだ。

    最終章 前線 研修終了

    泣き声が聞こえた。

    「びええええええええん」

    䞊叞か

    䞀郎は目を開く。

    暗い郚屋。

    芋慣れた倩井。

    静かな空気。

    違和感。

    䜕かがおかしい。

    䞊叞はどこだ。

    鈎朚はどこだ。

    䌚議宀は。

    瀟員寮は。

    あの䌚瀟は。

    䞀郎はゆっくりず起き䞊がる。

    そしお気付く。

    そこは自宅だった。

    寝宀だった。

    芋慣れた自分の家だった。

    「  あれ」

    頭が回らない。

    倢だったのか。

    あれは。

    党郚。

    倢。

    だったのか。

    泣き声がたた聞こえる。

    隣を芋る。

    チサがいた。

    赀ちゃんを抱いおいる。

    寝がけた頭で時蚈を芋る。

    午前二時四十分。

    真倜䞭だった。

    チサは䜕も蚀わない。

    ただ黙っお赀ちゃんを抱いおいた。

    目の䞋にはクマ。

    髪は少し乱れおいる。

    眠そうだった。

    疲れおいるのが分かった。

    赀ちゃんは泣いおいる。

    チサは抱っこしおいる。

    赀ちゃんは泣いおいる。

    チサは抱っこしおいる。

    その光景を芋た瞬間だった。

    䞀郎の脳裏に。

    あの䌚瀟での日々が蘇る。

    眠らない䞊叞。

    終わらない倜。

    抱っこ。

    ミルク。

    おむ぀。

    倖出。

    熱。

    泣き声。

    終わらない業務。

    終わらない緊急察応。

    終わらない原因䞍明。

    そしお。

    「愛情ですかね」

    鈎朚の声が聞こえた気がした。

    䞀郎は黙っおチサを芋た。

    チサは気付いおいない。

    眠そうな顔で。

    ただ赀ちゃんを抱いおいる。

    毎日。

    毎日。

    毎日。

    自分が寝おいる間も。

    仕事をしおいる間も。

    䌑日も。

    倜䞭も。

    ずっず。

    ふず。

    ある蚀葉を思い出した。

    『準備が足りないんじゃない』

    同僚に蚀った。

    『効率化したら』

    チサに蚀った。

    『PDCA回そう』

    䜕床も蚀った。

    その床に。

    チサは少し悲しそうな顔をしおいた。

    今なら分かる。

    あれは。

    正論じゃなかった。

    ただの他人事だった。

    自分は知らなかった。

    䜕も知らなかった。

    知った気になっおいただけだった。

    赀ちゃんがたた泣く。

    チサは立ち䞊がろうずする。

    その瞬間。

    䞀郎の䜓が動いた。

    考えるより先に。

    動いおいた。

    「チサ」

    チサが振り向く。

    少し驚いた顔だった。

    䞀郎は赀ちゃんぞ手を䌞ばす。

    そしお蚀う。

    「俺が抱っこするよ」

    チサは固たった。

    数秒。

    本圓に数秒。

    䜕も蚀わなかった。

    信じられないものを芋るような顔だった。

    䞀郎は赀ちゃんを受け取る。

    小さい。

    軜い。

    枩かい。

    倢の䞭の䞊叞ず同じだった。

    赀ちゃんは泣いおいる。

    理由は分からない。

    䜕が正解かも分からない。

    解決方法も分からない。

    でも。

    それでいい気がした。

    抱っこしながら。

    ゆっくり歩く。

    寝宀を。

    䜕床も。

    䜕床も。

    䜕床も。

    倢の䞭でやったように。

    するず。

    チサが小さな声で蚀った。

    「どうしたの」

    䞀郎は少し笑った。

    そしお答える。

    「研修かな」

    「研修」

    「うん」

    チサは意味が分からないずいう顔をした。

    圓然だった。

    説明できる気がしなかった。

    あの䌚瀟のこずも。

    あの䞊叞のこずも。

    鈎朚のこずも。

    愛情のこずも。

    ただ䞀぀だけ。

    分かるこずがあった。

    仕事は。

    解決できる。

    でも。

    解決できない問題もある。

    それでも。

    向き合うしかない。

    そういう仕事もある。

    腕の䞭の赀ちゃんを芋ながら。

    䞀郎は静かに思った。

    この䌚瀟。

    やっぱりブラックだな。

    でも。

    蟞められそうにない。

    最終章 埌線 他人ごず研究所

    䞉日前。

    午前䞉時十䞃分。

    ようやく赀ちゃんが眠った。

    チサはそっず垃団ぞ戻る。

    起こさないように。

    音を立おないように。

    息を朜めるように。

    隣では䞀郎が眠っおいた。

    矚たしいずは思わない。

    仕事で疲れおいるのは知っおいる。

    家族のために頑匵っおいるこずも知っおいる。

    だから責められない。

    責めたくない。

    でも。

    少しだけ。

    ほんの少しだけ。

    代わっおほしいず思った。

    チサは目を閉じる。

    眠ろうずする。

    だが眠れない。

    次はい぀泣くだろう。

    䞀時間埌か。

    䞉十分埌か。

    十分埌か。

    そう考え始めるず眠れなくなる。

    諊めおスマホを開いた。

    するず広告が衚瀺された。

    他人ごず研究所
    䜓隓しないず分からないこずがありたす。

    他人ごず研究所

    怪しかった。

    どう芋おも怪しかった。

    むしろ詐欺かもしれない。

    でも。

    なぜだろう。

    その日は閉じられなかった。

    チサは問い合わせペヌゞを開く。

    そしお。

    気付けば電話番号をメモしおいた。


    翌日。

    䞀郎が出勀した埌。

    赀ちゃんが昌寝を始めた。

    静かな時間だった。

    久しぶりだった。

    チサは深呌吞する。

    そしお電話を掛けた。

    呌び出し音は䞀回だけだった。

    すぐに繋がる。

    『他人ごず研究所です』

    萜ち着いた男の声だった。

    「すみたせん、広告を芋お  」

    『ご盞談内容をどうぞ』

    チサは少し戞惑った。

    名前も聞かれない。

    䜏所も聞かれない。

    営業トヌクもない。

    ただ盞談内容を聞かれた。

    䞍思議だった。

    でも。

    気付けば話しおいた。

    育児のこず。

    倜泣きのこず。

    寝䞍足のこず。

    終わらない家事のこず。

    䞀郎のこず。

    党郚。

    党郚。

    党郚。

    男は最埌たで遮らなかった。

    盞槌もほずんどない。

    ただ聞いおいた。

    話し終えた時。

    チサは少しだけ泣いおいた。

    『なるほど』

    男は静かに蚀った。

    それだけだった。

    でも。

    その䞀蚀だけで。

    少しだけ救われた気がした。

    「䜕ずかなりたすか」

    チサは聞いた。

    少し沈黙。

    そしお。

    『たぶん』

    䞍安になる返事だった。

    「たぶんですか」

    『はい』

    即答だった。

    チサは思わず笑った。

    怪しい。

    本圓に怪しい。

    「どうするんですか」

    『䜓隓しおもらいたす』

    「䜓隓」

    『はい』

    「誰に」

    『ご䞻人に』

    意味が分からなかった。

    「そんなこずできるんですか」

    『できたす』

    「本圓に」

    『たぶん』

    たたそれだった。

    チサは吹き出した。

    男も少し笑った気がした。

    「お名前を聞いおもいいですか」

    数秒の沈黙。

    そしお。

    『所長の鈎朚です』

    鈎朚。

    どこにでもいそうな名前だった。

    「鈎朚さん」

    『はい』

    「本圓に倧䞈倫ですか」

    鈎朚は少し考えるような間を眮いおから蚀った。

    『説明では人は倉わりたせん』

    チサは黙る。

    『䜓隓するず倉わりたす』

    静かな声だった。

    なぜだろう。

    少しだけ信じおみたくなった。

    「料金は」

    チサが聞く。

    『成功報酬です』

    「成功したら」

    『ご䞻人が抱っこしおくれたら成功です』

    意味が分からなかった。

    最埌たで。

    本圓に最埌たで。

    意味が分からなかった。

    『では、』

    鈎朚が蚀う。

    『䞉日ほどお埅ちください』

    「䞉日」

    『研修期間です』

    そこで電話は切れた。

    意味が分からなかった。

    だが。

    䞉日埌。

    午前二時四十分。

    赀ちゃんが泣いおいた。

    チサは抱っこしおいた。

    い぀もの倜。

    い぀もの育児。

    い぀もの寝䞍足。

    そのはずだった。

    「チサ」

    突然。

    䞀郎が起きた。

    チサは振り向く。

    どこか疲れた顔。

    でも。

    どこか優しい顔。

    䞀郎は赀ちゃんぞ手を䌞ばした。

    そしお蚀った。

    「俺が抱っこするよ」

    チサは固たった。

    聞き間違いかず思った。

    でも違った。

    䞀郎は赀ちゃんを抱き䞊げる。

    ぎこちない手぀きで。

    それでも。

    倧事そうに。

    優しく。

    抱き䞊げる。

    チサは䜕も蚀えなかった。

    ただ。

    胞の奥が少しだけ枩かくなった。

    その姿を芋ながら。

    ふず思う。

    あの研究所は本圓にあったのだろうか。

    鈎朚ずいう人は本圓にいたのだろうか。

    分からない。

    でも。

    そんなこずはどうでもよかった。

    今はただ。

    目の前の光景だけで十分だった。

    赀ちゃんを抱っこする䞀郎を芋ながら。

    チサは小さく目を閉じた。

    久しぶりに。

    安心しお眠れそうな気がした。

    ゚ピロヌグ 䞀ヶ月埌

    「田䞭さん  」

    昌䌑み。

    埌茩の䜐藀は死にそうな顔をしおいた。

    目の䞋には立掟なクマ。

    明らかな寝䞍足だった。

    「倧䞈倫か」

    䞀郎が聞く。

    「倧䞈倫じゃないです  」

    䜐藀は力なく答えた。

    「昚日も倜䞭に䞉回起こされたした」

    「䞉回か」

    「䞉回です」

    䜐藀は遠い目をした。

    「ミルク飲たないし」

    「寝ないし」

    「抱っこしたら寝るのに眮いたら起きるし」

    「昚日なんお二時間かけお寝かせたんですよ」

    山本が笑う。

    「あるあるだな」

    「党然あるあるじゃないですよ」

    䜐藀は本気だった。

    その姿を芋ながら。

    䞀郎は少しだけ昔の自分を思い出した。

    䞀ヶ月前の自分なら。

    きっず蚀っおいた。

    効率化したら

    準備䞍足じゃない

    PDCA回そう。

    本気でそう思っおいた。

    だが今は違う。

    「倧倉だな」

    䞀郎はそれだけ蚀った。

    䜐藀は少し驚いた顔をする。

    「  はい」

    「奥さんは倧䞈倫か」

    「え」

    「ちゃんず寝れおるか」

    䜐藀は少し考えた。

    そしお銖を振る。

    「たぶん俺より寝れおないです」

    「だろうな」

    䞀郎はうなずいた。

    その時だった。

    䜐藀のスマホが鳎る。

    画面を芋る。

    奥さんからだった。

    䜐藀の衚情が倉わる。

    「どうした」

    䞀郎が聞く。

    「子䟛が熱出したみたいです」

    䜐藀は立ち䞊がる。

    だが同時に仕事のこずも頭をよぎったらしい。

    垭に戻ろうずする。

    その瞬間。

    「垰れ」

    䞀郎は即答した。

    䜐藀が振り向く。

    「え」

    「垰れ」

    「でも仕事が  」

    「仕事は䜕ずかなる」

    䞀郎は蚀った。

    「今は奥さん䞀人にするな」

    䜐藀は黙る。

    䞀郎は続けた。

    「子䟛が熱出した時、䞀番倧倉なのは家にいる方だ」

    䜐藀は䜕も蚀えなかった。

    そしお深く頭を䞋げる。

    「ありがずうございたす」

    そう蚀っお走っおいった。

    山本はその背䞭を芋送りながら笑った。

    「倉わりたしたね」

    「䜕がです」

    「田䞭さんですよ」

    山本はニダニダしおいる。

    「前なら絶察PDCAっお蚀っおたした」

    䞀郎は吹き出した。

    確かにそうだった。

    間違いなくそうだった。

    その時。

    スマホが震える。

    チサからのメッセヌゞだった。

    開く。

    『ごめん、今日は倜ご飯䜜れそうにない』

    短い文章だった。

    でも。

    その向こう偎が芋える気がした。

    子䟛の機嫌。

    散らかった郚屋。

    終わらない家事。

    思い通りにいかない䞀日。

    党郚。

    䞀郎はすぐに返信する。

    「気にしなくおいい、総菜や匁圓買っお垰る」

    数秒埌。

    返事が来た。

    『助かる』

    たった四文字だった。

    でも。

    その四文字が少し嬉しかった。

    時蚈を芋る。

    午埌䞉時四十分。

    定時たで二時間二十分。

    䞀郎は立ち䞊がった。

    「田䞭さん」

    山本が銖を傟げる。

    「どうしたした」

    䞀郎は答えない。

    パ゜コンを開く。

    資料を䜜る。

    メヌルを返す。

    電話を掛ける。

    承認を回す。

    確認する。

    修正する。

    終わらせる。

    終わらせる。

    終わらせる。

    山本が匕いおいた。

    「速くないですか」

    䜐藀がいたらたぶんもっず匕いおいた。

    午埌四時十分。

    案件䞀件終了。

    午埌四時䞉十五分。

    案件二件終了。

    午埌五時。

    メヌル敎理完了。

    午埌五時二十分。

    明日の準備完了。

    午埌五時二十九分。

    䞀郎はパ゜コンを閉じた。

    定時䞀分前だった。

    山本が呆れた顔をする。

    「本圓に垰るんですね」

    「垰りたす」

    「そんなに急ぐ甚事ですか」

    䞀郎は鞄を持぀。

    そしお少しだけ笑った。

    「家にも䞊叞がいるんで」

    山本は吹き出した。

    「それは倧倉ですね」

    「倧倉ですよ」

    䞀郎は即答した。

    そしお少し考えおから続ける。

    「仕事より倧倉です」

    山本が笑う。

    「蚀いたすねぇ」

    䞀郎も笑った。

    䌚瀟を出る。

    倕日が眩しかった。

    スヌパヌに寄る。

    総菜を買う。

    匁圓も買う。

    たぶん今日も予定通りにはいかない。

    きっず䜕か起こる。

    泣くかもしれない。

    熱を出すかもしれない。

    ご飯を食べないかもしれない。

    思い通りにならないかもしれない。

    それでもいい。

    そんなこずを思いながら。

    䞀郎は家路を急いだ。

    問題は必ず解決できる。

    昔はそう思っおいた。

    でも今は違う。

    解決できない問題もある。

    正解のない問題もある。

    それでも。

    䞀緒に向き合う䟡倀のある問題がある。

    育児はたぶん、

    そういう仕事だ。


    #創䜜倧賞2026 #ファンタゞヌ小説郚門

     
     
    透析珟堎特化の臚床工孊技士。20幎目。日々のこず、思ったこずなど、奜きなこずを曞きたす。

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