
聖画の中へ
先日、ちょっとレトロな感じの家具売り場を歩きながら、不意に小学生のころ通っていた絵画教室を思い出した。
昭和の終わり頃、静かな住宅街に建つ古びた一軒家。木々に囲まれた小さい庭の中に、陽だまりのようなアトリエがあった。天井は鳥が遊べそうなほど高く、画材を洗うシンクには学校みたいにいくつかの蛇口が並ぶ。水はチョポチョポと細く出るだけなのに、パレットに落ちたらむやみと飛び散った。
先生とその妻がクリスチャンだったからか、アトリエにはどこか教会のような雰囲気も漂っていた。そういえば先生は、中世の絵画に描かれたイエス・キリストのような風貌をしていた。当時、70歳くらいだろうか。背が高く痩せていて、いつも白っぽい、おそらく麻のシャツを着ていたように思う。
生徒たちは水彩画を描いていたけど、先生が使う油彩絵の具があのアトリエの匂い。壁には十字架を描いた小品がいくつか掛けられていた。ご夫妻の居室に続く廊下には、大きなキャンバスも立てかけてあった。画家としての活動を知る機会はなく、自分から知ろうとするような想像の広がりも、あのころの私にはなかった。
私の絵は下手の横好きで、自分でも決してうまいとは思っていなかった。でも先生はいつも優しかった。何もコメントせず、好きなように描かせてくれたあと少しだけ手を入れることで、そっと技法を伝えてくれた。私はそれをしっかり身につけることもできず、毎回描けば描くほど迷走した覚えがある。
ご夫妻とも、どうにもならない仕上がりに言葉を失う私をよく知っていた。学校では明るくて誰より勝気な女の子なのに、アトリエではただの小心者。自信のなさや諦め、投げやりになりそうな気持ちをいつも抱えていたように思う。むしろそれが、思春期の頃の本当の私だ。
あるとき、マリア様のような先生の妻が言った。
「私たちはあなたが大好きなの」
小学校の卒業と同時に、私は父の転勤でその街を離れた。
ご夫妻のアトリエと家はどうなっただろう。
絵はうまくならなかったけど、記憶に残る光景は限りなく美しい。
あの時間、私は古い聖画の中にいたような気さえする。大きな窓から射す淡い光。画面の片隅、影のあたりにいる私は動物か、花か何かであってもいい。そこで遠い日の、優しく静かなご夫妻を見ていたい。いつまでも。