
春のひみつ おひなさまのぼうけん
「あぁ、いいにおい。お肉……食べたいなぁ」
ゆりちゃんのお弁当の、おいしそうなソーセージのにおい。
私たちおひなさまは、ひな壇の上から、いつもそう思っておりました。
こんにちは。
私たちは、ゆりちゃんのおうちのおひなさまです。
今日は、ゆりちゃんが幼稚園へ行っている間の、私たちの「ひみつのぼうけん」をお話しましょう。
出発、進行!
「みんな、したくはよいか。ゆりちゃんが帰ってくるまでに、ひな壇にもどらねばならぬぞ」
おだいりさまのりりしい声で、私たちは出発しました。
めざすは、まちのステーキ屋さん。
でも、まちの交差点はとっても大きくて、着物をきている私たちの足では、なかなかわたりきれません。
すると、そこへふわふわのゴールデンレトリバーが2ひき!
「世話になるぞ」
おだいりさまが犬の腰あたりにしがみつくと、私たちも、あわててつづきました。
春の風にふかれて、長い髪がゆらゆらゆらゆら。
「世話になったな」
交差点をわたりきると、ステーキ屋さんはもうすぐです。
きらめく、お肉の時間
お店に入って、おだいりさまが手のひらを大きくひろげます。
「かたじけない。5人! おたのみもうす」
店員さんは、びっくりして、目を丸くしてかたまってしまいました。
けれど、カチンコチンのおじぎをしながらも、
「かしこまりました。おひなさま御一行さま、こちらのお席へどうぞ」
と、ていねいに案内してくれました。
席について、私たちは着物のおびを少しだけゆるめてまちました。
「ジュージュワージュジュー!」
おいしそうな音をたてて、ついにステーキが目の前にやってきました。
おだいりさまが、テーブルにヒョイっとのぼります。
そして、真剣な顔で刀を静かに、ススーッ。
キラーン!
ライトにてらされた刀で、ステーキをシャシャシャ、サクサクッと切り分けていきます。
「まあ、なんとおいしそうなこと!」
私たちは、ステーキをパクリ。
お肉のあぶらがキラキラして、もう、もう、たまりません!
いそげ、ひな壇へ!
「あ! もうこんな時間!」
さんにんかんじょが、あわてだしました。
「いやいや、まだあわてることはないぞ」
おだいりさまはゆったりしています。
「いいえ、ひな壇にもどって、お化粧なおしをせねばなりませんわ」
おひなさまもあわてだしました。
私たちは、急いでお会計をすませて、お店をとびだしました。
帰り道の交差点、運よくあかちゃんをのせたベビーカーが。
私たちは、おたがいに目をあわせると、そーっと、荷物入れにのりこみました。
また、あした
ひな壇に無事に帰ると、着物をととのえ、お化粧をなおし、ホッとひといき。
「ただいまー!」
元気なゆりちゃんの声が、玄関の方から聞こえました。
私たちは、間に合ってよかったと目を合わせました。
しかし……大変!
おひなさまの口紅がはみ出しているではありませんか。
ゆりちゃんが、いつものようにおひなさまの前にうれしそうに座りました。
「あれ? なんだか、おいしそうなにおいがするよー!?」
私たちは、あわてて息をとめました。
(口紅も、バレませんように……!)
おいしそうなにおいは、私たちのお着物から、ふわ〜っと。
この春、私たちはあと、何回おいしいものを食べにいけるかしら。
がんばれ、私たちおひなさま!
では、またあした!
