
くらしとわたし #18いちご狩りと焚き火と、面白がる大人たち
5月終わりに、保育園で親主催でイベントを開催した
最近、「学校でも家でもない第三の居場所」について考えている。
そんなことを考えていたら、数年前から自分で企画したイベントを先日、今年も無事に開催することができた。
いちご狩りと焚き火のイベントだ
当時の私は、家庭菜園なんてしていなかったし、ホムステッドという言葉も知らなかった。でも振り返ると、やりたかったことは今とあまり変わっていないのかもしれない。
今年、そのイベントには全部で80人ほどが参加した。
ちゃんと参加費を集めて、会場を押さえて、準備をして、少ないながらも利益も出た。
仕事として見れば大成功というほどではない。
でも私は今でも、毎年のあの日の景色を覚えている。
子どもたちはいちごを頬張りながら走り回り、焚き火でマシュマロを焼く。大人たちはそれを横目に、取り留めもない話をずっとしていた。
特別なプログラムがあった訳ではない。
講師がいた訳でもない。
誰かが何かを教えていた訳でもない。
それでも、あの場所には確かに豊かさがあった。
今思う。
私はイベントをやりたかったのではなく、場を作りたかったのかもしれない。
面白がる大人がいて。
面白そうな子どもがいて。
自然があって。
火があって。
食べ物があって。
それぞれが勝手に楽しんでいる。
そんな場所。
最近、娘と庭でトマトを育てている。
シソを育てたり、花を眺めたり、オクラの成長を観察したり。
すると不思議なことに、そのイベントと今の暮らしが頭の中で繋がる。
結局私は昔から、人が何かを面白がる瞬間が好きだったのだと思う。
子どもが虫を見つけて興奮する瞬間。
大人が話しながら、目を細めて焚き火を眺めている瞬間。
誰かがいちごを美味しそうに頬張る瞬間。
そういう小さな幸せの集まりが好きだ。


振り返れば、私にもそういう時間をくれた人がいた。
祖父である。
ザリガニ釣りに連れて行ってくれた。
ミミズを掘った。
動物園で写生した。
海苔で真っ黒な大きすぎる梅干しおむすびを作ってくれた。
今思えば、祖父はいつも私を遊びに誘っていた。
少し鬱陶しいくらいに。笑
でもその記憶は今も残っている。
人の記憶に残るのは、高価なものではないのかもしれない。
一緒に過ごした時間なのだと思う。
だから私は今も、そんな場所が好きなのだろう。
いちご狩りも。
焚き火も。
家庭菜園も。
全部同じ場所へ向かっている気がする。
面白がる大人がいて、面白がる子どもがいる場所。
そんな景色を、これからも見ていたいと思う。
あなたにとってのそんな場所はどこですか?