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Photo bytarostagram

僕たちは、同じ場所で、違う世界を生きている。

    高校三年の夏。
    負ければ終わりのトーナメント。

    中学から始めた野球を、
    雨の日も、風の日も、
    土日も、GWも、夏休みも、
    ずーっと続けてきた。

    まもなく試合が始まる。
    そして二時間後には、すべてが決まる。

    勝てば次へ繋がり、
    負ければその場で終わる。

    負けは野球部引退を意味する。
    真っ黒に日焼けした「高校球児」という肩書きをおろし、ただの「大学受験生」という群れの一員となる。

    今日の夕方、自宅の門をくぐる頃には、
    朝、起きたときの自分とは、まったく別の生き物になっているかもしれない。
    そんな不可逆の予感に、胸がキリキリした。

    まっさらなマウンドに立ち、キャッチャーを座らせて肩を慣らしながら、ふとグラウンドの外に目を向ける。

    この瞬間にも、世界のどこかでは、もっと深刻な、命に関わる事件に翻弄されている人がいるのだろう。

    一方で、
    ただベッドから起きて、新聞を読み、少し仕事をして、コーヒーを飲んで、昼寝をして、散歩をする、日が落ちたら家族と夕食を囲み、シャワーを浴びて、ベッドに戻る、
    そんなかけがえのない「普通」の一日を淡々と終えようとしている人もいる。

    僕にとって、この試合は、間違いなく歓喜と絶望の瀬戸際となる。
    ただ、あの観客席の誰かにとっては、暇つぶしのひとコマに過ぎないのかもしれない。

    そんな、自分の一大事が誰かにとっては取るに足らないものだという奇妙な事実を、十八歳の僕はうっすらと感じていた。

    今、同じ時代、同じ場所に立っている私たちでさえ、実は、それぞれの全く違う世界を生きている。

    もし、それに気づかなければ、
    僕たちは一生、自分の世界の正しさだけを信じて、
    隣にいる誰かの世界を知ることもなく、生きていくことになる。

     
     
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