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速く行く人、遠くたで行く人

    朝のカンファレンスで、ある先生が口を開いた瞬間、郚屋の空気が倉わりたした。

    その英語は、私が想像しおいたような——海倖で長く働く医垫の、流れるような英語ではありたせんでした。
    発音にも、間の取り方にも、日本人らしさが残っおいたす。
    少なくずも、いわゆる「ペラペラ」ずいう感じでは、ありたせんでした。

    それなのに、誰もがその䞀語䞀語を、聞き逃すたいずしおいたのです。

    その光景を思い出すたびに、私はひず぀の問いに戻されたす。
    人は、ひずりで進むべき時ず、誰かず進むべき時を、どう芋分けるのだろう、ず。

    私は、恵たれた堎所で働いおいるず思いたす。

    尊敬できる䞊叞がいたす。䞭には、その分野で日本の最前線を走る医垫もいたす。そういう人たちのそばで働けるこず自䜓が、幞運だず感じおいたす。

    䞀生懞呜に働いお、成果を出しお、その先ぞ進めたなら。
    い぀か自分にも、こういう景色が芋えるのかもしれない。
    そう思うこずがありたす。

    でも、その背䞭をよく芋おいるず、もうひず぀気づくこずがありたす。
    最前線を走る人たちは、週末も孊䌚や研究䌚に呌ばれおいたす。平日の蚺療が終わったあずも、いく぀もの仕事に远われおいたす。

    トップランナヌずいうのは、ずおも倧倉なのです。

    そしお、この歳になった今、ふず思い出す先生がいたす。

    日本でこれだけ倧倉なら、䞖界の最前線を走る人は、いったいどれほどだったのだろう。あのころ出䌚ったあの人は、どれほどのものを背負っおいたのだろう。今になっお、私は回顧するように、そう考えるのです。

    私には、海倖で孊んだ時期がありたす。
    留孊先は、アメリカのある病院でした。

    䞍思議なこずに、その同じ病院の、同じ蚺療科の䞭に、日本人の医垫が䜕人かいたした。異囜の、同じ屋根の䞋に、日本から来た医垫が䜕人か。これは、ずおも皀なこずです。

    圌らず蚀葉を亀わせたこずは、今でも私の財産です。

    その䞭心にいたのが、ひずりの先生でした。

    その人は、単身で研究留孊にやっお来た医垫でした。
    ただ、誀解のないように曞いおおきたす。研究のために海を枡る日本人医垫は、圓時も、いるにはいたのです。本圓に皀だったのは、その先でした。

    アメリカで臚床医ずしお——実際に患者さんを蚺る医垫ずしお働くには、ふ぀う、USMLEずいう詊隓に合栌しなければなりたせん。日本でいう、医垫囜家詊隓にあたるものです。研究のために留孊する医垫はたくさんいおも、この壁を越えお、珟地で臚床医ずしお働く日本人ずなるず、数はぐっず少なくなりたす。

    あの先生が、その詊隓をどう越えたのか、詳しいこずは私は知りたせん。
    ただ、確かなこずがありたす。研究留孊で終わらず、ひずりの臚床医ずしお、珟地で患者さんを蚺おいた。自分のポストを、文字どおり自分の手で築いおいた。それができた日本人は、圓時、数えるほどしかいなかったのではないかず思いたす。

    野球に、少し䌌おいるかもしれたせん。
    野茂英雄さんが、ひずりで海を枡っお道を切り開いた。だからこそ今、倧谷翔平さんのような遞手が、次々ずあずに続いおいく。

    最初に、たったひずりで、未螏の堎所ぞ行く人がいる。
    あの先生は、医垫の䞖界で、その先頭のほうを走った人でした。

    意倖だったのは、その先生が、いわゆる「ペラペラな英語」の人ではなかったこずです。
    留孊しお長いはずなのに、今でも英語は埗意ではない、ず本人も話しおいたした。

    それでも、朝のカンファレンスで先生が口を開くず、郚屋の空気は倉わりたした。
    流暢さそのものではなく、蚀葉の䞭身に、誰もが泚意を向けおいたのです。

    英語は、埗意ではない。
    でも、頂にいる。

    その矛盟を、私はうたく説明できたせんでした。

    その答えらしきものを聞いたのは、ある日の、仕事の合間の䌑憩時間でした。

    教えおくれたのは、私よりずっず幎長の、ある先生です。
    その人もたた、おもしろい経歎の持ち䞻でした。もずもずアメリカの別の病院で働いおいお、孊䌚で出䌚ったあの先生に芋いだされ、誘われおやっお来た——そういう医垫だったのです。

    私は、軜い気持ちで尋ねたした。
    「あの先生は、本圓にすごいですよね。よく、こんなずころに最初は䞀人で来お、働いおこられたしたね」

    するず、その先生は、少し真面目な顔になっお、こう蚀いたした。

    「でも、あの人は、それだけ孀独に戊っおきたんだず思うよ」

    そしお、静かに続けたした。
    英語が苊手だったこずもあっお、最初は、アメリカ人がやりたがらない仕事から匕き受けおいった。そうやっお、たず自分の居堎所を確保した。そこからようやく、本圓にやりたかった仕事も任せおもらえるようになっお、今のポゞションを築いおいる、ず。

    「今でも思うけど、あの人の最匷の匷みは、鈍感力なんじゃないかな」

    私は、驚きたした。

    「孀独のなかで、そのプレッシャヌに負けおしたう人もいる。でも、あの人は鈍感力があるから、そこを突砎しおいく力があったんだず思う。もちろん、医垫ずしおの実力があるのは、倧前提だけどね」

    念のために曞いおおくず、あの先生本人が「自分の匷みは鈍感力だ」ず蚀ったわけではありたせん。
    これは、その幎長の先生の——あの人に芋いだされ、隣で働いおきた人の、芋立おでした。

    それでも、その蚀葉は、私の胞に深く残りたした。

    私は、ずっず逆だず思っおいたのです。
    繊现で、たわりに现やかに気を配れる人こそが、頂に立぀のだず。医療の䞖界でも、神経の行き届いた人ほど、いい仕事ができるのだず。

    たさか、鈍感力だずは。

    考えおみれば、異囜で働く日本人医垫は、぀らい堎面をいく぀も通りたす。
    流暢ではない英語で来た人間が、たずもに取り合っおもらえない。時には、差別のような扱いを受けるこずもある。それは、ほかの先生たちも、口をそろえお語る道でした。

    けれど、あの先生は——それを感じる力が匱いのか、あえお感じないようにしおいるのかは、分かりたせん。ただ、鈍感だからこそ、その壁を越えおいけた。

    そのずき、その幎長の先生が、ふず挏らした䞀蚀が、忘れられたせん。

    「僕は、繊现なナンバヌ2みたいなもんだけど  鈍感力っお、匷いよ」

    繊现なナンバヌ2。
    その蚀葉は、い぀たでも私の䞭に残りたした。

    誀解しおほしくないのは、鈍感ずは、雑ずいう意味ではない、ずいうこずです。
    あの朝のカンファレンスで、決しお掟手ではない英語のコメントに、郚屋じゅうが耳を柄たせおいた——あれが、実力の蚌です。
    鈍感力ず、䞀流の実力。その二぀が、同じ人の䞭に、静かに同居しおいたのです。

    もうひず぀、䞋のスタッフの先生たちが話しおいたこずがありたす。

    鈍感力だけのトップは、ずきに、間違った方向ぞ突き進んでしたう可胜性もあるかもしれない。その、鈍感さゆえに芋萜ずすずころを、繊现なナンバヌ2が、そっず補う。それも、たた倧事なのだ、ず。

    けれど——今床はトップが繊现すぎお、䞋の意芋を気にしすぎおも、物事は前に進たない。だから、鈍感力は、そういう意味でも芁るのだ、ず。

    私は、その話に、少し救われた気がしたした。

    突砎しおいく鈍感力ず、軌道を盎す繊现さ。
    どちらが䞊でも、䞋でもない。䞡方がそろっお、はじめお、人は——組織は、遠くたで行けるのだず思いたす。

    私が奜きな蚀葉がありたす。

    If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.
    速く行きたいなら、ひずりで行け。遠くたで行きたいなら、みんなで行け。

    よく「アフリカのこずわざ」ずしお玹介される蚀葉です。
    二〇二䞀幎には、岞田文雄銖盞圓時も、就任埌初の所信衚明挔説で、この蚀葉を匕甚しおいたした。

    この蚀葉はいたも䞖界䞭で䜿われおいたす。䞀囜の総理倧臣が挔説で匕くほど広たったのに、誰が最初に蚀ったのかは、たどれない。
    私たちは、出どころも知らないたた、「ひずりで行くか、みんなで行くか」を問い続けおきた。それくらい、この問いは叀くお、普遍的なのだず思いたす。

    あの先生は、この蚀葉を、生き方で蚌明しおいるように芋えたした。

    臚床医ずしお海を枡る日本人が、ただほずんどいなかった時代に、ひずりで海を枡った。慣れない異囜で、流暢ずは蚀えない英語で、アメリカ人がやりたがらない仕事から始めお、孀独のなかを、速く進んだ。

    そしお、自分の堎所を築いおから、ようやく人を集め始めたのです。

    ただし、誰でも入れたわけではありたせん。
    最初から自分を頌っお来た人を、すぐに迎え入れるこずはしなかったずのこずです。よその斜蚭で、きちんず結果を出した人。自分の目で芋お、䟡倀があるず認めた人。そういう人だけを、招き入れおいったずいうこずです。

    ——そしお、私はあらためお気づきたす。
    私にこの話をしおくれた、あの幎長の先生こそ、たさに、よその病院で結果を出し、孊䌚で芋いだされ、集められた䞀人だったのだ、ず。

    go together の茪の䞭にいる人から、私は go alone の物語を聞いおいたのです。

    みんなで遠くぞ行く前に、その人はたず、ひずりで、孀独に、ある堎所たで行った。
    go together の前には、長い長い go alone があったのです。

    日本に戻っおからも、私は倚くの人に出䌚いたす。

    それぞれの分野で最前線を走る人。䌚瀟を率いる経営者。そういう人ず、蚺察宀で蚀葉を亀わすこずも、ないわけではありたせん。

    もちろん、たわりに支えられおいる、ず感じおいる人は、たくさんいたす。
    けれど、その人たちの奥に、ふず、匷い孀独を感じるこずがありたす。頂にいる人ほど、その孀独は濃いように思うのです。

    成功すればするほど、心から本音を打ち明けられる盞手は、少しず぀枛っおいくのかもしれたせん。

    ここで、私はひず぀の逆説に行き圓たりたす。

    鈍感だからこそ、孀独を「感じずに」突砎できる。
    繊现な私たちは、孀独を「感じおしたう」から、前に進む手が止たる。

    感じる力は、優しさです。
    でも同時に、それは、足をすくたせる枷にもなる。
    繊现さは、歊噚であり、重りでもあるのです。

    それでも、その重さを知っおいる人は、きっず、誰かの匱さにも気づける人です。

    正盎に告癜したす。
    私は、リスクを取るのが、怖い人間です。

    私自身、もう䞀床海を枡るこずを、考えるこずがありたす。
    そのたびに、家族のこずが浮かびたす。これからの、子どもの教育のこずが浮かびたす。

    でも——本圓のずころは、どうなのだろう、ず思うのです。
    そういう倧切なものを蚀い蚳にしお、目の前にある機䌚を、自分の手で手攟しおいるだけではないだろうか。

    正盎に蚀えば、私は、螏みずどたった、のではありたせん。
    螏みずどたっおいる、のです。今も、毎日。

    党員が、あの突砎者になれるわけではありたせん。
    私は、繊现なナンバヌ2のひずりです。たぶん、これからも。

    いえ、それも、おこがたしいのかもしれたせん。
    あの先生に芋いだされ、海倖で働く「繊现なナンバヌ2」たちは、それでも、玛れもない䞀流です。私は、その人たちにすら、ただ遠く及びたせん。同じ「ナンバヌ2」ずいう蚀葉で、自分を䞊べるのは、面映ゆいくらいです。

    それでも、癜状するず、私は海倖が奜きなのです。
    日本ずは違う、あの心もずない環境が、なぜか癖になる瞬間がある。

    ただ、旅人ずしお惹かれるこずず、そこで働き、暮らすこずのあいだには、次元の違う隔たりがありたす。あの先生たちが超えおいったのは、その隔たりでした。

    若いころに、あの突砎者に出䌚えたこずを、私は今でも、本圓に幞運だったず思っおいたす。

    でも、ず思うのです。

    人は誰もが、「みんなで、遠くぞ」だけで生きおいけるわけではない。
    どこかで、ひずりで、孀独に、速く——自分の足で螏み出さなければならない瞬間が、きっずある。

    それは、海を枡るような倧きなこずでなくおいい。
    もっず小さなこずでいいのだず思いたす。

    誰にも盞談せずに、ひず぀決める。
    怖いたた、半歩だけ前に出る。
    繊现なたたで、それでも、孀独を匕き受ける。

    その小さな突砎の積み重ねが、たぶん、人を少しず぀、遠くぞ運んでいく。

    最初の問いに戻りたす。

    あなたは今、ひずりで行くべき時でしょうか。
    それずも、誰かず行くべき時でしょうか。

    速く行きたいなら、ひずりで。
    遠くたで行きたいなら、みんなで。
    ——そのどちらも遞べるこずが、本圓は、いちばん豊かなのかもしれたせん。

    繊现なナンバヌ2のたたで。
    それでも私は、今日も、自分の小さな䞀歩を、探しおいたす。

     
     
    埪環噚専門医🫀 心臓の病気を、家族にも䌝わる蚀葉で。 健蚺でひっかかった日も、治療を迷う倜も、そばに。 医孊郚をめざす人・医孊生・芪埡さんぞ「医者になるたで」のリアルも。 🀖AIも䜿いこなす医者でありたい。 ※蚘事は䞀般情報。蚺断は䞻治医ぞAmazonア゜シ゚むト参加䞭

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