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nightmare creature 奇談

    あらすじ

    17歳の少女・佐々木と過ごす、甘酸っぱくも眩しい逢瀬。主人公の「僕」は幸せの絶頂にいた、しかし、観覧車のゴンドラで理由もわからず涙が溢れ、別れの予感に震えだす。

    実はこの世界は、事故で生死の境を彷徨う「僕」の壊れかけた脳が最後に見せた、儚い夢の幻灯機だった。

    記憶を喰らう「夢魔」の侵食により、大好きな彼女のディテールが消えゆく深淵の海。それでも「僕」は、愛した少女の笑顔を守る為、存在しない世界で不可視の剣を握りしめる。

    現実のICUで魂の悲鳴を受信し、彼の夢へダイブした24歳の研究者。仮の名前・かなめの視点を交え、忘却に抗う命の煌めきを描く、切なくも美しいSF純愛ダークファンタジー。



    本編

    佐々木さんと僕


    僕に霊感は無い。

    霊感とは、超常現象を認識出来る特別な力のように思われている。
    だけど実際の所、そんな特別な能力ではなくて。
    例えば空気みたいな。
    肌で空気の流れを感じるみたいに、霊気を感じるひとも居るだろう。
    空気の屈折が蜃気楼を見せるみたいに、霊気の塊や幽霊なんかの揺らぎも目に映るかも知れない。
    角度だったり反射だったり…。

    空気の流れを感じることが特別な力だと言うのなら、空感なんて言葉も出来たかも知れないね。
    僕が知らないだけで、本当は有るのかもだけど。

    僕みたいに視力の悪い人が居るように、ただちょっとピントが合ってないだけで、焦点を変えると今までに視えなかったものが見えるようになる…かも知れない。

    視力を補正する眼鏡のような、霊感を補正する為の道具があるかも知れない。

    それに近いものはあると思う。
    お数珠とか、御神刀とか。
    何か神懸かり的な物を持ち出して、霊力を発揮…行使…。

    でもそれは、よっぽど特殊な物でも無い限りそれ自体に特殊な力があるとは限らない。

    自分が持っている力に方向性を与えるだけで、切る力として刀とかハサミとか。
    使うひとの能力に応じて切れ味が変わるみたいに。
    その刀の切るという方向性が使い手によって、なまくらになったりすごく切れたり。

    持っているだけで落ち着く物がこの世には有って、お守りだとか音楽プレイヤーだとか。

    そうやって気持ちの集中に使えるのなら、ぬいぐるみにだって、タバコにだって、御神刀の代わりになると思う。

    言葉で霊力を発揮する呪文や言霊も、一種の精神統一の手段として考えるなら、物である必要すらない。

    頭から、見えない聞こえないと思っている事も、常識が邪魔をして誤認しているだけだ。

    ちょっと注意してみるだけで、誰もが認識できる全然特別じゃ無い、普通の力なんだ。

    だから、僕には特別な能力としての霊感は無いと言う事が出来る。

    視力が無い事と霊感がない事とは似ている。
    視る能力に特別卓越している訳でもない。

    やっぱり僕は目が悪いだけの普通人間なんだ。


     疲れた時ほど夢を見る。
    そして、そこは別の世界…。
    悪しき思いが、現実になる。

    「じゃぁなんで眼鏡かけたままなんだよ?」
    僕の目の前で机に腰掛けた友人が言う。
    前髪をかきあげ、疑いのまなざしを僕に向ける。
    女の子なんだから、机に座って足を組むなんてみっともない事やめたら?と何度と無く言ったけど、まったく聞き入れてくれない。

    この友人は、佐々木淳子。
    彼女はどうも僕の言葉を本気には捉えない節がある。
    「いや、本当だって」
    僕は信じて貰いたくて、もう一度言った。
    「最近目が良くなったんだ」
    僕はそう言いながら、僅かにずれた眼鏡を指先で直した。
    実際、日常生活がままならない程に近視が進み、乱視に斜位まで加わって平らなとこで転べるほどに眼鏡が必要な人間ではあるけど。「本当に、昨日の夜だってとっても遠くが見通せる位にクリアな夜景が見れたし」
    もちろん、この分厚いレンズの付いた眼鏡がないと生活がままならないのは変わらない。けれども遠くの看板だって鮮明に見えるようになってた。
    「じゃぁ、この先の看板見えるか?」
    言って佐々木は窓の外を指さしてみた。
    僕は指のさす先に目をやった。
    佐々木がどの看板をさしているのかは判らなかったけど、取り敢えず適当な看板に向かって目を凝らしてみた。
    「…」
    空は快適に晴れ、視界は良好だった。
    「どう?見える?」
    佐々木が言う。
    「ちょっと待って…」
    僕は目を凝らす…うっすらと見える看板を。
    「マンションの看板?」
    「なんて書いてる?」
    「えと…」
    「何とかハイツ…?」
    「見えてねぇじゃん」
    「証拠は挙がってンだ、観念しろ」
    佐々木は嘘を見抜いたお奉行様のように言った。
    僕はまるで容疑者みたいだ。
    「おかしいなぁ…」
    僕は眼鏡をかけ直した。
    「おかしいのはあんただ」
    言って佐々木は僕の頭を叩いた。
    「バカやってないで帰るぞ」
    いつの間にか帰り支度をすませた佐々木は僕に促した。

    「おかしいなぁ…」
    帰り道、佐々木と並んで歩きながらつぶやいた。
    「まだ言ってンのか?」
    佐々木は眉間にシワを寄せて言った。
    「気のせいだって。お前は目が悪い。諦めろ」
    高望みをする生徒に引導を渡す進路指導のような口ぶりだ。
    「そうかな…」
    僕は釈然としない気持ちで呟いた。
    「そう。気のせい。まぁほんとに視力が回復したら俺がこうやって一緒に帰ってやる事も無くなるし、気楽になれるんだがな」
    ふざけた口調で笑いながら佐々木が言った。
    「ん、悪いな…感謝してるよ」
    僕は本当に視力が無い…まったく見えないわけでは無いけれど、夜になったらもう全然と言っても構わないほどに見えなくなる。
    眼鏡をかけていても夜目が利かないから、毎日佐々木に近くまで送って貰っている。
    普通逆だろ?と思うかも知れないけれど、家が近所な事が幸いしてか、佐々木も甘えさせてくれる。
    「ひょっとして、一緒に帰るのが嫌で、そんなこと言ってるんじゃ無いだろな?」
    佐々木は鋭い眼光で僕を見据える。
    「そんなこと、あるわけがない」
    僕は否定した。
    「佐々木は僕の大切な目だ。感謝はしても、嫌に思う事なんてないよ…それに…」
    「それになんだ?」
    佐々木が問いつめる。
    「いや、何でもない」
    それに…僕は、恋愛感情に似た気持ちを抱き始めている。
    そんなことが言える訳がない。
    「煮え切らない奴だ」
    佐々木は鼻息を荒く言った。
    「代わりに佐々木が男らしいからな」
    僕はおどけて言った。
    「違いない」
    言って佐々木も笑った。
    笑う佐々木の姿が悲しそうに見えたのは、僕のただの空想かも知れない。僕の希望か…。

    部屋の窓から夜景を見渡す。
    近くにさほど高い建築物は無い。あるのはこのマンションくらい。
    更にマンションの六階ともなれば、眺める夜景も良い感じだ。展望台と違ってタダだし。
    眼鏡越しに街の灯を眺める。
    暖房で暖まった部屋に意志を持った刃のような風が窓から吹き込む。
    僕は窓辺にもたれ、夜景を眺めた。
    「おかしいなぁ…」
    冬場は何でか視界がクリアになる。
    空気が冷えてどうのこうのって事は聞いたことがあるけれど。
    それとは違う感じで視界がクリアになった。
    …この間は。
    「…」
    この間…何が起こったんだろうか?
    夢を見た気がする。何か怖い感じの。
    そこで、僕は、何を見た?
    とても…怖い…夢。でも、楽しかったような気もしないではない。
    「かなめ…」
    ふと口を次いで出た言葉に僕自身戸惑った。
    かなめ?かなめって何だろう?
    「かなめ…」
    もう一度言葉にしてみた。
    人の名前だったか?判らない…。かなめ…。「寒っ」
    僕は部屋の空気が完全に冷めてしまっていることに気が付いた。
    「これじゃ風邪をひく」
    僕は窓を閉めて、冷たい風が部屋を浸食するのを閉ざした。
    「ん?」
    窓の外、一瞬だけ、誰かがこちらを伺っているような気がした。
    もう一度窓を開けて辺りを伺ってみたけれど、まったく何も見えなかった。
    前の通りに誰か居たとしても僕からは見えるわけがない。
    「気のせいかな」
    僕は、人一倍視力が無い事にかけては、自信を持っている。
    だから当然気のせいだと思ったんだ。
    「寒いな、風呂入るかな」
    僕は独り言を呟いて、自室を出て行った。

    その、誰かが本当にこの部屋を、ましてや僕を伺っているなんて思いもしないで。

    翌日、やっぱり僕は風邪をひいた。
    予想が的中するのは、試験の時だけで良いのにと、佐々木に言ったら全くだと返された。
    「うつすなよ」
    朝そう言ったきり、佐々木は僕に近寄らなかった。
    帰り道も今日は一人だ。
    「日が暮れる前に帰れよ」
    そう言って佐々木はさっさと帰ってしまった。
    僕はほんのちょっとだけ悲しいような気持ちになったけど、まぁ仕方ないかなと思い直した。
    この上風邪をうつしたなんて知れたら、クラスメイトもうるさいだろうし、なんと言っても佐々木に申し訳がない。
    「仕方ない、今日は一人で帰ろう」
    呟く相手は既に彼方へと行ってしまったが、それでも僕は呟いた。
    家路に至る道、僕はあれこれ考えていた。
    風邪をひいて、しばらくの間佐々木と疎遠になって、このまま自然消滅…それはいやだなぁとか。
    そもそも、消滅も何も付き合ってないって。僕は苦笑した。
    曲がり角に差し掛かった時僕はどきりとした。歩道から住宅街へ抜ける曲がり角、そこに女の人が立っていたからだ。
    長い髪の女の人。
    一瞬だけちらりと僕の方を見てそのまま僕とは反対方向、つまり僕の後ろの方へ去っていった。
    佐々木と違って女の子っぽい、女の人。
    多分僕より年上だろうと思った。
    勝手に驚いて、ごめんなさい。
    僕は心の中で謝っておいた。
    ふとした事に驚くほど、注意力が散漫していたのだなと結論づけた。
    車じゃ無くってよかったねと、改めて思った。
    佐々木はもう家に着いたかな?実は後ろにいたりして…。
    「…」
    僕は何気に…いや、期待してかな、振り返った。
    そこにはさっきの女の人が居た。
    僕とは反対方向に歩いていった筈の人が。
    ちょっと離れたところからこちらに向いて…、ちょうど振り返ろうとしていたみたいな。「…」
    佐々木は居なかった。
    当然だと思ったけどちょっと残念かな。
    希望的憶測と散漫な注意力が事故を誘発する…と、何かの本に書いてあったような気がする。
    前を向いて歩かなければ。
    僕の歩行ペースはかなり遅いみたいだ。
    横に佐々木が居て、それに合わせて歩いていた時はこんなに時間をかけて歩いていたとは思えないほど、一人の時の僕は、ゆっくりみたいだ。日が沈んでいく。
    もうすぐ、辺り一面夜が来る…。
    気が焦る。夜は危険だと本能が囁き始める。
    首の後ろの辺りが、ちりちりとしてくる。
    鼓動が加速する。それに比べて歩行速度は亀のよう。
    夢の中に居るみたいに、歩いても前に進まない…気が焦る。
    それを見透かすように街全体が夜に覆われていく。
    子供達は夜の住人…どこかで聞いた言葉だけれど、僕にはそれは当てはまらない。
    僕は夜が怖いから。
    闇に紛れて、何かの影や聞こえない筈の音…。
    つまり夜の音や影の中の気配。
    「さっきの人は僕を見ていたんだろうか?」
    道に迷って、声をかけようとしていたのかも知れない。
    「……」
    振り返ってまだ居るようだったら声をかけてみようか…。
    遠くにいたら、もう放っといて家に帰ろう。そう思って僕は振り返った。
    「……」
    だけど居なかった。
    僕の目では個人を認識するだけの視力を持たない。
    けれど、もう姿も見えないなんて…。
    「意外に足の速い人か…近所の人かな?」
    僕も帰ろう。
    「こんばんは…」
    「うわっ!」
    突然耳元に声がした。
    恐る恐る振り返る僕の目の前にさっきの女の人が居た。
    通り過ぎ、こちらを見ていた女の人が、後ろではなく前に居て、僕に声をかけた。
    ひじくらいの長い黒髪が、夜風になびいていた。
    「こ…んばんは…」
    僕は声を絞り出した。
    女の人は、僕に優しく微笑みかけ、
    「ふふっ」と薄く笑った。
    「早く帰らないと、夜が…来ちゃうよ?」
    耳元で囁きそのまま僕を通り抜けた。
    「え…!」
    恐怖で首筋の筋肉が麻痺したように感じた。
    これが、戦慄というものなのか判らないけど。
    息を切らせ、家にたどり着いた。
    呼吸を整えて安堵のため息をついた時、後ろに人の気配を感じた。
    振り返るのをためらう僕に、痺れを切らした様に後ろから
    「よう」
    と声が掛かった。
    佐々木だった。
    僕はほっとした。涙が溢れそうになる。
    慌てて、振り返るのをやめた。
    「なに?」
    泣きそうなのをこらえて普通を装った。
    「その、今日は悪かったな…」
    それだけ言うと、足音が遠ざかるのが聞こえた。
    「佐々木が悪い訳じゃない…」
    言った言葉は、佐々木の耳には届かないだろうとは思ったけど、でも言いたかった。
    「怒ってるように見えたかな?明日謝ろうか」

    その夜、夢を見た。
    僕と僕の隣で刀を振るう女の人。
    僕は彼女が佐々木ではないかと思い、顔を見つめた。
    夢の記憶は曖昧で、彼女が佐々木だったのかは判らなかった。
    夢の中で「かなめ」という言葉が何度か聞こえた。
    佐々木は淳子だから「かなめ」じゃない。
    刀の人が「かなめ」なのか違う誰かが「かなめ」なのかは判らなかった。

    ベッドの中で伸びをした。
    体中が軋む。
    昨日急いで帰ったことで筋肉痛にでもなったかな?
    普段全く運動をしないことがこんなに体に苦痛を与えるなんて。

    「少しは運動した方がいいのかな」
    痛む腕をさすりながら僕はひとりごちた。
    え…腕?
    筋肉痛は足にくるべきだろうが、腕も振って走ったのかな?
    少しの違和感を感じたけれど、さほど気にはとめなかった。

    「おはよう佐々木」
    僕は佐々木に挨拶をした。
    佐々木は「おう」と返事を返してきた。
    「風邪はもう良いのか?」
    マスクをつけていない僕を見てそう返した。
    「昨日は悪かったな…」
    そういう佐々木に、僕は苦笑いをして見せた。
    「帰り道怖かったろう?お前は歩くの遅いから。あんなに遅くなるとは思わなかったけど」
    申し訳なさそうに目をそらした。
    「ううん気にしてないよ。暗くてちょっと夜の音とか怖かっただけだから」
    「そうか…」
    怖かった。と言ってしまったことに少しハッとした。
    「昨日は、怖くて泣きそうになってて恥ずかしくて…別に怒ってたわけじゃないよ?佐々木にはいつも助けられてるし。感謝こそすれ恨んだり嫌ったりなんて…むしろ僕は佐々木が好きなんだ」
    佐々木を励ますために、にこやかに微笑んで見せた。
    「ばっ!そんなさらっと…こんなとこで…」
    佐々木は顔を赤くして怒っている…いや照れている?
    「え?僕怒られるようなこと言ったかな?」
    僕はシュンとしてつぶやいた。
    「いや、怒ってる訳じゃない…いや怒ってるか…あーえっと…どっちだ」
    判然としない表情で、考えるような仕草をしていた。
    「そんなことはどうでも良い!」
    思い出したようにこっちに向き直り語気強めに言った。
    「どうでも…いい…の?」
    僕は良く判らなくなって返事を返した。
    「いや良くない」
    佐々木は「あーっ!!もういい!!」と頭をかきむしった。
    佐々木は僕に向き直り真っ直ぐ指をさすと視線で殺されるんじゃないか?と考えてしまうぐらい強烈な睨みをくれた。
    「終わったら待ってろ」
    それだけ言うと短くため息をついて教室に向かった。
    「なんだ?」
    僕は、怒ってない事を伝えたかっただけなのに。けんかした訳じゃないけど仲直りしたかっただけで…。

    一日中、佐々木は僕の方を見なかった。
    これまでも、学校で特別仲良くしてもらってた訳じゃないけど、あからさまに僕を避けている風だった。
    放課後になって、どこで待ってれば良いのか話さなかったから判りやすいように教室で待つことにした。
    お説教されるのなら、座れるところの方が良いし。
    クラスメイトは順に帰って行き、或いはクラブ活動に赴いていった。

    「佐々木遅いなぁ…」
    僕は頬杖をつきながら思案を巡らせた。
    「やっぱり昇降口の方が良かったかな?」
    昇降口に向かおうかどうしようか考えあぐねている間に刻々と時間が過ぎていく。
    クラブ活動のかけ声がシーンと静まりかえった教室に聞こえる。

    「佐々木が部活に入らないのは僕のせいだろうな…」
    毎日、夜目が利かない僕を家まで送る。
    部活なんてやる時間が無い。
    僕も部活をすれば、帰り時間を合わせることだってできるのに。
    文化系だけど。
    いつから、送って貰ってるのかは覚えてないけど…。
    「いつから…」
    僕は思案を巡らせるように首をかしげた。
    「今来たところだよ…」
    気がつくと教室の中に佐々木が居た。
    「やあ」と僕は手を挙げて見せた。
    佐々木はにこやかに僕の真似をするように「やあ…」と手を挙げて見せた。
    「…じゃない!!どんだけ探したと思ってる!!」直前のにこやかな作り笑顔は鬼も裸足で逃げ出す形相に変わっていた。
    「落ち着いて話すならここが良いって思って…」
    僕はそう告げた。
    「先に帰ったかと思った…」
    安堵の表情でため息をついて見せた。
    「いや、何だか話が有りそうだったから、座って話せるところが良いかなって…」

    「さっき教室を出てったよな?」
    問いただすように口を開く佐々木。
    「うん。話の腰を折らないために先にトイレに行っておこうかと思って」
    「てっきり昇降口あたりで待つのかと俺も教室を出た。だけど一向に見あたらない…。校門で待ってるのかと向かってみたが居ない。諦めて教室まで戻ってみたら!」
    ふつふつと怒りがこみ上げてきたのか語気がだんだんにあがっていた。
    「僕、鞄は持って出なかったよ?佐々木のもそこにあるし、どこに行ったのかは知らなかったけど待ってたら戻ってくると思ってた」
    「ああ!もう!」
    冷静に落ち着いて話す僕が悪かったのか、佐々木はぶち切れ寸前だった。
    「……」
    佐々木は僕に背中を向けた。
    昨日僕が佐々木に背中を向けたときのように。
    拒絶されているような感覚でふと申し訳なく思った。
    「ごめんね…勘違いさせちゃって」
    僕がそういうと佐々木は背中を向けたままうなずいて見せた。
    そうして少しの間黙っていると、佐々木は僕の向かいの席の椅子をこちらに向けて座った。
    佐々木はシュンと申し訳なさそうな表情をしていた。
    うっすらと目元が濡れていた。
    それを見た僕は何だか切ない気持ちになったんだ。

    「今朝のも勘違い?」
    佐々木が口を開いた。
    「え?怒ってないよ。って言ったあれ?」
    僕は今朝の話を思い返した。
    確か「昨日は、怖くて泣きそうになってて恥ずかしくて…別に怒ってたわけじゃないよ?佐々木にはいつも助けられてるし。感謝こそすれ恨んだり嫌ったりなんて…むしろ僕は佐々木が好きなんだ」そう言った。
    「うん」
    佐々木が頷く。
    「ごめんね、勘違いさせちゃって。恥ずかしくて…つい」そんな事かと僕は安堵のため息をついた。

    「恥ずかしくて…つい…だとお!?」
    佐々木は何でか握り拳を固く結んでいた。
    「しかも…、ごめんで済むかああああああ!」
    歯を上下合わせたまま絞り出すように言った。

    恥ずかしくて、つい、振り返るのを止めた。それを怒ってると勘違いさせた。
    そのことで話があるから、今こうして謝罪して…。
    どこにおかしなところがある?
    「ごめん。何を怒ってるのかわかんない…」
    僕が正直にそう告げると、佐々木は目に涙を浮かべた。
    怒りで涙が出るほどなのか…。
    僕は申し訳なくなった。
    「ごめ…」
    「謝るな!」
    佐々木が制した。
    佐々木はポロポロと涙を流し、それが頬を伝い、仕舞いには嗚咽をあげている。
    それを見て僕は胸が締め付けられた。
    何でこんなに怒っているんだろう。
    何でこんなに泣いているんだろう。
    泣いている佐々木を見て愛おしく思えた。
    励まして、頭を撫でてあげたくなった。
    佐々木はきっと拒絶するだろうから、僕は無言でその衝動から耐えた。

    ここに誰も居なくて良かったと思った。
    それは僕が恥ずかしい思いをするからではなくて、佐々木が…まるで、僕に振られて泣いているみたいだから。

    僕は佐々木が好きだ。
    僕が佐々木を振るわけがない。
    だからそんな勘違いで噂を立てられたら佐々木が可哀想だから。

    むしろ、僕が振られる側で、泣いているのが僕で…。
    段々悲しくなってきた。
    「うぅ…」僕まで泣き出してしまった。
    佐々木を見ていたら、可哀想で、愛おしくて、振られた想像をして、何かごちゃ混ぜになって…。
    何が何だか判らないけれど、二人して泣いた。

    佐々木が、泣かなくて済むような相手に恵まれますように。
    それが僕であれば嬉しい。
    「僕は佐々木が好きなんだ」
    もう、感情が高ぶって、僕は何を言えばいいのか判らなくなってた。

    「それは、佐々木が僕を助けてくれるからだけじゃなく、今本当に愛おしい気持ちで一杯で佐々木が泣かなくて済むように僕が守ってあげたいって心からそう思ったんだ」
    僕は振られることを意識もせず、何で泣いているのかも判らない佐々木を励ますこともせず。
    むしろ守られているのは僕の方なのに。
    今思ったことを佐々木に伝えた。

    「…今…、俺は何で泣いてるんだ…?」
    佐々木は気が動転したのか、そう口走った。
    「…」僕は答えなかった。
    答えを持ってないから。
    何で泣いてるのかは僕の方が知りたいくらいだった。

    「俺、お前に今朝、好きだって言われて、動揺して放課後ここで再確認したら、勘違いだって言われて」自分の状況を見つめ直し反芻している。
    「え、あ…あのときはそういう意味じゃなくて純粋に…友達として好きだって意味合いで…」僕はしどろもどろに答えた。
    そして今判った事がある。
    好きだと言われて、動揺してくれた。
    それはつまり…。
    「今、泣かなくて済むように守るって言ったのも友達としてか…」
    泣き疲れたのか佐々木は体の力が抜けたようにうなだれている。
    「僕は佐々木が好きだよ。友達としても、それ以上にも」
    このまま勘違いで済まされたら、きっとダメなんだ。
    「俺、告白されたんだよな?」疑問系で問い返してくる。
    「うん…はい。告白しました」僕は恥ずかし気もなくそう答えた。
    「そうか…」
    俯きそう答えた佐々木は、言葉の意味を理解するのにそう時間はかからなかった。
    「え、ちょ、あれだ、暗くなってきたから…帰ろう」言って足早に鞄を抱えて教室を出た。
    「早くしろ、急げ」そう言って背を向ける佐々木からは拒絶を感じない。
    僕は急いで鞄を持つと佐々木の後ろについて早足で歩いた。

    ベッドの上で、今日起こった事を思い返した。
    恥ずかしさで、壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られた。
    さすがにそれは二つの意味で痛いので代わりに枕で叩いておいた。

    「また明日、学校でな」
    そう言って僕を家まで送り届けてくれた佐々木はいつもの佐々木に見えた。
    本当なら、僕が佐々木を家まで送り、同じ台詞を吐いても良いぐらいだけど。
    「ありがとう。また学校で」僕もそう返した。

    「返事はちゃんとするから、時間をくれ」
    そう言って反らす顔の赤みは、街灯で染められているからでは無いことを期待したかった。

    僕は上気した顔を冷ますために窓を開けた。
    突き刺さる冷気も、今の僕には心地よい。
    きっとうまくいく。
    何の疑いもなくそう思わせるのは、佐々木の言動からだった。
    「ただ…」
    ただ、返事に時間を要するっていうのは、時間を空けて冷静に、僕のことを値踏みして、自分の感情と照らし合わせて…。
    「それでもオーケーを出すことは有るんだろうか…」
    冷静に考えてみると、それは難しいんじゃないか…。という考えに落ち着く。
    僕のできることは、ただ祈ることだけで…。
    もう既に案件は僕の元を離れて、詮議待ちだから。
    「考えるだけ仕方がない…っていうのは判ってても…」
    とっくに上気していた顔は冷たくなっていた。
    また風邪を引いたなら、佐々木にだらしない男だと再認識させてしまう。
    このまま寝て、明日の結果を待とう。
    そう考えながら、深い眠りについた。

    若干、寝過ぎた事により、あわや遅刻するところだった。
    朝の余っている時間を意識しながら過ごす事を考えたらこれはこれで良かったのかも知れない。
    そう考えながら入った教室の中に佐々木は居なかった。
    「寝坊かな?」安堵とも残念とも考えながら放課後が訪れた。
    佐々木は来なかった。
    昨日、帰るのは僕より当然ながら遅かっただろうし、寒かっただろうから風邪でも引いたかな?
    だとするなら、それは僕の責任で、お見舞いに顔を出した方が良いだろうか…?
    家の場所は判ってる。
    僕の住むマンションからさほど遠くないところに住んでいる。
    子供の頃は何度か遊びに伺った記憶も…有るような無いような…。
    「まぁとにかく…。どうしようか」
    僕は迷った。
    僕の責任で風邪を引いて、お見舞いにも来ないなんて…となるか、だけど逆に返事を迫ってるようにとられても困るし…。
    「もう一日様子を見よう」
    そう考えて、はやる気持ちを抑えた。

    今日も佐々木は来なかった。
    先生は体調を崩している…。と言っていた。

    僕はこのまま、佐々木と会えなくなるような、そんな不安な気持ちになった。
    「週末になったら…それでも来なかったら…」
    僕は佐々木の家に行ってみようと考えたんだ。

    朝から、出かける支度をして手ぶらで行くのもどうかとは思ったけれど、花を買ってそれを持って行く勇気が持てなかった。
    「花ぐらい…とか言われたら、謝ろう」
    食べ物を買っていくか?そう考えてコンビニに入ったけれど、お菓子か肉まんか…?考えあぐねて結局今日発売の漫画雑誌を買って持って行くことにした。

    さあここからが正念場だ。
    呼び鈴を鳴らし、ちゃんと挨拶ができるのか?
    「関係を聞かれたらなんて答えようか…」
    告白して返事待ちのただの友達です。なんて事を考えた。
    僕は頭をぷるぷると振って考えを放り投げた。
    「おはようございます。僕はクラスメイトの…」
    僕はインターホンに向かって話しかけた。
    「開いてるから上がってちょうだい」と言い終わる前に家の中に迎えられた。
    年頃の女の子の家に男が訪ねてきて、それが見舞いでももう少し詮索される物だと考えていただけに少し拍子抜けだった。

    「…お邪魔します」
    玄関の扉を開いて中に入ると佐々木のお母さんが居た。
    僕を快く思ってないのか、横目で睨まれているような視線を送られた。
    「淳子は部屋にいるから」
    それだけ言うと二階に上がる階段を視線で指示された。
    「失礼します…」
    母親の前を通り過ぎ階段を上がっている間、背中にじっと見つめられている視線を感じた。

    ドアをノックして、返事はなかったけれど一拍おいてドアを開いた。

    「入るよ?」言ってドアの中に入り後ろ手にドアを閉めた。

    佐々木は眠っていた。
    見たところ、顔色は特に悪くない。
    熱があるようにも見えない。
    ただ眠っているだけのような…。
    僕はほっとした。
    ただ寝息を立てて…。

    僕は佐々木の眠るベッドに跪き、顔を覗き込んだ。
    閉じたまぶたの下で目が動いている。
    「夢の途中…か」
    寝ている邪魔をするのも悪いし…。
    お母さんに状態を聞いてみたいし…。
    僕は心の中でおやすみ…とつぶやいて立ち上がった。

    振り返ると、そこには佐々木のお母さんが立っていた。
    「あ…あの、これは…」
    いつ入ってきたのか気付くことが出来なかった驚きと、そんなに集中して顔を眺めていたのかなと考えた戸惑いでしどろもどろになってしまった。

    もしかしたら、寝入ってる娘にキスをしようとしてるところを見つけて押し黙ってしまったのかも?とも考えた。
    そうなら言い訳を…いや、否定をしなければ。
    「あの…、佐々木さんは風邪か何かですか?」
    口から出た言葉はそれだった。
    言えるわけがない。
    キスしようとなんてしてませんよ。なんて。

    「その子はね…起きないんだよ」
    佐々木のお母さんはどこも見ていないような視線で僕に言った。

    「夢魔って判るかい?それに捕らわれちゃったんだよ…」
    言い終わると口元がにやりと歪んだ。
    笑いを堪えるような…。
    目は何も映さず、悲しんでいる風でもなく、ただにやにやと笑みを浮かべている。

    娘が病気で学校も休んで、心配するでもなくただにやにやと…。

    僕は何か怖いモノを感じた。
    この世の、入ってはいけないところに居るような…。

    例えば、制服を着てない時の学校の疎外感…いや、夜中の墓地…、それか武装しないで戦場に居るみたいな寄り所のない気持ち、試験に筆記用具を忘れたときの気持ちにも似ているかも知れない。
    当然戦場に居たことは無いし、筆記用具は借りれば済む話だ。

    「どうか、助けが入りますように…」
    きっと僕は混乱して居るんだ。
    置かれている状況が、僕の理解の範疇を越えようとしている。

    「ニゲテ…」
    僕はハッとした。
    声は僕の背後から聞こえた。佐々木が僕に逃げろと言っている。

    佐々木を残して逃げるわけには行かない気持ちと、何の力もない僕が残っても仕方がないこと…。
    冷静に…冷静に。
    僕は振り返った。
    佐々木が起きたのなら、連れて逃げようと思ったからだ。
    だけど、佐々木は先と同じように眠り、まぶたの下で目を動かしている。
    「じゃあ…」
    さっきの言葉は誰が…?
    「うわあああああああ」
    僕は逃げ出していた。
    部屋を出て階段を下り玄関を出てしばらく走った。
    佐々木の母親は追いかけてはこなかった。
    「さっきのはなんだったんだろう…」
    そう口に出して考え、先ほどの佐々木の部屋での光景を思い出して恐怖心が蘇る。
    戦場で武器を持って…それでも僕に戦うことが出来るとは思えなかった。
    ただ逃げることが僕には最善の策で、武器が無かったことがむしろ幸いする事もあるんじゃないだろうか?
    そんなことを考えて、そして、佐々木を残したまま逃げてきたことを思い出し震えた。

    佐々木は僕に逃げろと言った。
    その言質を言い訳に使う気持ちにはなれなかった。

    僕は、ただ、怖くて、逃げた。
    好きな…守ると決めた…女の子を置いて。

    「僕は…」
    僕は壊れてしまいたかった。
    何も感じないで、ただ壊れてしまいたかった。

    ベッドの上で安堵と後悔と悲しみのため息を吐いた。
    一杯泣いた。自分の不甲斐なさに。

    僕は散々泣いた後で、寝入ってしまった。
    目が覚めて、やるせなさや徒労感で頭の心がぼうっとする。
    寝ぼけているような、何も考えられなくて脱力感が支配している。

    それでも、心は僕を守ろうと何かを考える。

    経験したことは夢の中での出来事で、現実にそんなことは起こっていないのかも知れない。
    現実離れした、ひとに話したら「作家になれば?」と言われるかも知れない。

    僕は、もしかしたら本当はずっと眠っていたんじゃないか?

    佐々木のお見舞いに出かけて、何事もなく帰ってきて、不安か何かであんな夢を見て…。

    「うん。ありそう…」
    もうひとつ別な考えも浮かんだ。

    僕は今日、外へは出ていない。
    「全部が全部夢の出来事で、理由は解らないけど、佐々木に会えないかも知れないと考えてしまったことであんな悪夢を見た…」
    気持ちが段々落ち着いてきた気がする。

    だとするならば僕は、ひとつしなければならないことがある。
    「佐々木のお見舞いに行かないと」
    僕はそう独りごちて、何度も何度もうなずいた。

    まだ夕方という程は遅い時間でもない。
    今からでも、顔を見るだけなら…。
    僕は出かける支度をした。
    「ちょっとだけ顔を見て…そして安心して帰ってくるんだ」
    僕は自分に言い聞かせた。
    佐々木はきっとベッドで退屈そうに言うんだ。
    「わざわざ返事を聞きに来たのか?」
    女々しいやつだと笑うだろうか?
    僕は判ってる。
    佐々木はそんな事をいう人間じゃない。

    「途中で花を買っていこうか」
    僕は通りの花屋でオンシジウムという花で花束を作ってもらった。
    それを持って佐々木の家へ。

    さっきは恥ずかしいから…という気持ちから買わないで行ったけれど…。
    なんて言うか、謝罪とか申し訳ない気持ちを花でうやむやにしたいとか。
    何か理由が欲しかった。

    花瓶が有るだろうか…とか、いざとなったペットボトルにでも生けられそうだとか、色々な事を考えながら歩いた。

    佐々木の家に着いた。
    呼び鈴に手を伸ばす。

    「あの、僕佐々木さんのお見舞いに来ました」
    「今玄関を開けますね」とインターホンから少しの間を空けて、聞こえた声には聞き覚えがあるような気がした。

    程なくして玄関のドアが開いた。
    「どうぞ」
    佐々木のお母さんだと思われるひとは、さっき夢の中で見たひとと同一人物かは判らないけれど、優しく微笑んでくれた。
    「淳子は部屋に…寝ているかも知れないけどね」
    そう言って困ったような表情で二階への階段を見上げた。

    「上がっててくださいな。あとで飲み物でも持って行きますから」
    佐々木のお母さんは、訪ねてきた僕に怪訝な顔ひとつ見せないで台所に向かった。

    僕はもう夢の事なんか忘れかけて階段を上がった。

    「ほうらみろ。あれは僕の嫌な夢なんだ」
    僕は自分に言い聞かせるように小声で言って見せた。

    部屋のドアをノックし「佐々木?入るよ?」とだけ告げてドアを開けた。

    部屋の中は想像通りというか夢に見たままというか…。

    ベッドに横たわり、静かに寝息を立てる佐々木。

    ベッドの横に跪くように座り佐々木の顔を覗き込んだ。

    しっかりと閉じたまぶたの裏で動いている目。

    「夢の途中…」
    僕はデジャブを感じてハッとした。
    窓から差し込む光の加減は薄赤色に染まっているがその風景や部屋の作り、佐々木の眠るベッドの向き。
    ふと気になって振り返ったが、そこには誰も居なかった。

    「当然だ…」僕はそっと安堵のため息を吐いた。

    そして、見てしまった。
    視線を落とした先に今朝買った漫画雑誌。
    コンビニ袋から透けて…。
    「同じ雑誌をお母さんが買ってきたのかも知れない」
    重複しないようにとあえて今日出た雑誌を買って…。

    だけどあれは夢で…。

    きっとお母さんが今日、買ってきたんだ。

    僕はお財布の中にきちんとたたんで仕舞ったレシートを確認した。

    「そんな…」目の前にある雑誌と同じ名前の書かれたレシートを持っている。

    日付は今日で、時間は今朝で…まさかそんな…。

    僕は気がどうかしてしまったのかも知れない。

    壊れたいと望んで…壊れて…。
    のどの奥がキュッと締まるような息苦しさを感じた。

    そのとき部屋のドアが開いた。
    佐々木のお母さんが飲み物を持って入ってきた。

    お母さんに違和感を感じない。
    優しそうな笑みを浮かべて…僕の不安げな表情に気がついたのか、怪訝な顔をして見せた。

    「どうかした…?大丈夫?」良いながら佐々木のお母さんは僕の顔を覗き込んでくる。
    「うわあ」
    僕はとっさに後ろに後ずさった。
    心配して覗き込んで、それに驚いて後ずさるなんて、失礼過ぎて泣いてしまいそうな気持ちになる。
    それが普段の日常なら。

    だけど僕は佐々木のお母さんに近寄られることに極度の恐怖を感じた。

    「あの、佐々木はどうなってしまったんですか?」はぐらかす為にそして、聞きたかった事のひとつをお母さんに問うた。
    あの時お母さんは「夢魔」という言葉を吐き、「それに捕らわれた」と言った。

    「それがね、ただ眠っているだけみたいなの」
    お母さんはどうしたものかと首を傾げて見せたが、特に違和感はない。
    「すごい汗よ?これでも飲んで落ち着いたら?」
    言って僕にドリンクを勧めてきた。
    「あ。ありがとうございます」
    僕はひとくちふたくち喉に流し込んで、ひとつ深呼吸をした。

    「あのもうひとつ…聞いて良いですか?」
    僕は意を決したようにもうひとつの聞きたいことを言葉に出すことにした。

    佐々木のお母さんは「どうぞ」というように首を傾げて見せた。

    「僕…、今日ここに来るのは…何回目ですか?」
    お母さんの一挙動すら見逃さない気持ちで見つめた。

    何を言ってるのかしら?と不審な視線を送って、帰ることを促されて…。
    そして、後日佐々木に言い訳をするところまで想像できた。

    「なんだ判ってて来たのね」
    お母さんはころころと笑い声をあげて笑った。

    そしてお母さんの雰囲気が変わった。
    視線はどこも見ていない風で…。
    風も無いのにお母さんの衣服が揺らぐ。

    …お母さんじゃない…か。
    いやそんな事を考えている場合では無い。

    僕は逃げたかった。
    背後のドアを出るタイミングを伺う僕にそいつは言った。
    「また逃げるの?」
    嘲るように…。表情からは何も読み取れない。
    だけど、僕をここに止まらせるには十分な言葉だった。
    僕はもう後悔はしたくない。
    僕は無意識に眼鏡を外した。
    けんかでもする時みたいに。
    敵を目の前に、無謀だと思われるかも知れないが、ゆっくり目を閉じた。

    そして深呼吸。
    窒息しそうな息苦しさから解放された。
    酸素を与えらた脳はその活動を思い出す。

    かなめとなるのは呼吸と意志そして言葉。
    周りには目に見えないたくさんのもので満たされている。
    酸素しかり。霊気しかり。
    正常は清浄に通じ、払いは祓いに通じる。

    誰が言った言葉なのかは思い出せないけれど、思い浮かべたその言葉で何か不思議な充足感が得られた。

    「僕は佐々木さんを守ると決めた」
    僕の手には不可視の剣が握られている。

    「僕はあなたが何者なのか判りません」だけどこれだけは判る。
    「だけど、佐々木さんに良くない事をした。或いはしようとしている。それだけで僕が戦う理由になりうる」
    僕は一挙動で振り上げた剣を敵に向かって払った。
    不可視の剣は剣圧を帯びて敵に襲いかかった。
    誰にも聞こえない断末魔を残してそれは消えた。
    不穏な空気も祓われたように清浄になり、夕暮れなのに爽やかな気持ちを誘う。
    僕は部屋の窓を開けた。
    締め切った部屋に風が入る。
    突き刺さるような冷気が今は心地よい。

    「ん…」
    風を感じて佐々木が目を覚ます。
    大きな伸びとあくびをして。
    そこには眼鏡をかけた僕が居て、佐々木は目を丸くする。
    「あれ、何で居るんだ?」
    大あくびをした顔を見られた事に恥じらい、慌てて口元を隠した。

    「僕は佐々木のお見舞いに来たんだよ?それと、そろそろ返事を聞かせてくれないか?」
    僕は佐々木のことが大好きで、守りたくて…。
    普段守って貰っているのは僕の方だけど。
    佐々木がそれに気が付いていなくても、僕は僕の方法で佐々木を守るんだ。

    「淳子ーもう体調はいいの?」階下からお母さんの声が聞こえた。
    階段を上ってくる足音。
    開け放されている扉から姿を見せたのはやっぱりお母さんだった。
    「あら?」僕の顔を見てきょとんとした顔をして見せた。
    「淳子もすみに置けないわね」言ってにやにやするお母さん。
    「こんばんわ、僕淳子さんとお付き合いさせて貰っているクラスメイトの…」
    「まだオーケーしてないだろ!!」僕の言葉を遮って佐々木が叫んだ。
    「まだ…?」僕は佐々木に返した。
    「すみません、まだだそうです」僕は苦笑して見せた。
    「じゃ、今ここで返事をお願いします」僕は佐々木に深々と頭を下げた。

    「ああ!もう!」そう言って頭をかきむしる佐々木。
    「…いいよ…付き合ってやる!これで良いだろ?帰れ!」佐々木は照れくさそうに顔を背けて言った。
    やれやれと言った感じでため息を吐くお母さんと顔を見合わせた。

    「じゃ明日の日曜日はゆっくり休んで月曜に学校で」
    そう言って部屋を後にしようとする僕の背中に佐々木が声をかけた
    「明日も来い。お前はもう俺のものになったんだからな!忘れるな!」 振り返ってもそっぽを向いたままの佐々木を見て、僕は恥ずかしさでこっちを向けないんだと思った。
    「佐々木…好きだよ…」僕は聞こえるか聞こえないか判らないくらいの声でささやいた。
    「ばっ!」背中を向けた佐々木の耳までも真っ赤になるのを確認すると、僕は満足げに部屋を出た。
    「バッカヤロー」ドア越しに叫び声が聞こえたけれど返事は返さなかった。

    あの時祓ったもの…。
    あの黒いもやのかかった…、霊的な存在?。
    思ったままに言えば、佐々木のお母さんは不可視の存在に憑依されていた…?
    不可視の存在が、霊なのか妖怪なのかは判らない。

    ここ最近の事だけど、眠り病と呼ばれる症状を発症するひとが増えてきている。

    佐々木と付き合い始めてから…。
    つまりお母さんを祓った頃から特にその病気を耳にするようになった。

    ただ寝ているだけで、特に何の問題も起こってない。

    今は、だけど。

    僕は、登校の準備をしながらテレビを見ていた。
    見やすい位置に時刻が表示されて、番組の内容はオマケ程度。

    うちの家は共働きで、今時珍しくもないけれど、両親とも家に居ないことが多い。
    朝は適当に食べコーヒーを飲んでから家を出る。

    夜も適当に食べて、寝る。
    一人暮らしと何ら変わらない。
    クラスメイトは羨ましいと言うけれど、僕にはその気持ちはわからない。

    物心ついた頃には親が居なくて、捨てられたなんて事を言うやつもいた。

    そんな時は決まって佐々木が庇ってくれた。

    生活費は銀行に入っていて、自動で引き落とされるものとか支払いに時間を割くこともない。

    ひとりが寂しいなんて思うこともあったけど、それを伝えたいとき、近くに誰も居なかった。

    「よう!」待ち合わせていた通学路で僕に気が付いた佐々木が手を挙げた。
    僕も手を振って返した。
    「相変わらず歩くの遅いな」
    僕が近くまでたどり着くまでの何分かが佐々木にとってはじれったいんだろう。

    「僕はこんな背だからね」相対的にコンパスも短くなる。
    「普通、走ってくるとか、そんなのがあるんじゃないの?」
    「そしたら今度から、両の手で鞄を持って乙女走りで駈けてくるよ」
    佐々木は意地悪でこんな言い方をしているのじゃなくて、それを僕が冗談だと判ってる事を判ってる。

    「どうしよう…。俺、そのまま転ぶところまで想像出来ちゃったんだけど」
    佐々木は暗い顔をして、うっすら涙を浮かべている。
    「大丈夫!そうなったら佐々木に背負ってもらって…学校までの道のりを佐々木の背中でグッスリ」
    「寝るなああああ!」
    佐々木の力強い雄叫びで、ご近所を賑わす事が無いよう、ボリュームは最小限に留められていた。

    窓から吹き込む身に突き刺さるような風は、長く浴び続ければ僕の体温をごっそりと奪っていく。
    ベッドの上、寝間着に身を包んだ僕は日課として窓を開け放つ。
    病気ひとつ無い僕は健康ではあるが、それが丈夫であることとは直結しない。

    あの日以来…僕は、時折眼鏡を外して冬の寒空を視る事にした。
    最初、裸眼で見る星空はスノークロスの写真のように、幻想的でキラキラして…ただ、すごく疲れて吐き気を催す。

    以前視界がクリアになったときは確かに夜だったし、夢魔と戦った時は、夕暮れ時。

    徐々に慣れて、電飾で照らされた看板なんかも読めるようになってきた。
    クリアな風景は、日が沈む黄昏時以降、夜に見られることが多く、体調や集中力で見え方が変わる。
    見えるときは、どんなに遠くまでも、通りを歩くひとの手荷物の形もはっきりと見える。

    「裸眼…すてきだ」
    いや、そんな事を考えている場合じゃなかった。

    あの時の僕はすごく集中していた。
    目を閉じて、あの時の事を思い返す。
    脳が麻痺して他のことは一切考えられないような、僕が僕じゃないみたいな…。
    頭に浮かんだあの言葉。

    「かなめとなるのは呼吸と意志そして言葉。周りには目に見えないたくさんのもので満たされている。酸素しかり。霊気しかり。正常は清浄に通じ、払いは祓いに通じる」

    あの言葉が浮かんだら妙に落ち着いて…。
    集中力が高まって…。

    夢の中で聞いたことのある言葉…。

    風邪を引いてひとりで帰ったあの日、僕は知らない女の人と重なった。

    あの人が幽霊で、何を以て夜が来るのを忠告してくれたのか。
    あの時間あの場所へ行けばまた会えるだろうか?

    佐々木に家の近くまで送ってもらって、鞄を置いたその足できびすを返した。

    「たしか…このあたりだったと思うけど…」
    通りの住宅街へ抜ける道までたどり着いた。
    あの時は歩道をてくてく歩いて交差点にさしかかったら、角に女の人が居て驚いたんだ。

    「もしかしたら僕と目があって、それで視えるひとだと判断して…脅かした?とか」

    宵の口に差しかかろうとするこの時間、通りを歩く人たちは家路を急ぐスーツ姿やコンビニ帰りのひと。
    運動着で歩いている学生はクラブ帰りなのだろう。

    近くの駅から降り立った集団が方々に散り、一部がこちらに流れてくる。
    僕は通りに面したコンビニで暖かい飲み物とピザまんを買って車止めに腰を下ろした。
    ひとが途切れるのを待つことにしたんだ。

    色んなひとが行き交う。
    僕はこんなにゆっくりとひとを眺めたことはない。
    僕は、大人も子供もこうしてコンビニの外で何気なく座り込んで何をしているのだろう?と思っていた。
    何の目的もなくこんなところに腰を下ろしてただ行き交うひとを眺めるだけで…。

    ここにいる僕なんか空気みたいに見えなくなって、通りを歩くひともコンビニに出入りするひとも、僕に意識を向けない。
    何だか僕は幽霊になったみたいだった。

    僕に見られているひとも、振り向きもしない。
    僕は唐突に悲しくなった。
    言いようのない寂しさが僕の心臓を鷲づかみにして…。
    「僕は…」
    僕は目的があって、時間をつぶしてる。
    何が彼女と会う条件に符号するのか判らないけれど、同じ時間帯に行く方が良いだろうと思ったんだ。

    通りのひとがまばらになってきた。
    体も冷たくなってきた。
    「そろそろ…」
    そろそろどころか、もうとっくに日が暮れて、僕が黄昏れていた時間は本当に無駄だったのではないだろうか…?。という虚無感が心をよぎった。

    幽霊を探す…?。それ自体が無駄な行為で、気まぐれに出て来た女の人は、時間も場所も関係なくて、ただ偶然に出会っただけ…再現性なんか無くて…。
    そもそも僕の見間違い勘違いで…。

    「そもそも僕は、何であの女の人に会おうと思ったんだ?」

    信憑性なんか欠片もない。
    ただ僕がそう思って、それが間違いとかは考えもしなくて、少しだけ恥ずかしい気持ちになった。

    幽霊に会いに行く。
    響きだけ聞けば、廃病院へ肝試しに向かおうとするひと達となんら変わらない気がした。

    誰も知らない…僕だけが体験した事で、佐々木にも言ってない。
    僕の変化と何か関わりがあるような気持ちになって…。

    あの女の人が立っていたところに僕も立った。
    ちょうど街灯の切れ目で薄暗い。
    通りの方に目を向けると、流れる車や街の灯でまぶしいくらいだ。

    その強い光でなおさらここが暗く感じる。
    強いひかりには目を反らし、暗い闇こそひとは注視する。
    僕はどこかで聞いた事があるようなそんな言葉を思い浮かべた。
    こんな仄暗い場所には闇に潜む何者かの存在を感じる…。ような気がする。

    「何を見ているの?」
    不意に声をかけられて慌てて振り返った。
    背後に人の気配は感じなかった。
    そんな特殊な能力を持ってるわけでは無いけれど、息づかいとか足音とか。

    来たっ…?
    逆光で判りにくかったけれど、あの女のひとだろうか?
    「あ。驚かしちゃった?ごめんね」
    外見から察すると仕事帰りのOLか。
    「あ、いえ暗がりで…目が慣れてなくて…何か居るような気がして見てたけど無いも居なくて」
    僕は徐々にか細くなる声で答えていた。
    多分、落胆した表情をしていたんだとも思う。
    「怖いこと言わないでよ…。もう…何か落っことしたのかと思った…」
    笑うような困ったような怪訝な顔で僕を見つめた。
    そして…、表情を改めて…。
    「もう…、夜が来ちゃった…よ?」

    僕は困惑した。
    「え…あれ?」
    似たような言葉をどこかで聞かなかったか…?
    夜が…来ちゃうよ…?
    「あのひとは幽霊で、僕に重なって溶けて…?」
    僕は何をしているんだろう…。
    耳元で囁かれた言葉に動揺して、僕を通り抜けて行ったような感覚を受けて、驚きと怖さで混乱して逃げた…。
    つまりそういう事なのか?

    「ねね、わたしに…足有るかな?」
    言いながらその女の人は地面を指さす。
    スカートからのぞく二本の足が、靴を履き地面に繋がっている。
    街灯に照らされた影が伸びて僕に重なっている。

    「あ、あり…ます」
    僕の蚊の泣くような声を聞き取って、でしょう?と言わんばかりの笑顔を向けた。

    そもそも幽霊に足がないなんて認識は…、江戸時代の画家や歌舞伎の影響で認識されているだけで、西洋では足のある幽霊が一般的だ。
    そんな事を根拠にするのはどうかと思うけれど、幽霊ではないよ?と認識させるには、やっぱり足の有無が重要な要素だと考えられなくもない。

    「じゃあ遅くならないうちに若者は帰るんだよ?」
    そう言って、その女の人は住宅街の方に向かって歩いていった。

    拍子抜けだ。
    僕が過ごしたこの時間は無駄だったんだろうか。
    思いこみで行動して、結局何の進展も見られなかった。
    だけど判ったことがひとつ…というかいくつか。
    まぁ関係ない事も色々と。

    きっと僕は何かに頼りたかったんだ。
    僕は僕の置かれている状況が未だ理解できてないんだと思う。

    佐々木を守ること、見えない剣とか、夢魔と戦うとか。

    現実の、ただの学生が夢ともおとぎ話ともつかない出来事で、しかも僕の知る限りではこれらに気が付いている人間が僕ひとりで…。

    「僕は頭がおかしくなってしまったのか?」
    自閉症とかだと他の人に見えない友達とか、自分で作った設定の世界観に生きてる風な話を何かの本で読んだことがある。

    「もし…」
    もし僕の頭の中だけの出来事で、佐々木も夢魔も本当は居なくて、僕はただ夢を見ているだけで…。

    僕はたまらなく不安になったんだ。
    「だけど…」
    だけど僕はこれが現実の出来事ではなくて、夢の中の出来事だったとしても、僕はきっと同じ事をしたんだと思う。

    「僕は佐々木を守らなきゃいけないんだ」
    それだけは変わらない。
    夢だと思ってた…では終われない。
    もし夢じゃなかったときに、後悔はしたくないから。

    「その為には、情報がなさ過ぎる」
    情報を得る為に、僕は幽霊だろうと悪魔だろうと魂は売らないけれど、頼れるものなら頼りたい。

    とりあえず僕は今日はもう帰ることにした。



    佐々木さんと僕と遊園地


    今日は、佐々木と遊園地に行く。

    普段制服しか見てない佐々木がどんな服で来るのか、すでに楽しみで仕方ない。

    僕は、黒のハイネックと黒のスキニー。
    アウターにはフードの着いたベージュのロングコート。

    遊園地の入り口に着いた時点で白いダッフルコートを羽織った佐々木が大きく手を振っていた。

    佐々木はダッフルコートにココアブラウンのオーバーサイズな長め袖のセーター。
    キュロットスカートに薄手のタイツを履いて、白のスニーカーを履いてます。

    「まだ約束の時間じゃないんだけど?」

    「おう!おまえ、私より先に来る気だったろ?だからぶち壊してやろうと思って!」

    「ざまぁみろ~」

    ケタケタと全力で笑う佐々木。
    萌え袖で口元は隠していた。

    「それはつまり、僕より早く来て待っててくれたってこと?そんなに待ち遠しかったんだね」

    「そんなことないですぅー」
    唇を尖らせて言う佐々木は可愛くて、心から笑えた。

    「じゃあ行こうか」

    言って、佐々木の手を自然に掴んで…つまり手を握って受付に並んだ。

    並んでる間お互いにひとことも言葉を発せなかったのは、気恥ずかしさと、それを隠すための言葉が思いつかなかったからだと思う。

    「何に乗る?」
    僕が促して

    「やっぱ最初は…」
    佐々木が考えて

    「「絶叫系!」」
    ハモった。

    「絶叫系は待ってる時間が一番怖いね」
    そういう僕に、

    「つまり、今めっちゃ怖がってるってことだね」
    僕の口真似で佐々木がこたえた。

    「ドキドキしてるのは事実だけど、乗った後の佐々木の感想を楽しみにしているよ」
    僕はそう返した。

    「佐々木の悲鳴が心の底から楽しそうで、その横顔を見てたからあんまり怖くなかった」
    僕は感想を述べた。

    「目ぇ回った…ちょっと気持ち悪い…お水ほしい…甘くてしゅわしゅわした黒いやつ…」
    佐々木はグロッキー。

    「はいはい、コーラね」
    言って買いに走る僕。

    ベンチに座る佐々木に手渡して、その横に座る。

    「休憩がてらどこか入る?」
    そう促す僕に、

    「でたよーっ男の人得意のそれ!」
    「しこたま飲ませて、介抱するように見せかけたあれ!ドラマで見た!」

    「そのドラマたぶん僕も見たけど…。今飲ませたのコーラだよ?」
    言って怪訝な顔を見せる僕。

    「まぁつまり、スイーツは要らないっと」
    僕は口元に手を当てて思案するふりをして見せた。

    「行く!どこへでも行く!」
    立ち上がって僕の袖を引っ張る佐々木。

    「この遊園地の近所にいい感じの喫茶店があって、そこに行こうかと思ってたんだよね」
    出口に向かって歩く僕。

    「出たら入れなくなるんじゃ?」
    その横をてくてくと歩く佐々木。

    「そこは、再入園したいって言って、見えないスタンプを押して貰うんだ」
    言って手の甲を見せる。

    「おおお!なんかカッコイイ!」
    言ってまじまじと僕の手の甲を見る佐々木。

    「まだ押して貰ってないよっ!」
    言って手をひっこめた。

    ゲートでスタッフさんに本当に見えないスタンプをぽん、ぽん、と押して貰って園外に出た。

    「あ。本当に見えない!」
    佐々木は色んな角度から自分の手の甲を見ていた。

    「喫茶店から戻ったら光らせてもらおう」
    僕はそう返して喫茶店へ向かった。

    パステルカラーの明るいお店ではなくて、ちょっとレトロな雰囲気の喫茶店。

    昔は可能だったみたいだけど、今は喫煙不可なので、煙たいなんてことはない。

    だけどメニューは今風で、大きなパフェにパンケーキに…まぁ僕と佐々木にとって、そのメニューだけあれば、時代とか流行りとかどうでもいいんだけど。

    案の定佐々木は、メニューにある大きなパフェの写真に目を輝かせている。
    僕は、パンケーキにメロメロになってるのでひとのことは言えない。

    「なぁ、これ本当に戻ったら光るのかな?スタッフさん、押し忘れて空振りしただけだったりして…」
    佐々木が、まだ手の甲をまじまじと見つめながら、萌え袖の先で自分の手を傾げている。

    「押し忘れてたら、戻った時に不法侵入で捕まるね」
    僕が言う。

    「ええっ!?おまえのせいで俺、捕まるのか?」
    佐々木が言う。

    「なんで僕のせいなんだよ。…まぁ、もし捕まったら、僕が差し入れにここのパンケーキ持って面会にいくよ」
    僕が返した。

    「そこは一緒に捕まるか、助けろ!」
    そう言って、ココアブラウンの袖で口元を隠してケタケタ笑う佐々木。

    注文を終えて、スイーツが届くまでの間、何を話そうか。

    「なぁ、頼んじゃったよ。あの特大パフェ…!」
    届くのが待ちきれない様子で、テーブルの上で拳を小さく握りしめる佐々木。

    「目がキラキラしてるよ。…でも、僕のパンケーキもそうだけど、これ、お昼ご飯と別なんだよね?」
    僕が返す。

    「何言ってる!甘いものは別腹って学校の授業で習わなかったか?」
    そう言って返す佐々木。

    「そんな危険な授業、僕のクラスにはなかったな」
    考えるまでもないが、記憶を探るように視線を動かして見せた。

    「じゃあ、今ここで俺が教えてやる!…あ。でもおまえのパンケーキ、一口だけ貰うからな。これは決定事項だ」
    悪びれもせずに萌え袖の指先を立てて「一口!」と主張してくる佐々木に、僕はまた心から笑ってしまう。

    特大パフェとメロメロパンケーキが運ばれてきた。

    「「うわっでかっ!」」
    と嬉しい悲鳴をあげるふたり。

    「一口の交換はお互い少し味わってからだからな!」
    佐々木が言う。

    「交換の話でしたっけ…?」
    僕が聞く。

    「貰ったら返す。あたりまえだろ?」
    佐々木は何言ってんだと言わんばかりに眉間にしわを寄せた。
    まぁ寄るしわなんて無いんですけど。

    「もぐもぐ」

    一口交換記念日はいつ来るのかとドギマギしながら食べたパンケーキは胃袋のどこに入ったのか判らない感じで嚥下されていく。

    「食べながらもぐもぐっていうひと初めて見たよ」
    佐々木が言う。

    「面白かったから…ほれ…」
    パフェのアイスを長いスプーンに載せてこちらに差し出してきた。

    「ぇ?」
    僕は自分のスプーンで抉り取るものだと思っていたから、変な声が出た。

    「ほれ、ほれ」
    佐々木はスプーンの先を八の字旋回させている。

    「ちょっ食べれない…とまって!」
    僕はスプーンの先を目で追いながらタイミングを計った。

    「ちっ、しかたないな…」
    言って手の動きを止める佐々木。

    ぱくっ

    「…おいひい」
    アイスの味は感想文に入れるべき事柄なのだろうけれど、そんなことを今考えている余裕はない。
    と言うことを考えている程度に僕はパニックに陥っていた。

    「仕返しに…」
    僕もパンケーキを一口サイズに切って、あんこやホイップを載せて佐々木に差し出した。

    「そこは、お返し…だろ?」
    言いながら笑う佐々木。

    ぱくっ

    「おいしっ。あんことホイップの計算された甘みがパンケーキのシロップと合わさって、えーと…おかわり!」
    佐々木もなんだか変。

    喫茶店を出て、遊園地のゲートへ向かう。

    「おおお!光った!おまえもしてもらえ!早く!」
    スタッフさんに、見えないスタンプにブラックライトを当ててもらい、青白く浮かび上がったスタンプを見て佐々木のテンションがダダ上がりしているのを見て、ほほえましく思った。

    「ほら、不法侵入にならなくてよかったね」
    僕も手の甲に浮かび上がるスタンプを見てちょっとテンションが上がった。

    「何が楽しいのか判らないコーヒーカップ乗ろうぜ!」
    佐々木が僕の袖を引っ張る。

    「これ、ただ回るだけで何が楽しいのか判らないよね」
    佐々木に同意した。

    「でも乗るんだ?」
    僕は問うた。

    「乗ってみればわかる!たぶん!」
    なんか言おうとしてることはわかるけれど、何も考えてはいないんだろうなと言うことも解る。

    「オラァ!回せ回せーー!!」
    ものすごい勢いで高速回転させ始める佐々木。

    「ちょっ、おまっ、待て、待って!ストップ」
    遠心力で振り落とされそうになって焦る僕。

    「あはははは」
    髪を振り乱してケタケタ全力で笑う佐々木。

    「「目が回った…」」
    ふたりして、フラフラになりながら、ベンチに倒れこむように座った。

    「次はこれに乗ろう」
    言って佐々木の指さす先にはメリーゴーラウンドがあった。

    「良く分からない乗り物その2メリーゴーラウンド」
    僕は思ってるまま言った。

    「そう言うなって!乗ってみればわかる!何かが!たぶん!」
    佐々木はちょっと楽しそう。

    「まぁ乗りたいんだねいいよ、乗っておいで」
    僕は佐々木を送り出そうと返事をした。

    「おまえも乗るんだよ!」
    佐々木に首根っこを捕まえられた。
    正確にはコートのフードだけど。

    「わかった、わかったから!フード引っ張るなって、乗るよ!」
    僕は観念して苦笑いしながら振り返った。

    「よし!」
    満足そうに胸を張る佐々木。

    ライトアップされたメリーゴーラウンドは、ここが既にそうだけど、現実から切り離された、おとぎ話の中に居る様な気持ちになる。

    佐々木は後ろの馬に乗る僕にニコニコで手を振っている。

    僕は乗り物に乗りながら、休憩もできる場所として考えれば、悪くない。と考えた。

    音楽がゆっくりと小さくなり、おとぎ話のようなメリーゴーラウンドが止まる。

    「ばいばい…」
    馬から降りた佐々木は、名残惜しそうに馬に手を振って見せた。

    ふたりの視線の先には観覧車。

    「観覧車乗ろうっか?」
    佐々木が言う。

    「締めくくりだね」
    僕が言う。

    「高いところは?」
    僕が聞く。

    「大好物!」
    佐々木が返す。

    「知ってた」
    僕は頷いて見せた。

    ふたりを乗せたゴンドラが、ゆっくりと上がっていく。

    「お、お、浮いた!」
    佐々木が驚く。

    「強いて言うなら最初から浮いてた。さらに言うなら、厳密には浮いてすらいない」
    僕が返す。そんな言葉を求められて居る訳じゃないけれど。

    「遊園地の中が全部見渡せるな!」
    佐々木が、窓の透明な板におでこを引っ付けて喜んでいる。

    「世界は存外狭かったってことかな…」
    僕はまた、余計なことを言った。

    「今日は楽しかったよ…」
    佐々木が言う。

    「なんだしおらしいな…」
    僕が返す。

    「退屈だった?」
    佐々木が外を見下ろしながら言う。

    「すごく楽しかった…。終わってしまうのがもったいなくて、惜しい気持ちでいっぱいだ」
    僕が返す。

    「そうだね…でもまだ始まったばかりだからね」
    佐々木が言う。

    前後のゴンドラが視界に入らないところまで登った。
    ここからは下って、地上に着いたら終わりになる。
    観覧車が。

    僕は佐々木の肩を抱いた。
    僕の方を向かせて…。
    キスをした。
    小鳥がくちばしを合わせるような軽く触れるだけの。
    優しいキス。

    僕は震えていた。

    僕からのキスなのに、僕は涙を流していた。

    これが今生の別れを前にした、最後のキスのような気持になって…。

    「……」
    佐々木は優しい目で僕を見て、

    「この瞬間のキスは、最初のキスだから…泣くな…」
    そう言って佐々木は、僕の頭を抱えるようにして、キスをした。

    「このキスは、俺からの初めてのキスだ」

    「ずっと、これからもずっと…」

    「その瞬間は、初めてのキスだから忘れるな…終わりなんか来ない」
    佐々木は男らしく僕を見据えて言った。

    僕は何で泣いているのか解らなくなって、佐々木も何だかわからず泣いた。
    ふたりして、ゴンドラが一番下まで来ても泣いていたので、スタッフさんが僕たちを下ろすときに驚いていた。


    夢魔と僕とかなめさん

    気が付くと、僕はここにいた。

    真っ暗で何も見えない。
    だけど何かがいる様な、気配は感じる。

    目を凝らしてみる。

    煙で作った様な人影、何だか解らない物体のシルエット、猫みたいな小動物から、ライオンみたいな猛獣まで。
    全方位、空を埋め尽くすくらいの煙状の何か。

    その目?だけが僕を見ている。

    僕は怖くて戦慄という言葉の意味と感覚を知った。

    じりじりと距離を詰めてくるそれらから殺意のようなものは感じなかった。

    僕が鈍磨なだけで、ヤル気満々だったのかも知れないけれど。

    立っていることができないくらい足がすくんだ。

    僕は後ずさった。

    後ろにもいるのに。
    意味がないのに。

    それでも後ずさった。

    もうすべてを諦めて目を閉じてしまおうかと考えた。

    涙で滲む視界の先で息遣いを感じるくらいの距離まで詰めて来た。
    影達が呼吸をしているのかは判らないけれど。

    僕は固く目を閉じて、最後の瞬間を待った。

    噛みつかれて、爪を立てられ…痛いのか…どうなのか…。

    死にたくない…!

    少しの時間が経過した。

    未だ僕は健在で…、?

    薄く目を開けてみた。

    目の前に人が居た。

    腰まである黒い長髪。
    黒を基調としたどこかの制服を着た少し年上の女の人。

    その人は、僕と影達の間に立って、威嚇するように睨む横顔が見えた。

    その人は僕を見た。

    見るだけで人を殺せるような視線の持ち主。
    切れ長で長いまつ毛で…。
    とにかくきれいな人だった。

    「泣いているの?」

    「助けを求めたのはあなた?」

    影達を見回して、
    「変なのが居るわね。倒しちゃって構わないかしら?」

    そう言って僕を見た。

    僕は「うん。たぶん」そう答えた。

    「こいつを倒したらあなたは楽になれるのね?じゃ、根こそぎ、ね」

    言って一歩前に出る。彼女は何を以って戦うのだろう?

    武器を持っているようには見えない。

    視線を彼女に向けて呆けている僕に向き直り、ため息を吐いたように見えた。

    「なにやってるの!立ちなさい!」

    それは僕に向けられて発せられたようでいて、僕は言葉の意味を理解するのに戸惑った。

    「あなたは…?」
    僕はそんなどうでもいいことを聞いた。

    「私はあんたの…守護者みたいな?まぁなんだっていい。助けに来たって事よ!」

    そう言って彼女は僕に立ち上がる時間をくれた。

    手を貸してくれたりは無かった。

    彼女は胸に手をあてた。

    深呼吸をして呼吸を整えた。

    「かなめとなるのは呼吸と意志そして言葉。
    周りには目に見えないたくさんのもので満たされている。
    酸素しかり。霊気しかり。
    正常は清浄に通じ、払いは祓いに通じる」

    その言葉を言い終えると、手には光りを放つ十字架が握られていた。

    僕は彼女を見た。

    彼女もまた、僕を見ている。

    「かなめ…さん?」

    女性は驚いたように目を少しだけ見開いた。

    でもすぐに目を伏せて、そして僕を見た。

    「それでいいわ。そう、私はかなめ。」

    「周りに居てるのは夢魔」

    「夢魔につかまったら死ぬから気を付けて」

    そう言って微笑んで見せた。

    僕はかなめさんの呪文?を真似て見せた。

    「かなめとなるのは…」

    呪文を言い終えると、僕の手には不可視の剣が握られていた。

    「!!!かなめさん!この呪文すごいです!」

    僕は興奮してかなめさんに駆け寄った。

    「呪文じゃないんだけどな…まぁいいか」

    剣を振ると、見えない剣圧が夢魔を切り裂いた。

    「これなら僕、戦えます!」

    かなめさんは十字架を顔に近づけて、

    「…ドミニオン」

    と小さくささやき、十字架にキスをした。

    すると、十字架が、光を放つ突剣に変化した。

    突剣を横に凪ぐ。

    夢魔は光にあてられて霧散した。

    突剣としての使い方は間違っている気がしたが言わなかった。

    倒しても倒しても、一定の速度で押し寄せてくる夢魔。
    体力的にはまだまだいけるけれども精神的な疲労がやばかった。

    「ジリ貧で勝てない気がしてきた…」

    僕がそう言うと、かなめさんは突剣を胸元に構えて、
    「…サンクチュアリ」と唱えた。

    そうすると、かなめさんを中心として、ドーム状の空間が広がって夢魔を押し返した。
    ドーム状の空間に夢魔は入れないみたいだった。

    「この中なら大丈夫だから、少し休みましょう」
    かなめさんはそう言って、地面に座り込んだ。

    僕も座る。
    地面は砂でざらざらとして、まるで砂浜にでも居てるようだった。

    「これってもしかして、最初にかけてくれてた?」

    何の気なしに聞いてみた。

    「うんまぁ、そうね」

    かなめさんは言うつもりがなかったようで少し照れているようにも見えた。

    「なによ…?」

    「いえ別に…あえて言う事があるとしたらだけど…、ありがとう」

    僕はお礼の言葉をまだ伝えていなかったことを思い出した。

    舞うように戦うかなめさんは、品があってかっこよくて、凛として…。表現することが難しいけれど、僕はそう思った。

    「ここはどこで僕たちは何と戦ってるんだろう?」

    僕は疑問を口にした。

    「ここは記憶の深淵。すべての夢が還る場所。世界の見ている夢。色んな言葉があって、そのどれもが正しくて、間違ってる」

    かなめさんの紡ぐ言葉の意味は良く分からなかったけど、僕が見ている夢なんだろうなと思った。

    「夢の中なんだね…」
    僕がそう言うと、かなめさんは僕と目を合わせないで「…そうね」と返した。

    「夢魔に捕まえられると死んじゃうって…本当?」

    「……ええ」
    かなめさんはなんだか煮え切らないような感じで返事を返してきた。

    本当は違うのかもしれない。
    僕は直感でそう思った。けれど言わなかった。

    無限に続くと思われた、夢魔との戦いは、かなめさんの突剣と僕の不可視の剣で祓うことができた。

    まわりにうごめくものは居ない。

    「…助かったのかな?」
    そう言って地面にへたり込んだ。

    遠くに海の音…潮騒が聞こえてくる。

    かなめさんは返事をしなかった。

    伸びをするように、空を仰いだ。
    夜空に月が黄色く輝いていた。

    「月が綺麗ですね…」

    僕はにこやかに、疲れなんて吹き飛んでしまうくらいに清々しい気持ちになってそう言った。

    かなめさんは、ぶはっと吹き出して、なんでか顔を真っ赤にして、何とも言えない表情で僕を見ろした。

    「それは佐々木さんに言ってあげなさい…。この天然のタラシ」

    かなめさんは言いながら苦笑していた。

    「僕、佐々木のこと言いましたっけ?」

    「……」

    かなめさんは返事をしない。

    戦いのさなか佐々木の話をしたのかどうなのか…覚えてないけれど、してない気がする。
    「…なんで?」

    「ああ。ここは夢の中でした。かなめさんは僕が造ったんだから知ってるよね…」

    僕はそう結論付いた。

    そして何だか悲しくなった。

    「かなめさんは空想の産物。佐々木も空想の…」

    そこまで言いかけて、ビンタを貰った。

    「話の腰を折ってビンタをかませる設定だった?」

    かなめさんが鼻で笑う。

    「私がここであんたを叩いて、正気を取り戻させて、佐々木さんは空想じゃないと言ってもあんたは信じない。頑なにそう信じているから」

    「だったらそれでもいい」

    「でも、空想じゃないかもしれないっていう疑問を抱いたのなら、それが真実でも嘘でもどっちでもいいよ」

    「あんたが、私を自由にしたいって思ったって、言葉通りに受け止めるから。この、浮気者め」

    要さんは笑った。
    僕もおかしくて笑った。
    何だか泣けてきたけど、泣きながら笑った。

    かなめさんと出会った時僕は、産まれたての雛鳥のように、視界に入った瞬間に彼女は僕にとって掛け替えのないひとだと思った。

    気配が集まる嫌な感覚に、かなめさんが警戒して猫が毛を逆立てるような臨戦態勢をとる。

    「来るよ…」

    海鳴りが聞こえだし、散っていたはずの夢魔の破片が海から上がってくる。無数に…無限に。
    やがてそれは、水平線を埋め尽くすほどの巨大な…夢魔に。

    一体ではなくて一帯が横たわる夢魔になっていた。

    勝てるかとか考えるだけでも何かを愚弄している気持ちになる。それでも…。

    「目を覚ますっていう選択肢は無いですかね?」
    僕の言葉に、心底殺意が伝わってくる。

    「ここはあなたの言う夢の中。だけれど、あなたの夢じゃないの。世界の見ている夢。ここで戦うのを辞めたら、世界が消えると思いなさい」

    「夢魔は死という概念そのもの。倒せるなんて思わないで。1分1秒でも戦闘を引き延ばすことが戦う目的なの!辞めるということは命を投げ出すという事」

    「あんたが戦わなかったら!誰が佐々木さんを守る訳!?」

    「あんた守るんじゃなかったの!?」

    「佐々木さんを愛しているんでしょ!?」

    かなめさんが矢継ぎ早に詰め寄ってきます。

    「佐々木さんのことを愛してるけれども存在は架空で…」

    僕は言い淀みつつ答えた。

    「はあ?それが何!?架空の相手は守らなくていい訳!?」

    「あんた!佐々木さんがグログロのグチャグチャに潰されて死んでる姿見ても何も感じない程度に壊れてるのかしら!?」

    「そうならない為に戦いなさい!」

    「あんたが!戦わなければ!世界が消えるって理解した!?」

    「それは死ぬことよりもおそろしいって知りなさい!」

    僕はハッとした。
    世界が消えて観測者たる自分が消えたらその被造物も消える。

    「たとえ空想でも妄想でも、佐々木さんが死ぬところは見たくない」

    「いなくならないでほしい」
    「ずっと僕と…!そばで見てるだけでもいい」
    「なんて嘘!いつかは結婚して…家庭を築いて…頭の中だけででも!」

    「それでいい」

    「戦う理由なんて、好きな子と一緒に居たいから!で充分!おまけに世界も守られる!簡単なことでしょ?」

    かなめさんはそう言った。

    無造作に伸びてくる夢魔の手。

    薙ぎ払うとかではなく、ただそこに伸ばしただけの緩慢な動き。避ける事は容易く、だが際限がない。
    徐々に動きにキレがなくなり、疲弊している事が僕自身明らかだった。
    当然、かなめさんも同じだった。

    僕は不意に伸びた夢魔の腕に絡め取られそうになる。

    かなめさんに突き飛ばされる事で避けることができた。

    「かなめさん!」

    かなめさんは夢魔の腕に埋もれて姿が見えなくなっていた。

    夢魔はかなめさんを捕らえて、霧散した。

    そこに揺蕩う漆黒の海。潮騒が聞こえる。

    最初から何もなかったかのように。

    潮騒が、徐々に遠ざかり、聞こえなくなる時、僕の意識は思考をやめた。

    僕は夢を見てる。

    愛したひとも、愛してくれるひとも。

    そこにある空気も、悪夢も。

    僕さえも。

    この世界のために戦った。

    あなたといる世界のために戦った。

    失われていく記憶と命。

    抗う運命に、世界は残酷に優しくて残酷に平等で。

    この身体が朽ちていく。

    愛したことも愛されたことも事実なら、この虚構の世界もまた事実。

    深淵の海に還る記憶の澱が、この世界を創る。

    それは僕が居た証。

    何も思い出せないけど、忘れたことを忘れてる。

    悲しくはない。

    あなたを想って逝けるなら、僕は悲しくなんかない。

    助けて、僕は死にたくない。

    僕は、僕は、僕は…。

    僕は、存在しないこの世界を愛したことを後悔した。

    僕の存在が、記憶に残る誰かの中で、生きた証となるのなら、僕は悲しくなんかない。

    助けて。

    僕は、生きながらえるために戦ったんじゃない。

    あなたがいるこの世界を守りたかった。

    あなたとの時間を守りたかった。

    病院のベッドで横たわる自分がいた。

    色んな機械に囲まれて、身体中に色んな管が繋がって、生きているのが不思議なくらいに損壊した僕。

    夢魔に負けたことで、記憶を食われた僕は要さんのことを完全に忘れた。忘れていると言うこと自体を忘れた。

    忘却の深淵で、夢魔の集団と戦う前の記憶も忘れた。

    ひょっとして、僕はこの世界に存在しないのでは?とも考えた。

    全ては夢で…。

    かなめさん、助けて。

    僕は…。

    僕の後悔は、それらが全て存在しないのに世界を愛してしまったこと。

    愛してるよ、佐々木さん。

    一筋の涙が溢れた。

    あらゆる機械がけたたましくエラー音をあげる。

    慌ただしく人が行き交う。

    僕はそれを認識できない。

    僕は…。

    …。



    エピローグのモノローグ


    けたたましく鳴り響くサイレンの音。

    緊急搬送で担ぎ込まれた誰か。

    そんな日常のよくある光景。

    私は気にも止めず、自分の用事に没頭した。

    うっ…

    不意に飛び込んでくる誰かの魂の悲鳴。

    助けを呼ぶ声が、いや声ではないけれど。

    頭に直接、言語にならない悲痛な叫びを受信した。

    誰かが助けを欲してる…。行かなきゃ…。

    頭を押さえながら体を引きずって悲鳴の聞こえる方へと歩む。

    ICUの前で最早超音波なのでは?と思える悲鳴が、自分はここにいると訴えかけていた。

    そっとドアを開ける。人工呼吸器や、昇圧剤を投与され延命治療を行われている青年がいた。

    慌ただしく動き回っている医療従事者の邪魔をしないようそっとドアを閉めた。

    もう助からない…。それがわかる程度に損壊が酷い。

    病院内の自分の研究用に設けられている部屋へと移動した。

    ベッドやソファ、脳波などを測る機械などが備え付けられている。

    私は他人の夢の世界に、違和感を感じさせることなく侵食することができる能力を以って彼の夢の中にダイブする事にした。

    助けを求められたら、助けたい。

    だから私はそうする自分のために。

    彼は今、タキサイキア現象の中にいるはず。

    現実の時間は数分。

    けれど彼の損壊しかけた脳は、生きるために恐ろしい速度でクロック数を上げ、主観時間を何倍にも引き延ばしている。

    夢の中では、無限に近い時間を過ごしているはず。

    記憶を再構築する脳のバイアスを考えれば、認知の歪みが起こっているかも知れない。

    彼は二重で夢を見ている。

    現実的な…学生をしながら、深淵で夢魔と戦っている。

    私は、明晰夢として夢の中にダイブする。

    だから、実質的にはなんでもできる。

    夢魔は、死という概念を彼の脳が視覚的に創り出したモノ。

    私にも、概念を倒す。

    なんて事はできない。

    せいぜい、霧散させるだけ。

    彼の生きるという気持ちを、気力を1秒でも長く持続させるだけ。

    夢魔に追い詰められそうになって諦めかけた彼に、結界を張る。

    彼の求める助けを、彼の主観の夢なのだから、彼が不自然さを感じない為に言霊を唱えようか。

    そんなことを考えながら、夢魔の前に立ちはだかった。

    「泣いてるの?助けを求めたのはあなた?」

    そんな事は聞かなくてもわかっている。魂の悲鳴は彼から出ている。

    「変なのが居るわね。倒しちゃって構わないかしら?」

    「こいつを倒したらあなたは楽になれるのね?じゃ、根こそぎ、ね」

    彼は事態が吞み込めないのか、呆けて私を見てる。

    「なにやってるの!立ちなさい!」

    「あなたは…?」

    何をとろくさい事を言ってるのか…まぁ仕方ないか。

    「私はあんたの…守護者みたいな?まぁなんだっていい。助けに来たって事よ!」

    私は胸に手を当てて呼吸を整えた。恥ずかしい。

    「かなめとなるのは呼吸と意志そして言葉。
    周りには目に見えないたくさんのもので満たされている。
    酸素しかり。霊気しかり。
    正常は清浄に通じ、払いは祓いに通じる」

    言霊を言い終えて、十字架を手の中に出現させた。

    彼は私を見ている。
    キラキラとした目で。

    もう…見ないでよ!恥ずかしいんだから!

    「かなめ…さん?」

    名前なんて個体を認識するための記号だという事。何でもいい。

    そう考えたけれど、言葉にはしなかった。

    彼は思考を紡ぐことがもう出来ないことを私は知っていた。
    だから聞かなかった。彼の名前を。

    それはただの記号。だから。

    「それでいいわ。そう、私はかなめ」

    「周りに居てるのは夢魔」

    「夢魔につかまったら死ぬから気を付けて」

    厳密には記憶を持って行かれる。
    死ぬわけではない。
    まだ…今は…。

    そう言って微笑んで見せた。

    「かなめとなるのは…」

    彼が、私の言霊を真似て剣を出現させた。

    「かなめさん”この呪文すごいです!」

    バイアスがここで役に立ったという事。
    呪文を唱えると、現象が起こる。

    と彼の脳が認識した。

    「呪文じゃないんだけどな…まぁいいか」

    「ジリ貧で勝てない気がしてきた…」

    彼がそう言ったので、休憩することにした。

    「…サンクチュアリ」

    そう呟いて、周囲に結界を貼った。

    十字架が変化して結界を貼ったように見せている。

    結界張ったまま戦えば…とか、結界の中に居たらいいのでは?と思われることを避ける為に。

    「この中なら大丈夫だから、少し休みましょう」

    私が座ると、彼も座った。

    「これって最初にかけてくれた?」

    「うんまぁ、そうね」

    目を閉じて諦めていたくせに、妙なところで感が良いのね。

    彼は私をじーっと見つめている。

    何か言いたげな顔をしていた。

    「なによ…?」

    「いえ、別に…あえて言う事があるとしたらだけど…、ありがとう」

    夢魔との戦いは一進一退を繰り返している。
    数は減ってきているが、未だ終わりは見えない。
    終わりが見えるということはつまり…そう言う事なのだけど。

    「ここはどこで僕たちは何と戦ってるんだろう?」

    彼は心に余裕が出て来たのか、疑問を口にした。

    「ここは記憶の深淵。すべての夢が還る場所。世界の見ている夢。色んな言葉があって、そのどれもが正しくて、間違ってる」

    言葉の通り。

    こんな深層心理の奥深くなんて誰も来ない。

    「夢の中なんだね…」

    彼は何だか悲しそうにそう言って。

    私は「…そうね」と一言だけ返した。

    「夢魔に捕まえられると死んじゃうって…本当?」

    ここで倒れるということは、現実を生きてる肉体から気力という魂が失われる。

    それは長い目で見れば、死ぬことと同義で…。

    「……ええ」

    無限に続くと思われた、夢魔との戦いは、最後の数体を払うとそれ以上現れなくなった。

    まわりにうごめくものは居ない。

    「…助かったのかな?」
    彼はそう言って地面にへたり込んだ。

    遠くに潮騒が聞こえる。

    ここは記憶の深淵。魂の澱が還る場所。

    失われた魂や記憶や、感情などが海に沈み、世界を構築する材料になる。

    ここはずっと夜で、月も出ている。

    「月が綺麗ですね…」

    彼は、清々しい笑顔で言った。

    「ぶはっ!」

    不意打ちを食らった。なにそれ?この子。意味わかって言ってる?は?え?、なに?

    「それは佐々木さんに言ってあげなさい…。この天然のタラシ」

    冷静さを失わないように、自然を装ってそう言うだけで精一杯だった。

    「僕、佐々木のこと言いましたっけ?」

    しまった。
    佐々木さんとの逢瀬は知ってるけれど、知ってることを知られるわけにはいかない。

    この世界に疑問を持ったら、夢から覚めてしまうかも知れない。

    そうなると、今際の際に見ている幸せな夢も、この深淵での戦いも…。
    全て消えて現実に戻ってしまう。

    「…なんで?」

    「ああ。ここは夢の中でした。かなめさんは僕が造ったんだから知ってるよね…」

    彼は少し悲しそうな表情を浮かべていた。

    「かなめさんは空想の産物。佐々木も空想の…」

    イラッとしてビンタを放った。

    「話の腰を折ってビンタをかませる設定だった?」

    彼は突然のビンタに驚いて、叩かれた頬を押さえている。

    「私がここであんたを叩いて、正気を取り戻させて、佐々木さんは空想じゃないと言ってもあんたは信じない。頑なにそう信じているから」

    「だったらそれでもいい」

    「でも、空想じゃないかもしれないっていう疑問を抱いたのなら、それが真実でも嘘でもどっちでもいいよ」

    「あんたが、私を自由にしたいって思ったって、言葉通りに受け止めるから。この、浮気者め」

    支離滅裂…だけど間違ってない。
    言いながらおかしくなってきた。
    そして笑った。

    彼も笑った。
    泣きながら笑った。

    気配が集まってくる。私が猫だったら、背中を丸めて総毛だって威嚇するところ。

    「来るよ…」

    海鳴りが聞こえだし、散っていたはずの夢魔の破片が海から上がってくる。無数に…無限に。
    やがてそれは、水平線を埋め尽くすほどの巨大な…夢魔に。

    全てが集まって、一帯が夢魔に。

    「目を覚ますっていう選択肢は無いですかね?」

    場を和ます冗談かもしれないとは思った。

    「ここはあなたの言う夢の中。だけれど、あなたの夢じゃないの。世界の見ている夢。ここで戦うのを辞めたら、世界が消えると思いなさい」

    「夢魔は死という概念そのもの。倒せるなんて思わないで。1分1秒でも戦闘を引き延ばすことが戦う目的なの!辞めるということは命を投げ出すという事」

    言いながら、感情が昂ってくるのが判る。

    「あんたが戦わなかったら!誰が佐々木さんを守る訳!?」

    「あんた守るんじゃなかったの!?」

    「佐々木さんを愛しているんでしょ!?」

    私は矢継ぎ早に詰め寄った。

    「佐々木さんのことを愛してるけれども存在は架空で…」

    彼は言い淀んだ。

    「はあ?それが何!?架空の相手は守らなくていい訳!?」

    「あんた!佐々木さんがグログロのグチャグチャに潰されて死んでる姿見ても何も感じない程度に壊れてるのかしら!?」

    「そうならない為に戦いなさい!」

    「あんたが!戦わなければ!世界が消えるって理解した!?」

    「それは死ぬことよりもおそろしいって知りなさい!」

    彼はハッとした表情を見せた。
    その時彼が何を考え決断を下したかは判らないけど。

    「たとえ空想でも妄想でも、佐々木さんが死ぬところは見たくない」

    「いなくならないでほしい」
    「ずっと僕と…!そばで見てるだけでもいい」
    「なんて嘘!いつかは結婚して…家庭を築いて…頭の中だけででも!」

    「それでいい」

    私は満足した表情を浮かべた。

    「戦う理由なんて、好きな子と一緒に居たいから!で充分!おまけに世界も守られる!簡単なことでしょ?」

    無造作に伸びてくる夢魔の手。

    薙ぎ払うとかではなく、ただそこに伸ばしただけの緩慢な動き。
    避けることは容易く、だが際限がない。

    彼がこの物語の主人公。
    彼さえ助かれば、物語は続く。
    そのことを私は理解している。

    夢魔に掴みかけられそうになっている彼を突き飛ばす。
    代わりに私は夢魔に捕らえられて強制的に現実に返された。
    つまり目が覚めた。

    現実に引き戻された私は、すぐさまダイブした。
    しようとした。けれど、夢の深層…深淵の海へは行けなかった。

    深淵の夢魔に捕まった時、能力の一部が使えなくなったようだ。

    または、彼が私の存在を拒んでいる…。

    あの時私が失われたと思い込んだことで、もう一度私が侵食することを良しとしない考えが認知の歪みとして刷り込まれてしまった…という考えも無くもない。
    無意識の拒絶。

    であるなら、私にできることはもうない。

    気にはなるので、彼の住むマンションの下から部屋の窓を眺める程度の事はしたけれど。

    夜の街角ですれ違ってみたりもしたけど、彼は私を覚えてはいなかった。

    ダイブした時と違って、今の姿…24歳の大人の私。
    気が付くはずも無し。
    判ってても悲しいものね。

    この部屋の端末でICUに居る彼の生体情報モニターを見ることができる。

    画面には、ICUにいる彼の異常なまでに跳ね上がった脳波のクロック数はタキサイキア現象を示す波形をとっている。
    命の灯火が消えかけてガタガタになっていくバイタルデータが映し出されている。

    ダイブはできないけれど、モニターに映るそのデータを通して、彼が今、夢の深層でたったひとりで、どれほど凄絶に夢魔と戦っているかを知れた。

    凄い速度で夢を見ている。

    クロックアップされてる脳はいずれ限界を超えるでしょう。

    その時傍に佐々木さんが居てくれたらいいのでしょうけど。

    ごめんね、私で。

    最後の魂の悲鳴が届いた。

    「かなめさん、助けて…」
    ごめんなさい。そのお願いはもう叶えてあげられないの…。

    彼は、今際の際で、自らのために無意識に、妄想力で世界を構築した。
    思考した瞬間世界が生まれる。

    その世界で、彼は彼のしたかった事を成した。

    君はかっこよかったよ。

    君の魂を愛してる。

    私は、あなたのことを、決して忘れないと誓う。

    おやすみ…なさい。

    黙祷を捧げた。

    深淵に積もる澱は、なくならず、夢世界を構築する物質となる。

    世界中のひとが起きていても、夢の世界が無くならないのはそれが理由。

    つまり世界が夢を見ている。

    君が、名前を語らないのは、覚えてないから。
    忘れているということを覚えていないから、至極自然に名前が出て来ない。

    世界を構築するシステムは残酷に優しくて残酷に平等で…。


    僕は蝶になった夢を見た。
    ひらひらと自由で楽しかった。
    そして自分が人間であることを忘れた。
    目が覚めると僕は人間だった。
    僕は、蝶になった夢を見たのか。
    蝶が僕になった夢を見てるのか。


    どちらが現実なのかなんてわからない。わからなくていい。
    その時その時を精一杯生きてればそれでいいと思うよ。

    ね。毅(しのぶ)くん。

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