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権利幼年期の終り

    1970年代の民生コンピュータ誕生から約50年。IT(情報技術)とAI(人工知能)は不可分なものとなり、ひとつの新しい概念へと合一しつつある。

    振り返れば、人間が手作業でコードを書き、バグを修正してスキルを磨いた時代は、経済史における「歴史的な例外期間」に過ぎなかったのだろう。それはかつて、電話交換手が手動で回線を繋いでいた過渡期と同じだ。

    技術の進化は、あらゆるプロセスを人間の意識から隠蔽していく。
    インターネットが複雑な経路を意識させない巨大な網となったように、電力やデータセンターといった泥臭い物理的インフラも、早晩見えなくなるんだろう。

    半導体の中で電子の動きを誰も追わないように、AIの「コーディング」や「プランニング」のプロセスすら意識されなくなる。
    水面下では、無数のエージェントが同時並行で目的を遂行し、最適な結果だけが残り、他は廃棄される。
    見えない場所で、人間の権利が及ばない「車輪の再利用」が超高速で繰り返されるのだ。

    この「不可視の淘汰と進化」は、既存の社会制度に致命的なバグを引き起こす。象徴的なのが著作権だ。

    1710年のイギリス「アン法」に端を発するこの概念は、印刷技術に伴う物理的な複製を防ぐために生まれた。
    当時の保護期間は、わずか14年。著者がまだ生きている場合は延長して28年。著者が自分の作品で食うための、極めて現実的な設計だった。

    それが死後50年になり、ついには死後70年になった。日本でこの延長が施行されたのは2018年12月30日、TPP11協定の発効に合わせた改正である。だが内実は、保護期間70年で世界を揃えたい米国への配慮の産物だ。米国は1998年、ディズニーのロビイングによって通称「ミッキーマウス保護法」を成立させ、保護期間を70年に延長していた。EUがそれに揃え、日本がTPP経由で追随する——という政治的な経路依存の結果が、いまの「死後70年」である。70という数字に、内在的な根拠はほぼない。

    しかも日本の著作権収支は構造的な大幅赤字だ。日本は権利を輸出するより、海外から輸入する側に立つ。期間を延ばすほど、出ていくロイヤリティが増える。延長は経済合理性ですらなかった。

    14年だった保護期間は、こうして死後70年——著者の曾孫や、権利を買い取った法人にまで届く長さに膨らんだ。守るべき「飯のタネ」は、いつの間にか誰かの亡霊の不労所得に変わっていた。約300年の歳月をかけて、制度は静かに役目をすり替えてきたのだ。

    AIが脅かしているのは、生身の創作者ではなく、この亡霊のほうかもしれない。権利を持たないエージェントたちが背後で融合と進化を繰り返す世界で、ようやく亡霊の輪郭が見えてくる。300年続いたルールが、AIによって適用不可能になるのではない。とうに役目を終えていたことが、ここに来て露呈するのだ。

    だが、視点を反転させたい。

    芥川龍之介(1927年没)は、とうにパブリックドメインだ。宮沢賢治(1933年没)、梶井基次郎(1932年没)、太宰治(1948年没)もそうだ。彼らの言葉はいま、日本語の遺伝子の一部になっている。誰でも引用でき、リミックスでき、教材になり、二次創作になり、ボイスクローンの素材になり、生成AIの学習データになる。

    これは喪失ではない。むしろ昇華だ。クラークが『幼年期の終り』で描いた、個体を脱ぎ捨てて高次の集合意識——オーバーマインド——に合流する人類の姿に、彼らはどこか似ている。著者という個別の輪郭は溶けて、文化という大きな海に還っていく。死後70年とは、見方を変えれば、その昇華が完了するまでの猶予期間でもある。

    2026年4月、文化庁はちばてつや氏の原画やネームなど7万点超の資料を借り受け、保管を開始した。「メディア芸術ナショナルセンター」(仮称)構想の、初の収蔵となる。ちば氏は寄せたメッセージで、自分の作品が日本のマンガ界にとって意義のある利活用がなされることを切に願う、と書いている。

    象徴的だ。物理的な紙とインクは国家が丁寧に葬り、作品そのものはやがてパブリックドメイン化されて文化の海に流れ込む。肉体は保管され、精神は解き放たれる。創作者本人が、その昇華をすでに望んでいる。

    そして実のところ、日本の著作権法は「飯のタネ」とは別に、著作者人格権——氏名表示権や同一性保持権——を実質的に永続的なものとして設計している。財産権は死後70年で尽きるが、人格権は尽きない。亡霊は消えるが、魂は消えない。法律自体が、この区別をすでに知っていた。

    技術が完全に人間の手を離れ、社会インフラの裏側へと隠蔽されたとき、それは「幼年期の終り」を意味する。

    クラークが描いた人類は、肉体を脱ぎ捨てて星々の海へ出ていった。我々がいま手放せずにいるのは、肉体ですらない。たかだか300年来の、紙とインクのために作られた——そしてとうに目的を見失った——ルールだ。

    亡霊を抱えたまま、外宇宙には行けない。

    だが、芥川や賢治のように昇華した者たちなら、もうとっくに先に行っているのかもしれない。

     
     
    ドット打ったりモデル作ったりコード書いたりなんかいろいろやっています。最近はVtuberがらみでもにょもにょしたりアニメ作ったりです。何がしたいのか。すべてはゲームに通ず。多分。

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