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【エッセイ】モキュメンタリーホラーってどこらへんが面白い感じですか?【創作大賞2026】

    ※という体のモキュメンタリーホラーではありません!

    まずはこの注意事項を心に刻んでください。

    私はモキュメンタリーホラーの読者(あるいは視聴者)であり、登場人物ではありません。
    ホラーを考察していたはずが、いつの間にかその渦中に……といったことはありません。
    読んでいただければわかりますが、モキュメンタリーホラーに喧嘩を売っているわけでもありません。

    書けば書くほど怪しくなる!助けて!本当なんです!!
    ホラーの楽しみ方をあーだこーだ考えたいだけなんです!
    大好きなホラーをもっと楽しみたいだけなんです!!

    ほらこの記事、note創作大賞2026の「エッセイ」ジャンルタグで投稿されていますよね。
    いくらモキュメンタリーといえど、本当にエッセイのフリをして擬態してしまうのはタブーのはずです。
    何にせよ「あくまでモキュメンタリーですからね^^」と提示することまでがフォーマットのはずです。

    多分……。

    ここでちょっと不安になってしまうくらいの素人です。
    信じてください。
    言えば言うだけ怪しくなるのでもう手遅れです。
    そういうものだと思って読んでください。

    そうして、読んでくださったみなさんはモキュメンタリーホラーの楽しみ方をたくさん考えてください。

    で、考えたやつを教えてください。
    それが知りたくて書いています。

    普通に投稿するより多くの人の目に触れるんじゃないかと思って、滑り込みで創作大賞タグをつけたのもそのためです。

    よろしくお願いします。

    注意事項

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    この記事は、私が様々なモキュメンタリーホラー作品を見聞きした経験をもとに書かれています。

    書きぶりによっては、「この人のこの作品を踏まえているのかな」とわかってしまう部分もあるかと思います。
    不遜にも、「ここが面白くないのかも」「こうだったら楽しめたかも」などと書いている場合があります。

    そのような記述はあくまで私の「感想と推測」であり、その作品や作家さんを批判するものではありません。

    むしろ私は、そんな絶対面白いはずの作品群に「なんかよくわかんなかった」というアホみたいな感想を抱くことを誰よりも憂えています。

    助けてほしくてこの記事を書いています。

    助けてください本当に。

    絶対面白いはずなので、できうる限りの手法でもって布教してください。

    殴っていただいて構いません。


    自己紹介と大前提:ホラー大好き!

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    遅ればせながら、はじめまして。飴屋と申します。
    特に砂糖菓子等は製造していません。

    「モキュメンタリーホラーってなんかよくわかんなくね?」

    と、昨今の流行に喧嘩を売るような記事を書き始めてしまいましたが、この章で一旦の弁明を図らせてください。


    私はホラーというジャンルが大好きです。

    活字中毒なので、まず小説は片端から読みます。
    古典史料から絵本、児童書、青年向け女性向け男性向け成人向け、海外小説、古き良きホラーレーベルからなろう発ライトノベル、ネット記事まで、もう何でもいいです。

    漫画も活字ばかり追って、絵の演出を見落としていることがままあります。本当に良くないので改善したいところです。
    ただ、ホラージャンルだとビジュアル演出にかなり重きを置くため、しっかり見ている割合が高いです。

    それから世の中には幽霊や妖怪や怪奇を真面目に研究している人がかなりたくさんいて、しっかりかっちりした研究書籍が相当数出ています。

    映像作品も大好きです。
    ほん怖も夏場の怪奇特番もチャチな投稿映像紹介も、もちろんホラー物のアニメも何でも見ます。
    ホラー映画ってホラーが苦手な人と一緒に大騒ぎしながら見るのが一番楽しいんですよ。
    陰気なやつは映画館でひとりで見ます。

    人ならざる存在が出てくる舞台作品では、それぞれの見え方や装束が工夫されていてかなり面白いです。
    舞台上にいるのにいない人、というタイプの演出は定番ゆえに各々の個性が光りますね。

    お化け屋敷プロデューサーの五味さんの大ファンです。
    小学生の頃にはクラスを挙げてお化け屋敷を大ヒットさせました。あれが何の時間だったのかは全く思い出せません。

    最近はお化け屋敷の派生形的な、脱出ゲームや謎解きも増えてきていますね。
    押し入れに隠れたり御札を剥がしたり祠を壊したりできるなんて、素晴らしい時代になったものです。

    ゲームでもホラーは不動の人気ジャンルですね。
    無駄にデカいPCを所有しているため、気になるものはどんどん始められます。
    毎年異界入りとともに誕生日を迎えるんです、いいでしょう。

    あと何がありますかね。
    幽霊でも、妖怪でも、呪詛でも、UMAでも、エイリアンでも、因習でも、ヒトコワでも、ゾンビでも、スラッシャーでも構いません。
    すでにかなり冗長なのでこのあたりにしておきます。

    ともあれ、私が少なくとも胸を張って「ホラー好き」を名乗ってよさそうなことは伝わったかと思います。
    何を見聞きしても楽しいし、面白いし、同じものを何度見返しても新鮮に愉快です。

    「じゃあなんでだよ!!」

    という気持ちを胸に、次章もお付き合いください。


    議題:モキュメンタリー、ピンとこない

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    「なんでだよ!!」

    ピンとこないとはどういうことか?
    (大変失礼な物言いですが、一旦許してください)

    作品内で起こっていることに対して、「あ、ふぅん」以上の感想がわかないのです。
    そんなわけないのに。

    そもそもホラーが大好きですから、モキュメンタリーホラーが流行り出したときには嬉々として追いかけました。
    今も一応追ってはいます。

    お化け屋敷やリアル脱出ゲームのホラーが大好きなんですから、モキュメンタリーホラーが刺さらないわけありませんよね。
    素敵に無敵なホラーというジャンルが、「あなたたちのすぐ隣で、本当にあったことかもしれない」としてお出しされるんですよ。

    しかも、自分で背景を考察して真相にたどり着く(かもしれない)、謎解き的なドーパミン要素もあります。

    こう書くだけで、モキュメンタリーホラーのヒヤヒヤ感、ワクワク感の味わい深さがわかりますよね。最高!


    それに対する読後感が「あーね。そうなんだ」なわけなくないですか?

    モキュメンタリーホラーって、めちゃくちゃに面白い事象に関する、めちゃくちゃに面白い手法での作品づくりです。
    いわゆる普通のフィクションホラーより、一段深く読者の感性にめり込むことに成功したと言っていいのではないでしょうか。


    じゃあなんで「あーね」なんですか!?!?

    なんだか無感動というか、不完全燃焼というか、薄味というか。
    読み切ってあとがきまでたどり着いて、「で?」です(最悪)。
    この(最悪)は、私の感想に対する評価です。

    一度読んだ本を寝かせて、数カ月後にまた読んだりもします。
    考察が集まるサイトをお供に映像を見返したりもします。
    友達と頭突き合わせてあーだこーだ言ったりもします。

    こんだけやって、「うーん、で?笑」(最悪)なわけなくないですか?

    こうなってくると、おかしいのは私の脳みそということになります。
    多分、どこかの考え方や認識が根本的にズレているはずです。
    何かのスイッチをうまく切り替えることができれば、急に他のホラー作品と同等か、より強烈に楽しむことができるのではないでしょうか。

    ぜひそうなってほしい。

    そうなってもらわないと困ります。

    「合わない」とかありません。

    こんなに面白そうなジャンルを、私だけ楽しめないまま数年が過ぎているなんて嫌すぎます。

    そんなわけで、これまで色々な読み方、見方、考え方を試してみていますが、未だ解決には至っていません。
    「多分ここが引っかかってるんじゃないのかなあ…」という点はいくつかありますが、そればかりとは限らなそうです。

    次章にひとまずの見解をまとめました。

    これらを参考に、なんとか私の頭をうまいことガツンとやってもらうことって可能でしょうか。


    考察:どうしてピンとこないんですか?

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    どうしてでしょうか。

    まだ微妙に受け入れられていません。

    物心ついた頃から、かなり節操なくホラーを食い漁ってきたと思います。
    頭の中でお話をこねくり回すタイプなので、「もしこれがこうだったら」的な空想・妄想・身勝手スピンオフなんかは星の数ほど産んできました。

    摂取する作品の余白が広ければ広いだけ、その作品を愛せるタイプのオタクです。

    モキュメンタリーって、私たちが今いる現実丸ごとに対する「もしも」を提示してくる作法ですよ。
    作品として見せられた「もしも」に紐づいて、世界そのものの「もしも」が演出されるんですよ。
    世界ひとつ分の余白が私たちに想像の余地をくれるわけです。

    「見慣れた現実・常識がひっくり返るかも」という感覚は、クトゥルフ神話体系などの恐ろしさにも通じるところがあるかもしれません。
    「絶対神や戒律の感覚が希薄な日本人には怖さがわかりづらい」とも言われます。
    私も普通にホラーじゃないファンタジーとして読んでいる気がします。

    この恐怖の手法をじめっとジャパナイズして爆発的にヒットしたのが、近年のモキュメンタリーホラーなのかもしれません。

    「神を冒涜するようなリズムで蠢くタコ」の恐怖はピンとこなくても、「存在しない女のたずね人ポスター」は怖いんじゃないでしょうか。

    依拠する「常識」の規模感は違っても、多分似たような手法による恐怖の演出です。
    まるきりフィクションだと突っぱねきれないギリギリの温度で語られるぶん、より心に入り込みやすい恐怖になっているのでしょう。


    さて。

    ここまで言っておきながら、これを味わいきれていないのが私です。
    そんなわけなくないですか。
    そういうホラーです。もはや。

    なんでだろうなあ、と頭を捻った結果を以下に挙げてみます。


    1.「物語」ではないから

    「物語」の定義ってなんでしょうか。

    今回は以下を参考に話を進めることにします。

    もの‐がたり【物語】
    ①さまざまの事柄について話すこと。語り合うこと。また、その内容。
    ②特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。また、その話。
    ③文学形態の一。作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。
    ④歌舞伎・人形浄瑠璃の演出の一。また、その局面。
    (一部抜粋)

    デジタル大辞泉(太字引用者)

    このうち、②③の太字部分を今回のポイントと思って読み進めてください。


    私にとって物語とは、「外付けの人生経験」です。

    私には前世の記憶も輪廻の展望も(今のところ)ありませんから、この人生が正真正銘1回目の、1回こっきりの人生です。

    足りなくないですか?

    1回きりの人生だからこそ、後悔のないように行動できる理由にもなるでしょう。

    でもやっぱりちょっと、大人気歌手とか、社長とか、パン屋さんとか、宇宙飛行士とか、学校の先生とか、テレビクルーとか、警察官とか、ブリーダーとか、クラスの人気者とか、喫茶店の店主とか、そういう人生も気になりませんか?

    ここで挙げるのは別に何でもいいです。
    自分以外のあらゆる他人の人生を、私は絶対に知ることができないまま一生を終えるわけです。
    この世に80億種類くらい存在する経験や景色や考え方は、何十年かけても一欠片も味わうことができません。

    唯一、それをほんの少し覗き見できる窓口が「物語」なのだと思っています。

    冒頭の引用でもわかる通り、「物語」はかなり広大な意味をもっています。
    言ってしまえば、誰かが何かについて他人に伝わる形で表現したものは全部「物語」なわけです。

    創作された登場人物の人生や感性は、もちろん本来は味わえなかったはずのものです。
    加えて、物語には必ず作者の人生も溶け込んでいます。

    登場人物の数+語り手+編集さんやら何やら、のすべてを合計した分の人生や感性を一作品で味わえるわけです。
    理論上は、天文学的個数の「人生」を吸うことが可能です。
    お得ですね。

    さて。
    前置きが長くなりましたが、モキュメンタリーホラーに戻りましょう。

    昨今ヒットした種類のモキュメンタリーホラーでは、断片的な情報の集合という形式が顕著に共通しています。

    情報における主観性をなるべく削り落として、全く意思や意図のないデータの羅列として提示するのです。
    無味乾燥なデータの中に浮かび上がる、妙に生々しい足跡や共通項……という「気づき」の恐怖が醍醐味です。


    これがあかんのか?

    かなり有力な説に思えます。
    完全に主観性を取り除いた情報のみで怪奇現象が提示されているのが、ここで言うモキュメンタリーホラーだとしましょう。

    そうすると、それをつなぎ合わせて「物語」を作るのは読者である私自身ということになります。

    この「物語」からは、私の人生の味しかしません。
    そりゃ薄味です。

    でも待ってください。

    モキュメンタリーホラーで提示された情報において、その体験をしたのは紛れもない他人ですよね。

    ブログに書き込んだり、インタビューで心境を語ったり、写真を撮ったり写ったり、ポスターを作ったりしたのは私じゃありませんよね。

    というか、大抵は一連の情報をざっくり集めて「おや……?」となる役の人間がいますよね。

    これも私じゃありません。

    ならば全体の流れからは他人の味がしていいはずです。

    1つ目にしてかなり有力かと思われましたが、ここで躓きました。
    まずデータを揃えて文章や映像の形に整えたのが私ではない以上、そこには必ず私以外の人間の人生があります。
    もちろん、集められたデータは他人の人生を切り取ったものです。

    であれば、そこには私の愛する「物語」としての輪郭があるはずです。
    どんな作風・表現手法であっても、その裏にある「語り手(伝え手)」の存在がゼロになることはありません。

    この説は確かに、モキュメンタリーホラーの一部を薄味に感じさせる原因にはなっていそうでした。
    ですが、ここの意識改革だけで片付くような絶対的な障壁ではないように思います。

    2.ホラーではなくミステリが好きだから

    恐ろしい説です。

    これまで短くはない人生、ホラー好きとして生きてきました。
    前項で上がったクトゥルフ神話的「常識がひっくり返る恐怖」を、こんなところで自分に課す予定はありません。

    が、ここでひとつ、前提を追加しておきます。
    私はミステリも大好きです。

    こちらも節操なく読みますから、本格でもエンタメでも児童向けでもグロでもSFでも時代モノでも構いません。

    不可思議な事件があり、
    どよめく民衆があり、
    隠された背景があり、
    名探偵と謎解きがあればそれで十分です。

    しかしここで困ったことが起こります。

    ミステリとホラーは大変よく似ています。
    「名探偵」のところに「霊能者」や「研究者」や「好奇心旺盛な観測者」を入れると、そのままホラーのフォーマットとしても使えそうです。
    探偵のままのパターンもあるでしょう。

    ここでポイントになるのは「謎解き」の部分でしょう。

    ミステリの大サビは間違いなく謎解きです。
    謎解きをいかに華麗に、美しくカッコよく演出するかから逆算して事件が叙述されていると言っても、ギリ過言ではないでしょう。

    そもそも文学などの世界においては、ホラーが独立したジャンルとして認知されたのはすいぶん遅くなってからだそうです。
    「ホラー」とはあらゆるジャンルの物語に混入しうる、エッセンスの名前だったわけです。
    (このへんは『日本ホラー小説史』や『日本ミステリ新世紀MAP』などに素晴らしくまとめられていました。大尊敬。)

    なのでホラーとミステリが似ているというより、ミステリの中に「ホラー的なもの」が現れやすかったという方が正確かもしれません。
    人智を超えた超自然的存在はある意味究極の「謎」ですから、それを紐解こうとする過程がミステリ≒謎解きになるのは道理です。

    さて。

    ミステリには様々な条件やお約束があり、作風によって取捨選択がされています。
    その中でもおおよそほとんどの作品で(多分)守られているのが、「作中にすべての手がかりが提示されていること」です。

    みんなには言っていなかったが、実は絶対に見つからない殺人エイリアンがいたのだ!では許されません。
    それならそれで、UFOの目撃証言や宇宙放送局の指名手配ニュースや地球上の生き物と一致しない歯型や航空宇宙局による生体実験記録なんかを提示する必要があります。

    これにより我々読者は、自分でも謎解きを行いつつ、最後にはっきり答え合わせをしてもらえます。
    これも大きな楽しみのひとつでしょう。
    私も「もしかして」を推理して解答編を読むのが大好きです。

    そしてこの「もしかして」の推理を、ホラーにも適用しているフシがあります。

    怪奇の原因が崩壊した祠なのか、1000年前の怨霊なのか、50年前の土地開発なのか、神社の縁切りなのか、人間の心の闇なのか、気になりませんか。
    それがどう巡り巡ってイマココなのか、全部知りたくありませんか。

    私は知りたいです。

    特に前述のように、近年流行りのモキュメンタリーホラーでは断片的な情報の集合体が本編になります。
    何かひとつの法則に則ってそうな、しかしバラバラの断片情報です。

    そんなものをお出しされたら、我々はそれらを繋げた壮大な星座を描きます。

    ここまでは、モキュメンタリーホラーの楽しみ方として正当なルートのはずです。
    むしろ、それこそがメインの楽しみ方ではないでしょうか。
    作品外にいる私たち自身に想像させることで、「もしかして」の恐怖を身近なものにすることがモキュメンタリーホラーの旨味成分です。


    ここで終わるのがあかんのか?

    「終わる」はあまりプラスに聞こえない言い方かもしれません。悪い意味ではなく、単に「語られる範囲はここまで」の意です。
    モキュメンタリーホラーの目的地・終着点はだいたいここのはずです。
    ミステリの終着点より、ひとつ手前です。

    無意識のうちにミステリを求めていた私の脳が、ここで失礼にもがっかりしているのではないか?

    こうなってくると、抜本的な意識改革が必要になってきます。
    「これはホラーだから、真実はいつもひとつ!とはいかないんだよ」という説得が必要です。

    しかしです。
    ホラーとミステリは、よく似ています。

    『リング』や「京極堂シリーズ」や『絶対城先輩の妖怪学講座』や『0能者ミナト』や『営繕かるかや怪異譚』が好きな人は、ミステリ好きですか? ホラー好きですか?

    いま挙げたものは比較的明確な謎解きがあるものですから、ミステリ好きなのかもしれません。

    では「玩具修理者」はミステリですか? 『私の家では何も起こらない』は? 『でぃすぺる』は?
    味わいはホラーですが、謎解きに相当する真相解明フェーズもあります。

    気味の悪い現象そのものだけでなく、背後にある超自然的事象を知って慄くこともホラーの楽しみであってよいはずです。

    さらにもうひとつ、気がかりなポイントがあります。

    私は、オチ(≒真相解明フェーズ)のない実話怪談系も大変面白く楽しめるタイプなのです。

    「ギャー!」で終わって結局この人がどうなったのかよくわからない心霊番組、欠かさず見ます。
    「あれは何だったんですかねぇ……」で終わる体験談モノ、随筆からスレから怪談師からどこまでも続く金脈です。
    「そういうものだから」で諦めさせる理不尽系の怪談、埒外の存在をたいへん強く感じられて素敵です。

    これらにおいて私は、何を楽しんでいるんでしょうか。
    少なくとも、ミステリ的な謎解き以外にinterestingなりfunnyなりを見出していることは確かです。

    今回の説も、一部は適用できるが例外も多数存在する、というあたりに落ち着いてしまいました。

    3.「来ない」から

    みなさま、お気づきでしょうか。

    これまでの2トピックは、モキュメンタリーホラーを対象として考察しつつも、ホラージャンル全般に関わる感性についての話題でした。

    もちろん、原因の一端を担っていそうだという結論は嘘ではありません。
    ですが、「モキュメンタリーホラーだけが明らかにピンときていない」ことのクリティカルな要因とは言えないでしょう。

    そこで大トリがこちらの考察です。
    現状、モキュメンタリーホラー薄味問題において最も信憑性のある説です。


    来ないんですよ、あいつら。

    ここ別にホラー小説が始まったわけではありませんからね。
    一行目の注意事項を読み返してくださいね。

    そうして落ち着いたら、思い返してみてください。
    ホラーを愛し、モキュメンタリーホラーを愛し、この記事のタイトルに「このバカがよ」と憤りを覚えたみなさん。

    「自分のすぐ隣にもあるのかも」と思わせてくれたモキュメンタリーホラーの怪奇が、本当にすぐ隣に来てくれたことありますか?

    あるなら教えてください。
    それはそれで本当に聞きたいです。
    コツを教えてください。

    私は大真面目にこれを最有力説だと考えていますが、小学生の「そんなん全部ウソやし!知ってんで!」と大差ないと言われてしまえばそれまでです。
    違いを説明できるほど大人ではありません。

    でも本当に、大真面目に、ずっと悔しいんですよ。
    「来ない」ことが。

    紫の鏡、13歳だか15歳だかハタチだかまでちゃんと覚えて意識してましたよ。

    カシマさん、何回だって話を見聞きする機会はあったし人に話したりもしましたよ。

    n回見たら何々系の画像、もうどれを何回見たか覚えてませんよ。

    落ちてるものを集めるタイプのガキだったので、お寺や神社や海や川の丸い石なんかいくらでもありましたよ。
    (玉砂利は真似しないでください。)

    「おまじない大図鑑」みたいなやつのチャチな儀式、多分全編3周はしました。

    深泥池、タクシーで行きましたけど普通にいいところでした。

    寝る前に窓を5cm開けて「お入りください」って拝むやつ、多分蚊しか入ってませんでした。

    曰く付きのお人形が飾られた研究室、4年通ってお菓子あげ続けたけど物音すら聞けませんでした。


    すっごく悲しい!

    注記:人間含む生き物の体を傷つけるもの、ぬいぐるみなどに無体を働くもの、食べ物を粗末にするものはイヤなので実施していません。
    これらでなにか成功したという方がいれば、お話だけ聞かせてください。一応羨ましがります。

    そんなわけで私は、比較的アグレッシブに怪奇に接触を試みつつ、フラれ続ける人生を送っています。
    それ自体はまあ、仕方のないことです。

    いくら「本当にあった!」と言われても、それはあくまで「その日、そのとき、本当にあった」ことでしかありません。

    たまたまそのときそこで起こって、たまたま私のときは起こらなかっただけのことです。
    聞くところによると再現性がないのが怪奇現象ですし、実は世の中の大抵のことは再現性がありません。

    だから私にとってホラーとは、諦めつつ楽しむものなのです。


    でもさあ! モキュメンタリーときたらさあ!!

    あれって本当に素敵だと思います。すごいです。
    どんなにはっきり「このお話はフィクションです」と書かれていても、そもそも「mock」という存在だとしても、


    でも、「もしかして」と思わせるだけの存在感があるんです。

    これがモキュメンタリーホラーの核心であり、魂の部分だと思います。
    そして残酷なことに、まさにそれのせいで「ピンとこない」が発生している可能性があります。

    近年のモキュメンタリーホラーは明らかに、これまでのホラーと比べて読者(視聴者)の側へ一歩深く踏み込む作風です。
    私の脳みそも、そこはきちんと実感していると思います。

    だからこそ、「もしかしたら」「でもどうせ来ないよね」「やっぱ来なかったね」という失恋の痛みがデカいのです。
    リアルだと感じれば感じるほど、「でも来ないし」という現実とのリンクも強くなってしまいます。

    ホラーファンのみなさまは、どうやってこの失恋の喪失感を乗り越えているのでしょうか。
    誰もが少なからず失恋し続けながらホラーを見ているはずなのです。
    そうですよね?
    私たち怪異非モテ同盟ですよね?

    この失恋経験に基づく「どうせ」は、いつのまにか当たり前のものになってしまいます。
    経験則と防衛本能によって、「なんかよくわかんない(私には関係のない)やつ」という認識になってしまっているのではないでしょうか。

    大変有力な説です。

    加えて、大変解決しづらい説です。

    今のところ目立った反例も思いつけていません。
    ただし逆説的に、これが本当に核心的要因なのかも検証できていません。
    これからもモキュメンタリー含むホラーを追いかけ続けて、どこかに定義や定理が見つかったらラッキーです。

    多分、一旦私が怪奇現象に巻き込まれれば解決しそうではあります。


    一応のまとめ:なーんもわかりません

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    なーんも解決しませんでしたねえ!

    ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

    まとめと称してあとがきを書く予定でしたが、文字数がカツカツなので断念しました。
    本編もかなり削りました。何らかの賞がもらえたら、1冊分くらいは好き勝手に書きたいですね。

    これを読んでくださった誰かの中に画期的な解決策が浮かび、それが私に伝わり、私の脳みそが上手に変質してくれることを願っています。

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