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【エッセイ】過去と現在と色々、例えば不登校と起立性調節障害についてvol.2

    現在の私たちのこと


    現在私たち親子の前にあるキーワードは「不登校」だ。

    娘が不登校になって5か月が経つ。

    その少し前から友達に嫌なことを言われると零すことはあったが、あまり深刻そうには見えなかった。

    いや、忙しさにかまけて見ていなかった。

    私は心配性だという自覚があり、娘からも常々そういわれていた。

    不安はよぎったものの、お友達とのいざこざも成長に必要なものだと私自身に言い聞かせて、娘が話す以上のことは追及せず、嫌なことは嫌と言うようにとだけ話した。

    娘は大人しい子で、これまで友達とトラブルを起こしたこともない。

    小学校の卒業アルバムの寄せ書きは娘を優しいと評するものがほとんどだった。

    そんな子だから、

    嫌なことを言われたときにはニコニコしていたら駄目よ、と。

    中学進学のタイミングで引っ越ししたため、

    今の学校には同じ小学校の出身者が3人しかいない。

    今は新しい友達との関係を構築している最中なのだろうと、

    中には合わない子もいるだろうくらいに思っていた。

    この頃には、まさか娘がいじめの対象になっているとは思いもしなかった。


    小学6年生の夏休み明けに起立性調節障害と診断された娘だが、

    中学生になってからは辛いながらも朝起きられるようになり、

    毎日元気に学校に通いだして私を安心させてくれた。

    週に6日忙しく働きながら早起きする私のために、

    少しずつ家事を覚えて助けてくれた。

    4月5月は忙しい私を追いかけては学校の話をしていた。

    でも気づいたときには学校の話をしなくなっていた。

    そうして中学1年の11月、

    2人で暮らし始めて8カ月が経過する頃、

    娘は学校に行けなくなったのだ。



    近々のことなので学校で何があったかについて、今は詳細を割愛する。

    特に何人かの同級生については筆が滑りそうだからである。

    ただ言えることは娘が残酷なクラスメイトたちから数カ月にわたって理不尽に扱われ、心が追い詰められて不登校になってしまったということ。


    そしていじめの主犯格は同じ小学校出身の女子だったということだ。



    過去の私たちのこと


    ただ、中学以前にも様々なことがあったのは確かだ。

    若干13歳であっても過去があり今がある。

    キーワードとしては「祖母」「引越し」「コロナ」「起立性調節障害」だろうか。

    これらは生活に変化をもたらしたもの、私の後悔の種たちだ。


    娘は離婚後に私が身を寄せた私の実家で生まれた。

    娘にとっての祖母は365日酒を飲み、自分勝手で、すぐに手が出る人だ。

    (※娘にとっての祖母はもちろん私の母であり、ここで言う祖母と母は同一人物である。)

    私もかつては二度と実家には戻らないものと思っていた。

    ではなぜ、実家に戻ったのか。

    妊娠中の身で生活力がなかったのが大きな理由だが、孫がいれば母も変わるだろうとなぜか思ってしまったのだ。

    結局、母は昔のままの母で何も変わったりはしなかった。

    娘が成長して自我を持つにつれ、母の暴力の矛先は娘にも向かうようになった。


    私は後先を考えることをやめて5歳の娘を連れて東京に引っ越した。

    小学校への進学は品川区で迎えた。

    しかし小学1年生でコロナ禍となり、

    当時飲食店で働いていた私は職を失い再び実家に戻らざるを得なくなった。

    日中の飲食店で働く主婦がどれほど稼げるものか想像に難くないだろうが、

    コロナ禍で家賃も滞納し貯金もなく、引っ越し代すら捻出できずに実家に戻る以外の選択肢が持てなかった。

    当時は行政も混乱していたと思う。

    そうして2回目の祖母との同居が始まり娘は8歳になった。

    5歳の頃に比べて祖母の機嫌を読むことが出来るようになり、

    しばらくは何とかうまく暮らしているように思えた。

    私は損害保険の資格を取得して保険代理店で働きながら少しでもお金貯めようと必死だった。

    今度こそ実家から出て二度と戻らないために。

    しかし私が働けば働くほど、娘が祖父母と過ごす時間は増えていった。


    小学6年生になって少し経った頃、娘が学校からの手紙を持ち帰った。

    健康診断の結果、痩せすぎだというものだった。

    夏休み明けには朝起きられなくなり、起立性調節障害と過敏性腸症候群いう診断を受けた。


    朝起きることのできない娘を母がベットから引きずり出し、

    髪を掴んで玄関まで連れて行くのを

    そんな病気は存在しない、怠けるなと罵倒するのを

    私は止めようとした。

    殴られて片目の視野がカーテンをひいたように薄暗くなり、

    後で網膜剥離と診断されるのだが、

    こちらも暴力をふるう母の腕を掴んでねじりあげ、

    私は自分が母よりも背が高く力が強いことに初めて気づいた。

    この日以降も母の娘に対する言葉の暴力はやまなかったが、

    母が私の我慢の限界を測りだしたのは明白だった。

    私たちが大切にしているものを捨てたり、娘に物理的な暴力をふるうことはなくなった。

    それでも私は遅く起きた娘を小学校に送り届けてから昼頃に出勤するようになった。

    私がいなければ結局、早く起きろと娘を叩き起こすのは目に見えている。


    これまでどれほど頑張らせてしまったのか。

    もともと生まれつきに繊細で、共感力が高く、傷つきやすい子だった。

    優しくて、成績もよく、いつも友達を助けていた。

    掌に異様に汗をかくようになったことや、

    朝起きるのが辛くなったこと。

    少しづつ崩れてゆく心のバランスを、私が見逃してきてしまった。

    娘は「東京にいたときみたいにババと離れて2人で暮らしたい」とよく泣いていた。

    貯金して2人で暮らすために、もう少し待ってね。

    今はまだなんとかなっている、と。

    娘が心をすり減らしていることに気づいていなかったとは言えない。

    私の足りない覚悟が子供を犠牲にしたのだ。


    上司には娘の症状を話して遅刻が続く許可を取った。

    「それほど小さな子供じゃないし、実家住まいだからご両親に見てもらえるんじゃないか」というまっとうな疑問には「親は古い人間なので起立性調節障害に理解がなくて」と答えるに留めた。

    デリケートな問題があると匂わせれば、こちらが話す以上には他人の家の事情に踏み込んではこないだろうと踏んだが、思った通りそれ以上の追及はされなかった。

    有給を使い切り、娘の学資として貯め始めていた貯金を崩し、

    同僚や上司の視線が冷たくとも、

    私はやるべきことをこなして仕事でミスは出さなかった。

    そうして娘が中学にあがるタイミングで実家を出て、隣の市に引っ越したのだ。

    起立性調節障害と診断された9月から卒業までの半年間、

    新しい生活の準備を入念に重ねてきた。

    再び貯金を使い果たしても借金だけはせずに、私たちは新しい生活をスタートした。

    やっと叶えたのだ。

    2人の生活をもう二度と手放すつもりはなかった。



    そのこころ


    不登校が始まった時、

    自分の心と身体に何が起きたのか、本人すら解らなかっただろう。

    友達の顔を思い浮かべると心臓が縮み上がり、

    緊張で胃が冷たくなる。

    学校に行くのが怖い。

    学校に行かないのも不安。

    微熱が続き、流れるほどの汗がでる。

    泣きたくなる。

    何も手につかず、やる気が起きない。

    勉強をしなきゃと焦るけれど、

    教科書を見ると学校という現実が押し寄せる恐怖で、

    教科書すら直視することが出来ない。

    行かなきゃと、

    やらなきゃと、

    考えようとすると、

    お腹が痛くて立ち上がれない。



    あのこころ


    自己認識の未熟な10代が、

    今何が起きているのか、これから何が起こるのか、

    前後不覚でもがくことが、

    どれほどの恐怖か私は知っているはずだった。

    しかし喉元過ぎれば何とやら、

    私は当初、娘を何とか学校に行かせようと努力していた。


    中学生になり回復していたものの、起立性調節障害は季節によって悪化することもあると聞いていた。

    朝起きられず学校に行き渋る娘を見て、そのような感じで悪化したのだろうと思った。

    そしてそれ以外に原因がないのかと考えること、聞くことをしなかった。

    私は朝4時過ぎに起きて、

    2人分の弁当や朝食をつくり、

    朝の家事や化粧を済ませ、

    娘を起こすことだけに1時間以上かけられるように時間配分をした。


    無理やり学校に行かせようとする母から逃げてきたのに、何とか学校に行かせようと私は焦った。

    とても不安だった。

    日々の忙しさに、疲れに、思考力も判断力も鈍っていった。

    2人の生活を守るために、私はもう毎日遅刻早退するわけにはいかない。

    朝起こさなければ昼まで寝てしまう娘が、

    これ以上休み続ければ完全な不登校になってしまうのではないだろうか。

    アパートの狭い部屋で1人、毎日悲しい気持ちで私を待つのではなく、

    大切な時期を友達と楽しく過ごしてほしかった。

    自身の引きこもりと重ねて、長引くほどに本人が辛くなると考えていた。

    娘の通う学校は進学校で授業のペースが速い。

    それも私を焦らせる要因になった。

    ソファで一日中スマホを眺めているのなら午後からでも学校に行けるのではないかと娘に声をかけた。

    せめて勉強したらと何度も言った。

    ある時、娘は悲鳴のような声を出して泣いた。

    赤ん坊のように泣きながら自分の髪を引っ張り抜く姿を見て、

    私は娘に向ける私の言葉が全て、

    どれほど娘を責めて追い詰めていたのか気づいた。


    娘の中で何が起きているのか理解しようとすることが、

    娘を別の人格として尊重することが、

    ただ娘を愛してると伝えることが、どうしてこんなにもできないのだろうか。




     
     

    rokka

     
     
    中学生の娘と2人暮らし。夢はゴールデンレトリーバーを飼うこと。娘の不登校をきっかけに思い出すあれこれや日常を綴りながら人生を棚卸中。子の心を守るということ、子の心を育てるということを模索中。これが私たちの成長の物語となりますように。

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