
合唱コンクールのステージの上で起きていたこと~無謀なクリップ作戦で私は負けない~
この世の中で、いや、日本で、パンツを履いて生活している人は、きっと9割を越えるであろう。
──そう、また、パンツの話である。
先日、イチゴ柄のパンツの記事をドヤ顔で投稿したところ、思ったようにスキが増えない。noteの町ではパンツの話は好まれないのか、そもそも私の文章能力が低いのか……。
だが、私は負けない。
私はできる、きっとできる、なんとかなるという謎の自信だけで生きてきた女である。
懲りずに「パンツ」で勝負に出る。
あれは、忘れもしない小学5年生の夏。聖なる歌声が響く、あの合唱コンクールのステージ裏での出来事である。
当時、私は学校の合唱団に所属しており、その日は市内の学校が集まる大きな合唱コンクールの当日だった。会場は地域の聖地、市民会館の大ホールである。
その日の私は少し大人びていた。さらっとした上質な素材の白いブラウスに、前だけに数本のプリーツがあしらわれた、黒い洒落たスカート。鏡に映る自分は、まるでどこかのお嬢様のようだ。
「次の次の次が、私たちの番だよー! トイレに行く人は、今行っちゃってねー!」
本番を控え、緊張感が漂う控室前の廊下で、先生が声を潜めながら団員たちに指示を出した。
「ここで最後か。ステージの上で緊張して行きたくなったら大変だし、今のうちに行っておこう」
私は、足早にトイレへと走る数人の背中を追った。
当時の市民会館のトイレといえば、今のような温水洗浄便座が並ぶハイテク空間ではない。薄暗いタイルの床に、ずらりと和式便器が並ぶ、昭和の香りを色濃く残す場所だった。洋式トイレなんて、あったかどうかも怪しい。
私はなんの迷いもなく個室に入り、頭の中でイメトレを始めた。ステージに入場。雛壇へ登り、指揮者の手元を見つめ、美しい第一声を発する。
そんな姿を思い描きながら、用を足そうとしゃがみ込んだ。
ブチッッ。
静かな個室に、腰の辺りから鈍く、不吉な音が響いた。小5の私には、何が起きたのかさっぱり分からなかった。謎の破裂音に怯えつつも用を足し、さあ着替えようとパンツを引き上げた。
……はずだった。
すとん。
重力に従い、パンツが足首まで静かに滑り落ちていく。
え?
と思い、もう一度引き上げる。
しかし、手を離した瞬間に、やはり重力に逆らうことなく、すとんと落ちる。何度やっても、結果は同じだった。
パンツの命とも言える「ゴム」が、完全に消え去っていた。経年劣化という名の魔術によって、伸縮性を持つはずのゴムはただの硬い糸くずと化し、完全にその機能を放棄していたのである。
次の次の次には、私はあの目も眩むような大ステージに立たなければならない。「先生、パンツのゴムが切れました」などと、この期に及んで洒落たブラウスを着た口から言えるはずもなかった。プライドが邪魔をした。極限状態の中、小5の脳細胞が導き出した決死の解決策は、
「スカートのウエスト部分の後ろ側に、パンツの残骸を挟み込む」
という、あまりにも無謀なクリップ作戦だった。何もしなければ一瞬で足首まで落下する布切れを、黒いプリーツスカートのゴムだけで必死に繋ぎ止める。
一歩歩くたびに、下半身から不穏な滑落の気配が伝わってくる。生まれたての小鹿、あるいはギックリ腰を患った老人のような、不自然極まりないぎこちない歩みで、私はステージへと続く花道を歩いた。
スポットライトが降り注ぐ、神聖なステージの上。溢れんばかりの観客席。
さあ、始まる。
数分前まであれほど完璧にこなしていた「美しく歌うイメトレ」は、一瞬で木っ端微塵に吹き飛んでいた。
(今、高音を出してお腹に力を入れたら、このパンツは客席に向けて自由落下するのではないか……?)
もしそんなことになれば、市民会館は大騒然、私の小学生ライフは本日をもって強制終了である。歌唱中、周囲の仲間たちが綺麗なソプラノを響かせる中、私はひたすら
「お尻をすぼめ、下半身の筋肉を極限まで硬直させる」
という、前代未聞のソロ活動に励んでいた。私の顔は、歌への感動ではなく、パンツへの恐怖で引き攣っていた。
今思えば、すべては自業自得である。前日の夜、母は確かに言っていた。
「ともちゃん、パンツの上にちゃんとスパッツ履いていきなさいよ」
と。それに対して私は、
「えー、暑いからなー」
などと、スカートをヒラヒラさせながら生意気に断ったのだ。あの時の自分を、ビンタしてやりたい。スパッツさえあれば、例えゴムが切れようとも、すべては強固なセーフティネットの中に守られていたというのに。
いや、待てよ。
そもそも論として、今にも限界を迎えそうなほど劣化したパンツを、なぜ母はコンクール当日まで大切にタンスに保管していたのだろうか。いっそあの日、あのパンツを処分していてくれれば、私は大ホールでパンツと命懸けで闘うことはなかったはずだ。私は心の中で、母の謎の物持ちの良さを激しく呪った。
なんとかパンツを客席にお披露目することなく、奇跡的にステージを終えた私だったが、あの日の合唱コンクールで一体何の曲を歌ったのか、今となっては1小節も思い出せない。
覚えているのは、何度やってもパンツが自然落下する恐怖と、震える手でスカートのウエスト部分の後ろ側に、パンツの残骸を挟み込んでいたあの時間である。。
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