
何百人もの患者さんに寄り添ってきた看護師の私が、一番救いたかった命――それは父でした。
※この文章は、実際の体験をもとに綴ったエッセイです。
私は、看護師です。
十五年以上、何百人もの患者さんに寄り添ってきました。
冷たくなりかけた手を握り、
「大丈夫ですよ。」
そう声をかけてきました。
それなのに、一番救いたかった人には間に合いませんでした。
最後まで「しんどい」と言わなかった、父です。
父を失ったあとも、その理由がすぐにわかったわけではありませんでした。
でもその答えは、ある言葉の中に隠れていたのだと、今なら思います。
「また入院なんだ」
その言葉を、私は十五年以上の看護師人生で、何度も心の中で飲み込んできました。
◆
「痛かったね。」
中学生の頃、手をけがして保健室へ行った日のことです。
保健室の先生は、私の手をそっと包み込み、優しく傷の手当てをしてくれました。
消毒液が傷口にしみて思わず顔をしかめると、「もう大丈夫だからね。」と微笑みながら、もう一度そっと手を握ってくれました。
不思議でした。
さっきまで痛かったはずなのに、その手のぬくもりに触れた瞬間、心まで安心していくのを感じたのです。
傷はいつか治ります。
でも人は、手を握られるだけで、安心できることがある。
あの日のぬくもりは、看護師になった今も私の中に残っています。
父は子どもの頃から、腎臓病を抱えていました。
それでも、自分の病気のことを口にする人ではありませんでした。
冬の朝、まだ外は真っ暗です。
父は静かに玄関の扉を閉めます。
「行ってくるわ。」
片道一時間半の通勤。
私は布団の中で、その音を聞いていました。
まだ起きるには早い時間で、瞼は重いのに、なぜか父が家を出るその瞬間だけは目が覚めていました。
病気を抱えながらも、父は毎日、片道一時間半かけて仕事へ向かいました。夜遅く帰ってきても、疲れた顔を私たちに見せることはありません。
「今日は休もうかな。」
そんな父を、私は一度も見たことがありませんでした。
子どもだった私は、それが当たり前だと思っていました。
でも今ならわかります。
父は、自分の身体よりも、家族を守ることを選び続けていたのだと。
夜遅く、玄関の鍵が開く音がします。
時計を見ると、二十二時ごろ。
疲れているはずなのに、父はいつも変わらない声で言いました。
「買ってきたよ。食べや。」
手にはコンビニの袋。
ガサガサと音を立てて取り出したのは、決まってロッテのクランキーチョコレートでした。
クランキーチョコレートは、父の好きなお菓子でした。
いつの間にか、父の好きなものが私も好きになっていました。
ある日、一度だけ聞いたことがあります。
「しんどくないの?」
父は少し笑って言いました。
「これくらい、大丈夫や。」
私は、その言葉を信じていました。
父は大丈夫なんだ、と。
そんな父の姿を見て育った私は、自然と「人の力になれる仕事がしたい」と思うようになりました。
高校生になって進路を考えていた頃、担任の先生から言われた一言がその思いを後押ししてくれました。
「あなたは看護師に向いていると思うよ。」
その言葉に背中を押され、私は看護師の道を選びました。
看護学生になると、病院実習が始まりました。
担当になったのは、一人のおばあちゃんでした。
ベッドのそばに腰を下ろし、手を握ると、おばあちゃんは安心したように、ぽつりぽつりと昔話を聞かせてくれました。
私は、バイタルサインを測ることよりもその時間が好きでした。
手を握ること。
話を聞くこと。
ただ、そばにいること。
人は、それだけで安心できるのだと、おばあちゃんが教えてくれました。
実習の最終日、おばあちゃんは涙を浮かべながら言ってくれました。
「あなたが担当で、本当に良かった。」
その言葉が、看護師になりたいという思いを確かなものにしてくれました。
看護師になってからは、患者さんの小さな変化に気づこうと、毎日必死でした。
でも、その頃の私はまだ知りませんでした。
その必死さが、一番近くにいる人にだけは、向いていなかったことを。
◆
「また入院なんだ」
その言葉を、私は十五年以上の看護師人生で、何度心の中でつぶやいたかわかりません。
患者さんの前では決して口にしません。
でも、申し送りで名前を聞くたび、カルテを開くたび、その言葉が胸の奥に浮かんでいました。
アルコール消毒液の匂いが漂う病棟。
ナースステーションにはモニターの電子音が響き、看護師たちが慌ただしく行き交います。
いつもと変わらない朝でした。
申し送りで患者さんの名前を聞いた瞬間、私は思わず手を止めました。
「あ……〇〇さん。」
数か月前に退院したばかりの患者さんでした。
病室へ向かう廊下を歩きながら、私は心の中でそっと願います。
「今回はきっと大丈夫」
病室の扉を開けると、その患者さんは少し照れくさそうに笑って言います。
「また来ちゃったよ。」
私は笑顔で答えます。
「また一緒に頑張りましょうね。」
患者さんの前では、いつも笑顔でした。
でも、申し送りで名前を聞くたび、胸の奥では同じ言葉が浮かびます。
「また入院なんだ」
そんな患者さんの一人に、何度も担当したおばあちゃんがいました。
笑うと目が細くなり、少女のような笑顔を見せる、とても愛らしい人でした。
肝臓が悪く、病気の影響で入院したことを忘れてしまう日もありました。
「ここはどこだったかな。」
そう首をかしげながらも、私の顔を見ると、にこっと笑ってくれる。
私はその笑顔が大好きでした。
ベッドのそばに腰を下ろし、手を握る。
他愛もない話をして、一緒に笑う。
忙しい病棟の中で、その時間だけはゆっくり流れているように感じました。
けれど、おばあちゃんは同じ病気で何度も入退院を繰り返していました。
退院するたびに、おばあちゃんは少しだけ小さくなって病院へ戻ってくる。私には、そんなふうに見えました。
手を握るたびに、前よりも細くなった指先に気づく。
笑顔は変わらないのに、そのぬくもりだけが少しずつ弱くなっていくようで、胸が締めつけられました。
医療は、おばあちゃんの命を何度も救っていました。
それでも私は、退院するたびに少しずつ小さくなっていく姿を見て、心のどこかで同じ問いを抱くようになっていました。
「本当に元気になっているのだろうか。」
◆
病院で何度も「また入院なんだ」とつぶやきながら、私の中には消えない違和感が残っていました。
退院できたことは、本当に良くなったということなのだろうか。
その答えを知ることになったのは、訪問看護の現場でした。
病院では検査や点滴、薬の調整を行い、患者さんは退院していきます。
でも、その後の暮らしまでは見えません。
訪問看護で初めて患者さんの家を訪れたとき、私は病院では見ることのできなかった現実に出会いました。
買い物へ行くことが難しくなった人。
食事をつくる気力を失ってしまった人。
テーブルの上には、飲み忘れた薬の袋だけが並んでいる家。
カーテンを閉め切った部屋で、一日のほとんどをベッドの上で過ごす人もいました。
病院では、「退院おめでとうございます」と送り出した患者さんです。
でも、その暮らしは、私が想像していたものとは違っていました。
病気だけを診ていては、その人の健康は見えてこない。
そう感じるようになりました。
そんな患者さんの暮らしを見ているうちに、自然と父のことが重なりました。
子どもの頃から腎臓病を抱えながら、片道一時間半かけて仕事へ通い続けた、父の後ろ姿。
病院では、人の命を守ることができます。
それは私が十五年以上働く中で、何度も目の当たりにしてきたことです。
だから私は、医療を否定したいわけではありません。
でも、人の健康を支えているのは、病院で過ごす数日間だけではありませんでした。
毎日の食事。
眠ること。
身体を動かすこと。
誰かと笑い合うこと。
そんな何気ない暮らしの積み重ねが、人の健康を支えているのだと、私は訪問看護の現場で教えられました。
その頃にはもう、私の中で一つの思いが大きくなっていました。
病気になってから支えることも大切。
でも、病気になる前に伝えられることがあるのではないだろうか。
その思いは、少しずつ私を病院の外へ向かわせていきました。
◆
病院で働きながら、私の中には一つの思いが大きくなっていました。
「このまま病院にいては、私が本当に届けたいことは届けられない。」
その思いは、父の姿を見るたびに、強くなっていきました。
父は透析を受けるようになってからも、それまでと変わりませんでした。
週に三回、病院へ通い、何時間も透析を受ける生活。
腕には太い針を刺した跡が残り、うまく穿刺できなかった日は、腕いっぱいに内出血が広がっていました。
見ているだけで胸が苦しくなるような痛々しい腕でした。
それでも父は、弱音を吐きませんでした。
「しんどくないの?」
そう聞くと、返ってくる言葉は昔と同じでした。
「これくらい、大丈夫や。」
私は、その言葉を信じていました。
透析を受けているのだから疲れるのは当然。
痩せていくのも仕方がない。
そう思い込み、父の変化を見過ごしていました。
看護師として患者さんの小さな変化には気づこうとしていた私が、一番近くにいた父の変化には気づけなかったのです。
そして働いていたある日、一人の患者さんから激しい口調で責められました。
診察の順番を守っていただくようお願いしたことが、その方の怒りに触れてしまったのです。
「あんた、何もしてないやないか。」
もちろん、その方にも病気による苦しみや不安があったのだと思います。
だから、その言葉だけを責めたいわけではありません。
本当につらかったのは、そのあとでした。
職場に相談しても、私を守ってくれる言葉はありませんでした。
十五年以上、患者さんのために働いてきた日々。
数えきれない夜勤を重ね、命に寄り添ってきた時間。
その積み重ねが、誰にも届いていなかったような気がしました。
更衣室で白衣を脱ぎました。
ロッカーに掛けようとしても、手が震えて、うまく袖が抜けませんでした。着続けてきた白衣は、思っていたよりも重く感じました。
患者さんが嫌になったわけではありません。
看護師という仕事が嫌になったわけでもありません。
むしろ、この仕事が好きだったからこそ苦しかったのです。
父には伝えられなかったことがあります。
その思いを胸に、私は白衣を脱ぐ決意をしました。
それは、看護師を辞める決断ではありません。
これから出会う誰かには、同じ後悔をしてほしくない。
その願いを胸に、自分の歩む道を選び直す決断だったのです。
◆
父が亡くなってから、何度も考えました。
もし、もっと早く父の変化に気づけていたら。
もし、「大丈夫」という言葉をそのまま受け取らずに、「本当はしんどくない?」と、もう一歩踏み込んで聞けていたら。
そんな「もし」を考えても、過去は変えられません。
でも、一つだけ確かなことがあります。
父がいてくれたから、私は看護師になりました。
人に寄り添うことの大切さも、父が教えてくれました。
そして、父を見送ったあとになってはっきり気づいたことがあります。
健康は、病気がないことだけではない。
毎日の暮らしを大切にすること。
それが人の人生を、少しずつかたちづくっていくのだということでした。
今でも、冬の朝になると思い出します。
まだ外は真っ暗な中、静かに玄関の扉が閉まる音。
「行ってくるわ。」
布団の中で聞いていた、父の声。
あの頃は、それが当たり前の日常でした。
でも今は、その何気ない毎日が、どれほどかけがえのない時間だったのかが分かります。
お父さん。
もっと早く伝えたかったことがあります。
しんどいときは、「しんどい」と言っていいこと。
自分の身体を大切にすることは、決してわがままではないこと。
そして今でも大好きです。
娘として、その言葉を届けることはできませんでした。
それが、今でも私の後悔です。
でも、その後悔があったからこそ、私はこれからの人生で伝えていきたいことに出会いました。
病気になってからではなく、病気になる前から、自分の身体を大切にしてほしいということ。
毎日の暮らしを大切にすることが、未来の自分を守ることにつながるということ。
これは、父が命をかけて教えてくれたことでした。
「行ってくるわ。」
あの日、父が歩いた道の続きを、
私は今も歩いています。