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手は離すけれど、そばにいる

    娘が16歳を迎える。

    Sweet Sixteen
    娘から教えてもらって初めて知った、16歳の誕生日を特別に祝うオーストラリアの文化。
    友達を呼んでパーティーを開いたり、ドレスアップして写真を撮ったり。
    うちも今年、仲良しの友達を20人ほど招いて、レストランでお祝いする予定だ。

    みんな大人顔負けのメークとドレスで集まってくる。
    こういうところから、パーティー文化って根付いていくんだな、
    としみじみ思う。
    「私より大人っぽいかも」なんて思いつつ、
    その眩しい肌のハリには、潔く降伏するしかないのだけれど。

    16年。
    あっという間だったような、ずいぶん長かったような。
    言葉も通じず、泣いてばかりの時期は、早く20歳にならないかな。
    なんて思っていたのに。

    ずいぶん前に、何かの本で読んだ言葉がある。

    「子供の手を離しても、心は離すな」

    これを知ったときは、まだまだ手を繋いでいた時期だった。
    でも最近、この言葉が不思議とよみがえってくる。

    娘はもう、私の手を必要としない場面がどんどん増えてきた。
    アルバイトも始め、友達と出かけ、自分の世界を持ち、私が知らない笑い話を持ち帰ってくる。
    この国の文化だって、娘のほうがずっとよく知っている。

    そういえば少し前、娘から
    「マミーは私のバディ(相棒)だからね」と言われた。

    小さな頃から、いつも一人の人間として、
    対等に接することを心掛けてきた。
    それがちゃんと娘に伝わっていたんだと思うと、
    胸の奥がじんわりと温かくなった。

    母親という役割を超えて、お互いを尊重して一緒に歩いているような、
    そんな心地よさがその言葉にはあった。
    それはとても、良いことだと思っている。

    手を離す、というのは寂しいことじゃない。
    むしろそれが、子育ての「ひとつのゴール」なのかもしれない。
    と今は思う。

    娘が自分の足で歩き始めたことで、私もようやく、
    自分の足元を見るようになった。

    気づけば、娘中心に回っていた時間の中で、
    後回しになっていたことがたくさんある。

    棚の奥に押し込んでいた「自分」という存在を引き戻すように、
    ディナーに出かけたり、飲み会を開いたり、週末にふらりと出かけたり。
    こうして文章を書く時間も、そのひとつだ。

    少しずつ、自分に目を向ける時間が増えてきた。

    だからといって、心まで離れるつもりはない。

    いつでも帰れる場所として、ここにいる。
    何かあれば話せる相手として、そばにいる。
    それが今の私の在り方。

    手は離す。
    でも、心はずっと、娘のそばにある。

    来月のパーティー、娘はどんな顔をするだろう。
    友達に囲まれて、笑って、少しだけ照れるかもしれない。

    私はきっと、少し離れたところからそれを見ている。

    それで、いい。


     
     
    迷っても、戻る場所。 人生の美しい午後を、メルボルンで過ごしています。日々の気づきや、頭と心のモヤモヤを、言葉にして、少しずつ整理しています。自分の音色で、静かに綴ります。忙しない毎日の中で、ここが誰かにとっても「自分に戻る場所」になるように。

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