
THE NIPPON 弥生時代から古墳時代まで おまけ5・・・・・・西北九州には末廬国があり、北部九州には奴国があった。
新しいデータが出ていた。
西北九州の弥生人と北部九州の弥生人では渡来人と縄文人の混血の比率が違うそう。
長崎県の正村遺跡および根獅子遺跡から出土した約2,300~2,500年前の西北九州弥生人4個体について、核ゲノム配列の解析を行った結果、4個体のうち2個体は縄文人とほぼ同一のゲノム成分を保持していて、残る2個体は縄文人由来および渡来人由来の双方のゲノム成分を有していることが明らかになったそう。で、渡来人と縄文人との遺伝的交流が少なくとも約2,500~2,600年前にはすでに始まっていたことが明らかになったそう。加えて、西北九州弥生人は、沖縄県宮古島の長墓遺跡から出土した約2,800年前の個体と遺伝的に近縁であることも示された(東大大学院理学系研究科・理学部)。
西北九州では紀元前7世紀頃から渡来人を受け容れていたのに、今回新たに解析された4人中2人はほぼ縄文人のままだったようだ。下本山岩陰遺跡の骨が弥生末期(2世紀〜3世紀)のものなのに縄文人のゲノムが6割を占めていたことは前に書いた。これはたまたまそのひとりだけが特別な例だったわけではないということがわかった。
対照的に北部九州では弥生前期ですでに縄文人のゲノムは1割ほどになっている。
西北九州は魏志倭人伝に記載された末廬国(マツラ国)の周辺にあたり、北部九州は奴国にあたる。
倭国の大乱はやはり渡来人との混血をめぐる争いからはじまったよう。弥生初期から混血しまくった奴国とそれを忌むべき行為としていた末廬国との戦いからはじまったのであろう。
ちなみに、縄文人は黒人に近い。
黒人は白人と混血しても真っ黒くなる。西北九州の弥生人たちは混血した人たちであってもほぼ黒人のようだったろう。が、北部九州はほぼ黄色人種であったろう。