
私は何者にもならないかもしれない——人生の変わり目をまだ一度もみたことがない
#️⃣1 【朝と夜の境目を見てみたいけど成功しない】
目を閉じて、また目を開ける。
私がいる。
40代前半。海外在住の専業主婦だ。
大学を卒業し、少しふらふらしたあと就職した。結婚、出産とともに退職し、その後は夫の転勤について全国を回り、今は海外に住んでいる。
ここに辿り着くのに、その時々には、きっと色々なことがあったのだと思う。
でも、今この地点に立って振り返ると、海外に住んでいることも、高校生と中学生になった二人の子どもが私の背を追い越したことも、日本人ではない夫と日本でも夫の母国でもない第三の国で暮らしていることも、どこか夢の中の出来事のような気がする。
さて、目を閉じる場所をどこに設定しよう。
高校時代?
かなり昔すぎて、もううまく思い出せない。
大学時代?
人生で一番楽しかったかもしれない。あの頃の高揚感は思い出せるけれど、今の自分とは別世界の誰かの記憶みたいだ。
結婚した頃?
初々しすぎて、あれもまた自分の人生だったとは思えない。
いつも、振り返ってみると、その時は必死で、余裕もなく色々あったはずなのに、覚えているのは感情の塊だけで、細かな出来事は驚くほど曖昧だ。
結局、すべてはいつも「気がついたらこうなっている…..」なのだ。
変化の境目を見てみたいと思う。
朝と夜の境目を探すように、瞬きもせず「ここだ」と、その瞬間を掴むことができたなら、私は自分の人生をもっと愛おしく思えるのかもしれない。
昔から憧れていた海外生活が、いつの間にか日常になったこと。
私が、こんなに中国語が話せるようになったこと。
子どもたちが、いつ私の背を越えたのかとか、
夫が、いつから日本だけではなく第三の国で暮らしたいと思うようになったのかとか、知りたい変化の境目はたくさんある。
そして、昔は無理だと思っていたことが平気になったり、逆に昔は鼻息荒く正しいと思っていたことに対して、今ではしれっと反対の意見を持っていたりする。
それなのに「これが人生の変わり目だった」と言い切れるような出来事は、案外ない。
母が学生時代に亡くなったことだろうか。
夫と結婚したことだろうか。
子どもを産んだことだろうか。
母の死は、たしかに大きな出来事だった。
何年もの間、「去年の今頃はまだ生きていた」「一昨年の今頃は…」と数えるように過ごしていた。母が存在した世界と消えてしまった世界のひずみはまだ学生だった私には大きかった。
でも、そのうちそんなこともしなくなった。
今では、「そんな時期もあったな」と遠い昔を懐かしむぐらいだ。
夫との結婚はどうだろう。
優しい人と結婚したと思う。
出会った時、この人なら、これまでの人生から私を救い上げてくれるのではないかと思った。
新しい家族を作り、古い家族を振り切り、別人の私になれるのではないかと思った。けれど、私という人間が変わるわけではなかった。どこへ行っても、誰といても、常に「私」がついて回った。
子どもを産んだことはどうだろう。
たしかに、あれほど生活が一変した出来事はない。眠れず、食べた気もせず、毎日が目の前のことで精一杯だった。
命という責任の前で必死にならざるを得なかった。そして、とにかく時間が過ぎるのが早かった。
目の前の出来事に喜んだり感動したり泣いたりしながら、全ては過ぎてしまえばただそれだけだ。思い出として強烈だったものがいくつか記憶として残るだけ。
だから、やっぱり、私が今ここにいるのも、こんなふうに生きているのも、結局は、「気がついたらこうなっていた」ということなのだ。
今の生活に満足していない訳ではない。でも、胸のどこかでは、何かがまだ燻っている。
「私は何者にもならないかもしれない」と、不安に思う夜もある。
だけど、それもきっと今に始まったことではない。
気がつけば、子どもは育ち、気がつけば、よその国の言葉が理解できるようになり、気がつけば、母のいない人生のほうが長くなっていた。
だからきっと、これから先も同じなのだろう。
私は、夜と朝の境目を見ることはできない。
ただ、目を閉じて、また開ける。
すると、あの時よりも少しだけ別人になった私がいるだけなのだ。
#️⃣2 【運動せずに健康になる方法が見つからない】
「運動しなくていい身体の整え方、探してくれない?」
ある年上の女友達が、うんざりした顔で言った。
その人は、ものすごい読書量とコンテンツ視聴量を誇る人だ。会社を経営していて、常に誰かの決断をしながら生きている。だからこそ、自分の身体とメンタルをどうにか整えなければ、会社そのものが立ち行かなくなるという危機感を常に持っていた。
「もう、運動は一ミリもしたくないのよね。でも、どこ探しても、運動しろって言葉が出てくる。」
私は思わず笑った。
彼女が、ジムに通いパーソナルトレーニングをつけ、それでも心と身体は整わず、怪しい剣術とかレスリングまでやっていたのを知っていた。
いつも情報をもらうばかりだったから、「頼まれたからには」と妙に張り切って調べ始めた。
けれど、どこを見ても結論は似たようなものだった。
健康になるには、適度な運動。質のいい睡眠。
栄養バランスの取れた食事。ストレスを溜めないこと。
瞑想。深呼吸。散歩。などなどなど。
「いやいや、だから身体は動かしたくないし、彼女には綺麗事は効かないよ」
スマホを見ながら、一人で突っ込む。結局、残念ながら運動なしの健康法なんてなく、ついでに言えば、ノウハウは色々あっても、一瞬で人生が変わる方法はありそうでなかった。
入り口は簡単そうに見えても、試されるのは、結局、自己管理能力とか、忍耐力とか、やる気とか、そういうものばかりだ。
でも、身体の奥を探しても、その「やる気」とやらが、もう枯渇してしまった人はどうしたらいいのだろう…。でも、大丈夫。世の中にはそこにも共通のアドバイスはあるようだ。
「一人になりましょう。」
「エネルギーを補給しましょう」
「リラックスしましょう」
「気楽に考えましょう」
「人の目を気にしないようにしましょう」
「考え方を変えましょう」
そんな言葉が山ほどあった。
でも、リラックスできないから困っているのだ。気楽に考えられないから悩んでいるのだ。不安が込み上げてしまうから苦しいのだ。
最近、綺麗にまとめられた言葉が、あまり効かなくなってきた。
これが遅咲きの反抗期なのか、それとも更年期なのか。
「それができたら苦労しないのよ」
「これ、無理っしょ」
「いや、そもそも続かないから困ってるんだけど」
ぶつぶつ文句を言いながら、それでも色々と読み漁っていたとき、一つだけ妙に心に残ったことがあった。
それは、「説明しない」ということだった。
私は専業主婦だ。主婦同士で話すときはいいけど、そうでない時は、そのあとにいろいろ続けたくなる。
「昔は働いていたんだけどね…。」「主人の転勤が多くて。」「子どもに手がかかって。」「仕事との両立が難しくて。」「ほら、本当は怠けていたわけじゃないんです。」「ちゃんと理由はあるんです。」
そんなふうに、ついポーズを取ってしまう。そこそこ楽しく生活しているのに、そんなこと一切言わずに。
そしてそれは世間に対してだけではない。
家族に対してもそうだ。
「今日、ご飯が作れなかった」と言えばいいのに、疲れていて....。忙しくて....。買い物に行けなくて...。体調悪くて...。と、なんか理由を並べる。
本当は、「今日、無理!」それだけでもいいのかもしれない。
何者かにならなければ・・・何か説明できる人生でなければ・・・どこかで、私はずっとそう思っているようだ。だから私は、自分の人生に注釈をつけ続ける。
そんな私に、その年上の友人はあっさりと言った。
「何者にもならなくてもいいんじゃない?」
私は反射的に答えた。
「いや、生きてたら、何かにはなりたいでしょ」
友人は笑った。私も笑った。
結局、私は縛られる。
何かになりたいと思ったら、「何かにならないといけない自分」に。
何かにならなくていいと思えば「何かになろうとしない自分」に。
結局、運動しなくていい身体の整え方は見つからなかった。代わりに
「運動しなくても、健康になって心が整う方法、あなたが考えたら儲かるかもよ」
と彼女にいったら、さすが経営者。真剣に考えだしたけど、しばらくしてレスリングの試合に出る姿の写真が送られてきた。
楽しそうじゃないか!!!!。
私はまだ、道の途中だ。きっと、死ぬまでずっとそうかもしれない。
今は、社会的な肩書きさえ手に入れば満足するのかもしれないと、表面では思っている。でも、たぶん手に入れたら手に入れたで、「これが私だ」とは思えないのだろう。
何かになりたい。
でも、何かになったとしても、きっと私はまた、「本当の私は違う気がする」と言い出す。
それなら、深く考えずに必要だと思ったら、何にでもなってみればいいのかもしれない。年上の友人みたいに、怪しい剣術も、レスリングも、次から次へと渡り歩きながら、自分を変えていく。
残念ながら、目を閉じて目を開けても、理想の未来には行けない。
けれど、気がつけば、いつも私は「あの時の未来」にいる。
そうやって私は、また知らない場所で「私です」と名乗っているのだろう。
#️⃣3 【勉強していなかったら占い師になれていたかもしれない。でも、その前にのたれ死んでいたらしいが……】
子どもたちがテスト前になると、家で勉強を始める。
「ああ、よかった。」
その姿を見て、私はふと思ってしまった。
「もう、私はこんな面倒くさいテスト勉強なんてできないし、したくない。」
私は、子どもの頃、それなりに勉強してきた人間だ。
正確には、家が厳しく、させられたのだ。
ものすごい立派な学歴があるわけではないが、でも、そこそこ勉強してきた。
過去を振り返って、子供時代、勉強したかったのかしたくなかったのか、それは、その時の私の立ち位置によって答えが変わる。
ふらふらしていても就職できた時は、勉強してきたからだと思ったし、今、子どもの勉強を見てあげられるのも、「まあ、昔やりましたからね」と言える。
でも、私は結局、何者にもなれなかったな、とも思う。
四十数年生きてきて、人生の後半で続いていることといえば、結婚生活と子育てくらいだ。その子育てだって、子どもが小さいカオスの頃は、「まだこんなに先が長いのか」と絶望しながら、かろうじて踏ん張っていた。
そんなふうに、大人になった自分がどこか自分ではないような気持ちになったとき、私はふと思った。
そうだ。
私、占い師になれていたかもしれない。
勉強さえしてこなかったら・・・。
実は、私は勝手に、自分は直感が鋭いほうだと思っている。占いも大好きだ。夫には内緒だけれど、結構有名な占星術の先生の教えを参考にして、夫にアドバイスしていたこともあった。手相を書けば運勢が変わると聞けば、寝ている夫の手のひらに線を赤マーカーで書き足した。
のめり込むけど、乗り換えるのも早い私は、手相、易、数秘術、風水、四柱推命と色々はまっていた。そんなある日、私も何かを極めて今から占い師になろうかと思い出した。
それで、本格的に勉強を始めてみようとするも、直感を活かすには自分の頭の知識が邪魔をしてくる。
私は占い師にはなれない。勉強したせいで・・・。
私は亡くなった母の教育を恨みながらすぐに諦めた。
あるとき韓国に旅行に行った時、生年月日や手相といった「属性占い」に少し飽きてしまい、霊視のできるという占い師のところへ行った。
そして、私は占い師の先生を前に恐れ多くも言った。
「私、占い師になりたかったんです。でも、家が厳しくて・・・・あんなに厳しく育てられなかったらなれてたと思ってます」
占い師は、鈴みたいな道具をシャンシャンしてしばらく見えない誰かと、会話をした後、はっきりした口調で言い切った。
「勉強していなかったら、あなたは今頃、道でのたれ死んでいた。」
……え?
「勉強してきたから、なんとか社会で生きてこられた。勉強しなかったら占い師にはなれたかもしれないけど、その前にのたれ死んでいた。」
ええええええ????
な、なんというパラドックス。
勉強せず、厳しく育てられなかったら、本当に自分らしく生きられたのかもしれない。でも、その前に死んでいたかもしれないのだ。
何かになるというのは、大変だ。
そして自分らしく生きるというのも、大変だ。
占い師という願いを、私は自分の人生の候補リストから完全に消した。
母は、子どもの頃、家が貧しく、兄弟も多くて、十分な教育を受けられなかった。そして多分、そのことをずっと恨んでいた。
だから、私に全集中した。
自分ができなかった勉強を、自分が習いたかったピアノを、とことん習わせた。
「あなたは、おかーさんみたいにならないように。」
私は、ピアノも本当はやりたくなかったけど、真面目だったから続けた。勉強もそこまで好きでもなかったけど頑張った。
本当は空想するのが好きだった。不思議な世界を妄想していた。実は、人里離れた山奥の、巫女に憧れていた。
だからこそ、勉強なんてしていなかったら、占い師になりたかった、なんて思うのかもしれない。
子どもの頃、窮屈さに耐えきれず、私は母に叫んだことがある。
「私は、お母さんの操り人形じゃない!」
母は一瞬、言葉を失った。
でも次の瞬間、顔を真っ赤にして怒った。
「どうして? 私が子どもの頃にしてもらえなかったことをしてあげているのに! 何がそんなに不満なの?」
その時、私は思った。
自分に子供ができたら、子どもは自由に育てよう。やりたいことだけやらせよう。自分のようにならないように。子供時代が自由でのびのびで、本当の自分を生きれて…。
その時の思いは何十年まで続いていた。
子供ができたとき、本当にそういう理想で育てたのだ。この子をいじらず、本能のままに育てよう!
それなのに、子供たちはそんな環境をありがたいことにもちっとも気がつかず(!)ちょっとしたことでギャーギャー泣き喚く。要求はエスカレートし、統制の効かないカオスな日々に、私はある日、叫んでいた。
「どうして? 私が子どもの頃にもらえなかった自由をあげているのに! 何が不満なの?」
悲しいかな、母と同じ構造を生きていた。
結局、私の子育ては軌道修正を余儀なくされた。自分の満たされなかった心を子供に投影してはいけない。自由も、厳しさも彼らには平等に受ける権利があるということを少しずつ学んでいった。
そしてやっかいなことに、私はそれなりに勉強してきた人生しか知らない。
勉強しなかった人生を経験していない。そちらの道は憧れでもあるが、未知の世界で不安なのだ。
だから子どもに、そわそわしながら言ってしまう。
「べ、勉強したほうがいいんじゃない?」
決して、自分の子ども時代が良かったなんて思っていないのに…。
私は時々ふと考える。
もし、のたれ死せずに、無事占い師になっていたら私はどうだっただろうか?
もしかして、案外、繁盛する占い師になっていたかもしれない。
結局、経験していない人生は、いつだって少しだけ輝いて見える。
やっぱり、今度また占ってもらおうかな。次は別の占い師さんで。