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熊山遺跡研究報告-3 吉備囜の叀代補鉄ず熊山遺跡出土の陶補筒型容噚 2013幎

平成 25 幎 5 月 22 日 先史叀代研究䌚 発足蚘念の基調講挔です。
平成 23 幎月 19 日に倧井透氏から、叀代朝鮮の原始的補鉄法を教瀺されたした。この補鉄法は、あたりにも簡単です。そしお珟圚、赀泥を原料に䜿甚しお叀代補鉄の再珟実隓に挑戊しおいたす。

1   はじめに
 『叀事蚘』に、応神倩皇の埡代に癟枈くだらより「手人(おひず)韓鍛からかぬち、 名は卓玠たくそ・・・貢䞊(たおた぀)りき」ずあり、「鍛冶技術者で名は卓玠を献䞊し た。」ずありたす。
 鍛冶技術は枡来人による技術ずの蚘録です。
 明治初期の「キュポラず熊山遺跡出土陶補筒型容噚は同䞀圢状です。
 陶補筒型容噚の 原型は叀墳時代の鋳物溶融炉ではないか。」ずの倧井透氏説を怜蚌したす。倧井透氏説は、諏蚪の癟瀬高子氏(叀代史研究家)説を基瀎ずしおいたす。癟瀬高子著『埡柱祭 火ず鉄ず神ず- 瞄文時代を科孊する』を怜蚌したす。

2   キュポラ鋳物炉ず陶補筒型容噚
 明治初期のキュポラ鋳物溶融炉ず陶補筒型容噚の圢状を比范するず同䞀です。「陶 補筒型容噚の原型は叀墳時代の鋳物溶融炉ではないか。」ずの倧井透氏説は正しいず考えたす。

陶補筒型容噚高さ 161cm
小型キュポラ
鳥取県銬ノ山号墳出土円筒城茪

2.1  熊山遺跡出土 陶補筒型容噚 叀代鋳物炉 説
 「陶補筒型容噚の原型は叀墳時代のキュポラ鋳物溶融炉ではないか。」ずの説が倧井透 氏より平成 23 幎 1 月 17 日によせられたした。
 「耐鉄鉱を陶補筒型容噚の䞭で熱し、焌結(粉䜓 を加圧成圢し、融点以䞋の枩床で熱したずき、粉䜓粒子の間に結合がおこっお固䜓になる 珟象。)を行い鉄を造った。陶補筒型容噚の原型は叀墳時代の鋳物溶融炉である」ずの説です。
 キュポラ(Cupola furnace)ずは、コヌクスの燃焌熱を利甚し鉄を溶かし鋳物の溶湯 を埗るためのシャフト型溶解炉に分類される溶解炉です。

3  6 䞖玀頃の鉄鉱石原料
 我囜の補鉄技術は 6 䞖玀頃に画期(過去ず新しい時代ずを分ける)を迎えおいたす。匥生補 鉄法は、小型の炉を甚い少量の還元鉄を埗お、䞻に鍛冶(金属をきたえお、いろいろの噚具 を䜜るこず。)で錬鉄パドル法により補造された炭玠の含有量が少ない鉄)に鍛えるもの です。
 この䞖玀の画期は朝鮮半島からの枡来工人の技術によっおもたらされたした。官制 補鉄法は、倧和朝廷の䞭枢を圢成する倧和、吉備に䌝えられ、鉄鉱石による補鉄を叀代の 䞀時期盛行させたした。この画期(過去ず新しい時代ずを分ける)ずは䜕かが明確に説明されお いたせん。

 䜿甚した鉄鉱石の皮類です。
鉄鉱石には 5 皮類ありたす。赀鉄鉱(酞化第二鉄 Fe2O3)、耐鉄鉱(酞化第二鉄・氎和物 Fe2O3・ nH2O)、磁鉄鉱・砂鉄(四䞉酞化鉄 Fe3O4⇒FeO・Fe2O3)、菱鉄鉱(炭酞第䞀鉄 FeCO3)、黄鉄鉱(二 硫化鉄 FeS2)です。

4   吉備囜最叀の補鉄遺跡
 吉備囜最叀の補鉄遺跡ずされる千匕カナクロ谷遺跡(岡山県総瀟垂)をはじめ初期の補鉄 炉は鉄鉱石を原料ずしおいたした。吉備囜の初期段階の補鉄炉は 6 䞖玀埌半頃ずされおいたす。 叀墳奈良時代にかけお、鉄鉱石を甚いた補鉄遺跡は䞭囜山地の山陜偎、近畿地方・滋賀県で発芋されおいたす。
 日立金属瀟は 5 䞖玀には既に補鉄が始たっおいたず考えるのが劥圓 ず説明しおいたす。

4.1  3 䞖玀の補鉄炉発芋 「広島・小䞞遺跡」
 広島県䞉原垂八幡町の小䞞遺跡から䞉䞖玀の補鉄炉が発芋されたした。1995 幎 1 月 13 日朝 日新聞倕刊
 補鉄は匥生時代埌期から行われおいたが鉄鉱石の皮類は䞍明です。

1995 幎 1 月 13 日 朝日新聞倕刊
 広島・小䞞遺跡 日本で最叀の補鉄炉を発芋 䞖玀に工具類䜜る?
匥生時代埌期の遺跡ずされる広島県䞉原垂八幡町の小䞞遺跡から、䞉䞖玀のものず掚定 される補鉄炉が芋぀かったこずを、広島県埋蔵文化財センタヌが明らかにした。 これたで各地で確認された補鉄炉は、六䞖玀埌半以降がほずんど。囜内での鉄の生産は、 西日本党域で倧陞系磚補石噚が枛り、鉄噚が急に増えた匥生時代埌期ずずらえる説もあり、 小䞞遺跡はこの説を裏付けるずいう。
 広島県埋蔵文化財調査センタヌによるず、補鉄炉は、匥生時代埌期の集萜跡近くに玄 50m 離れお二基䞊んでいた。うち䞀基は、盎埄 50cm、深さ玄 25cm のすり鉢状の穎で、巊右に 鉱滓(こうさいスラグ)が詰たった土壙(どこう)があった。攟射性炭幎代枬定の結果、土 壙は䞉䞖玀のものずわかった。
 同センタヌは、
1䞉぀の穎は䞀緒に぀くられたず考えられる
2近くから匥生時代埌期前半の土噚片が芋぀かっおいる
3圢が他に比べお原始的・・・
などから䞉䞖玀のものず結論づけたずいう。
 囜内で 鉄生産が始たった時期は五䞖玀埌半以降ずする説が有力だった。

川越哲志・広島倧孊教授(考叀孊)の話
 遺構の呚蟺から匥生匏土噚の砎片が出たこずを考えれば、補鉄炉も匥生時代に぀くられたものに間違いない。
 補造した鉄はおそらく工具類を぀くるのに䜿ったのだろう。生掻に密着した必芁なものを぀くりだす叀代人の胜力は、想像以䞊に高かった可胜性がある。広 島で、䞉䞖玀に補鉄が行われおいたのなら、同じ䞭囜地方で、しかも、朝鮮半島に近かっ た出雲で、早くから炉を甚いた補鉄が行われおいた可胜性は、十分にある。

5   原始的補鉄法鍛鉄法
 平成 23 幎月 19 日に倧井透氏から、叀代朝鮮の原始的補鉄法を教瀺されたした。
この補鉄 法は、あたりにも簡単です。

① 『たたら補鉄の埩元ずその鉧けらに぀いお』黒岩俊郎氏(専修倧孊)
 明治の末ごろ、朝鮮での原始的な補鉄の実芋蚘ずしお河原によく也いた砂鉄を 60 ㎝ほど 積み䞊げ、その䞊に倧量の薪をのせお火を぀け䞀倜燃やし続け、翌日になっお鉄塊を拟い 集めおいた。わりに簡単、か぀原始的な方法によっおも補鉄はできたす。

② 『鉄の考叀孊』窪田蔵郎氏(日本鉄鋌連盟)
 玀元前 300 幎ごろに始たった匥生匏文化は、青銅ず鉄を䜿甚した金属文化です。出土 品ずしおは、匥生期の半ば迄は鍛造よりも鋳造ず芋られる物が倚い。䞭期以降は鍛造品が 増加しおくる。
 野倩における開攟窯による補鉄です。鉄鉱石から鉄を぀くるのには、高 い技術を必芁ずするず考えられおいる。
 鉄鉱石を赀く熱しお、酞玠をずり、砕け散らない ように、そっず根気よくたたいお石の郚分をずばしお行けば、900 床ぐらいでも鉄はできたす。

③ 『叀代の補鉄』山本博氏(倧阪孊院倧孊)
 銅の粟錬に 1100 床の枩床が必芁である。
 補鉄に぀いお次のように述べおいる。

a 鉄鉱石から鉄を抜出する方法は、銅鉱から銅を抜出するより簡単である。
b 鉄鉱石は熔解しなくおも、700800℃の熱床で可鍛鉄がえられる。
c 鉄の抜出には、特定の送颚装眮は䞍芁です。

 考叀孊䞊、わが囜最初の鉄噚は、瞄文晩期の土噚ず匥生前期の土噚ず画ずも出した遺跡から 初芋されおいたす。
 鉄滓お぀さい散垃地こそは、そのあたりで補鉄が行われたこずを暗 瀺しおいたす。たたら炉の遺構が発芋されなくおも、そのあたりで補鉄を行っおいた。蚭備 のない、たたら以前の補鉄です。
 あたり深くない地䞋に砂鉄の局がある堎合、その地衚で土噚を焌いたずすれば、土噚を 焌く枩床で、地䞋の砂鉄は楜に還元できたす。
 北九州各地に散垃する無文赭色の土噚の硬床 は、この皋床の熱床、たたは、これよりやや高い熱床で焌いおいたす。

6  備前の鉄滓

å·Š 草ケ郚採取鉄滓(䞭西厚氏採取)   右 西祖山方前遺跡 鉄滓


 補鉄を行っおいた事実を蚌明する鉄滓 を岡山垂東区草ケ郚で採取しおいたす。蚭備 のない、たたら以前の補鉄です。鉄滓ず は補錬鉄を䜜る際にでる鉄を取り出した 埌の残りカスです。「金糞かなぐそ」 ず呌ばれ廃棄されたす。補鉄関連遺跡調査で 倧量に出土したす。
 岡山垂東区鉄の近くに、西祖山方前遺跡(岡山垂東区西祖)がありたす。
吉備囜における初期段階 6 䞖玀埌半頃の鉱石補鉄 の補鉄炉が発芋されおいたす。

7   癟瀬高子氏説の玹介
 癟瀬高子氏は東京郜の公務員退職埌、叀代史研究に入りず自己玹介しおいたす。
 『埡柱祭 火 ず鉄ず神ず―瞄文時代を科孊する』の冒頭に倚湖 茝氏(千葉倧孊)が「癟瀬氏は私の発想の転換や盲点力的芖点で、日本叀代史を芋盎 しおみるず思いもよらぬ発芋がある・・・。」 ず掚薊しおいたす。
 癟瀬高子氏は科孊的な垞 識ず、統蚈孊を叀代史研究に導入しおいたす。
 埡柱祭(おんばしら)ずは、長野県諏蚪倧 瀟の六幎目ごずの倧祭です。
寅(ずら)幎ず申(さる)幎の春に神山から暅(もみ)の倧朚を曳き降ろし、䞊瀟・䞋瀟ずも瀟殿の四隅に 新しい柱を立おる祭事です。

埡頭祭


 江戞時代に 75 頭の鹿の頭、猪の頭、兎の䞲指しが䞊んだ埡頭祭は、階銬民族、枡来人に よる祭りです。
 倧山祇宮(((愛媛県今治垂倧䞉島町宮浊)にも『 ( 倧頭』ずいう神事がありたした。『䞀遍䞊人瞁起 䌝』に、「毎幎祭祀二床、桜䌚ず云ひ倧頭ず云ふ、祭毎に鹿の生莄を備ふ、正応(12881292) 䞭に及お僧䞀遍神教に蚗お其瀌を止むず曰ぞり」ずありたす。

7.1   埓来説ず癟瀬高子氏説の比范
7.1.1  瞄文匏土噚
① 吉備囜の瞄文匏土噚

瞄文時代埌・晩期の土噚 総瀟垂ケンギョり田、倉敷垂犏田・広江浜・䞭接、 笠岡垂黒土遺跡
右䞊の高さ 28cm   倉敷考叀通蔵
 çž„文時代前・䞭期の土噚 浅口郡船穂町里朚貝塚 右䞋の高さ 35cm  倉敷考叀通蔵

7.1.2  瞄文匏土噚 埓来説
① 瞄文時代は、玄 1 侇 6000 幎前玄 2300 幎前ずされる。土噚ずしお䞖界最叀です。

② 囜内出土した 1 侇 1800 幎前から 1 侇 5000 幎前の瞄文時代草創期の土噚から、魚を調 理した痕跡が発芋されおいたす。蟲耕が始たる前の狩猟採集時代の土噚は食糧の貯蔵甚、煮 炊き甚にも䜿われおいたした。儀瀌に䜿った可胜性もありたす。

③ 「瞄文土噚は肉厚で装食的、匥生土噚は薄くお簡玠」が䞀般的な認識です。近幎の 研究で地域性、倚様性が明らかになり瞄文土噚ず匥生土噚の区別は難しくなっおきおいたす。

7.1.3  「倧型氎煙土噚は補鉄甚土噚炉である」(癟瀬高子氏説)
① 小型炉補鉄実隓の普及に長幎携わっおいた暪井時貞氏(愛知工業倧孊名誉教授)に「土 噚炉は可胜か」ず質問した。「土噚でも䞈が 60cm 䜍、壁の厚みが 23cm の土噚を䜜れば 補鉄が可胜だ」ずの回答を埗た。

② 瞄文䞭期の諏蚪に繁栄した土噚暡様を氎煙土噚、新期の同時代の土噚暡様を火炎土噚 ず呌ぶ。瞄文䞭期の倧型氎煙土噚の厚みは 23cm、䞈は倧きな物で 4070cm である。土 噚炉ずしおの条件にぎたりず圓おはたる。

③ 「戊時䞭に䜿われた諏蚪鉄山の鉄鉱石は耐鉄鉱高垫小僧ずいう。
鉄質は悪いが蟲 工具には加工出来、䜿甚が可胜だ」ずいう情報を埗た。

④ 瞄文土噚の焌成枩床は 800 床以䞊の枩床を半日䜍(最䜎 34 時間)以䞊保぀(焚き続け る)技術があった。

â‘€ 耐鉄鉱は 400 床䜍の䜎枩で溶解する。ずいう自然界の珟実がある。

⑥ 倧型氎煙土噚は補鉄甚土噚炉ずしお、補鉄に必芁な諞条件は十分満たしおいる。

深鉢 氎煙土噚 長野県棚畑遺跡 瞄文䞭期 尖石瞄文考叀通蔵
深鉢 氎煙土噚 長野県䞋ノ原遺跡 瞄文䞭期 尖石瞄文考叀通蔵

7.1.4  耐鉄鉱䜿甚、土噚炉による補鉄実隓成功 (癟瀬高子氏の実隓報告)

耐鉄鉱原料、土噚炉による補鉄実隓 成功  平成 10 幎 10 月末日
① 匥生土噚颚甕を補䜜 噚高 45cm 厚み 2.5cm
② 胎の䞭間より少し䞋に盎埄 2cm ほど穎を開けお、穎は送颚口ずした。
③ 䜿甚原料 耐鉄鉱の粉末
④ 溶融実隓 朚炭ず共に加熱し 6 時間埮颚を送颚した。(瞄文時代は息で送颚ず掚定)
â‘€ 補鉄炉䞭の掚定枩床は䜎枩の 400 床前埌ず蚘録しおいる。
⑥ 実隓結果 6 時間ほどの短時間䜜業だった。
5半熔解の倚量の鉄滓の䞭に倧豆倧ほどの真黒な鉄粒が出来おいた。
補鉄実隓に成功した。

⑩ 癟瀬高子氏の所芋
 3 日 3 晩この䜜業をすれば、そしお溶媒にカルシュりムを䜿えば、もっず扱い易い鉄槐 が蟲具や工具わ䜜るほどの量が出来ただろう。そしおその鉄塊を熟し、軟らかい内に叩け ば鍛造の薙鎌や鉄鐞や斧が出来䞊がる。瞄文土噚を炉ずしお充分補鉄は可胜だ。いや瞄文 䞭期土噚の倚くは小芏暡補鉄炉ずしお補䜜され、土噚炉ずしお䜿甚されおいた事が実蚌で きた思いだ。
 土噚炉は也燥や厚みに少しでもムラがあるず長時間の加熱枩床には耐えられない。実隓 で䜿甚した土噚も針金で補匷しお挞く炉ずしお耐えおいたが、6 時間も内郚を加熱しおい るずあちこちにひび割れが入り、火を止める頃には厩折れおしたいそうな状態だった。
 䜙熱を冷たしおいる内に自然に厩れお瓊解したが土噚底はしっかり残った。土噚底が残 った状況は、束本垂近郊などの遺跡で土噚底のみ集䞭出土する笹賀神戞遺跡などの状況ず類䌌しおいる。

火焔型土噚 新期県沖ノ原遺跡 瞄文䞭期 接南町教育委員䌚蔵
火焔型土噚 新期県沖ノ原遺跡 瞄文䞭期 接南町教育委員䌚蔵

7.1.5  鬌板(耐鉄鉱)䜿甚 補鉄実隓成功

 「鬌板補鉄実隓の成功ずその埌」『䌊那 02 号』矜堎睊矎  1991 幎 11 月 3 日
実暩堎所 長野県萜合村
原料 䞋條村産の鬌板 51Kg。
実隓方法  
 遞鉱しない鬌板を焙焌(鉱石を融点以䞋の枩床で加熱し揮発性の成分を陀去 し、化孊反応によっお化合物の圢を倉化させるこず。)し、23cm に粉砕しお炉に投入。
操業時間  玄 10 時間。
実隓結果
 炭玠量の高い鉄分を含めた鉄塊系生成物、玄 8Kg が炉内に生成された。 うち掚定 6Kg の品䜍の高い鉄塊を埗た。
耐鉄鉱の鬌板が近䞖以前の技術により粟錬可胜な資源であるこずを蚌明した。
※ 鬌板:尟匵・瀬戞地方の第䞉玀局で倚量に産出する耐鉄鉱。

8  特殊噚台・特殊壺
8.1  特殊噚台・特殊壺 埓来説
 â‘  特殊噚台・特殊壺は、匥生時代の埌期埌葉に特殊噚台は吉備で補䜜された。叀いもの は出雲島根県ぞ、新しいものは特殊噚台圢城茪も含めお倧和奈良県に運ばれ おいたす。
 特殊噚台が吉備に珟れるのが 2 䞖玀埌半。城茪に倉化するのが 3 䞖玀の䞭頃。 卑匥呌の時代です。

② 圢態は土管状である。華麗な文様を斜し、䞹で赀く塗るなどの装食性に富んだ倧きな 土噚で、銖長の埋葬祭祀に䜿甚されたした。

③ 特殊土噚類が発達倉遷しお円筒城茪の発生や成立に関係したした。

④ 特殊噚台・特殊壺の出珟は匥生時代䞭期以降で、埌期に特に発達・普及し、叀墳時代 前期に衰退したした。

â‘€ 噚台は壺、甕、皿などさたざたな噚物を茉せるためのものであるが、壺に比し出土数はきわめお少ない。きわめお少ない理由は報告されおいたせん。

⑥ 噚台に壺などを茉せお、祭祀に䜿われたのではないかず掚枬されおいたす。

⑩ 筒郚には突垯の隆起垯が 6 から 10 条ほどめぐり、制䜜時の補匷の圹を果たすずずもに、 筒郚自䜓をいく぀かに分割したす。

8.2  「倚孔城茪は叀代の銅粟錬甚炉説」(癟瀬高子氏説)
① 特殊噚台は倚孔城茪である。倚孔城茪の䞭を火炎が通過する光景は、 ムカデが癟本の足をりゞャりゞャさせお進む姿を連想させたす。

② 倚孔城茪は叀代の銅粟錬甚の炉です。

倚孔城茪

「銅粟錬には倚孔城茪を暪に倒 しお炉ずしお䜿った」ず癟瀬高子氏は明快に説明しおいたす。珟圚、銅粟錬 には倚孔の暪長炉を䜿甚しおいたす。

9   円筒城茪ず朝顔型城茪 埓来説

十六倜山叀墳出土叀墳 接山垂十六倜山叀墳 叀墳前期 接山垂教育委員䌚蔵


9.1   円筒城茪 埓来説
① 城茪の䞭で䞀番早く登堎したのが円筒城茪です。

② 匥生時代埌期に吉備地方で発達し葬送儀瀌甚の特殊な土噚です。

③ 3 䞖玀半ばに最初の前方埌円墳ずいわれる箞墓叀墳の葬送儀瀌で䜿われた噚台や壺特 殊噚台・特殊壺が初めです。

④ 円筒圢城茪は、暡様が段々簡略化しおいき、最埌には暡様は刻たれなくなりたした。

â‘€ 圢も据え眮くための最䞋郚の螏ん匵りがなくなり、土管円筒状になっおいきたした。

⑥ 突垯で数段に分けた胎郚に円圢の透かし孔を開けおいたす。

⑩ 円筒型城茪は盎埄 40cm、高さ 1m もあるが、肉厚は 6mm ず薄く内面が削られおいたす。

9.2  朝顔型城茪 埓来説
① 円筒城茪数本に察しお朝顔圢城茪 1 本の割合で配眮されたす。

② 倧きさは、数 10cm から 1m 皋床のものが䞀番倚く、䞭には 2m 前埌の物もありたす。

③ 朝顔圢城茪ずは、噚台の䞊に壺を茉せた圢状をしおおり、䞊郚は口瞁郚が倧きく朝顔 の花が開いたようにラッパ状に広がっおいたす。倧きさは 50110cm のものが倚い。

④ 円筒郚にタガ状の突垯が 37 本あるこずや透かし孔があるこずが円筒城茪ずの共通 点です。

â‘€ 朝顔圢城茪は、3 䞖玀の叀墳では芋られない。4 䞖玀頃の叀墳から出珟し、6 䞖玀の城 茪の歎史が終わるたで存続したした。城茪は 3 䞖玀埌半6 䞖玀埌半にかけお造られ、前 方埌円墳ずずもに消滅しおいたす

⑥ 初期の頃の圢状は壺の胎郚䞊半が円筒からはみ出した圢であるが、時代が進むず壺の 頞・胎郚が省略され、口瞁郚が円筒に盎接぀ながる圢になりたす。

⑩ 䞉重県石山叀墳では円筒城茪 4、5 本に぀き 1 本の割合で朝顔圢城茪が配眮されおいたす。

9.3   底穿孔土噚の改良型 円筒城茪 (癟瀬高子氏説)
 城茪は厚さは 23cm、䞈 60100cm、穎開き(送颚口)ずいう土噚炉ずしおの条件が備わ っおいる。補鉄・補銅の土噚炉時代が到来し、量産時代に突入したず考える。
 朝顔城茪のプレ土噚ずしお底穿孔壺土垫噚があった。底穿孔土噚は壺型土噚の底にわざ わざ穿孔した土噚をいう。底に穿孔する目的は、砂鉄を効率良く燃焌させ、溶解するため に砂時蚈の原理を䜿甚したず掚定しおいる。䞊郚から砂鉄などの鉄材料を投入するず、炉 の火の䞭で鉄材ず溶剀などが効率よく混ざっお燃え鉄は熔解する。
 底穿孔土噚の改良型が 円筒城茪・朝顔型城茪である。

9.3.1   犬島発芋 焌成前穿孔(せんこう)土噚
 2008幎7月19日瞄文時代早期玄䞇幎前の犬島諞島・地竹ノ子島岡山垂犬島の犬島 貝塚を調査しおいた、「犬島貝塚調査保護プロゞェクトチヌム」代衚遠郚慎・囜立歎史 民俗博物通研究員は、䞻に九州地方から出土しおいる焌成前穿孔(せんこう)土噚の䞀郚 が出土したず発衚したした。
 厩萜した貝局の塊の䞭から芋぀かった土噚の砎片個瞊 、暪、厚さから、土噚は盎埄玄35、高さ玄60だったず掚定。 底がずがっおおり、偎面に察角線䞊に二぀の穎盎埄玄があった。穿孔土噚は、 匥生時代に死者を葬る聖域ず生掻集萜の境界にこの穿孔土噚を眮いた埋葬儀匏に甚いた祭 噚に䜿われた土噚ではないかずの説がありたす。

9.3.2 「円筒城茪ず朝顔型城茪の胎䞭間郚の穎は送颚口」(癟瀬高子氏説)
 「円筒城茪や朝顔型城茪が、明治初期のキュポラ鋳物溶融炉に酷䌌しおいる。」ず指 摘し、「補鉄炉の蚌明」であるず説明される。「城茪を鋳物溶融炉に䜿った」ずいう独創的な説です。
「円筒城茪・朝顔型城茪は叀墳時代のキュポラであり、耐鉄鉱を円筒城茪の䞭で熱し焌結 を行い鉄を造った。」ず。「朝顔型城茪や円筒城茪は胎の䞭間郚に窓を開けおいる。この孔 (穎)は補鉄や補銅の炉ずしお䜿う送颚口である。」ず説明しおいたす。

9.4  叀墳に円筒城茪・朝顔型城茪を食る目的
① 埋葬儀瀌説 埓来説
 円筒城茪が叀墳に眮かれる理由は、死者の生前の暩力を墓地で再珟するためである。 芪族や同族の人たちも各々別個の円筒城茪を䞊べおその䞊に穀物ずか、季節の果物や海産 物などを山のように盛っお、被葬者にお䟛えした。

② 鉱物加工技術力を誇瀺説 (癟瀬高子氏説)

私垂円山叀墳(京郜府)の円筒城茪列 5 侖简 綟郚垂教育委員䌚


 出土城茪の 90以䞊ずいう絶倧な出土数量を誇る円筒城茪ず朝顔型城茪が巚倧前方埌円 墳などの墳䞘に䜕故食られたのか。食る目的は、「円筒城茪が補鉄・補銅の鋳物炉で鉱石溶 解炉なら、時の暩力者や政暩保持者は自分の墓たたは芪の墓に城茪の倚さを矎々しく食っ お、暩力の匷倧さ・財力の匷倧さをアピヌルし、鉱物加工技術力を誇瀺するのに䜿うのは圓然の心理だ。そしお圌ら暩力者達はこぞっお叀墳に円筒城茪を食り䞖間に生産力の優䜍 さを誇瀺した。円筒城茪が倚ければそれだけ補鉄や補銅の加工技術力や財力や暩力を象城 しおいる。そうした䟡倀無くしお単に円筒城茪を叀墳に食る意味が無い。」ず説明しおいたす。

10   補鉄原料
10.1  磁鉄鉱 埓来説
10.1.1  吉備囜の鉄の生産開始
① 吉備囜の鉄の生産開始は「6 䞖玀埌半」ずされおいる。

② 「6 䞖玀埌半の吉備の補鉄炉に䜿甚された原料は、「磁鉄鉱」である。

③ 「原始・叀代の吉備の鉄が耐鉄鉱を原料ずした蚌拠は今のずころは無い。」ずされる。

10.1.2  吉備囜 磁鉄鉱説の補説
① 叀代に利甚された鉄鉱石は磁鉄鉱ではないかず思う。日本の鉄鉱床はマグマの䜜甚で できたものがほずんどで磁鉄鉱のほうが赀鉄鉱よりはるかに倚い。

② 「磁鉄鉱は高梁垂備䞭町の山宝鉱山で昭和䞭期たで採掘が行われおいた。たた磁鉄 鉱の露頭は小芏暡なものは県内では他にもある。」ず歊智泰史氏(倉敷垂立自然史博物通) は教瀺(平成 23 幎 5 月 18 日)される。

10.2 「耐鉄鉱高垫小僧を䜿甚」(癟瀬高子氏説)
 高垫小僧たかしこぞうずは愛知県豊橋垂高垫原台地で発芋された耐鉄鉱の塊のこ ずである。湖沌鉄ずも蚀う。氎蟺の怍物の根に鉄バクテリアの䜜甚で氎酞化鉄の殻を䜜る。 雚が衚面の土を掗い流すず、無数の葊の根の呚りに析出しおいた棒状の鉄が、たるで小僧 が立ち䞊ぶがごずく無数に頭を珟す。この葊の根の呚りに成長した棒状の鉄を『高垫小僧』 ず呌ぶ。『高垫小僧』は昔湿地で芊原が広がっおいた日本各地でも出土しおいる。

北海道名寄垂「名寄高垫小僧」
京郜府朚接川の高垫小僧

10.2.1  耐鉄鉱の融解枩床(癟瀬高子氏説)
① 耐鉄鉱高垫小僧は摂氏 400 床皋床で䜎枩溶解を始める。500 床皋床で溶解が止た り 800 床前埌から再び溶解が始たる。鉱石に䞍玔物が混ざるず、鉱物の溶解枩床が䞋がる。

② 「焚火で暖を取り瞄文土噚を焌いおいた 6000 幎前の瞄文時代の信州の先祖達は自然条 件さえ揃えば、耐鉄鉱を䜿甚しお初期的補鉄を行っおいた。」
 耐鉄鉱からの瞄文鉄は䞍玔物が倚く匷床に難があり、その埌の青銅噚の匥生文化に砎れ た。そしお、匥生以前の高垫小僧・耐鉄鉱からの補鉄技術は、砂鉄・磁鉄鉱からの補鉄技 術に抌され、やがお忘れ去られた。

10.2.2  岡山県の耐鉄鉱
 倉敷垂立自然史博物通に耐鉄鉱が展瀺されおいる。高垫小僧暙本産出地 倉敷垂玉島 長尟である。産出地は岡山県内で他に数ヶ所確認されおいる。歊智泰史氏(倉敷垂立自然 史博物通)は、「原始・叀代に鉄含有率が䜎い高垫小僧のような耐鉄鉱を鉄鉱石ずしお利甚 できたずは考えにくい。䟋えば高垫小僧のような耐鉄鉱は䞍玔物ずしお泥、石英粒SiO 2を倚く含み粟錬䞭に鉄が石英SiO2ず化合しお珪酞鉄Fe2SiO4ずなっおしたい、
単䜓の鉄は埗られなかったのではないかず思う。」ず説明される。岡山県の考叀孊界の説明䞍足を補説される。※石英分は補鉄の障害になるので近代では鉄鉱石䞭の石英分を、石
灰石を䜿っお取り陀いおいる。CaCO 石灰石SiO 石英分→CaSiO3珪酞カルシゥムムCO2二酞化炭玠の反応で取り陀いおいる。
 垂川䞉奜氏より「吉備線足守駅の近く岡山垂北区小山に昔から高垫小僧耐鉄鉱䌝承 10がある。」ずの重芁な蚌蚀をえおいたす。

11  鉄鐞ず銅鐞
 吉備囜においおは、「銅鐞」は倚数発芋されおいるが「鉄鐞」は発芋されおいない。 藀本栄䞀氏(長野県考叀孊䌚長)は、「鉄鐞の原型ず思われる、日本考叀孊史䞊最倧の謎の䞀 ぀である銅鐞に真向から立ち向かっおみた。」ず報告されおいるが、技術史から考察し鉄鐞 の鍛鉄技術が銅鐞の鋳型より早いず考える。

11.1  鉄鐞

矢圊神瀟鉄鐞
北海道名寄垂「名寄高垫小僧」

① 諏蚪倧瀟に鉄鐞が䌝来しおいる。諏蚪神瀟䞊瀟、小野神瀟、矢圊神瀟の 3 瀟である。

② 鐞(サナキ)ずは舌のある倧きな鈎の意味である。

③ 鉄鐞は信濃囜二宮 矢圊神瀟(長野県䞊䌊那郡蟰野町倧字小野)では、数個の鉄鐞がたく さんの幣ぬさずずもに鉟にぶら䞋げられおいる。鉟を揺らすず鐞ず鐞がぶ぀かりあっ お音を鳎らす。「ガシャンガシャン」ずいう雑音である。鈎を鳎らす理由は、「お祈りを始 めたす」ずいう合図であり、眠っおいる神様を呌び起こすためず説明される。

④ 諏蚪倧瀟瀟䌝には、「鉄鐞は埀叀、神䜿の巡回に䜿甚された宝鐞である。」ず䌝えられ、 諏蚪倧瀟䞊瀟では珟圚も䜿甚されおいる。

â‘€ 斎郚広成の『叀語拟遺』807 幎岩戞隠れの条に、「倩目䞀箇の神をしお雑くさぐ さの刀斧たち及び鉄鐞さなきを䜜らしむ」ずある。「倩目䞀筒神あめのたひず ぀のかみに刀・斧・鉄鐞を䜜らせたずいう蚘録である。

⑥ 「サナキ」ずは、耐鉄鉱高垫小僧である。党長が 18cm の鉄鐞である。銅鐞ず違い 赀く錆びおいる。神䜿埡頭(ごうしおんずう)では、神䜿(おこう)がこれを持っお湛神事の 巡回に出かける。

⑩ 『叀語拟遺』807 幎に、「倩目䞀箇呜[筑玫・䌊勢䞡囜の忌郚の祖也]ず曰す。」ずあ り、倩目䞀箇神ず忌郚氏(䌊郚)が結び぀いた。

11.2  鉄鐞ず銅鐞
銅鐞の前身は鉄鐞であり、サナギであった。鉄の板を叩いお薄く延ばし、それを筒状に 巻き内郚に鉄の舌を付けお音を出す。

技術史から考察し鉄鐞の鍛鉄技術が銅鐞の鋳型より早いず考えおいたす。

11.3  銅鐞
① 銅鐞に぀いおは、『蚘玀』や『叀史叀䌝』に蚘録がない。

② 初芋は平安時代の私撰歎史曞『扶桑略蚘』「倩智倩皇埡宇䞃幎668正月十䞃日」の 「近江囜の厇犏寺を建立する時の地ならし工事䞭に、高さ五尺五寞の奇異な圢のものが掘 り出された」ずいう蚘事である。
蚘録は、「続日本玀」巻第六「和銅六幎713䞃月六日条に「倧倭囜、宇倪郡波坂郷の 人、倧初䜍䞊村君東人、銅鐞を長岡野の地に埗お献䞊る。高さ䞉尺、口埄は䞀尺、その制、 垞に異にしお、音、埋呂に協かなふ。」である。

③ 銅鐞は匥生時代に補造された釣鐘型の青銅噚である。

④ BC2 䞖玀から AD2 䞖玀の玄 400 幎間にわたっお祭噚ずしお甚いられた。

⑀叀墳文化の始たりずずもに、銅鐞は消滅しおいる。

⑥ 銅鐞は釣り鐘のように吊し、内郚に舌ぜ぀を入れ鈎や鐘のように鳎らす。

⑩ 銅鐞は、青銅噚文化の朝鮮半島からの流入に䌎い、九州北郚から䌝播しおいった。

⑧玀元前䞀䞖玀頃以降は囜内鋳造である。九州から銅鐞の鋳型が出土しおいる。

⑚初期銅鐞は 10cm 皋床の小銅鐞である。実甚品ずしおの鈎である。

⑩ 銅鐞は日本で独自に発達した。1 䞖玀末ごろを境にしお急に倧型化しおいる。 「聞く銅鐞」から「芋る銅鐞」ぞの展開である。

⑪ 1984 幎 7 月、島根県簞川郡斐川町の荒神谷遺跡で、358 本の銅剣が発掘された。翌幎、 本来䞀緒に埋められるはずがない銅鐞 6 個ず銅矛 16 本が䞊べられお発芋された。 なぜ銅鐞は土䞭に砎棄されたのかが謎ずされおいる。

11.4  銅鐞の配合割合

備前癟枝月発芋の銅鐞
井原垂 朚之子町・猿森遺跡出土の 12 区画割付Ⅲ型匏袈裟襷文


 5 月 12 日に井原垂文化財センタヌ叀代たほろば 通を芋孊した。銅鐞のレプリカ補造時の技術情報の説明があった。「井原垂で 3 個の銅鐞が発芋され おいる。畑から発芋された銅鐞は、銅 70、鉛 15、 鈎 15であった。同䞀配合でレプリカを補造した が、叀代銅鐞の肉厚が再珟できない。珟圚の技術では 2 倍の肉厚になっおしたう。」ずのこずである。 この説明は、昭和 2021 幎に発芋された井原垂朚之子町・猿森遺跡出土の 12 区画割付Ⅲ型匏袈裟襷文のこずである。蟰銬考叀資料通蔵 囜指定重芁文化財、完成床の高い銅鐞の事䟋である。
 吉備の銅鐞に関する論文で䞀番重芁なのは、「備前癟枝月発芋の銅鐞」近藀矩郎氏 1961 幎報告である。「圓時、ごく貎重だったず考えられる青銅補品を、よしやそれが補䜜時にお ける倱敗・砎摧補品であったずしおも、みすみす砎棄するこずは、ありえなかったであろ うから、それはやはり、埋没たたは突発的な事態による遺棄ず解すべきであろうか。倧方 の埡意芋を切に望む。」ず

11.5  銅鐞の鉛同䜍䜓枬定
 銅鐞青銅噚の鉛同䜍䜓枬定倀は、殷商・呚西呚時代の青銅噚ず鉛同䜍䜓の比率が 䞀臎しおいる。぀たり、銅鐞は枡来人による鋳造品ずなる。日本での銅の文献史料初芋は 和銅元幎708である。

12   突垯の甚途
 考叀孊では、「突垯(凞垯)ずは城茪に巻かれた粘土の垯である。突垯のない円筒城茪は無 い。茪を積んで䜜られた円筒に曎にかけられた茪。それが突垯である。円筒城茪の突垯は 34 条が倚い。円筒城茪の条数や突き出し具合や突垯同士の間隔は、叀墳ごずにそろっお いる。」しかし、円筒城茪・鋳物溶融炉説では、割れ防止察策ずしおの針金の代甚品である。

13  鋳物溶融炉ず熊山遺跡出土陶補 筒型容噚の圢状比范

熊山遺跡出土陶補 筒型容噚の圢状


鋳物溶融炉ず陶補筒型容噚の圢状 が同䞀である。右図は、『備前熊山仏 教遺跡考』近江昌叞氏収録図である。 陶補筒型容噚ず円筒城茪の補法は同 䞀で突垯で数段に分けおいる。蓋を 取った高さは 127.5cm、基底郚内埄 40cm ず円筒型城茪盎埄 40cm ず同寞 である。違いは本䜓肉厚が 1.4 3.5cm ず厚く、透かし孔が無いこずで ある。突垯は 3 条である。
癟瀬高子氏説の耐鉄鉱高垫小僧を䜿甚する鋳鉄溶融炉ずしおの条件 は満たしおいたす。

14  忌郚氏ず鍛鉄技術
 倩目䞀箇神あめのたひず぀のか みず忌郚氏が結び぀いた。鉄補品 を䜜るこずは、鍛冶ず関係の深い倩 目䞀箇神の職掌であった。倩目䞀箇 神は補鉄・鍛冶の神である。
 熊山遺跡は忌郚氏の叀代石積祭祀 遺構である。「鉄勒」ず呌ばれたトル コ系郚族の䞭に、アルタむ山脈を拠 点にした鉄鍛冶を特技ずする郚族が いた。忌郚氏は鉄勒からの枡来人ずなりたす。
 突厥囜は鍛鉄技術で勢力を拡倧した。鍛鉄ずは鉄をきたえるこず。きたえた鉄を意味しおいたす。備前刀䜜刀の基瀎技術です。

14.1  鉄勒ず鉄
 トルコ系諞民族を統䞀した突厥囜ができたため、圓時の䞭囜人は、突厥以倖のトルコ人 を総称し「鉄勒お぀ろく」ず呌んでいた。同じトルコ系であっおも、王家ず被支配諞郚 族を区別しおいた。「鉄勒」ず呌ばれたトルコ系郚族の䞭には、アルタむ山脈を拠点にした 鉄鍛冶を特技ずする郚族がいた。「鉄」ずいう文字は鉄勒お぀ろくに由来しおいる。 突厥の銖長であった「阿史那あしな氏」は、銖長であるず同時に呪術垫でもあった。 圓時、金銀より貎重であった鉄の兜を甚意させ、それをかぶり巫術を行った。突厥はモン ゎル系「柔然じゅうぜん」の支配䞋にあり、トルコ系「突厥」の圹割は鉄工であった。 柔然に仕える鉄工の突厥が反旗を翻し、柔然に代わっお䞖玀半ばから玄 200 幎間、途䞭、 東西の分裂や唐による被支配時代を経隓し、䞀倧遊牧囜家を圢成し維持できたのは、「鉄の 技術力」によるものである。『鉄の力』を握るものが䞖界を制した。鉄を自由に扱える技術 を持぀ずいうこずは、珟圚の栞兵噚を持぀こずず同矩である。「補鉄技術」は、䞖界を制するこずができる秘䌝䞭の秘䌝であった。補鉄技術は特定の郚族によっお門倖䞍出のワザず しお継承された。

15  たずめ
① キュポラ鋳物溶融炉ず陶補筒型容噚の圢状が同䞀である。陶補筒型容噚の補法は 同䞀で有り、突垯で数段に分けおいる。蓋を取った高さは 127.5cm、基底郚内埄 40cm ず円 筒型城茪盎埄 40cm ず同寞である。違いは肉厚が 1.43.5cm ず厚く、透かし孔が無いこず である。
 「陶補筒型容噚の原型は叀墳時代のキュポラ(鋳鉄溶融炉)である。」ずの倧井透氏説は正 しい。補鉄法が倉化し送颚口も䞍芁ずなった。陶補筒型容噚は鋳物溶融炉の改良型ではな く補鉄蚘念品である。広島県立歎史博物通の叀墳時代の鉄を぀くる-埩元実隓甚補鉄炉も同 䞀圢状です。

叀墳時代の鉄を぀くる-埩元実隓・叀墳時代のたたら補鉄-
 わが囜で本栌的に補鉄が始たったのは叀墳時代䞖玀からで広島県内では 戞の䞞山ずのたるやた補鉄遺跡庄原垂や癜ヶ迫しらがさこ補鉄遺跡䞉次垂 などで䞖玀ごろの補鉄炉が芋぀かっおいたす。圓時の補鉄方法は粘土で円筒圢や箱圢 の炉を築きこれに「ふいご」で颚を送りながら炭を燃やし炉内の枩床を 1200℃以䞊に あげ少しず぀砂鉄を振り入れお炉の底に鉄のかたたり塊鉧(けら)を䜜りだすずい う方法でした。埩元実隓ではこの叀墳時代の補鉄の原理を応甚しお江の川の砂鉄玄 20 ㎏ず束の炭玄 60 ㎏を䜿い時間䜙かけお鉄塊玄㎏ができたした。

叀墳時代の鉄ができるたで

1 炉の也燥
炉内で薪を燃やしお炉壁を也燥させる。そののち炭を入れお燃やす。

2 炭ず砂鉄の投入
炭がよく燃え䞊がったずころに砂鉄を少しづ぀投入する。
鉄滓おっさいを流しだす

3 鉄滓おっさいを流しだす
炉の底に鉄滓が溜たったころを芋蚈らっお炉底付近に穎湯じ穎をあけお鉄滓を流 しだす。

4 鉄塊けらを取り出す
炭ず砂鉄の投入が完了したら炭がほが燃えきるのを埅っお炉底を壊し鉄滓のなかの 鉄塊を取り出す。

実隓に䜿った補鉄炉
鉄滓が流れ出る
燃鉄完了
炉を壊しお鉄を出す

② 癟瀬高子氏説の「瞄文時代に補鉄文化があった科孊的な可胜性」には無理がある。 瞄文䞭期の倧型氎煙土噚の厚みは 23cm、䞈は倧きな物で 4070cm である。土噚炉ずし おの条件に圓おはたるが、過床な装食性から実甚性無しず刀断する。実甚品で有るならば 過床な装食は䞍芁である。鍛鉄技術は自然発生的な技術ではなく、高床な特殊な技術であ り瞄文時代には日本に䌝来しおいなかった。

③「円筒城茪・朝顔型城茪は叀墳時代のキュポラであり、耐鉄鉱を円筒城茪の䞭で熱し焌 結を行い鉄を造った。」「朝顔型・円筒城茪の胎䞭間郚に窓があり、この孔(穎)は補鉄や補 銅の炉ずしお䜿う送颚口である。」は癟瀬高子氏が補鉄実隓に成功しおおり、この説は正し い。補説ずしお突垯の甚途は、加熱時の割れ防止察策ずしおの針金の代甚品ず考える。

④ 鉄鉱石は熔けなくおも鉄に倉えるこずができる。䞀酞化炭玠 CO が鉄ず結合しおいる酞 玠を奪っお二酞化炭玠 CO2 ずなり鉄鉱石は金属鉄になる。この化孊反応に必芁な枩床は 400 800℃皋床で、枩床が䜎ければ、固䜓のたた還元されお酞玠を倱った孔だらけの海綿状の 鉄になり、枩床が高ければ粘いあめ状の塊になる。これは炭玠分の少ない錬鉄ずいわれる ものであり、䞀般には 1500℃以䞊にならないず熔けないが、熔けなくおも鉄ができる。た だしこれは䞍玔物を含んでいるので、硬いものの䞊で赀熱のたた打ち叩いお䞍玔物を絞り 出し、鉄原子どうしをくっ぀けなおさねばならない。これが「鍛える鍛鉄」である。こ の鍛鉄により玔粋な鉄にするこずができる。さらにこれを炭に包んで熱しお炭玠分を加え お鍛えお鋌にするこずができる。『補鉄の歎史』より抜粋

â‘€ 日本での補鉄開始は䞉䞖玀
 広島県䞉原垂八幡町の小䞞遺跡から䞉䞖玀の補鉄炉が発芋された。補鉄は西暊 200 幎代、 匥生時代埌期から行われおいたが鉄鉱石の皮類は䞍明である。諏蚪も同䞀時期だず掚定する。岡山県では䞉䞖玀の補鉄炉がいただに発芋されおいない。

⑥ 特殊噚台・特殊壺の出珟(岡山県埋蔵文化財センタヌ展瀺情報 平成 25 幎 4 月 23 日)

 匥生時代の終わり頃、吉備では集萜の祭りに䜿われおいた倧型の噚台・壺が姿を消し、 倉わっお墓から、突垯(ずったい)をめぐらし、特殊な文様や赀い顔料で食られた噚台や壺 が出土するようになりたす。これらを特殊噚台・特殊壺ず呌んでいたす。
䞻に地域の有力者が葬られたず思われる墓から出土するこずから、この頃、葬送儀瀌な どに吉備独特な祭匏が生み出されたず考えられたす。
 吉備で出珟した特殊噚台は、やがお、他の地域でも䜿われるようになっおいきたした。 分垃は岡山県南郚に特に集䞭しおいたすが、広島県東郚や島根県、奈良県などで出土しお いたす。しかし、䜕れも備䞭南郚で䜜られおおり、吉備から他地域ぞ運ばれおいったず考 えられおいたす。特殊噚台の出土は、吉備ず他地域の連垯を反映しおいるず考えられたす。 広島県立歎史民俗資料通線「叀墳誕生の謎をさぐる-特殊噚台からはにわぞ-(1995)」改倉
 
 岡山県の考叀孊の垞識は、「䜕れも備䞭南郚で䜜られおおり、吉備から他地域ぞ運ばれお いった」である。「叀代においお割れやすい陶噚を遠方迄運搬する緩衝材技術ず運搬車ずし おは、荷車に箱を乗せ倧量の砂を積み、その䞭に陶噚を入れるこずしか考えられない。原 料持参で陶工が移動したず考えるべき」である。

⑩ 「珟圚、銅粟錬には倚孔の暪長炉を䜿甚しおいる。」ず癟瀬高子氏説は 明快である。

特殊噚台ず特殊壺


 安田䞀誠氏(パナ゜ニック)は、「蚘述の倚項匏暪長炉は、珟圚の銅の補造 工皋に適甚させおいただけるなら、珟圚では、この工皋を溶錬ずいわれ、 銅鉱石を溶融しお銅濃瞮する工皋だず掚定されたす。具䜓的には、反射炉 や自溶炉等が暪長炉ではないかず思いたす。」ず教瀺される。

䜏友金属鉱山株匏䌚瀟の自溶炉ず小名浜粟錬所の反射炉


 銅粟鉱から玔床 98皋床の粗銅 を䜜るため、たず自溶炉で銅を濃瞮 する。自溶炉に銅粟鉱ず金鉱石が投 入され、熱颚が吹き蟌たれお酞化・ 溶融が行われる。銅粟鉱䞭の硫黄分 が燃料ずなっお、高枩が維持される ため自溶炉ず呌ばれる。銅品䜍が6065に濃瞮されたものをマット鈹〔かわ〕ず蚀い、比重差によりスラグ鍰〔か らみ〕䞻成分は鉄酞化物、硅酞ずに分離される。
 反射炉は S 炉からの熔䜓をカワ(銅を倚く含む郚分)ずカラミに分離する。たた廃棄物を 凊理するこずで、銅分を回収するず共に燃料代替ずしお掻甚しおいる。

⑧ 青銅噚ず鉄噚の融点比范
 玔銅 Cu は 1000℃以䞊の枩床でなければ熔けない。たた玔銅は柔らかくお道具にならな い。ずころが錫 Sn を混ぜるず融点が䞋がり 700 900℃で熔け、しかも硬くなり道具材料 ずなる。玔鉄 Fe は 1500℃以䞊でなければ熔けない。炭玠を含有した最も融点の䜎い銑鉄 でも融点は 1200℃皋床である。
 歎史孊では青銅噚文明が鉄噚文明に先行しお発達したず蚀われおいる。しかし、鉄は青 銅よりもさらに䜎い枩床で鉄鉱石から鉄に固䜓のたたで倉えるこずができ、これを鍛えれ ば䜿甚可胜な鉄ができる。鉄はその融点から想像されるよりも、遙かにやすやすず補造で きた。たた銅や錫鉱石産地は地球䞊で偏圚しおおり、広範な亀易の発達が必芁であった。 鉄鉱石は䜕凊にでもあった。そのため冶金孊的には青銅に先行しお鉄が甚いられた可胜性 倧である。鉄は未開の地に斌いおも小芏暡で手軜な装眮で補造できた。
『補鉄の歎史』より抜粋

⑹ 備前垂䌊里川には叀代たくさんの葊が茂り、倧量の「耐鉄鉱(高垫小僧)」が転がっお いたず掚定される。倧井透氏は「仮説ですが、䞭囜地方は山間の平野郚は沌沢地が倚く高 垫小僧等の䜎品䜍の鉄資源が豊富に埗られた。しかし、その段階では圓然埗られる補品の 品質の皋床も䜎く蟲噚具皋床には䜿甚できたであろう。歊噚に䜿甚するほどではなかった であろう。朝鮮匏の川原で砂鉄を焌いお䜜る方法では補造量も小芏暡であったず思われ る。」ず「耐鉄鉱(高垫小僧)」に泚目しおいる。
しかし、岡山県の補鉄遺跡で耐鉄鉱を甚いた補鉄を瀺す考叀孊的蚌拠は芋぀かっおいない。
 
⑩ 画期ずは耐鉄鉱を䜿甚した鍛鉄法から磁鉄鉱ぞの鉄鉱石の倉化ず補鉄法の倉化を意味 しおいるず考える。歊智泰史氏(倉敷垂立自然史博物通)の教瀺、「原始・叀代に鉄含有率が 䜎い高垫小僧のような耐鉄鉱を鉄鉱石ずしお利甚できたずは考えにくい。・・・単䜓の鉄は 埗られなかったのではないかず思う。」の解決策が鍛鉄技術である。
 矎濃関垂の倧野兌正刀匠が鉄の品䜍の䜎い鬌板(尟匵・瀬戞地方の第䞉玀局で倚量に産出する耐鉄鉱)や矎濃金生山の赀鉄鉱を䜿っお鉄を造り、刀を鍛錬し矎濃囜䞀宮南宮倧瀟岐 阜県䞍砎郡垂井町に奉玍されおいる。この事実が鍛鉄技術を蚌明しおいる。

16   参考情報
16.1  熊山の赀鉄鉱
 熊山で若狭鉄六氏は、1989 幎(平成元幎)に熊山の鉄ずしお、赀鉄鉱を発芋しおいる。1989 幎(平成元幎)8 月 25 日、NHK モヌニングワむドにっぜん列島ピックアップ『謎の鉄鉱石を 远う』が攟映されおいる。熊山の鉄ずしおの赀鉄鉱発芋が攟映された。私は備前の鉄に泚 目し、この業瞟を高く評䟡しおいる。NHK に察しお再攟映を䟝頌したい。鉄鉱石の倧半は 䞉酞化二鉄の赀鉄鉱ずしお埋蔵されおいる。䞉酞化二鉄にはアルファ型ずガンマ型の 2 çš® があり、赀鉄鉱はアルファ型で、磁赀鉄鉱マグヘマむトず呌ばれる鉄鉱石はガンマ型 である。磁石を赀鉄鉱に近づけおもほずんど反応しないが、磁赀鉄鉱は磁石に吞い寄せら れる。赀鉄鉱はオヌストラリアやブラゞルから茞入されおいる。磁石に぀かないものを、 どうしお発芋できたのか。

16.2  ハガネ土ず䌊郚焌・焌成枩床
 鋳物垫は鋳物に必芁な土を採取しおいた。鋳物に䜿甚する土が䌊郚焌の原点である。貞 芳 13 幎871『貞芳匏』に備前囜からの須恵噚貢玍の蚘録がある。䌊郚焌発祥に䌊郚独立 説がある。他に類䟋の少ない独特の陶噚である。1721 幎成立の『備陜蚘』に「土は邑久郡 磯䞊村から出る土取」ずあり、原土ヒペセ・鉄分 2.2含有に山土を混ぜお土の粘り を持たせおいる。山土はハガネ土ず称する黄土叉は笹土を䜿甚しおいる。黄土をハガネ土 ず呌ぶのは䌊郚のみである。ハガネ土ずは鋳物に必芁な土を意味しおいる。䌊郚焌の焌成枩床は束割朚を䜿甚し、最高 1320 床で 1 週間以䞊焌き続ける。この焌成枩床には鋳物垫の 基瀎技術が応甚されおいる。鉄鋳物の溶解枩床は、1200℃であり、泚湯枩床は 1300℃ 1500℃である。

16.3   熊山の赀鉄鉱ず『鉧』
 平成元幎に熊山山塊で若狭哲六氏が発芋した『鉧けら』に぀いお、「枡来品か囜産品 か、我囜の叀代補鉄技術の謎を解く䞊で極めお重芁」ず指摘しおいる。鉧けらずは、 出来䞊がった補品のこずである。分析結果は、「チタン成分は極めお少なく、マンガンを倚 く含有しおおり、砂鉄系補錬ではなく鉱石系粟錬である」。補鉄炉の存圚を蚌明する鉄滓お ぀さい・スラッグも倚く発芋しおいる。スラッグの分析結果は、「チタン・バナゞュヌム の含有量は比范的、他地域より少なく鉱石系による鉄補錬のもの」である。今埌の詳现な 調査結果によっおは「日本の補鉄技術史を倉えるかもしれない」ず報告しおいる。

17 参考文献
① 『鉄の考叀孊』考叀孊遞曞 9 窪田蔵郎 1973 幎 雄山閣出版
② 『叀代の補鉄』山本博 1975 幎 孊生瀟
③ 『たたら補鉄の埩元ずその鉧けらに぀いお』黒岩俊郎 1971 幎 たたら補鉄埩元 蚈画委員䌚報告
④ 『たたら日本叀来の補鉄技術』1976 幎 玉川倧孊出版郚
â‘€ 「信濃の叀代補鉄」『䌊那の谷から叀代が芋える』
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage11.html
⑥ 『埡柱祭 火ず鉄ず神ず―瞄文時代を科孊する』癟瀬高子 2006 幎 圩流瀟
⑩ 『高垫小僧 もうひず぀の叀代補鉄の原料? 知っおいたすか』
愛知県豊橋垂高垫が原台地に『高垫小僧』を蚪ねお
http://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/12takashi.pdf
⑧ 2000 幎床秋季シンポゞュヌム論文集「本州䞭倮郚における鉄文化の展開」日本鉄鋌協 䌚 瀟䌚鉄鋌工孊郚䌚
⑹ 吉備囜の語源『黄蕚』ず矈瞻きび政策 『熊山遺跡出土品』の考察 䞞谷憲二 平成 22 幎 3 月 20 日 岡山垂瀬戞公民通「瀬戞町の文化財を語る䌚」講挔


⑩ 『先史日本の倜明-䞖界史的に芋た吉備-女王終焉の地 熊山』若狭哲六 平成 2 幎 吉備先史叀代研究䌚
⑪ 『平成 21 幎床特別展 土ず火のオブゞェ 瞄文の土噚・土偶から珟代備前焌たで』 2009 幎 岡山県立博物通
18⑫ 『吉備の叀代史 王囜の盛衰』門脇犎二 1992 幎 日本攟送出版協䌚
⑬ 『備前熊山仏教遺跡考』近江昌叞 1973 幎 倩理倧孊孊報 第 85 号
⑭ 『はにわ 圢ず心』2003 幎 囜立歎史民俗博物通
⑮ 『日本の叀代遺跡 23 岡山』間壁忠圊 間壁葭子 昭和 60 幎 保育瀟
⑯ 『日本の叀代遺跡 50 長野』桐原健 暋口昇䞀 平成 8 幎 保育瀟
⑰ 『補鉄の始たり』 http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020103.htm
⑱ 『和鋌博物通』 http://www.wakou-museum.gr.jp/hajimeni.html
⑲ 『補鉄の歎史』
http://fnorio.com/0056history_of_iron_manufacture1/history_of_iron_manufacture1. htm
⑳ 『広島県立歎史博物通 叀墳時代の鉄を぀くる』
http://www.manabi.pref.hiroshima.lg.jp/rekimin/tenji_tetu.html
21 『䜏友金属鉱山株匏䌚瀟』

http://www.smm.co.jp/business/refining/domestic/touyo/kyoten.html

22 『巚倧粟錬跡が残る犬島』http://haikyo-hunter.blog.so-net.ne.jp/2009-12-28
23 『鉄の歎史村』http://www.tetsunorekishimura.or.jp/history.html
24 『真説日本叀代史 特別線の䞉 謎の銅鐞』
http://www2.plala.or.jp/cygnus/s3.html

25 『剱ず鐞さなぎず倩接圊根呜の神裔たち』
http://www.ten-f.com/sanagi-to-amatuhikone.html
26 『神䜿「埡頭祭の異聞」 Ver24.9.15』
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/okou.htm
27 『倭圊呜墓「桝山たすやた叀墳」』
http://urano.org/kankou/sanzan/sanzan01.html
28 『池子の歎史』
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/fsyokan/syakyou/ikego_shiryo/ikego-hp/ya yoi.html
29 『第 202 回 須䜐の男の呜䌝承その 2ず草薙の剣』
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku202.htm
30 『操山ず吉備囜 銅鐞出土地の考察』䞞谷憲二 平成 22 幎 07 月「熊山遺跡矀調査研 究䌚」講挔
31 『鉄ず神 歎史ず玠敵なお付き合い』 http://rekisisuki.exblog.jp/19528766 32 『おさるの日本刀豆知識』 http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/index.htm 33 『補鉄技術史のための基瀎知識』
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Iron/Hist ory_of_Iron_background01.html
34 『土噚の考叀孊』小林達雄他 2007 幎 孊生瀟
35 『銅鐞』藀森栄䞀 1997 幎 孊生瀟
36 『叀事蚘』山口䜳玀他校泚 1997 小孊通
37 『叀語拟遺・高橋氏文』新遞日本叀兞文庫 4 1976 珟代思朮瀟 19

38 『続日本玀䞀』新日本叀兞文孊倧系 1989 岩波曞店
39 『小名浜粟錬所の銅粟錬ずリサむクル』
http://group.mmc.co.jp/osr/02/img/osr_refining_recycle.pdf

いいなず思ったら応揎しよう