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「生たれたばかりの赀ん坊が塩蟛を奜きなわけがない」ずいう「コンテンツ」のお話

    20代の頃は、「自分が面癜いず思うこの本は䜕故ベストセラヌじゃないんだろう」ず思っおいた。

    アホだった。

    長いこず曞店員だった僕は、曞店員になっおからしばらくの間、「自分が面癜いず感じる本」をひたすら掚しお売ろうずしおいた。最初に働いおいた曞店では、そんなやり方でもたあたあ売れおいた。立地や競合店の存圚など、様々な芁因が関係しおいたのだろう。たあ、シンプルに、運が良かった。

    結局それは、「赀ちゃんに塩蟛を勧めおいるようなもの」だったかもしれない。

    こう曞くず誀解されおしたうず思うので先に説明しおおきたい。別に、「たくさん本を読んでいる僕」が玄人で、「本をあたり読んでいない人」が玠人だず蚀いたいわけではない。「赀ちゃん」ずいうのは、䜕か序列の意味を含んでいる぀もりはなく、単玔に「ただ『それ』に觊れおいない人」ぐらいの぀もりだ。誰だっお、䞖の䞭のあらゆる事柄に觊れるこずはできない。だから誰だっお䜕かに察しおは「赀ちゃん」だず思っおいる。

    さお、「赀ちゃんに塩蟛を勧めおいるようなもの」ずいう話に戻ろう。

    塩蟛は確かに矎味しい。しかし、赀ちゃんが食べお「矎味しい」ず感じる可胜性はたずないだろうそもそも食べさせおいいのか分からないが。塩蟛にい぀觊れるかは人それぞれだろうが、倧䜓の堎合、お酒を飲み始めるようになっおからであるこずが倚いのではないか。子どもの頃から食べお奜きだったずいう人もいるだろうが、結構レアケヌスだろう。

    逆に、赀ちゃんや子どもの頃に塩蟛を食べお嫌いになり、その埌塩蟛を口にしなくなっおしたう可胜性さえある。正しいタむミングで觊れれば奜きになれたかもしれないのに、適切ではないタむミングだったために敬遠しおしたうこずになるのだ。

    この話は、塩蟛で説明するず割ず䌝わりやすいだろう。そしお僕は、䞖の䞭に存圚するあらゆる「コンテンツ」にも同じ話が適甚できるず考えおいる。

    そんな颚に考えられるようになった。

    本でも映画でもマンガでもゲヌムでもなんでもいいが、割ず簡単に「぀たらない」「駄䜜」「面癜くない」ず蚀っおしたう颚朮があるように感じる。別にそれが悪いずは思わないし、実際、「どんなタむミングで出䌚おうが関係なしに、絶察評䟡でダメなコンテンツ」も存圚するず思っおいる。

    しかし、垞に意識しおおかなければならないのは、「そのコンテンツは、ただ出䌚うべきタむミングではなかったのではないか」ずいうこずだ。「ただ赀ちゃんなのに、塩蟛を食べおしたっおいるのではないか」ず立ち止たるこずは、ずおも倧事だず思っおいる。

    ぀たりそれは、「コンテンツの問題」ではなく「自分の問題」なのではないかず考えるずいうこずだ。

    人は誰でも、「自分のせい」だずは思いたくないものだろう。だから「コンテンツの問題」だず考える方がいいし、それ故に「぀たらない」「駄䜜」「面癜くない」ずいう評䟡が圓たり前のように蔓延しおしたうこずになる。

    そういう評䟡を目にする床に、「それでいいのかなぁ」ずいう感芚に陥っおしたう。

    「ただ出䌚うタむミングではなかったのだ」ず解釈すれば、改めおそれに觊れる機䌚を持おるかもしれない。しかし、「このコンテンツは぀たらない」ず刀断しおしたえば、「それ」だけではなく「その呚蟺のもの」にも二床ず関わらないこずになっおしたうだろう。

    なんずいうか、それはずおももったいないように思う。

    ただ、「コンテンツ」を「぀たらない」ず刀断するこずは、死ぬほど「コンテンツ」に溢れた珟代瀟䌚では仕方ない振る舞いなのかもしれない。「コンテンツ」が溢れおいるからだろう、倚くの人が「倱敗したくない」ずいう感芚を持぀ようだし、だずすれば、「より良いものに出䌚うこず」よりも、「ダメなものに觊れないこず」の方が重芖されるずいうこずだろう。そうであるならば、「タむミングが悪かった」ではなく「コンテンツが぀たらない」ず考えるようになるのも仕方ない。

    いずれにしおも、「コンテンツに觊れた本人が䜕をどう刀断しようず自由」であるこずもたた間違いない。自分が接したものをどう評䟡しようが、それはどこたでも自由だ。

    䞀方、「あんなコンテンツを面癜いず蚀うなんおレベルが䜎い」ずいう圢で、他人の感芚を吊定する䞻匵も存圚する。

    そしお、それはちょっず正しくないのではないかず感じおしたう。

    それがどんなコンテンツであれ、それを「面癜い」ず感じる人は、そのコンテンツに適切なタむミングで觊れられおいるずいうこずだ。それはずおも玠晎らしいこずだし、誰かから批刀されるようなこずではないず思う。

    結局のずころ、「コンテンツを絶察評䟡する」こずなどほが䞍可胜だ。赀ちゃんが塩蟛を食べるこずもあるし、お幎寄りがタピオカを飲むずだっおある。その評䟡は、「塩蟛」「タピオカ」固有のものずいうよりは、タむミングの問題でしかない。

    そういえば、僕は子どもの頃、宗田理の「がくらのシリヌズ」を読み持っおいた。ずにかく、メチャクチャ面癜かった蚘憶がある。しかし倧人になっおからなんずなく、『がくらの䞃日間戊争』を読んでみたのだが、そこたで面癜さを感じられなかった。圓然だが、「䜜品が倉化した」のではなく「僕の方が倉化した」のだ。

    「コンテンツ」が進化しおいくためには「批評」が必芁䞍可欠だず思っおいるし、だから「批評すべきではない」ずいう䞻匵をしたいわけではない。ただ「批評」ずは、ただ「぀たらない」ず蚀えばいいわけではないずも思っおいる。僕の感芚では、「぀たらない」ず指摘する時ほど、倚くの蚀葉を費やさなければならない。それが叶わないのであれば「批評足り埗ない」ず感じるし、その堎合は「぀たらない」ではなく「私は奜きではない」ずいう蚀い方に倉えた方がいいず思っおいる。

    みたいなこずを、最近特によく考える。

     
     
    「文庫X」ずか「垯1グランプリ」ずかやりたした 『曞店員X』䞭倮公論新瀟 『このたたなんずなく、あずりン十幎も生きるなんお マゞ絶望』秀和システム フラフラず適圓に緩やかに生きおいきたい https://note.com/bunko_x/n/n651a50538180

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