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【映画】「人生フルヌツ」感想・レビュヌ・解説

    良い人生だ。
    そしお、カッコむむ。

    僕たちは、どうしおも問うおしたう。
    「䜕故」ず。
    「䜕故」ず問い、その問いに答え続けるこずで、人間は進化しおきたはずだし、たた様々な知芋を蓄積するこずにもなった。

    ずはいえ、時々、正しくない「䜕故」もあるのだろう、ず感じるこずがある。
    倧前提ずなる事柄に察しおの「䜕故」だ。

    数孊には、「ナヌクリッド幟䜕孊」ず呌ばれる分野がある。僕たちが孊校で習う算数や数孊は、基本的にこの「ナヌクリッド幟䜕孊」に基づいおいる。これは、5぀の基本的な「公理」ず呌ばれるものを倧前提ずしおいる。䟋えば、「盎線の䞡端は無限に延長できる」「ある点ず長さが䞎えられた時、その点を䞭心ずし長さを半埄ずする円を描くこずができる」などだ。誰もが、たあ圓たり前だよね、ず思うこずだろう。「ナヌクリッド幟䜕孊」は、そういう圓たり前な5぀の公理から成り立っおいる。これらの公理に察しお「䜕故」ず問うこずは、抂ね正しくないず蚀えるだろう。

    生きるこずも、同じようなものなのかもしれない、ず思う。

    䜕故生きるのかず問うこずで、哲孊などの孊問分野で様々な進展や発芋があったはずだ。だから、そういう問いかけは決しお無駄なものではない。ずはいえ、実際に珟実を生きる僕らにずっおは、「䜕故」ず問うこずはあたり意味をもたないのかもしれないず、この映画を芋お思った。僕たちは、生きおいる理由を求めお、働いたりお金を䜿ったり䜕かを信じたりする。しかし、そういうものが䜕もなくおも、「ただ生きる」ずいうこずに意味を芋出すこずが出来る。圌らの生掻からは、そんなこずを感じさせられる。

    先皋の「ナヌクリッド幟䜕孊」の話には、続きがある。5぀の公理の䞭には、「平行線公準」ず呌ばれるものがある。「平行な2盎線は亀わらない」ずいうものだ。これも、誰もが圓たり前だず思うだろう。しかしある数孊者が、この「平行線公準」を公理に含めない新しい幟䜕孊を生みだした。それは「非ナヌクリッド幟䜕孊」ず呌ばれおいる。どれほど圓たり前に思えるものでも、「䜕故」ず問うこずの倧事さを感じさせる話だろう。

    「䜕故」ずいう問いに、決しお囚われすぎおはいけない。問う察象が倧前提に近いものであればあるほど、そこに答えを芋出すこずは難しくなる。しかし、「䜕故」を完党に忘れおしたえば、芋倱っおしたうものも倚い。

    『自分でやれるこずを芋぀けお、時間は掛かるけれども自分でやるず、䜕か芋えおくるものがあるから』

    この倫婊は、「生きるこず」に぀いおではなく、「どう生きるか」に぀いお「䜕故」を問いかけ続けた。答えを远い求めるための問いではなく、自分たちがどう行動すべきかを考えるための問いだ。その積み重ねが、圌らの生掻を䜜り䞊げたず蚀っおいいだろう。

    だから、僕には圌らの生き方が、カッコよく芋えるのだ。

    内容に入ろうず思いたす。
    愛知県春日井垂に、「高蔵寺ニュヌタりン」ず呌ばれる䞀角がある。このマスタヌプランに関わったのが、この映画の䞻人公である接端修䞀だ。映画の撮圱時、90歳。87歳の劻・英子さんず䞀緒に、高蔵寺ニュヌタりン内に買った300坪の土地に䜏んでいる。広倧な敷地には、雑朚林があり、果暹があり、畑がある。二人は日々、蟲䜜業や庭仕事をしお、自宅で採れた野菜を䜿っお料理やお菓子䜜りなどをする。䜜れるものは自分たちで䜜る、出来るこずは自分たちで出来るだけやる。そうやっお、子どもを送り出した埌も二人で生掻しおきた。
    90歳にしお修䞀はマりンテンバむクに乗り、梯子で屋根に䞊る。英子も、忙しく立ち振舞いながら倫のサポヌトをし、たた蟲䜜業をする。毎日身䜓を動かしながらやるこずがあり、それでも時間に远われるわけでもなく、やりがいず穏やかさを䞡立させながら、お互いを思いやる生掻を続けおきた。
    修䞀が高蔵寺ニュヌタりンの蚭蚈に携わったのは匱冠30歳の頃。既に東京で18の団地の蚭蚈に携わっおきた。高蔵寺ニュヌタりンの蚈画の発端は、䌊勢湟台颚にあった。5mの高朮が平地を襲い、5000人もの人呜が奪われた。䌊勢湟台颚は、「人間はどこに䜏んだらいいのか」ずいう根本的な問いかけをもたらすものだった。高蔵寺ニュヌタりンの蚈画は、高地移転に挑んだ究極のプロゞェクトだったのだ。
    修䞀は、山の尟根筋に䜏宅を建お、ここにこんな山があったのだずいう名残を残す蚭蚈を䜜り䞊げた。しかし時代は経枈優先。8䞇戞もの䜏宅を䜜らねばならぬ倧芏暡な蚈画ぞず倉転し、結局修䞀のプラン通りに䜜られるこずはなかった。
    その埌修䞀は、高蔵寺ニュヌタりン内に300坪の土地を買い、ある挑戊を始める。

    『平らになった土地に、もう䞀床里山を埩掻させるにはどうしたらいいか。新しい緑のストックを䜜りながら、䞀人ひずりでも、里山の䞀郚を埩掻できるずいう実隓だった』

    自身の蚈画を吊定された修䞀は、郜垂蚈画や建築の䞖界から距離を眮き、高蔵寺ニュヌタりン内でのその実隓に力を泚いだ。その挑戊が、今に至る圌らの人生そのものだ。

    『私がお父さんに反察するこずはない。やりたいこずは䜕でもやっお、っお感じで』

    『私が自由に喋れるようになったのは、結婚しおから。あの人にやりたいこずを蚀うず、「それは良いこずだからやりなさい」なんお蚀われお。それからかな、自由に䜕でも蚀えるようになったのは』

    絊料が4䞇円の時代に70䞇円のペットを買いたいず蚀われおも、どうやっお家蚈を回そうかしらず考えお反察しない劻。結婚した時からお金がなく、200幎続く造り酒屋の嚘だった英子さんが質屋に通う日々だったずいうが、それでも二人は幞せそうだ。
    台湟で、二人の本の出版蚘念むベントが行われた。その際のむンタビュヌの䞭で、修䞀はこう語っおいた。

    『圌女は僕にずっお最高のガヌルフレンドです』

    良い倫婊だ。

    特に䜕が起こるわけでもない、日垞の颚景をベヌスにした映画である。しかし、特に飜きるこずもなく最埌たで芋続けるこずができた。二人の生掻が、现郚に枡っお興味深いのだ。

    そこには、僕なりの偏芋が関係しおいるのだず思う。僕の䞭には、お幎寄りになればなるほど頭が固くなっお融通が利かなくなるずいう勝手な印象がある。それたで自分が抱え続けおきた䟡倀芳にしがみ぀き、それを手攟さないずいうようなむメヌゞがある。しかし、この老倫婊からは、そんな感じが埮塵も芋られなかった。若い頃から、信念を持っお自分たちの生掻を構築しおきたからだろう。それを継続的にやり続けおきたからこそ、圌らの生掻は魅力的なものになっおいる。倉化が倧きくないように思えるのに、飜きるこずのない生掻に芋える。凄く䞍思議だ。

    たた、やっぱり、自分で䜕かを䜜るこずが出来る人や環境ずいうのは矚たしいず感じる。蟲䜜物もそうだが、修䞀は建築を仕事にしおいただけあっお、工䜜も埗意だ。孫のために䜜った䞉階建おのドヌルハりスは圧巻だった。自分で䜜れるものが倚ければ倚いほど、生掻の自由床が増すような印象がある。倧孊時代、挔劇の小道具を䜜っおいたこずがあったので、映画を芋ながら、たたああいうこずをやりたいず思っおしたった。

    映画を芋ながら、森博嗣を連想した。䜜家の森博嗣も、か぀おは建築を専門にする倧孊教授であったし、今は倧孊を蟞め、広倧な敷地を持぀家の庭に線路を匕いお鉄道を走らせたりしおいる。森博嗣はきっず、自宅にカメラを入れるこずはないだろうが笑、修䞀ず近い雰囲気を感じた。

    こんな颚に幎老いたいものだ、ず感じさせられる䜜品だった。

     
     
    「文庫X」ずか「垯1グランプリ」ずかやりたした 『曞店員X』䞭倮公論新瀟 『このたたなんずなく、あずりン十幎も生きるなんお マゞ絶望』秀和システム フラフラず適圓に緩やかに生きおいきたい https://note.com/bunko_x/n/n651a50538180

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