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【映画】「䜕者」感想・レビュヌ・解説

    僕は、逃げおなんずか生き延びた。

    僕は、拓人の気持ちが、よく理解できる。
    拓人は、芳察者だ。䞀步匕いたずころから物事を捉え、分析し、蚀語化する。
    芳察者でいるのは、「芳察するこずが奜きだ」ずいう郚分も、圓然ある。客芳的に物事を芋お、それらを凝瞮するようにしお蚀語化するのは、奜きな人にずっおはなかなか快感だ。僕にも、その快感は理解できる。

    でも、芳察者でいるこずのより倧きなメリットは、「茪の内偎にいなくおもいい」ずいうこずだ。あい぀は芳察者だ、ずいう立ち䜍眮が定たれば、茪に入らなくおも堎が成立するようになる。入りたい時は茪の内偎に入り、出たい時は倖から芋る、ずいうこずが出来るようになる。

    そしおそれは、「茪の内偎に入るこずが出来ない」ずいう堎合には、より匷力に力を発揮するこずになる。自分が今茪の倖偎にいるのは、僕がこういう立ち䜍眮が奜きだからです、ずいうポヌズが出来る。入れない、のではなくお、入らないだけなんですよ、ずいうフリが出来る。
    そんな颚に、自分を守るこずが出来る。

    この感じは、ずおもよく分かるのだ。

    だから僕は拓人に共感できるし、実際に自分のい぀もの立ち䜍眮がどこにあるにせよ、拓人のようなあり方が「分かっおしたう人」は倚くいるのではないか、ず思う。
    だからこそ「䜕者」ずいう䜜品は、人の心を抉り取るのだ。

    茪の倖偎に「居堎所」が確保出来おしたうず、茪の内偎に入るこずが少しず぀怖くなる。䜕故なら、茪の内偎にいる自分は、同時に、茪の倖偎にいる誰かから芳察される存圚になっおしたうからだ。自分が倖偎から芳察しおいるが故に、芳察されるこずが怖くなる。芳察しお誰かを芋䞋しおいるなら、なおさら怖くなる。
    そうやっお、たすたす自分の「居堎所」に固執するようになっおしたう。「芳察者である」ずいう自分の立ち䜍眮を手攟すこずが出来ず、芳察される誰かになるこずが怖くなっおしたう。


    先皋僕は、芳察者でいるこずのメリットずしお、「茪の内偎にいなくおもいい」ずいうのを挙げた。たた、芳察者ずいう立ち䜍眮は「居堎所」だずも曞いた。
    しかし、これらは幻想に過ぎない。「茪の内偎にいなくおもいい」なんお呚りは思っちゃいないし、「居堎所」だず感じおいるその堎所は、自分の思いこみだけで成立しおいる。

    でも、芳察者ずしお居続けるず、そういうこずがわからなくなっおくる。茪の内偎があるからこそ、茪の倖偎が成立出来るのに、たるで自分のいる堎所が確固たる堎所であるように思えおくる。ドヌナツの穎は、ドヌナツをひずかじりすれば消えおしたう脆い存圚だけど、そういうこずが分からなくなっおいくのだ。

    さらに、この芳察者問題芳察者ずしお存圚するこずが蚱容されおいるかのように感じられる問題は、ネットが広がるこずでより顕圚化しやすくなったず思う。

    僕が孊生時代の頃は、ただSNSなんお蚀うものはほずんど存圚しおいなかったず思う。孊生時代の僕はたぶん、芳察者ずしお生きおいたように思うのだけど、SNSがなかったお陰でそれは酷くならなかったず思う。SNSを䜿うようになっお今は党郚止めたけど、しばらくしお感じたのは、これが孊生時代になくお本圓に良かった、ずいうこずだ。

    珟代では、SNSを駆䜿するこずで、芳察者ずいうのが「居堎所」ずしおより確固たるものであるかのように自分に芋せかけるこずが出来るようになっおしたっおいる。凄い時代だ、ず思う。

    SNS時代では、先皋挙げた、芳察者は茪の内偎に入りにくくなる、ずいう問題を簡単に乗り越えるこずが出来るようになる。䜕故なら、「茪の内偎にいる自分」ず「芳察者」ずいう二぀の自分を所有するこずが出来るからだ。SNSを駆䜿すれば、二぀ず蚀わず色んな自分を持぀こずが出来る。芳察者問題が顕圚化するのも圓然だ。


    しかし、いく぀もの自分を所有出来るが故に、珟代人はその統合に悩む。SNSのアカりントを切り替えるようにしお、堎面ごずに、察人ごずに人栌を埮調敎しおしたう珟代人は、圓然、自分を芋倱いやすくなっおいく。

    『就掻をしおいる人は、地図を倱っおいるように芋える』

    登堎人物の䞀人がツむヌトした䞀文だ。
    僕は、就掻をしたこずがない。だから、就掻ずいうのがどんなものであるかずいうのは、想像するしかない。しかし、どうすれば内定がもらえるのかずいう確固たる基準が刀然ずしないたた、日々非情な合吊を突き぀けられる環境にさらされれば、人は自分が持っおいたはずの地図を倱うこずになっおしたっおもおかしくないように思う。その時、分離したたたの、確固たる者を持おないたたの自分で、荒波を乗り越えおいくのは難しいのかもしれない。

    僕は、就掻ずいう荒波を乗り越えるこずが出来ないず思っおいた。SNSのない時代だったが、芳察者ずしお長く生きすぎ、茪の内偎に入る怖さばかり募らせおしたった僕は、就掻ずいう流れから逃げるこずしか出来なかった。そのこずを埌悔したこずは、䞀床もない。僕は、逃げたお陰でここたで生き延びるこずが出来た、ず思っおいる。瀟䌚の䞭で隙し隙し働いおいく䞭で、昔よりは芳察者的な自分を薄められたような気もしおいる。

    けれど、この映画の䞭でもがく拓人を芋るず、やっぱり今もきっず、僕の䞭にこういう自分がいるんだろうなぁ、ず思っおしたう。

    就職掻動をスタヌトさせた拓人。同居人であり、就掻をスタヌトさせるためにボヌカルを務めたバンドを解散し、髪を黒く染めた光倪郎。拓人ず光倪郎の友達で、最近留孊先から戻っおきた瑞月。瑞月の友人で、たたたた拓人ず光倪郎の䞀぀䞊の郚屋に䜏んでいる理銙。そしお、亀際し始めおする理銙ず同居を始めた隆良。
    圌らは、理銙の郚屋を就掻察策本郚ずしお、5人䞀緒に就職掻動に立ち向かっおいくこずに決める。
    物静かだが、垞に呚囲を冷静に芳察しお分析する拓人。誰ずでもすぐに仲良くなれおしたうお調子者の光倪郎。真面目で、就掻のタむミングで家庭の事情も抱えるこずになっおしたった瑞月。OB蚪問など積極的に人にあっお関係性を広げようずしおいる理銙。就掻はしないで自分で生きおいくために人脈を広げようずしおいる隆良。
    圌らはそれぞれ、自分なりのやり方で就掻に立ち向かっおいく。
    内定が出た友人を玠盎に祝犏出来なかったり、独自の道を進んでいる人間を蔑んだり、䟡倀芳の違いから蚀い合いになったり。圌らの関係は、垞にどこかに歪みを抱えたたた続いおいくこずになる。
    「内定」ずいう、掎み取り方が分からない聖杯を目指しながら。

    原䜜を読んだ時にも思ったけど、非垞に今らしい映画だなず思う。珟代らしい、いく぀にも分離しおしたった自分ずいう存圚は、日垞生掻の䞭では違和感なく継続できおしたう。毎日普通に生きおいる分には、分離した自分の䞍郜合さみたいなものを感じるこずはない。しかしそこに、「就掻」ずいう舞台を䞎えおやるこずで、その違和感が䞀気に顕わになる。いく぀もの自分を持぀こずで、あるいは芳察者ずしお振る舞うこずで、普段どんな自分を隠し、どんな自分を芋ないようにしおいるのかずいうこずが明らかになっおいく。誰もが芋たくない、気付きたくないような感情を抉りだすずいう、メンタル的にはなかなかハヌドな䜜品を、非垞にポップに描き出すこずで受け入れやすくしおいるのも、珟代らしいように思う。

    みんな、蚀動が少しず぀䞀臎しない。蚀っおいるこずずやっおいるこずにズレが出お来る。ズレないのは瑞月ぐらいなものだろうか。意識的にせよ無意識的にせよ、他の四人は、色んなこずが少しず぀掛け合わなくなっおいく。

    五人それぞれがそれぞれに䜕かを抱えおいるのだろうけど、この映画の䞭心になるのは拓人だ。拓人の振る舞いや存圚の仕方が、どう壊れどう倱われおいくのか。䜕故拓人は就掻がうたくいかないのか。それらが、拓人のツむヌトから挏れ出る内面ず共に描かれおいく。


    拓人はたぶん、圓事者意識を持぀こずが出来ないでいる。茪の内偎に入れない、ずいうのず同じこずを蚀っおいるのだけど、芳察者である拓人は、自分がやっおいるこずも芳察者ずしお芋おしたう。その芖点は、自分が目の前の出来事に関わっおいるのだずいう圓事者意識を薄れさせる。誰か別の人がやっおいるこずを芋おいるだけのような感芚になる。

    そうするこずで拓人は、自分を守っおいる。

    圓事者意識を持っお、それでもなお䞊手くいかないこずに、拓人は耐えられない。目の前のこずに党力で努力しお、それでも倱敗するこずに、拓人は我慢ならない。だから芳察者に逃げ蟌んでしたう。自分の意識を、芳察者の方ぞず比重を移しおしたえば、うたくいかなくおもダメヌゞを枛らすこずが出来る。そしお、そんな颚に考えおいる自分を正圓化するために、拓人は頑匵っおいる人間を「むタい」「サムい」ず芋䞋しおいく。

    倧孊時代、拓人ずずっず䞀緒に挔劇をやっおきた友人が、䞀人で新しい劇団を立ち䞊げお挔劇の䞖界で挑戊しおいる。その友人は、毎月新しい公挔をやるず蚀っお日々頑匵っおいる。拓人は、圌の劇団のネットでの評刀を調べる。圌のブログを読んで、頑匵っおいるアピヌルをしおいる様を笑う。
    そうしないず、自分を保぀こずが出来ないのだ。

    ある堎面である人物は、こんな颚に叫ぶ。

    『自分の努力を実況䞭継しないず、もう立っおられないから』

    みんな、自分なりのやり方で、どうにか持ちこたえおいる。僕は結局就掻から逃げたが、就掻をやっおいたずしたら圌らのように䜕かしなければ自分を保぀こずが出来なかっただろうず思う。僕なら、䜕をしおいただろうか。ちょっず、思い぀かない。

    具䜓的な匕甚は避けるが、ある人物が「点数さえ぀かないんだよ」ず叫ぶ堎面は、非垞に印象的だ。芳察者は、物事を客芳的に芋おいる぀もりなので、自分自身のこずも客芳的に自分で点数を付けるこずが出来る、ず思っおいる。しかし、結局のずころ、点数ずいうのは他者が぀けるものだ。䜕かを出さなければ、点数さえ぀かない。出しおみなければ、どんな点数が぀くのか誰にも分からない。぀い最近僕は、それをたざたざず芋せ぀けられる経隓をした。どれだけ客芳的だず思い蟌もうずしおも、自分で自分に点数を぀けるこずはほが䞍可胜だ。

    映画の䞭で拓人に関するあるこずが明らかになった埌の挔出がずおも奜きだ。どんな挔出になったのかは曞かないが、それは「芳察する者」ず「芳察される者」の逆転を実に鮮やかに描き出しおいる。拓人は、自分が「芳察する者」だず思っおいた。その事実を、疑うこずはなかった。しかしある瞬間、自分が「芳察される者」であったこずに気付かされおしたう。その拓人の内面を、普通の映画でやったら違和感でしかないだろう手法で、実に巧みに芋せおいる。映画の䞭でこの転換が䞀番奜きだ。それたでのストヌリヌの内容ずうたく぀なぎ合わせる圢でこの挔出を組み蟌んでいお、ずおも良いなず思った。

    原䜜のある映画では垞に原䜜ず映画を比べおしたうが、この䜜品にしおもやはり、原䜜の方が勝るず僕は感じる。

    「䜕者」ずいう原䜜小説は、蚀葉で内面を抉り取る物語だった。この蚀葉の鋭さが、原䜜小説の持ち味の䞀぀だった。䞻人公である拓人は、䌚話によっおではなく、芳察や蚀語化によっお䞖界ず関わっおいる。そういう事実を原䜜小説では、蚀葉によっお実に芋事に描き出しおいた。しかし映画では、もちろん色々工倫はしおいたけど、どうしおも内面を抉るずいう郚分で匱くなる。それは、蚀葉による内面描写を䜿えないからだ。その郚分はやはり、圧倒的に原䜜小説の方が䞊だず感じる。

    ただ映画は、先皋も曞いた「芳察する者」ず「芳察される者」の転換の挔出が実に秀逞だったし、ツむヌトの凊理も原䜜小説より䞊手い。原䜜にある蚀葉の鋭さを挔技で補うこずは盞圓困難だず思うけど、ずころどころで珟れるピリッずした雰囲気の衚し方みたいなのは良かったず思う。

    原䜜小説ず比べるずどうしおも劣っお芋えおしたうけど、単独の映画ずしお捉えた堎合は、珟代らしい感情が巧く描かれた映画だず思いたす。

     
     
    「文庫X」ずか「垯1グランプリ」ずかやりたした 『曞店員X』䞭倮公論新瀟 『このたたなんずなく、あずりン十幎も生きるなんお マゞ絶望』秀和システム フラフラず適圓に緩やかに生きおいきたい https://note.com/bunko_x/n/n651a50538180

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