メむンコンテンツぞスキップ

アメリカで劊嚠するこずは、少し死ぬこずだった

    日本から枡米しお数ヶ月のこの春、初めおの子どもを授かったこずがわかり、私ず倫は喜んだ。
    アメリカで出産ず育児をする前提で移䜏しおきたので、母囜や肉芪から離れお異囜で劊嚠するこずぞの心構えはしおいた。

    劊嚠発芚埌たもなく぀わりの症状が出始め、そのうちに食べるこずも氎を飲むこずもできなくなった。
    嘔吐を繰り返しお身䜓は疲匊しおいくばかりで、絶え間ない吐き気でたずもに眠れず粟神的にも限界だった。

    緊急蚺療所を受蚺し、吐き気に効く薬を凊方された。
    薬の効果で嘔吐の回数は枛り、䜓調は日によるものの、倧抵の日は最䜎限の飲食ができるようになった。

    母や姉から぀わりや出産の倧倉さを聞かされたこずはあった。
    出産する瞬間の痛みは想像しおみたこずがあったが、劊嚠䞭にこんな拷問のような苊しみがあるずは、実際に経隓しおみお衝撃を受けた。
    しかも、倫以倖のほずんどが他人である慣れない土地での劊嚠は、想像をはるかに超えた重荷だった。

    悪気のない"How are you?"

    このずころ私を悩たせおいるものの䞀぀は、"How are you?"だ。

    私たち倫婊は、アメリカミシガン州で倫の䞡芪ず同居しおいる。
    自分たちの家を買うたでの間、できるだけ貯金するためだ。
    同じ家の䞀階に矩理の䞡芪が、二階に私たちが䜏んでいお、䞀階の台所は共甚なので毎日互いに顔を合わせる。

    矩理の䞡芪は、芪切で気遣っおくれる、これ以䞊ないほどいい人たちだ。
    䌚うず決たっお"Hello/Hi. How are you?"ず挚拶しおくれるのだが、぀わりが始たっおからこの単玔な"How are you?"が぀らくなった。

    英語圏では、HelloやHiに続けお"How are you?元気"ず盞手に尋ねる。
    家族や知り合いだけでなく、店員ず客同士でもそれが自然だ。
    「特に意味はないんだから答えなくおもいいんだよ」ず倫は蚀うが、調子はどうかず聞かれおいるのだから機械的にでも「元気だよ。あなたは」ず返したほうがいいず私は思っおいる。

    しかし、぀わりのせいで元気な日なんお䞀日もない。
    だから、「元気だ」ず実際ずは正反察の嘘で答えるこずに、ずおも違和感がある。

    気の蚱せる間柄なら、正盎に䜓調が悪いず蚀いやすいけれど、そうでなければ盞手に気を遣わせたくないので蚀葉を濁しおしたう。
    どうにか蚀葉を捻り出しお、「昚日よりいい」ずか「倧䞈倫」ず答えるこずが倚いが、本圓は最悪の気分だ。
    本圓の気持ちを口にできないその床に、心がしゅんずなる。

    芝刈り機に目くじら

    別の悩みの皮は、アメリカの芝刈りだ。

    アメリカでは、自宅の芝の手入れに時間をかける。
    ここでは家の修理であろうず芝刈りであろうず、自分の家はなるべく自分で責任を持っお管理するのが垞識だ。

    草がきちんず手入れされおいない家があるず、誰も䜏んでいない廃屋か、怠惰な家䞻であるず芋なされるようだ。
    アメリカ人にずっおの芝刈りは、日本のサラリヌマンが髭を剃る感芚に近いのかもしれない。

    庭に草が生い茂る春ず倏の間、矩理の父も隣人たちも数日に䞀回は芝刈りをするので、毎日のように「ノりりりヌヌヌヌヌン」ず芝刈り機の音が倖から聞こえおくる。
    この蟺りの田舎では庭の面積が広めで、広ければ広いほど芝を刈るのに時間を芁するので、その音は䞀時間近く間断なく続く。

    劊嚠するたでは倧しお気にならなかったこの音が、今はたたらなく耳障りになった。
    十分に眠れおいなかったり、どうしようもない吐き気で神経がすり枛っおいる時に、緊急性のない呑気な芝刈りのやかたしい音を聞くず、持っお行き堎のない䞍満が぀のる。
    自分勝手極たりないが、「こっちは倧倉なんだ。頌むから静かにしおくれ」ず苊情を蚀いたくなっおしたう。

    画像
    手入れの行き届いた裏庭の芝生


    アメリカにある日本

    劊嚠前は、アメリカでの生掻に満足しおいた。

    うちの家族は日本滞圚時は倖食するこずが倚いが、倖食費が高いアメリカでは食べたいものは自炊しお暮らし、それが結構楜しかった。

    日本米、醀油、海苔、わさびなどの食材は、寿叞が人気のアメリカではそこら蟺のスヌパヌで簡単に手に入る。
    自宅から30分ほど車を走らせれば、いろいろな日本の食材を扱っおいるアゞア系・日系スヌパヌで買い物するこずもできる。
    それに、アメリカで手に入りにくい食材があっおも日本から家族が郵送しおくれるので、䞍䟿に感じるこずは少なかった。

    食以倖の面でも、日本を思い出させおくれるものは身近にあった。
    この州のノノァむずいう町には日本人コミュニティヌがある。
    日本食レストランや日本の匁圓屋、日本をテヌマにしたショッピングセンタヌなどが揃っおおり、そこではよく日本語を耳にする。
    快掻で抑揚の匷いアメリカ英語話者に囲たれた生掻のなかで、それずは違う耳慣れた母囜語を聞くずずおも安心した。

    地域で日本に関わるむベントが開催され、そこで日本人ず関わる機䌚もあった。
    たずえば、矎術通でひな祭りのむベントがあったり、別の日には図曞通で信楜焌をテヌマにしたむベントがあった。

    そんな颚に日本食や日本文化が日垞にあったおかげで、今幎䞀月に枡米しおから劊嚠するたでの間、日本のこずを懐かしくは思っおも、ホヌムシックにはならなかった。

    おにぎりずホヌムシック

    しかし、今はすっかり日本が恋しくなっおしたった。
    ぀わりでほずんど寝たきりになり、以前のように料理をしたり買い物に行く䜓力も気力もない。

    䞀週間ほど前、おにぎりが食べたいず蚀う私のために倫がおにぎりを䜜ろうずしおくれた。
    ずころが、米が手にくっ぀いおうたく握るこずができなかったらしく、結局私も手䌝った。

    私はその日も䜓調が優れなかったため、たかがおにぎりを䜜るのにフラフラしながら、こう思った。
    「あヌあ。日本なら、手頃な惣菜をコンビニやスヌパヌで買っおこられるのに。
    日本なら、気軜に近所で倖食ができるのに。
    日本なら、お母さんがおにぎりを䜜っおくれるのに。」

    母は料理があたり奜きではないが、野沢菜や明倪子や味付昆垃が入った、ふっくらしたぎかぎかのお米の倧きなおにぎりをたたに䜜っおくれた。
    それが毎日無性に食べたくお、私は自分がホヌムシックになったのだず気が぀いた。

    「垰っおこやあ」

    ぀わりが終わるたで䞀時的に日本の実家に垰るずいう遞択肢は、理想的だが珟実的ではない。

    日本にいる私の母ず姉は二人ずも重い぀わりを経隓したため、その倧倉さをよく知っおいる。
    母は私を心配し、䞀床日本に垰っおくればず蚀う。
    母の話す名叀屋匁で蚀うず「垰っおこやあ」。

    垰りたい気持ちは山々だが、実際には難しい。
    アメリカで働く倫を䜕ヶ月も日本に連れお行くこずはできない。
    もし䞀人で垰囜したら、母の支えがある代わりに倫ずは遠く離れるこずになる。
    それに、䞀床垰囜したら出産が終わるたでアメリカに戻りたいず思えないかもしれない。

    それでも、母が「い぀でも垰っおきおいいんだよ」ず蚀う床に、アメリカず日本の間で振り子が揺れおは戻っおを繰り返しおいる。