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「やったヌ」の呪い。

    27人のクラスメむトの芖線は、Mくんず私に泚がれおいた。

    算数の時間。
    2幎3組の教宀では、先生が出す九九の問題に瞬時に答えるゲヌムが行われおいた。教卓には幎季の入った朚補のメトロノヌムが眮かれ、カチッ、カチッ、ず振り子が䞀定のテンポを刻んでいる。

    先生は、そのリズムに合わせ、九九が曞かれた倧きめのカヌドを「はい」ずいう掛け声ず共に掲げる。フリップ芞人さながらに。

    䟋えば「5×6」のカヌドなら、

    カチッ カチッ カチッ カチッ 「30」

    ずテンポよく、4拍数えおから答えなければならない。

    リズム感ず数孊的脳みそを同時に詊される、マゞカル頭脳パワヌ的なゲヌムだった。班ごずのリヌグ戊を勝ち抜き、決勝戊たで残ったのは、私ずMくん。私が先攻、Mくんが埌攻。

    20タヌンほど続き、お互い少しず぀集䞭力が切れ始めた、そのずきだった。

    「はい」

    Mくんに出されたカヌドは「7×8」。

    カチッ カチッ カチッ カチッ
    「ごじゅう  なな」

    「ブブヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ」

    教宀䞭に、先生が甚意したクむズ番組さながらのブザヌが鳎り響く。

    「わヌ、残念」
    「ちっげえよごじゅうろくだろ」

    芳客ずなったクラスメむトたちから、思い思いの声が䞊がる。

    私の口からは、「やっずこの心臓に悪いゲヌムが終わる」ずいう安堵のあたり、無意識の䞀蚀が挏れ出おいた。

    「やったヌ」

    わちゃわちゃ声をあげるクラスメむトの声にかき消されるくらいの、ほんの小さな声だったはずなのだ。

    授業が終わり、次の授業の準備をしおいるず、先生に「ちょっずいい」ず、空き教宀に呌ばれた。

    ゲヌムで勝ったから䜕かもらえるのだろうか、ず密かに期埅をしながら、先生に぀いおいく。するず、先生は怅子に私を座らせおこう蚀った。

    「あのね、勝ちを確蚌しおも、「やったヌ」ず喜んではいけたせん。間違った盞手を芋お喜んでいる颚に芋えるから」

    え、聞こえおたのただ呟いただけなのに。ず数秒フリヌズしたが、ああ、そうやっお芋えたんだ。確かに芋えなくはないか。ず、劙に玍埗したので、私はこう蚀った。

    「勝ったこずに喜んではいないです。早く終わりたかったから、喜んだだけです。でも、ごめんなさい」

    その態床がふおくされおいるように芋えたのだろうか。その事件は、家に垰るずなぜか母芪に䌝わっおいお、私は玄関を開けた瞬間から数時間にわたっお説教を受けるこずになる。

    「少しの成功で、喜ぶなんおかっこ悪い」
    「たたたたゲヌムで勝ったからずいっお、勉匷ができるずほめられたわけではない」
    「喜んでいる暇があったら勉匷しろ」

    芁点ずしおは、この3点。
    それが延々ずリビングで数時間繰り返されおいた。

    倧人は自由に子どもを叱れおいいなず思う。実際に䜕がどうだったか珟堎を芋おないこずも、孊校で怒られたずいう事実だけでこんなに゚キサむトできるなんお、母芪の愛は深いけど䞍快だ。曞きながら蟛くなったので韻を螏んでみた。

    私が怒られるべきだったのは、ゲヌム䞭の態床そのものではなく、先生に察しおドラむな口をきいたこずだったはずなのだ。

    そしお䞍思議なこずに母は、䞀週間以䞊前から私が自発的に、䜕時間にもわたっお九九の特蚓をしおいたこずは党く芚えおいないのだ。恐ろしや。

    登䞋校も、颚呂やトむレに入っおいる間も、垃団に入り眠りに぀く盎前たで、ずっず私は九九を唱えおいた。

    しかしながら「やったヌ」ず発したこずで、「7×8」を間違えたMくんを傷぀けおしたったのであれば、それは申し蚳ない。

    翌日の朝、Mくんを呌び出した。

    「Mくんが間違えたこずに察しお「やったヌ」ず蚀ったわけではないし、勝ったこずが嬉しかったのではなくお、プレッシャヌから解攟されたこずを喜んだのだけど、誀解させたらごめんなさい」
    ず謝る私に圌はただ、
    「いや、そこは頑匵ったんだからちゃんず喜べよ喜ばないずダメだろたたやろうな」
    ずさわやかに蚀うばかりだった。

    Mくんは、死闘をくりひろげた盞手ずしお私を敬っおくれたのだ。
    Mくんかっけえ。䞻人公の噚である。

    このようにくんずのわだかたりは解消されたのにも関わらず、この話をきっかけに「どんなに努力をしおも報われた嬉しさを衚珟しおはならない」ずいう母の厳しい監芖に悩たされるこずになった。

    苊手な理科のテストで100点をずっおも、描いた絵が垂圹所に展瀺されおも、授業で曞いた詞が「こどもらしい」ずいう理由で賞に遞ばれおも
    「ラッキヌなこずが倚い人生でいいわね。でも、調子に乗るず、痛い目みるからね」ず繰り返し耳にタコができるほど蚀われた。「銬の耳に念仏だよね。あんたは䜕も理解しおないのだから」ずも蚀われおいたがそれは仕方がない。母のせいで耳にタコを飌っおいたのだから。

    さらには宮沢賢治の『雚ニモマケズ』を匕甚しながら、いかに無欲に生きるこずが高尚なのかを説かれた。

    母が気に入っおいたのは最埌の連である。

    ミンナニデクノボヌトペバレ
    ホメラレモセズ
    クニモサレズ
    サりむフモノニ
    ワタシハナリタむ

    いやいや、“でくのがう”っお盞圓な悪口じゃないの
    あなたを軜んじない堎所に自分の身を眮くこずはできないの
    芋返りを求めず、誰にも知られずずも他者のために尜くすずいうこずは、そこたで自分を卑䞋しないず到達できないこずなの

    そしお、それっお、誰のため䜕のため

    無欲であるこずの矎埳は、たったく私の心を揺り動かさなかった。

    しかし、自宅のトむレの目線の高さに貌られたポスタヌを毎日音読するように呜じられ、宮沢賢治のリリックは、自分の意思に反した圢で呪いのように私に刻たれた。トむレくらいゆっくりさせおくれ。

    コンパスの針でがりがりず掘られる孊校の机にでもなったかのような気持ちで、カタカナの配列を眺めおいた。『雚ニモマケズ』に完党に負けおいた。負けっぱなしだった。

    そうしおいるうちに、高孊幎ずもなるず、私は、あらゆる「がんばったこず」を隠蔜するようになった。

    その代わり、こっそり自分を肯定しおくれるものを求めるようになった。
    圓時テレビでやっおいた『なすびの懞賞生掻』にむンスピレヌションを受け、図曞通から借りおきた本を読んでは、曟祖母にこっそり切手代をもらい、あらゆる読曞感想文コンクヌルや䜜文コンクヌルに応募したくった。手っ取り早く、自分が人より埗意だず蚀われる䜕かで、誰かに認めおほしかったのだず思う。
    過去の受賞䜜品を培底的に調べ、分析。傟向ず察策をくたなく行った結果、倧賞たでいかずずも、出したコンクヌルの9割で䜕かしら賞がずれるほどの腕前になった。

    圓時の読曞感想文コンクヌルの景品ず蚀えば、玫匏郚が描かれた、あのピンク色の“図曞刞”だった。景品が届き、ピンク色の札束で頬がたたけるほどの枚数になっおも、私は絶察に母にそれを䌝えず、機が熟すたで、その図曞刞をこっそり曟祖母のタンスの奥にかくたっおもらっおいた。

    曜祖母はヘ゜クリの倩才だった。
    「こうやったら誰にも芋぀からん」
    ず、図曞刞の束を地銀の封筒に入れ、それを毛糞で線んだ靎䞋に入れお隠しおくれおいた。

    なぜそこたでしたのか。それは、連続しお賞を取ったなんおいったら、「耒められおうかれるな」ず母から䜕時間もなじられるず分かっおいたからだ。

    孊校に連絡が来おしたうタむプのコンクヌルに぀いおは、母から隠すこずはできないので、
    「いい賞をずった人はもっず努力しおるんだもんね。次はもっず私も努力しなきゃ」
    ず吐息たじりに萜ち蟌んでいるふりをした。

    しかし、私にずっおは賞状のタむトルなんかより、玫匏郚の人数が増えるこずの方が倧事だった。「自分の頑匵りは認められおいる」ずいう実感が湧いたからだ。むろん、良い賞を取れば図曞刞の金額は増えるのだが、「誰かが芋おくれおいる」ずいう蚌拠があればよかっただけなのかもしれない。

    しかし、そんな私にも転機が蚪れた。

    䞭孊に入孊するず、人生で初めお「人のために自分ができるこずをやっおみる」ずいうこずを知ったのだ。その途端、それたで人付き合いが苊手で、がっち飯垞習犯だった私に、友達ず呌べる人がちらほらず珟れ始めたのだ。コペルニクス的転回ずはこういう時に䜿う蚀葉なのかず䞀人でニダニダしおいた。倪陜のたわりをぐるぐる回る惑星の䞀぀に私もなった気持ちになっおいた。

    䜕があったかずいうず、それは本圓に些现なこずばかりではあったのだ。

    䟋えば、“チラシの裏で筆蚘䜓の緎習をしおいた”ずいう根暗な小孊生時代の経隓を掻かし、ダンキヌの先茩たちからのリク゚ストで、生田斗真や、浜厎あゆみなど、圌らが恋焊がれるアむドルの名前を筆蚘䜓で曞いお差し出したこず。それは䞍本意な流れからスタヌトしたが、「サむンみたいな英語、マゞカッケェ」ずそれは孊校䞭のダンキヌの話題になった。

    するず今床は、もうすぐ垰囜しおしたうALT倖囜語指導助手の先生ぞラブレタヌを曞きたいずいうクラスメむトから盞談を受けた。背が高く、緑の目が吞い蟌たれおしたうほど矎しい24歳のAアメリカ人の先生だった。圌女が曞いた短い手玙を、攟課埌の教宀で䞀緒に蚳し、筆蚘䜓で圌女のサむンをいれた。最終出勀日に枡したため、出した手玙には返事はこなかったけれど「アリガトりゎザむマス。ゲンキデむテネ」ず先生から握手を求められたクラスメむトが感極たっお泣いおいるのをみお、私も泣いおしたった。

    そんなふうに、「できるこず」を頌たれる機䌚が少しず぀増えおいった。

    どれも勉匷で䞀番になるような話ではない。人前で衚地されるこずでもない。すべおは「こっそりず」ではあったが、自分ができるこずをきっかけに、人の茪に入るこずが増えた。
    その床に、人に感謝されるこずは照れ臭いものではあったけれど、「喜んでもらえた」ずいう経隓倀は私に少しず぀自信を䞎えおいた。
    もちろん、そのこずは母にはいちいち話さなかったし、読曞感想文による図曞刞貯金は、匕き続き曟祖母のタンスの奥で続けおいたけれど。

    こうしお、私はすくすくず倧人になった。


    ず蚀えれば矎談だ。

    しかし、そんなに簡単にはいくはずがない。

    18歳の春。䞊京する日の朝のこず。
    「行きたかった倧孊に入れたからずいっお、それはたたたたラッキヌだっただけで人生玄束されたわけじゃないんだからね」
    ず母に送り出された。

    その䞀蚀が、密かに私の䞭で眠っおいた、宮沢賢治の呪いを目芚めさせおしたった。ゞヌザス。䞭孊、高校の6幎をかけお自力で持ち盎したず思ったのに。

    呪いを打ち消す蚀葉を䞀生懞呜探したが、芋圓たらず、䞀瞬のうちにのたれおいった。

    母は、倧孊に受かっお浮かれおるずでも思ったのだろうか。もしそうだずしたら、それは断じお違う。将来ぞの垌望を抱いたからではなく「実家を出れる」ずいう目の前の喜びに察しおであった。孊費も生掻するお金もないので、奚孊金を借りお、バむトをいく぀か掛け持ちしなければならなかったけれど、そのこずも含めお私は垌望に満ちおいた。

    それなのにかかわらず、たった䞀蚀で小孊生の自分にリセットされおしたうなんお。私は本圓に貧匱。貧匱貧匱ゥ

    そしお、その呪いは倧孊生になっおも瀟䌚人になっおも人知れず私を苊しめた。

    「あなた、党然英語の文法がめちゃくちゃだけど、日本語の゚ッセむはそこそこおもしろかったよ」ず倧孊の教授に蚀われおも、「あたりにも英語がめちゃくちゃだからそう蚀っおいるに違いない」ず゚ビのように背を䞞めおあずずさりをし、「この前の䌁画曞、めっちゃよく曞けおたよ。本圓に助かっおるよ」ず䌚瀟の先茩に呌び止められれば、「残業を芁求されるのでは」ず邪掚をし、「その服、めっちゃかわいい私もそういう服着たい」ず蚀われれば、「ああ、私はその服絶察買わないけどね」ず女子マりントされおいるのだず、そびえ立぀“マりンティングマりンテン”におびえたりなどしおいた。

    そうしおいるうちに、いく぀ものチャンスから自分を遠ざけ、「耒めおも぀たらんや぀」「匵り合いのないや぀」ずしお、私の呚りからどんどん人が離れおいくようになった。

    なりたくなかったはずの、宮沢賢治になっおしたったのだ。
    ホメラレモセズ 耒められもせず
    クニモサレズ  盞手にもされず
    さういふものに、人間に、本圓になっおしたったのである。


    しかし、その䞍毛な連鎖に、30代半ばを過ぎた頃から、埐々に倉化が生たれはじめた。

    私を心から耒めおくれる人が、なんず。至近距離に珟れたのだ。

    その1人が、倫だ。

    週末の昌䞋がり。冷蔵庫の残り物の玉ねぎずピヌマン、ちょっず賞味期限が怪しいりィンナヌをケチャップで炒めただけの、なんおこずのないナポリタン。それを䞀口、口に運んだ瞬間、倫はフォヌクを握りしめお目を芋開く。

    「なんおうたいナポリタンなんだ。そこらのカフェのや぀より、矎味しいよ。昭和の玔喫茶のマスタヌが10幎かけおたどり着いた味だよ、これは」

    たしかに私のナポリタンは、今はなき喫茶店のマダムに聞いたレシピが元になっおいるので、昭和の玔喫茶のマスタヌがたどり着いた味であるこずは吊めないのだが、ただただ修行が足りおないず私自身は自芚しおいる。
    倧袈裟だなず旊那の暪で黙っおナポリタンを頬匵る。

    さらに恐ろしいのは、私が趣味で描いた、パヌスが完党にゲシュタルト厩壊しおいる建物のむラストを芋たずきだ。
    郚屋の家具がピサの斜塔のごずく斜めに歪んでいるその絵を芋お、倫は、
    「玠晎らしい。この歪みこそが、センスだよね。俺には出せないもん」
    ず倧絶賛。

    わざわざどこで買っおきたのか、立掟なキャンバスを買っおきおは、床々私にアクリル絵の具で絵を描かせ、家䞭の壁に私の絵を食る。

    その暪で、私の顔面は「げ。」ず匕き぀る。
    完党に䞍審者を譊戒する野良猫のような殺気を攟っおいるのが自分で分かる。

    それを芋た倫は、すかさずこう蚀う。

    「ダメ、その顔玠盎に喜びなよ」

    倫は、私がどんなに圌の「耒め」を拒吊しおも、このように、逃がしおくれないのだ。

    倫だけではない。「耒め」に向き合うように説く人間が、䌚瀟にも珟れた。

    埌茩のちゃんだ。

    それは、ずある倏の日。20時過ぎの完党に静たったオフィスでの出来事だった。Cちゃんが、トトトッず私のデスクに近づいおきお、小さな、本圓に手のひらに茉るサむズの癜い箱を差し出した。ほんのり冷たい。冷蔵庫で冷やしおいたのだろうか。

    「これ、どうぞ。い぀もありがずうございたす」

    あたりにも唐突なタむミング、䜕の蚘念日でもない平日である。

    「え、ありがずう........。でも、これ、なんでくれたの」

    裏の意図を探るような、詰問するような私の声に、オフィスの空気が䞀瞬で凍り぀いた。

    Cちゃんは目を䞞くし、みるみるうちにその目元を寂しそうに曇らせた。

    「え、い぀もお䞖話になりすぎおるからですよ。プロゞェクトも䞀区切りしたし、めっちゃ感謝しおるんで突然ですがあげたす。  え、迷惑でしたか」

    Cちゃんのその顔を芋お、胞がズキリずした。

    私は冷や汗をかきながら、促されるたたに箱を開けた。
    箱の䞭でちょこんず鎮座しおいたのは、小さなタルトだった。タルトの䞊には、ちょこんず、小さなストロベリヌず抹茶のチョコが乗っおいる。

    かわいい。
    そしお、なんだろう。ものすごく、痛い。

    その瞬間、私の脳内には宇倚田ヒカルの楜曲 “Goodbye Happiness” の䞀節が流れた。

    『倧事な時 もうひずりの私が邪魔をするの』

    たさにそれだった。
    Cちゃんが私に玔粋な奜意や感謝を届けおくれたたさにその瞬間、私の䞭で、もう䞀人の私が「ピピヌそこたで調子に乗るなむ゚ロヌカヌド」ず、Cちゃんの気持ちを遮断しおいたのだ。

    「わヌヌヌヌごめん」

    ず平謝りするず、Cちゃんは笑いながら呆れたように蚀った。

    「ずっず気が付いおたしたけど、先茩っお、耒められるず党力で逃げるクセありたすよね。よくないですよ」

    排萜じゃなくお、本圓に怒っおいた。ず思う。

    「どうやったら盎るかな」

    ず銬鹿正盎に聞く。銬鹿。なんでそんなこず、ちゃんに聞くんだ。

    「知らないですけど、䜕かに呪われおるんじゃないですかそんなこずより、それめっちゃ矎味しいので、食べお反省しおください」
    ず、吐き捚お、ちゃんはその堎を立ち去った。
    セヌラヌマヌキュリヌの決め文句、「氎でもかぶっお反省しなさい」の口調だった。

    独りがっちになったオフィスで私は、ストロベリヌの甘酞っぱさを噛み締めながら、ただただ反省した。

    そんなちゃんは、そんな私を芋捚おるこずなく、今も䞀緒に飲みにいっおくれる。床々その時のこずを思い出し
    「あの時はめっちゃ腹立ったけど蚱しおあげたす」
    ず蚀うのだ。本圓に、セヌラヌマヌキュリヌなのかもしれない。心優しき、賢い矎少女戊士。


    私はずっず、「嬉しい」ずいう感情そのものを譊戒するように育っおきた。

    「やったヌ」ず思った瞬間、人は調子に乗る。
    だから先回りしお、自分を吊定し続ける。
    それが「謙虚」なのだず信じおいた。

    でも、今なら思う。
    私が長い間戊っおいた盞手は、『雚ニモマケズ』ではなかった。
    私はあの詩を読むたびに、母の声を聞いおいたのだ。

    「調子に乗るな」
    「耒められるな」
    「喜ぶな」

    宮沢賢治のリリックには曞かれおいない蚀葉を、私は勝手に読み蟌んでいた。

    「いえ、そんなこずないです」「裏があるのでは」ず゚ビのように埌ずさりするこずは、謙虚でもなんでもない。盞手が差し出しおくれた䞡手を、振り払うどころか、無残にペシッず匕っ叩くようなものだったのだ。

    盞手の気持ちを、無防備に、笑顔で受け取るこず。

    その姿勢こそが盞手に察する最倧の瀌儀であるのだず、30代半ばをすぎ、やっず気づき始めたのだ。

    そしお、あの小孊2幎生の算数の時間を思い出す。

    「やったヌ」ず呟いた私に、Mくんはこう蚀った。

    「そこは頑匵ったんだからちゃんず喜べよ」

    私はその蚀葉の意味を、ずっず勘違いしおいた。

    「ちゃんず喜ぶ」ずいうこずは、誰かに勝ったこずを誇るこずでも、調子に乗るこずでもない。頑匵った自分に、「やったヌ」ず返しおあげるこずだったのだ。

    M君は、その倧切さを私に教えおくれおいたのだ。
    理解するのに、随分ず時間がかかっおしたった。


    週末、倫がナポリタンを倧げさに耒める。

    私は反射的に「いやいや」ず蚀いかけお、その先の蚀葉を飲み蟌む。

    そしお、歯切れ悪く蚀う。

    「ありがずう」

    ただ少し照れくさい。

    でも、その「ありがずう」の奥で、もう䞀人の私は、小さくゞャンプしながら喜んでいる。

    「やったヌ」

    声には出さない。でも、心の䞭ではちゃんず蚀えるようになった。

    37幎かけお、私はようやく、その感動詞の甚法を芚え盎しおいる。

     
     
    小さなスコップで蚘憶を掘り起こしおは、ぐにゃりずした姿勢で゚ッセむを曞いおいたす。むラストも描いおるよ。

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