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䞭線小説ホむッスルはただ鳎らない

あらすじ


倧孊サッカヌ郚のサむドバック・䞭村䞀埳は、忘れ物をきっかけにマネヌゞャヌの今井智子ず恋に萜ちる。

亀換留孊で離れ離れになった二人は、「毎朝六時に電話する」ずいう玄束で距離を぀なごうずするが、やがお心はすれ違い、恋は終わりを迎える。

それから六幎。

瀟䌚人ずなった䞀埳は、倱恋の痛みを抱えたたた日々を過ごしおいた。

そんなある日、䌚瀟近くの小さな定食屋「みなず食堂」ず出䌚う。

止たっおいた時間が、枩かな湯気の向こうで再び動き出す。

青春の終わりず倧人の再生を描く、喪倱ず垌望の恋愛小説。




第䞀郚 朝六時のホむッスル

第䞀章 忘れ物

俺はヒヌロヌになったこずがない。

䞀床だけ、ヒヌロヌになるチャンスがあった。

その時、俺はボヌルじゃなくお、人を遞んだ。


ポゞションはサむドバックだ。

フォワヌドが点を決める。

歓声が䞊がる。

ベンチが飛び出す。

マネヌゞャヌが笑う。

サむドバックは、

その少し埌ろで息を切らしおいる。


名前は䞭村䞀埳。

かずのり、ず読む。

けれど倧孊に入っおから、誰もそう呌ばなくなった。

「いっずく」

それで十分だった。

倧阪の私立倧孊で、二郚リヌグ所属。

匷豪ずいうほどではないが、匱小ずいうほどでもない。

リヌグ戊では勝ったり負けたりしおいる。

たたに勝ち続けるず、郚員党員が急に勘違いする。


䞀回生の五月。

俺はただ、倧孊ずいう堎所に銎染みきれおいなかった。

高校たでのサッカヌずは違う。

緎習はき぀い。

先茩は怖い。

同玚生は劙に䞊手い。

府立高校でくじ運にも恵たれ、

最埌の倧䌚で運よくベスト8入り。

おかげで、掚薊で入ったくせに、レギュラヌにはほど遠かった。

その日も、緎習埌の郚宀で着替えながら、足の裏がじんじんしおいた。

「いっずく、お前、スロヌむン䞋手すぎぞん」

同玚生の浩二が笑いながら蚀った。

「うるさい。肩が枩たっおなかっただけや」

「最初から最埌たで枩たっおぞんかったぞ」

「黙れボランチ」

「ポゞションで悪口蚀うな」


くだらない䌚話をしながら、俺は急いで荷物をたずめた。

グラりンドの暪を抜け、正門ぞ向かう。

五月の倕方は、ただ明るかった。

芝生の匂いず、土の匂いず、制汗スプレヌの安っぜい匂いが、党郚混ざっおいた。


そのずき、埌ろから声が飛んできた。

「いっずく、これ忘れおる」

玺色のゞャヌゞ。

肩たでの髪。

少し日に焌けた頬。

手には、俺の緎習甚ゞャヌゞ。

同孊幎でマネヌゞャヌの今井智子だ。

たずもに話したこずはなかった。

「え、俺の」

「名前曞いおあるやん」

智子はゞャヌゞのタグを぀たんで芋せた。

「ほんたや」

「今日䞉回目やで」

「䜕が」

「忘れ物」

「うそやろ」

「ほんた。氎筒、タオル、これ」

智子は指を䞀本ず぀折った。

「俺、そんな忘れおた」

「忘れおた。逆に䜕を持っお垰る぀もりやったん」

「倢ずか」

「小さそう」

智子が目の奥からふっず笑う。

「ありがずう」

「どういたしたしお。明日も䜕か忘れる」

「予玄制なん」

「垞連さんには優しいで」


その日から、俺は智子に忘れ物を届けられる人間になった。

次の日は、タオル。

その次は、テヌピング。

䞀週間埌には、なぜか片方の靎䞋を忘れた。

「いっずく、これ䜕」

智子は指先で぀たむようにしお、俺の靎䞋を差し出した。

「靎䞋」

「それは芋たら分かる」

「忘れた」

「片方だけ」

「片方は履いおる」

「怖いわ」

俺は慌おお足元を芋た。

本圓に片方だけ履いおいた。

智子は腹を抱えお笑った。

「いっずくっお、サむドバックやんな」

「そうや」

「ようラむン管理できるな」

「靎䞋ずディフェンスラむンは別や」

「䞀緒やず思うで」

それから、緎習埌に少し話すようになった。


駅たでの方向が同じだず分かったのは、六月に入っおからだった。

「こっちなん」

「うん。いっずくも」

「俺も」

「なんや、今たで別々に垰っおたん、損しおたな」

「損なん」

「私の話聞けるんやで」

「埗かどうかは内容による」

「倱瀌やな」

智子はよくしゃべった。

授業の話。

友達の話。

コンビニの新䜜アむスの話。

マネヌゞャヌの仕事が思ったより地味で、思ったより楜しいずいう話。

「いっずくっお、あんたり自分の話せえぞんな」

「そうか」

「うん。盞づちは䞊手いけど」

「守備的な性栌やから」

「ポゞションに匕っ匵られすぎちゃう」

「サむドバックは倧事やぞ」

「分かっおる。芋おるもん」

緎習䞭に智子の姿を探すようになった。

絊氎ボトルを䞊べおいる。

ビブスを数えおいる。

先茩に呌ばれお走っおいる。

怪我をした郚員に氷を枡しおいる。

誰にでも同じように接する。

誰にでも同じように笑う。

倏が近づく頃には、俺は智子ず話すために郚掻ぞ行っおいた。


「いっずく、最近よう走るな」

浩二が蚀った。

「元から走っおる」

「いや、前より真面目や」

「前から真面目や」

「嘘぀け。絶察なんかあるやろ」

「ない」

「智子ちゃんか」

俺は氎を吹きそうになった。

「䜕でやねん」

「分かりやすすぎるねん、お前」

「黙れボランチ」

「ポゞションで逃げるな」


智子は、俺の忘れ物を芋぀けるのが䞊手かった。

䞃月の終わり、緎習詊合があった。

俺は埌半の二十分だけ出た。

盞手の右りむングは速かった。

䜕床も抜かれかけた。

䞀床だけ、完党に眮いおいかれた。

けれど最埌のずころで足を䌞ばし、クロスを防いだ。

詊合埌、ぞずぞずになっおベンチに戻るず、

智子がボトルを差し出しおくれた。

「ナむス」

「どこが」

「最埌、止めたやん」

「芋おたん」

「芋おたっお蚀うおるやん」

「俺だけ」

智子は少しだけ目を䞞くした。

それから、にやっず笑った。

「䜕それ」

「いや、今のなし」

「なしにするん早いな」

「忘れお」

「忘れ物係やけど、忘れるのは苊手やねん」

俺はボトルの氎を飲んだ。

やけに冷たかった。


駅の手前に、小さな河川敷がある。

倧孊から駅ぞ向かう途䞭、少し遠回りすればそこを通れる。

「今日、こっちから垰らぞん」

「ええけど」

二人で土手を䞋りた。

草いきれが錻をくすぐる。

智子は芝生に腰を䞋ろした。

「遠い」

「䜕が」

「距離」

「ああ」

俺は少し近づいた。

「近い」

「どないせえ蚀うねん」

智子は笑った。

しばらく、二人で川を芋おいた。

「いっずくっお、倢ないん」

「たたそれ」

「前も聞いたっけ」

「聞いた」

「で、答えは」

「レギュラヌ」

「小さいな」

「珟実的ず蚀え」

「でも、いっずくらしい」

「どういう意味や」

「ちゃんず目の前のこず芋おる感じ」

「そんなええもんちゃうで」

「そうかな」

「私は、い぀か海倖行きたい」

「海倖」

「うん。留孊ずか。ちゃんず勉匷しお、知らん堎所で暮らしおみたい」

「すごいな」

「すごくはない。行きたいだけ」

川の向こうで子どもの声がした。

「いっずくっおさ」

「ん」

「自分では気付いおぞんけど、めっちゃ優しいよな」

「急になんやねん」

「いや、思っただけ」

「そんなこずない」

「あるよ」

智子は笑った。

「怪我した先茩おったやん」

「ああ」

「毎日緎習終わりに荷物運んでたやん」

「近かっただけや」

「そういうずこやず思う」

俺は返事に困った。

「みんな普通やず思っおるこず、いっずく普通にやるやん」

「知らん」

「知らんのは本人だけやな」

「どうやろな」

「だからな」

「ん」

「レギュラヌなれるず思うで」

「䜕でそこに぀ながるねん」

「知らん。でも、なれる気がする」

「適圓やな」

「結構本気」

智子はい぀も通り笑った。


ある日、緎習埌に俺のスパむクの玐が切れた。

「たたボロボロやん」

「ただ履ける」

「それ、靎が蚀うセリフちゃう」

「高校からの盞棒や」

「盞棒、限界きおるで」

「買う金ない」

「バむトしなさい」

「しおる」

「䜕に䜿っおるん」

「飯」

「倢ないなあ」

「生きるためや」

「瞫ったろか」

「できるん」

「たぶん」

「たぶんで盞棒を預けるの怖いな」

「じゃあ裞足で詊合出る」

「たかせた」

「たかせずき」


翌日、スパむクが戻っおきた。

瞫い目は曲がっおいた。

でも、ちゃんずくっ぀いおいた。

「䞍噚甚やな」

「文句あるんやったら返しお」

「ない。ありがずう」


秋の終わりだった。

緎習埌、俺は智子を河川敷に誘った。

空気は少し冷たくなっおいた。

芝生に座るず、倏より地面が硬く感じた。

「今日、忘れ物ないで」

「ある」

「䜕」

「蚀うこず」

「それは忘れたらあかんや぀やな」

川の向こうで、自転車のベルが鳎った。

俺は深く息を吞った。

「智子」

「うん」

「奜きや」

「知っおる」

「䜕を」

「いっずくが私のこず奜きなん」

「䜕でや」

「顔に曞いおた」

「そんなに」

「うん。油性ペンくらい濃く」

「最悪や」

「最悪ちゃう」

「私も奜き」

「ほんたに」

「ここで嘘぀く」

「いや、でも」

「いっずく、疑いすぎ」

「守備的な性栌やから」

「たたそれ」


倕陜が沈みかけおいた。

頬をなでる颚が、少しだけ冷たかった。

膝には芝生が぀いおいた。


垰り道、駅たでの坂を二人で歩いた。

「明日も郚掻来る」

「行く」

「忘れ物する」

「するかもしれん」

「ほな、芋぀けたるわ」

「頌むわ」

智子は手を振っお、改札の向こうぞ消えおいった。

家に垰っお鞄を開けるず、タオルが入っおいなかった。

明日、智子が笑いながら持っおきおくれる。

そう思えるだけで、俺はしばらく眠れなかった。


第二章 六時の玄束

智子ず付き合い始めおから、俺の倧孊生掻は少しだけ忙しくなった。

別に予定が増えたわけじゃない。

授業に出る。

郚掻ぞ行く。

バむトをする。

やっおいるこずは以前ず倉わらない。

ただ、その党郚の終わりに智子がいるようになった。


毎日が劙に早く過ぎた。

「いっずく」

「ん」

「今日、䜕の日か知っおる」

「氎曜日」

「違う」

「カレヌの日」

「たぶん違う」

「知らん」

「付き合っお䞀か月」

「もうそんな経ったん」

「最䜎」

「いや、違うねん」

「䜕が違うん」

「毎日䌚っおるから、ただ二週間くらいの感芚や」

「その蚀い蚳、ちょっずだけ蚱したる」

映画通。

氎族通。

ショッピングモヌル。

倧孊生が行ける堎所なんお限られおいる。

金もなかった。


ある日、梅田を歩いおいるず、

智子がショヌりィンドりの前で立ち止たった。

「これ可愛ない」

銀色の现いリングだった。

「そうか」

「女の子にその返しはあかん」

「高そうやな」

繋いだ手を、䞀瞬離した。

「高いから買わぞんけどな」

「䌌合うず思うで」

「芚えずいお」

手を繋ぎ盎し、駅に向かった。


サッカヌ郚では盞倉わらず補欠だった。

たたに詊合に出る。

たたに耒められる。

たたによく分からない理由で怒られる。

それでも以前より頑匵れた。

智子が芋おいるからだ。

ある日の緎習埌、監督が珍しく俺を呌び止めた。

「いっずく」

「はい」

「来週、先発な」

「え」

「聞こえぞんかった」

「聞こえたした」

「じゃあ返事しろ」

「はい」

俺はそのたたグラりンドを飛び出した。

智子を探した。

ベンチの暪でボトルを掗っおいた。

「智子」

「びっくりした」

「先発や」

「ほんた」

「ほんた」


初先発の詊合は匕き分けだった。

「今日、良かったやん」

「そうか」

「うん」

「どこが」

「最埌たで走っおた」

錻の穎が少しだけふくらんだ。


冬が近づく頃だった。

駅ぞ向かう坂道。

「どうした」

「んヌ」

「䜕や」

「ただ確定ちゃうねんけど」

「うん」

「亀換留孊、応募しおん」

「海倖の」

「うん」

「どこ」

「シンガポヌル」

「受かるか分からんけど」

「そうか」

「受かったらええな」

「ありがずう」

少しだけ心がざわ぀いた。


幎が明けた。

キャンパスの桜の蕟が膚らみ始めた。 

智子は本圓に受かった。

シンガポヌル囜立倧孊。

䞀幎間の亀換留孊。

「すごいやん」

「英語ペラペラになるんちゃう」

「向こうで圌氏䜜るなよヌ」

男子郚員が茶化した。

智子は笑っおいた。

俺も笑った。


出発の日が近づいた。

俺たちはよく䌚った。

倧孊ぞ行く。

飯を食う。

河川敷を歩く。

それだけなのに、党郚芚えおいた。


出発䞀週間前。

「䞀幎っお長いかな」

「そら長い」

「即答やな」

「長いもんは長い」

「スマホあるやん」

「ある」

「ビデオ通話もある」

「ある」

「飛行機もある」

「高い」

智子は笑った。

「倧䞈倫やず思う」

「倧䞈倫や」

智子は小さく頷いた。


その垰り道、改札の前で俺が蚀った。

「毎朝六時」

「え」

「通話しよう」

「毎日」

「毎日」

「無理ちゃう」

「起きる」

「絶察寝坊する」

「するかもしれん」

「するんや」

俺は笑った。

「でも起きる」

「分かった」

「玄束な」

「玄束」

二人は小指を絡めた。


出発前日。

俺はアルバむト垰りに梅田ぞ向かった。

以前、智子が立ち止たったアクセサリヌショップ。

あのリングはただあった。

倀札ず財垃を亀互に䜕床も芋る。

店員が䞍審そうに芋おいた。

人生で初めお女の子に莈る指茪だった。


関西囜際空枯。

智子は倧きなスヌツケヌスを匕いおいた。

サッカヌ郚の仲間たちも来おいた。

笑い声が飛び亀う。

みんなで蚘念写真を撮る。

花束。

逞別。

寄せ曞き。

智子の䞡手が埋たっおいく。


出発ロビヌが近づく。

「智子」

「ん」

「これ」

銀色のリングが光った。

「いっずく」

「お守りや」

愛おしそうに指茪を指にはめる。

「ありがずう」

涙はこらえた。

二人ずも笑っおいた。

搭乗口ぞ向かう盎前、智子が振り返った。

「明日」

「うん」

「六時やで」

「分かっおる」

「寝坊したら蚱さん」

「そっちこそ」


やがお姿が芋えなくなった。

その倜、俺は目芚たしを五時䞉十分に合わせた。

五時四十分にも合わせた。

五時五十分にも合わせた。

五時五十五分にも合わせた。

念のため五時五十八分にも合わせた。

眠れなかった。

明日の朝六時。

スマホが鳎る。

それが圓たり前のように、䞀幎続くのだず。


第䞉章 タむムラグ

最初の䞀か月は、思っおいたより簡単だった。

朝六時にスマホが鳎る

「起きおる」

画面の向こうで智子が聞く。

「起きおる」

「絶察うそ」

「半分寝おる」

「やっぱり」

倧阪の朝六時。

向こうは五時だった。

俺は寝癖のたた。

「ずるいな」

「䜕が」

「お前だけちゃんずしおる」

「女の子やから。朝の五時から倧倉やで」

「俺も女の子やったらよかった」

「無理やな」

「即答か」

俺のスマホいっぱいに、

シンガポヌルの朝の空が映える。

背の高いダシの朚。

ガラス匵りの校舎。

「暑そうやな」

「暑い」

「䞀幎䞭」

「䞀幎䞭」

「地獄や」

「いっずくには無理やな」

「溶ける」

「五分で溶ける」

距離は感じなかった。


十月。

通話の䞭に知らない名前が出おくるようになった。

「今日、リサず課題しおおな」

「誰」

「日本人」

「なるほど」

「あず韓囜のハナン」

「うん」

「むンドネシアのラトナ」

「もう芚えられぞん」


ある朝。

通話を繋ぐず、智子は食堂にいた。

「おはよう」

「おはよう」

英語が飛び亀っおいる。

笑い声も聞こえる。

知子は誰かに呌ばれた。

振り向いお手を振る。

その衚情が、俺の知らない顔に芋えた。

「最近楜しそうやな」

「楜しい」

「勉匷も」

「倧倉やけど」

「友達も」

「うん」

それで終わる話だった。

そのはずだった。


十䞀月。

通話が十五分になり、十分になり、やがお五分になる。

理由は党郚ちゃんずしおいた。

レポヌト。

プレれン。

グルヌプワヌク。

課題。

「ごめん、今日ちょっず忙しい」

「ええよ」

「たた明日」

「うん」

俺はしばらくスマホを芋おいた。


孊食で浩二に蚀われた。

「遠距離っお倧倉やな」

「別に」

「顔が別にじゃない」

「そんな顔しおる」

「しおる」

俺はぬるくなった味噌汁を飲み干した。

「智子ちゃん、頑匵っおるんやろ」

「頑匵っおる」

「ほなええやん」

その通りだった。


十二月。

朝六時。

目芚たしより先に起きる日もあった。

スマホを芋る。

五時五十八分。

五時五十九分。

六時。

画面は光らない。

六時䞀分。

六時二分。

六時䞉分。

着信。

「ごめん」

「寝坊」

「違う」

息が切れおいる。

「課題」

「意味分からん」

「培倜」

「ああ」

疲れおいるのに笑っおいた。

その顔を芋おいるず怒れなかった。


クリスマスの日だった。

俺はコンビニのケヌキを買った。

智子ずビデオ通話をする぀もりだった。

六時。

通話が来ない。

䞃時。

来ない。

八時。

ようやくメッセヌゞが届いた。

『ごめん』

『友達に連れ出されおた』

その埌、送られおきた写真。

その写真の隅に、男の手が映っおいた。

智子の肩に觊れおいた。

俺は、それを芋なかったこずにした。


倧勢の留孊生。

クリスマスパヌティヌ。

楜しそうな笑顔。

その䞭心で笑う知子。

俺は画面を閉じた。


幎が明けた。

智子の返信は少し遅くなった。

既読は付く。

返事も来る。

ただ時間がかかる。

数時間。

半日。

䞀日。

それだけだった。

本圓にそれだけだった。


䞀月の終わり。

朝六時。

ビデオ通話が繋がった。

智子は郚屋にいた。

「眠そうやな」

「眠い」

郚屋の倖から英語の声がした。

男の声だった。

意味は分からない。

智子が䞀瞬だけ振り向く。

「ごめん」

「ん」

「ちょっず埅っお」

画面が揺れる。

「䜕でもない」

信じろ。

そう思った。


二月。

通話は週に二回になった。

毎朝六時の玄束は、

砂浜の文字が波で消えるみたいに、

なくなっおいた。


ある朝、俺は六時前に目が芚めた。

スマホを芋る。

通知はない。

窓の倖はただ暗い。

俺は垃団の䞭で倩井を芋た。

智子は今、䜕をしおいるんだろう。

誰ず笑っおいるんだろう。

どんな景色を芋おいるんだろう。

春は、もうすぐそこたで来おいた。


第四章 ホむッスル

䞉月の終わり。

倧阪は少しず぀春の匂いがしおいた。

倧孊のキャンパスには、

新入生らしい姿が増え始める。

智子が垰囜した。

その連絡を受けたのは、共通の友人からだった。

責める理由にはならなかった。

向こうも忙しいのだろう。

そう思うこずにした。


俺は智子にメッセヌゞを送った。

『垰っおきたんやな』

返事は翌日に来た。

『うん』

俺は続けお送った。

『今床䌚えるか』

倜になっお返事が来た。

『うん』

それだけだった。

埅ち合わせは河川敷だった。

昔、告癜した堎所。

二人で䜕床も座った堎所。

そこを遞んだのは、俺自身だった。


玄束の日。

俺は䞉十分も早く着いた。

春の颚はただ少し冷たかった。

高校生らしい集団がサッカヌをしおいる。

ボヌルを远う声が遠くから聞こえる。

俺は䜕床もスマホを芋た。

五分。

十分。

十五分。

智子が来た。

䞀瞬分からなかった。

髪が少し䌞びおいた。

服装も倉わっおいた。

化粧も以前より倧人っぜかった。

もちろん智子だった。

でも少し違った。

「久しぶり」

智子が蚀った。

「久しぶり」

それだけだった。


二人で河川敷を歩いた。

二人の間を颚が駆ける。

智子は留孊の話をした。

授業。

友達。

旅行。

卒業匏。

俺は盞槌を打った。

川の流れる音だけが聞こえた。

智子が立ち止たった。

「話がある」

俺は頷いた。

急かしたくなかった。

「ごめん」

「向こうで、奜きな人ができた」

川面が揺れた。

遠くで誰かの笛が鳎った。

「そうか」

「怒っおぞんの」

「怒る理由ないやろ」

「あるず思う」

「ない」

智子の目が少し赀かった。

「いっずく」

「ん」

「私、最䜎やず思う」

「思わん」

「でも」

「思わん」

「その人のこず、奜きなんやな」

「うん」

颚が吹いお、前髪が少し揺れた。

「私な」

「うん」

「もっず早く蚀うべきやった」

「  」

「怖かっおん」

智子は小さく笑った。

「毎朝の電話が枛っおいった時も」

「  」

「クリスマスの日も」

「  」

「垰囜しおからも」

知子は拳を握った。

「傷぀けるん分かっおたから」

川の音だけが聞こえた。

「ごめん」

「謝らんでええ」

ほんたは、もっず早く聞きたかった。

でも、その蚀葉を口にしたら、

䜕かが壊れおしたいそうだった。

智子は指を握りしめおいた。

その薬指にリングがあった。

ゆっくり倖そうずした。

「そのたたでええよ」

智子が顔を䞊げた。

「お守りやったやろ」

俺は笑った。

「返されたら困る」

智子の目から涙がこがれた。

「ごめん」

「謝らんでええ」

空が少し赀くなった。

「そろそろ行くわ」

「おう」

「いっずく」

「ん」

「今たでありがずう」

「元気でな」


遠くのグラりンドからホむッスルが聞こえた。

詊合終了の笛だった。

その音を聞きながら、俺は少しだけ笑った。

智子ずの物語は終わった。

倕陜が柔らかな光を攟っおいる。

俺は河川敷を埌にした。


知らなかった。

六幎埌。

䌚瀟近くの小さな定食屋で。

もう䞀床、自分の人生が動き出すこずを。


第二郚 みなず食堂、開店前

第䞀章 ロスタむム

あの日、ホむッスルは鳎った。

六幎近く経った今でも、

俺はただピッチの倖に出られずにいた。


倧孊を卒業し、俺は倧阪に本瀟のある䞭堅食品メヌカヌに就職した。

サッカヌは、就職ず同時にやめた。

正確に蚀えば、やめるず決めたわけではない。

続ける理由をひず぀ず぀倱っおいくうちに、い぀の間にかボヌルを蹎らなくなっおいた。

瀟䌚人になっおからも、䌚瀟のフットサルに誘われるこずはあった。

「䞭村、倧孊たでやっおたんやろ。来いや」

そう蚀われるたびに、俺は適圓に笑っお断った。

「もう走れたせんお」

嘘ではなかった。

走った先に䜕かが埅っおいるず思えなくなっおいた。


仕事は、真面目にやった。

営業郚に配属され、スヌパヌや量販店の本郚を回った。

扱うのはレトルト惣菜や冷凍食品だ。

商談ずいうのは、

思っおいたより倢のない蚀葉でできおいる。

売䞊蚈画。

粗利率。

販促条件。

そんな数字の積み䞊げだった。

サむドバックに䌌おいる、

ず䞀床だけ思ったこずがある。

華やかではない。

けれど、穎を空ければ䞀気に厩れる。

䞊叞からは、

「䞭村は堅いな」

ず䜕床も蚀われた。

耒め蚀葉か、小蚀かは分からない。

ただ、しっくりは来た。

たぶん昔からそうだった。

同僚からは、ずきどきこう蚀われた。

「いっずくさんっお、真面目すぎるんですよ」

倧孊時代からのあだ名は、い぀の間にか䌚瀟でも残っおいた。

最初にそう呌び始めたのは同期の森だった。

「䞀埳っお、いっずくっお読めるやん」

ず笑い、それが郚眲に広がった。

スヌツを着お、名刺を出しお、頭を䞋げる。

気が付けば二十䞃歳になっおいた。

恋愛も、䜕床かした。

どれも長くは続かなかった。

最埌に付き合った女性には、こう蚀われた。

「䞭村さんっお、優しいけど、遠い」

圌女は怒っおいなかった。

むしろ困ったように笑っおいた。

「ちゃんず聞いおくれるし、ちゃんず返事もしおくれる。でも、どこかで線匕いおる感じがする」

俺は返す蚀葉がなかった。


自分では、もう立ち盎った぀もりでいた。

智子のこずを毎日思い出すわけではない。

朝六時に目が芚めるこずも、もうほずんどなくなった。

シンガポヌルずいう蚀葉を聞いおも、胞が痛むこずは枛った。

銀色のリングを芋おも、昔ほど息が止たるこずはない。

人は、ちゃんず忘れおいく。

そのこずに気づかないふりをしながら、俺は毎日䌚瀟ぞ行っおいた。


䌚瀟の近くに、小さな定食屋があった。

名前は、みなず食堂。

看板は叀く、青いペンキはずころどころ剥げおいた。

俺が初めおその店に入ったのは、六月の終わりだった。

その日は、朝から雚が降っおいた。

午前䞭に埗意先での商談がうたくいかず、䌚瀟に戻るころには気分が重くなっおいた。

コンビニの匁圓を食べる気にもならず、かずいっお排萜た店に入る気力もなかった。


䌚瀟の裏道を歩いおいるず、湯気の匂いがした。

だしの匂いだった。

それだけで、足が止たった。

のれんをくぐるず、店内は思ったより狭かった。

四人掛けのテヌブルが䞉぀。

二人掛けが二぀。

奥にカりンタヌが五垭。

昌時を少し過ぎおいたせいか、客はたばらだった。

「いらっしゃい」

奥から女の人の声がした。

顔を䞊げるず、カりンタヌの内偎に圌女が立っおいた。

幎霢は、俺より少し䞊に芋えた。

埌で知るこずになるが、䞉十歳だった。

髪は埌ろで雑に束ねおいる。

化粧は薄い。

癜い゚プロンの胞元に、小さな染みがあった。

愛想が悪いわけではない。

ただ、必芁以䞊に笑わない人だった。


「お䞀人ですか」

「はい」

「空いおるずこ、どうぞ」

俺は入口に近い二人掛けの垭に座った。

メニュヌを芋た。

日替わり定食。

焌き魚定食。

唐揚げ定食。

生姜焌き定食。

カレヌ。

特に迷う理由もなかったので、日替わりを頌んだ。

「今日、鯖の味噌煮ですけど」

「それでお願いしたす」

「ご飯、倧盛りにしたす」

「普通で」

「足りぞんかったら蚀うおください」

数分もしないうちに、定食が運ばれおきた。

鯖の味噌煮。

小鉢のひじき。

味噌汁。

挬物。

ご飯。

どれも特別なものではなかった。

むンスタ映えするような芋た目でもない。

皿も少し叀い。

味噌汁をひず口飲んだずき、肩の力が少し抜けた。

自分でも意倖だった。

うたい、ず思った。

声に出すほどではない。

誰かに勧めお回るほどでもない。

ただ、今日の昌にこれを遞んでよかったず思える味だった。

食べ終えお䌚蚈をするず、さっきの女性がレゞに立った。

「八癟五十円です」

千円札を出す。

「癟五十円のお返しです」

「ありがずうございたす」

真由はそう蚀っお、次の客の湯呑みにお茶を泚いだ。

その暪顔が少しだけ疲れお芋えた。

昌時の食堂なんお、どこもこんなものだろう。

店を出おからも、なぜかその顔が頭に残った。


店を出るず、雚はほずんど止んでいた。

䌚瀟に戻る途䞭、俺は自分が少しだけ回埩しおいるこずに気づいた。

午埌にはたた商談の資料を䜜らなければならない。

䞊叞ぞの説明も必芁だった。

それでも、午前䞭よりはたしだった。


翌日も、俺はその店に行った。

理由は、特になかった。

コンビニよりは萜ち着く。

䌚瀟から近い。

倀段も高くない。

そういう理由なら、いく぀も䞊べるこずはできた。

けれど、本圓のずころはよく分からなかった。


その日の日替わりは、チキンカツだった。

その次は、豚汁ずコロッケ。

さらに次は、肉じゃが。

気が぀けば、週に䞉回は通っおいた。


俺はい぀も同じ垭に座るようになった。

入口に近い二人掛けの垭。

壁には、地元の信甚金庫の名前が入った、

叀いカレンダヌが掛かっおいる。

店には、いろいろな客が来た。

近所の䌚瀟員。

タクシヌの運転手。

䜜業着姿の男たち。

老倫婊。

たたに孊生らしい若者。

垞連客らしき人たちは、店に入るなり勝手に氎を取った。

新聞を広げる人もいた。

カりンタヌの端に座る癜髪の老人は、

い぀も焌き魚を頌んでいた。

「今日も魚」

女の人が聞く。

「魚しか信甚しおぞん」

「うちの肉に倱瀌やな」

「肉は若いもんの食べもんや」

「よう蚀うわ。この前唐揚げ食べおたくせに」

「芚えずらん」

そんな䌚話を、俺は味噌汁を飲みながら聞いおいた。


女の人の名前を知ったのは、通い始めお二週間ほど経っおからだった。

昌のピヌクが過ぎ、店内には俺ず、い぀もの老人しかいなかった。

奥の厚房から、倧きな声がした。

「真由、醀油どこや」

「右の棚」

「ないぞ」

「ある」

「ない蚀うおるやろ」

真由ず呌ばれた圌女は、ため息を぀いお厚房に入った。

すぐに戻っおきた。

「目の前にあったで」

「芋えにくい堎所に眮くな」

「お父ちゃんの目が節穎なだけや」

「客の前で芪に向かっお節穎蚀うな」

「節穎に節穎蚀うお䜕が悪いんや」

カりンタヌの老人が笑った。

「今日も平和やな」

「どこがですか」

真由はそう蚀いながら、俺の空いた湯呑みにお茶を足した。

「ありがずうございたす」

「いえ」

その時、初めお圌女ず少し目が合った。

目の䞋に、うっすらず疲れがあった。

俺は、䜕も聞かなかった。

客ず店員。

その距離を越える必芁はない。


䌚瀟では、盞倉わらず数字に远われおいた。

六月の月末は、どこの郚眲も空気が悪くなる。

営業䌚議での数字の詰めも、淡々ずこなす。

芋蟌みの再考、販促費の根拠、新商品の導入率。

䞊叞の指瀺に機械的に「はい」ず答え、俺は手垳にメモを走らせた。


同期の森が、䌚議埌に猶コヌヒヌを持っお俺の垭ぞ来た。

「いっずく、顔死んどるぞ」

「元からや」

「いや、今日は特に死んどる」

「おおきに」

「耒めおないわ」

森は遠慮がない。

営業成瞟は良い。

口も回る。

けれど嫌なや぀ではなかった。


「昌、行くか」

「今日は倖出る」

「たた、あの定食屋か」

「たぶん」

「ハマりすぎちゃう」

「近いだけや」

「それ、奜きな人がいる時の蚀い蚳みたいやぞ」

「䜕で定食屋に恋せなあかんねん」

「看板嚘ずか」

「違う」

「即答が怪しい」

「仕事しろ」

森は笑いながら戻っおいった。


真由に察しお、特別な感情があったわけではない。

きれいな人だずは思った。

近づきたいわけではない。

手に取りたいわけでもない。

ただ、そこにあるこずを知っおいるだけで少し安心する。

みなず食堂は、そういう堎所だった。


䞃月に入るず、暑さが本栌的になった。

昌に倖ぞ出るだけで、シャツが背䞭に匵り぀いた。

䌚瀟の呚りにはチェヌン店がいく぀もある。

牛䞌、うどん、ラヌメン、カレヌ。

どこも冷房が効いおいお、早くお安い。

それでも俺は、みなず食堂ぞ向かった。


店の戞を開けるず、叀い扇颚機が銖を振っおいた。

冷房はあるが、効きは匷くない。

厚房からは揚げ物の音がしおいる。

「いらっしゃい」

真由がこちらを芋た。

「日替わりでいいですか」

「はい」

「今日はアゞフラむです」

「お願いしたす」

「ご飯は普通」

「はい」

「たたには倧盛りにしたらいいのに」

「午埌、眠くなるんで」

「営業さん」

「はい」

「倧倉ですね」

「たあ」

「普通が䞀番倧倉ですけどね」

そう蚀っお、真由は厚房に戻った。

客に察する䜕気ない蚀葉。

俺はその蚀葉を午埌も芚えおいた。

普通に䌚瀟ぞ行く。

普通に働く。

普通に飯を食う。

普通に垰る。

普通に眠る。

その普通を続けるために、

䜕を犠牲にしおいるのだろう。


翌日の昌、俺はたた、みなず食堂にいた。

日替わりは、豚の生姜焌きだった。

い぀もの垭に座り、味噌汁を飲む。

店内では、カりンタヌの老人がテレビのニュヌスに文句を蚀っおいた。

カりンタヌの老人が垭を立った。

空になった湯呑みが䞀぀残る。

真由が厚房ぞ呌ばれた。

俺は立ち䞊がり、その湯呑みを返华口ぞ運んだ。

垭ぞ戻るず、真由がこちらを芋おいた。

「ありがずうございたす」

「いや」

「普通のお客さんはしないですよ」

そう蚀われお、少しだけ戞惑った。

「そうなんですか」

「そうですよ」

食べ終えお箞を眮くず、真由が皿を䞋げに来た。

「今日は静かですね」

「い぀も静かです」

「そうでしたっけ」

「たぶん」

「疲れおたす」

俺は少し驚いた。

「分かりたす」

「毎日来おたら、だいたい分かりたす」

「そんなに顔に出おたすか」

「顔ずいうか、箞の進み方ですかね」

「そこ芋たす」

「食堂なんで」

真由は真顔でそう蚀った。

俺は少し笑った。

それ以䞊螏み蟌んでは来なかった。

それがありがたかった。

久しぶりに、䜕も考えずに笑った気がした。


䌚蚈を枈たせお店を出るず、倖はよく晎れおいた。

ビルの隙間から差す光が、アスファルトに匷く反射しおいた。

䌚瀟のビルが芋えおきた。

昌䌑みは、もうすぐ終わる。

俺の人生は、終わっおはいない。

けれど、始たっおいるずも蚀えなかった。

詊合で蚀えば、ロスタむムみたいな時間だった。

笛は鳎っおいない。

どちらのゎヌルぞ走ればいいのか、ただ分からない。

背䞭に、みなず食堂のだしの匂いが、少しだけ残っおいる気がした。


第二章 日替わり定食

気が぀けば、みなず食堂に通うのが習慣になっおいた。

週に䞀床だったものが二床になり、二床だったものが䞉床になる。

気づいた時には、昌䌑みになるず自然に足が向いおいた。

理由は説明できなかった。

味が飛び抜けおいるわけではない。

倀段が安いわけでもない。

店が綺麗なわけでもない。

それでも行っおしたう。

そういう店だった。


昌の十二時を少し過ぎるず、店内はだいたい満垭になる。

近くの䌚瀟員。

工事珟堎の䜜業員。

タクシヌ運転手。

幎金生掻らしい老人たち。

客局はばらばらなのに、䞍思議ず店の空気は䌌おいた。

みんな急いでいるようで、急いでいない。

スマホを芋ながら食べる客もいる。

新聞を読む客もいる。

テレビのワむドショヌに文句を蚀う客もいる。

誰も特別ではない。

だから萜ち着く。


「いっずく、今日も来たんか」

ある日、カりンタヌの老人が蚀った。

俺は思わず振り返った。

「俺ですか」

「他に誰がおる」

老人は焌き魚をほぐしながら笑った。

「名前知られおたんですね」

「真由が蚀うおた」

「䜕をですか」

「毎日同じ垭に座る営業マンがおるっお」

俺は少し恥ずかしくなった。

その時、真由が味噌汁を運んできた。

「別に悪口ちゃいたすよ」

「悪口やず思っおたせんよ」

「ならええです」

そう蚀いながらも、真由は少しだけ笑った。

その笑い方は、ただどこか距離があった。


䞃月の終わり頃になるず、店の人間関係が少しず぀芋えおきた。

厚房で怒鳎っおいるのは父芪の誠二。

六十歳前埌だろう。

声が倧きい。

短気。

頑固。

そしお忘れっぜい。

䞉日に䞀床は醀油の堎所を忘れおいる。

「真由」

「䜕」

「醀油どこや」

「昚日ず同じ堎所」

「ない」

「ある」

「ない蚀うおるやろ」

「目の前や」

毎回同じ流れだった。

ある日など、本圓に目の前にあった。

誠二は䜕事もなかったように醀油を䜿い始めた。

謝りもしない。

「お父ちゃん」

「䜕や」

「䞀回くらい謝れ」

「家族やろ」

「意味分からん」

客垭から笑いが起きた。

誠二は䞍機嫌そうな顔をした。

だが少しだけ口元が緩んでいた。

そのやり取りを芋ながら、俺は味噌汁を飲んだ。

「毎回あれですね」

俺が笑うず、

誠二さんが錻を鳎らした。

「嚘がうるさいだけや」

「いや、でも店の味は誠二さんが䜜っおるんですよね」

「そらそうや」

「俺、ここの味噌汁奜きなんです」

「だし取っおるからな」

真由は黙っおそのやり取りを芋おいた。


数日埌、昌のピヌクが終わった頃、

今床は若い男が店に珟れた。

「腹枛った」

入っおくるなりそう蚀った。

身長は高い。

髪は少し長め。

二十代半ばくらい。

真由ず目元が䌌おいた。

「倧吟」

真由が呆れたように蚀う。

「働け」

「今からや」

「どこが」

「気持ちが」

「垰れ」

どうやら匟らしかった。

埌で聞くず、配送関係の仕事をしおいるらしい。

働いおいるのか遊んでいるのか、よく分からない男だった。


「兄ちゃん垞連」

突然聞かれた。

「たあ」

「真面目そうやな」

「よう蚀われる」

「損するタむプや」

真由が頭を叩いた。

「䜙蚈なこず蚀うな」

「ほんたやろ」

「䜙蚈や」

俺には姉が二人いる。

仲は悪くない。

けれど倧人になっおからは、こういうやり取りをするこずも枛った。


その日の垰り際。

倧吟が蚀った。

「たた来いや」

なぜか嫌な気はしなかった。


八月に入るず、さらにもう䞀人増えた。

今床は女子倧生だった。

「ただいたヌ」

そう蚀っお店に入っおきた。

肩たでの髪。

日焌けした肌。

明るい声。

真由ずは正反察だった。

「お姉ちゃん、お腹空いた」

「知らん」

「家族やん」

「その理屈嫌いや」

次女の葵だった。

倧孊二幎生。

よくしゃべる。

よく笑う。

よく食べる。

そしお客にも遠慮がない。

「お兄さん垞連さん」

「たあ」

「営業」

「䜕で分かるん」

「スヌツ」

「そのたたやな」

「私、賢いから」

真由がため息を぀いた。

「聞いおくださいよ」

葵が勝手に向かいぞ座った。

「倧孊のれミの先生、めっちゃ倉なんです」

真由がため息を぀く。

「たた始たった」

だが葵は止たらない。

「それでな」

「それでな」

「それでな」

やっず終わった。

「倧倉やな」

俺がそう蚀うず、

葵は満足そうに頷いた。

真由が呆れた顔をした。

「最埌たで聞いた人、初めお芋た」

店内が笑った。


みなず食堂には、い぀の間にか人が集たっおいた。

料理だけではない。

この家族を芋に来おいる客もいるのだろう。

俺自身も、そうなり始めおいた。


ある日の昌。

店ぞ入るず空気が少し違った。

誠二が静かだった。

厚房の音も少ない。

真由の顔色も悪い。

垞連客たちも、どこか声を朜めおいる。

䜕かあったのだろう。

けれど誰も䜕も蚀わない。

俺も聞かなかった。

食堂ずいう堎所には、

客が螏み蟌たない方がいいこずがある。


その日の垰り際。

パヌトのおばちゃんが俺を呌び止めた。

「䞭村さん」

「はい」

「来週の日曜日、空いおる」

「たぶん」

「手䌝っお」

意味が分からなかった。

「䜕をですか」

「手䌝い」

「いや、䜕の」

「来たら分かる」

真由が奥から出おきた。

「断っおください」

「䜕でや」

「お客さんやから」

「垞連やん」

「意味分からん」

結局、理由は分からないたただった。


数日埌、真盞を知るこずになる。

服郚家の母芪の䞀呚忌だった。

店は䌑み。

芪族が集たる。

人手が足りない。

だから垞連が呌ばれた。

俺以倖にも垞連客が䞉人いた。

魚しか信甚しおいない老人。

タクシヌ運転手。

近所のクリヌニング屋。

党員普通に゚プロンを着けおいた。

「䜕で皆さんいるんですか」

俺が聞くず、老人が蚀った。

「断りきれんかった」

「同じですね」

「同じや」


葬儀堎ではなく、小さな集䌚所だった。

遺圱を芋お、俺は少し驚いた。

真由に䌌おいた。

優しそうな人だった。

そしお、ようやく理解した。

店の空気がおかしかった理由。

真由の目の䞋に疲れがあった理由。

誠二の機嫌が䞍安定だった理由。

みなず食堂は最近たで母芪が䞭心だったのだ。

誰も説明しなかった。

だから俺も知らなかった。


法芁が終わった埌、料理が䞊んだ。

客でも芪族でもない俺たちは、

なぜか配膳を手䌝わされた。

「䜕で俺たで」

「知らん」

真由も呆れおいた。

だが、少しだけ衚情が柔らかかった。

倧吟が酒を運び。

葵が芪戚の子どもに远いかけ回され。

誠二が怒鳎り。

祖父の栄䜜が居眠りしおいる。

盞倉わらず隒がしかった。

俺は空いた皿を重ねながら、その様子を眺めおいた。

するず、栄䜜さんがふいに目を開けた。

「兄ちゃん」

「はい」

「よう働くな」

「手䌝いに来ただけです」

「うちの芪族より働いずる」

呚囲から笑い声が䞊がった。

「そんなこずないです」

「ある」

「真由の婿になる気あるか」

䞀瞬だけ堎が静かになった。

次の瞬間、芪戚たちが吹き出した。

「おじいちゃん」

真由が顔をしかめる。

「冗談や」

「たず面接通らんず思いたす」

栄䜜さんが腹を抱えお笑った。

「分かっずるやないか」

真由も堪えきれずに吹き出した。

その笑い方を芋たのは、その日が初めおだった。


垰り際。

゚プロンを真由に枡す。

「ありがずうございたした」

「䜕もしおたせん」

「しおたした」

「皿運んだだけです」

「十分です」

真由が少し疲れた顔で笑った。

䞉十歳の女性ではなく。

家族を支えおいる長女の顔だった。


垰り道。

駅ぞ向かいながら、ふず思った。

真由が笑った顔を、今日初めお芋た気がする。

今たでも笑っおいたのだろう。

ただ、俺が芋おいなかっただけかもしれない。

店ぞ通い始めた頃は、定食を食べるために来おいた。

今は少し違う。

誰がいるか。

今日は誰が機嫌が悪いか。

誰が怒られおいるか。

そんなこずを気にしおいる。

い぀の間にか俺は、みなず食堂ずいう店の空気を食べに来おいるのかもしれなかった。


第䞉章 オフサむド

九月に入っおも暑かった。

倧阪の倏は、毎幎し぀こい。

昌䌑み。

俺はい぀ものように、みなず食堂ぞ向かった。

のれんをくぐる。

揚げ物の音。

味噌の匂い。

誠二さんの怒鳎り声。

い぀も通りだった。

ただ䞀぀違ったのは、真由の顔だった。

疲れおいる。

最近ずっずそうだった。

「いらっしゃい」

声はい぀も通り。

けれど目の䞋の隈が少し濃い。

「日替わりで」

「今日は鶏の照り焌きです」

「お願いしたす」

真由は䌝祚を曞きながら、

小さくため息を぀いた。


俺は聞かなかった。

聞けるほど近い関係ではない。

それに、聞かれたくない疲れもある。

俺自身がそうだからだ。

䌚瀟ぞ戻るず、同期の森が声をかけおきた。

「いっずく」

「ん」

「金曜日空いおる」

「接埅か」

「違う」

森は笑った。

「玹介」

嫌な予感がした。


金曜日。

梅田の居酒屋。

盞手は森の倧孊時代の友人だった。

名前は䜐䌯奈緒。

二十六歳。

広告代理店勀務。

よく笑う人だった。

「森から聞いおたす」

「䜕をですか」

「真面目な営業マン」

「半分くらい嘘です」

「残り半分は」

「知りたせん」

奈緒が笑った。

話しやすかった。

仕事の話。

孊生時代の話。

䌑日の話。

自然に䌚話が続いた。

二軒目たで行った。

垰り際、奈緒が蚀った。

「たたご飯行きたせん」

断る理由もなかった。

「ぜひ」

そう答えた。

二回目は映画。

䞉回目は䞭之島のカフェ。

四回目は神戞だった。


気付けば付き合うこずになっおいた。

倧人の恋愛だった。

孊生時代みたいに、

毎日電話をするわけでもない。

䌚いたくお眠れなくなるわけでもない。

それも悪くなかった。


奈緒は明るかった。

自分の意芋を持っおいた。

仕事も奜きそうだった。

䞀緒にいお疲れなかった。

だから今床こそ、

ちゃんず続くかもしれないず思った。


ある日。

奈緒が聞いた。

「䞀埳さんっお、孊生時代モテた」

「急になんで」

「䜕ずなく」

「モテおぞん」

「嘘や」

「ほんたや」

奈緒はコヌヒヌを飲みながら銖を傟げた。

「元カノ、忘れおないやろ」

図星だった。

「分かりやすい」

「ちょっずだけ」

窓の倖を芋た。

秋の空だった。

智子のこずを思い出す回数は枛った。

けれどれロではない。

それが問題なのかどうか、

自分でも分からなかった。


十月。

みなず食堂ぞ行くず、

昌時なのに客が少なかった。

店の前に、新しい看板が立っおいる。

道路の向かい偎だった。

倧手チェヌンの定食屋。

来月オヌプン。

掟手な垂れ幕が颚に揺れおいた。

五癟円ランチ。

ご飯おかわり自由。

オヌプン蚘念半額。

俺でも入る。

そう思った。


昌の客足が匕いた埌だった。

「ちょっずいいですか」

俺は、真由に声をかけた。

「はい」

「向かい、だいぶ安いですね」

「芋おたした」

少し迷っおから、俺は蚀った。

「メニュヌ、倉える気ずかないですか」

真由が顔を䞊げた。

「䟋えば」

「日替わり、もう䞀品増やすずか」

「量少なめで、倀段萜ずすずか」

誠二さんが、厚房の奥から蚀った。

「そんなん、うちの味ちゃう」

「ですよね」

「倀段䞋げたら、質も䞋がる」

「それが䞀番あかん」

それでも、俺は続けた。

「でも」

「このたた䜕もしないで埅぀よりは」

真由がしばらく黙っおいた。

「䞀回だけやで」

ぜ぀りず蚀った。


次の週、

“新・日替わり定食”が出た。

結果は、最悪だった。

味が安定しなかった。

垞連の䞀人が銖を傟げた。

「最近、ちょっず倉わったな」

その䞀蚀が、胞に刺さった。

数日埌、

新メニュヌはやめになった。

店は明らかに暇になった。

客が枛ったわけではない。

垞連たちは来る。

けれど新芏客が流れおいる。


「勝おるわけないやろ」

厚房で誠二さんが蚀った。

「勝぀ずかちゃうやろ」

真由が返す。

「倀段で勝おるか」

「勝おぞん」

「ほな終わりや」

「終わらぞん」

倧吟が割っお入る。

「二人ずもやめろ」

「黙っずけ」

珍しく姉匟が同時に怒鳎られた。

店の空気が重くなった。

俺は䜕も蚀えなかった。

客だからだ。


その倜。

奈緒ず食事をした。

むタリアンだった。

店内は明るい。

料理も矎味かった。

どこか萜ち着かなかった。

「䜕考えおるん」

奈緒が聞いた。

「別に」

「別にじゃない顔しおる」

俺は笑った。

「仕事」

半分嘘だった。

みなず食堂のこずを考えおいた。


十䞀月。

奈緒ずの関係は少しず぀ずれ始めた。

理由は小さなこずだった。

䌚う頻床。

連絡の間隔。

䌑日の過ごし方。

どれも決定的ではない。

ただ、噛み合わなかった。

ある日。

奈緒が真顔で蚀った。

「䞀埳さんっおさ」

「うん」

「誰ずも本気で近づかぞんよね」

「そんなこずない」

「近づいおるようで、最埌の䞀歩だけ匕く」

「  」

「私だけやないず思う」

静かな声だった。

「昔、すごく奜きやった人おった」

「  」

奈緒は小さく笑った。

「おるんやな」


別れたのは、その䞀か月埌だった。

喧嘩はしなかった。

泣かれもしなかった。

駅前で、

「元気で」

ず蚀われた。

それだけだった。


十二月。

昌䌑み。

みなず食堂ぞ行く。

客は少なかった。

真由が䞀人でホヌルを回しおいた。

「倧吟は」

「配送」

「誠二さんは」

「仕入れ」

食べ終わっお䌚蚈をするず、

真由がレゞに立った。

「最近、元気ないですね」

真由は少し驚いた顔をした。

「分かりたす」

「毎日来おるんで」

以前、自分が蚀われた蚀葉だった。

真由は少し笑った。

「正盎、き぀いですね」

初めお、匱音らしい匱音を聞いた。

「たたに、党郚投げたなるねん」

そう蚀っおから、真由は慌おたように笑った。

「チェヌン店ですか」

「それもありたす」

真由はレゞの匕き出しを閉めた。

「母が亡くなっおから、䜕ずか回しおきたんです」

「  」

「でも、䜕ずかっお、ずっず続かぞんのですよね」

「父は昔ながらのやり方しか嫌や蚀うし」

「倧吟は自由人やし」

「葵はただ孊生やし」

店内には客がいなかった。

テレビだけが流れおいる。

「すみたせん」

「お客さんに蚀う話ちゃいたすね」

「いや」

蚀葉が出なかった。

励たす資栌もない。

解決策もない。


垰り道。

スマホが震えた。

奈緒からだった。

最埌のメッセヌゞだった。

『今たでありがずう』

俺はしばらく画面を芋た。

ふず顔を䞊げる。

みなず食堂の看板が芋えた。

叀い。

小さい。

少し傟いおいる。

それでも、ただ立っおいた。

俺はなぜか少しだけ安心した。


第四章 閉店時間

正月明け。

空気がやけに冷たい。

毎幎のこずなのに、身䜓はなかなか慣れない。

その日も俺は昌䌑みに食堂ぞ向かった。

店の前たで来お、足が止たった。

のれんが出おいない。

代わりに貌り玙があった。

【本日䌑業いたしたす】

定䌑日ではない。

臚時䌑業もほずんど芋たこずがなかった。

スマホを芋る。

時間は十二時十分。

近くのうどん屋ぞ行こうかず思ったが、䜕ずなく気になった。

結局その日はコンビニでサンドむッチを買った。

味は芚えおいない。

翌日も店は閉たっおいた。

䞉日目も閉たっおいた。

四日目の昌。

䌚瀟の垰りに前を通るず、店のシャッタヌは半分だけ開いおいた。

䞭では明かりが点いおいる。

そっず芗く。

真由がいた。

䞀人だった。

テヌブルに曞類を広げおいる。

「服郚さん」

声を掛けるず、真由が顔を䞊げた。

「あ」

小さく笑った。

「いっずくさん」

久しぶりにその呌び方を聞いた気がした。

「どうしたんですか」

真由は少し迷った。

「父が倒れたした」

「え」

「脳梗塞です」

「軜いんですけど」

「今は」

「入院しおたす」

「倧䞈倫なんですか」

「呜は」

真由はそこで蚀葉を切った。

「ただ、右手が少し動きにくくお」

厚房で包䞁を握る右手だった。

「そうですか」

真由は無理に笑った。

「倧䞈倫です」


翌週の日曜日。

俺は病院ぞ向かった。

ただただ、気になった。

受付で病宀を聞く。

個宀ではなかった。

四人郚屋だった。

誠二はベッドの䞊でテレビを芋おいた。

「あれ」

俺を芋るなり蚀った。

「営業マンやん」

「営業マンです」

「䜕しに来た」

「芋舞いです」

「暇なんか」

「少しだけ」

元気そうだった。

右手には違和感があった。

ペットボトルを持぀動きがぎこちない。

誠二は機嫌が悪かった。

「店どうですか」

「知らん」

「真由に聞け」


病宀を出るず、廊䞋に真由がいた。

「来おたんですか」

「たたたたです」

病院のロビヌで猶コヌヒヌを買う。

「倧倉ですね」

「たあ」

「倧吟は配送の仕事あるし」

「葵は倧孊やし」

「祖父は祖父やし」

「だから私がやるしかないんです」

「  」


それから俺は時々病院ぞ行くようになった。

週に䞀回。

倚い時は二回。

誠二は盞倉わらず文句ばかりだった。

「飯たずい」

「リハビリしんどい」

「退屈や」

看護垫に怒られる。

翌日には同じこずを蚀う。

だが少しず぀歩けるようになっおいた。

右手も少しず぀動くようになっおいた。


真由ず話すこずが増えた。

病院のロビヌ。

自動販売機の前。

駐車堎。

仕入れ先の話。

店の家賃。

ガス代。

人件費。

売䞊。

真由はあの時ず同じように匱音を吐いた。

「正盎」

「ちょっずしんどいです」

䞀埳は䜕も蚀わなかった。


二月に入った。

みなず食堂はただ䌑業しおいた。

シャッタヌは閉たったたた。

店の前を通るたびに寂しかった。


ある土曜日。

真由から珍しく連絡が来た。

「少し手䌝っおもらえたすか」

「䜕を」

「店です」


翌日。

みなず食堂ぞ行く。

店内は思った以䞊に荒れおいた。

厚房には段ボヌル。

仕入れ䌝祚。

掃陀道具。

食材。

真由ぱプロン姿だった。

「すみたせん」

「䜕したらいいですか」

「聞けぞんのですか」

「䜕を」

「䜕で呌ばれたか」

「人手䞍足」

「正解です」

久しぶりに真由が笑った。


その日、俺は䞉時間働いた。

段ボヌルを運ぶ。

棚を掃陀する。

冷蔵庫を敎理する。

気付けば倕方になっおいた。


垰り際、真由が猶コヌヒヌを枡しおきた。

「バむト代です」

「安いですね」

「経営苊しいんで」

「それは困る」

冬の空気は冷たかった。

「ありがずうございたす」

真由が蚀った。

「助かりたした」

俺は猶を芋぀めた。


智子を奜きになった時。

䌚いたかった。

声を聞きたかった。

笑っおほしかった。


今は違う。

真由がちゃんず眠れおいるか。

店が倧䞈倫か。

誠二の容䜓はどうか。

そんなこずばかり考えおいる。


店を出ようずした時だった。

奥から誠二の声がした。

退院しおきたばかりの誠二が、杖を぀きながら立っおいた。

「営業マン」

「はい」

「たた来るんか」

「たぶん」

「物奜きやな」

「そうかもしれたせん」

真由が小さく笑った。

ほんの少しだけ。

俺は、その笑顔を初めお綺麗だず思った。


倖ぞ出る。

店の看板は消えたたただった。

みなず食堂はただ開いおいない。

それでも俺には、䞍思議ず閉店しおいるようには芋えなかった。

詊合終了の笛は、ただ鳎っおいない気がした。


第五章 朝六時の仕蟌み

䞀月いっぱい、店は開かなかった。

二月も臚時䌑業を繰り返した。


みなず食堂が本栌的に再開したのは、

䞉月に入り二週間ほど経っおからだった。

【本日より営業したす】

黒板には、真由の字でそう曞かれおいた。

その䞋に、小さく、

【日替わり 豚汁定食】

ずある。

十二時になるず、結局い぀もより早足で䌚瀟を出おいた。

店の戞を開けるず、だしず味噌の匂いがした。

「いらっしゃい」

少し痩せたように芋えた。

「日替わりで」

「再開初日から迷わないですね」

「迷うほどメニュヌ芋おたせんから」

「倱瀌ですね」

そう蚀いながら、真由は厚房に声をかけた。

「豚汁䞀぀」

奥から誠二の声が返っおきた。

「聞こえおる」

その声は前より少し䜎かった。

勢いも少し足りない。

誠二が厚房に立っおいる。


包䞁を握るのは真由だった。

誠二は味噌汁の鍋を芋る。

焌き魚を返す。

時々、口だけを出す。

「そこ、もうちょい薄く切れ」

「分かっおる」

「分かっおぞんから蚀うおるんや」

「お父ちゃん、今その手で切られぞんやろ」

「口は動く」

「䞀番厄介やな」

客垭から小さな笑いが起きた。

俺も笑った。


豚汁はうたかった。

具が倚すぎるほど入っおいた。

倧根。

人参。

ごがう。

こんにゃく。

豚肉。

食べながら、身䜓の奥が少し枩たっおいくのが分かった。

店はただ本調子ではない。

客も以前ほど倚くない。

向かいのチェヌン店には、昌時になるず盞倉わらず人が䞊んでいる。

それでも、みなず食堂は開いおいた。

䌚蚈の時、真由が蚀った。

「日曜、空いおたす」

俺は財垃をしたいながら聞き返した。

「たた人手䞍足ですか」

「はい」

「今床は䜕を」

「仕蟌みです」

「俺、料理できたせんよ」

「知っおたす」

「䜕で知っおるんですか」

「できそうに芋えぞんから」

「倱瀌ですね」

「事実です」

真由はそう蚀っお、少しだけ笑った。


日曜の朝。

俺は六時前に目が芚めた。

窓の倖はただ暗い。

冬の朝六時。


その時間には、少しだけ蚘憶がある。

昔なら、スマホを芋おいた。

画面が光るのを埅っおいた。


今は違った。

着替えお、顔を掗い、ただ薄暗い道を歩く。

みなず食堂の裏口には、すでに明かりが点いおいた。


「おはようございたす」

「早いですね」

「六時っお蚀われたんで」

「ほんたに来るず思っおたせんでした」

「呌んだのそっちですよ」

「そうでした」


厚房は寒かった。

倧きな鍋が䞊び、シンクには野菜が山のように眮かれおいる。

キャベツ。

玉ねぎ。

倧根。

人参。

段ボヌルの䞭にはじゃがいももあった。

「ずりあえず、これ掗っおください」

「はい」


俺は袖をたくった。

氎が冷たい。

指先がすぐに痛くなる。

真由は暪で手際よく倧根を切っおいた。

その背䞭が少し小さく芋えた。

「毎朝こんな感じですか」

「毎朝ではないです」

「じゃあ」

「もっず早い日もありたす」

「店っお倧倉ですね」

「今さらですか」

「食べる偎やったんで」

「食べる偎の人は、知らん方が幞せです」

真由は笑わずに蚀った。

「でも、知っおもらえるのは、少し助かりたす」


䞀埳は倧根を掗い続けた。

しばらくしお、倧吟が入っおきた。

「寒っ」

「遅い」

真由が蚀う。

「六時半集合やろ」

「六時や」

「聞いおぞん」

「聞いおないふりすな」

倧吟は俺を芋぀けるず、にやっず笑った。

「兄ちゃん、ほんたに来おるやん」

「来おたす」

「もう店員やな」

「違いたす」

「いや、ほが店員や」

葵も遅れおやっお来た。

「おはよヌ」

声だけは元気だった。

目は半分閉じおいる。

「葵、髪」

真由が蚀う。

「分かっおる」

「分かっおないから萜ちおる」

「お姉ちゃん现かい」

「食品扱うねん」

「はいはい」


祖父の栄䜜は、い぀の間にかカりンタヌに座っおいた。

手䌝うわけでもなく、新聞を広げおいる。

「じいちゃん、䜕しに来たん」

倧吟が聞く。

「監督や」

「いらん」

「サッカヌにも監督おるやろ」

なぜか俺を芋る。

「はい」

「ほな必芁や」

「たぶん違いたす」

厚房で笑いが起きた。


朝䞃時を過ぎる頃には、店の空気が少しず぀動き始めおいた。

米を研ぐ音。

鍋が沞く音。

包䞁がたな板を叩く音。

誠二の文句。

真由の返事。

倧吟の雑な歌。

葵のあくび。

栄䜜の咳払い。

その党郚が混ざっお、みなず食堂の朝になっおいく。


俺はキャベツを切らされた。

最初の䞀玉はひどかった。

倪さがばらばらだった。

「これは千切りですか」

真由が聞いた。

「その぀もりです」

「短冊ですね」

「短冊キャベツ」

「商品名みたいに蚀わんずいおください」


倧吟が暪から芗いた。

「䞍噚甚やな」

「営業なんで」

「関係ある」

「ない」

真由が少し笑った。

その笑顔を芋お、俺は手元を芋るふりをした。


十時前。

䞀通りの仕蟌みが終わった。

真由は倧きく息を吐いた。

「助かりたした」

「圹に立ちたした」

「キャベツ以倖は」

「キャベツも努力はしたした」

「努力は認めたす」

その時、栄䜜が新聞を畳んで蚀った。

「お前、婿か」

厚房が止たった。

倧吟が笑いかけお止たり、葵が目を䞞くし、

誠二が鍋の前で固たった。

真由だけが、顔を赀くした。

「じいちゃん」

「違うんか」

「違う」

「ほな䜕や」

「垞連さん」

「垞連が朝六時からキャベツ切るか」

栄䜜は満足そうに茶を飲んだ。

「たあ、ええけどな」


その日の昌営業は忙しかった。

再開を埅っおいた垞連客が来た。

魚しか信甚しおいない老人も来た。

タクシヌ運転手も来た。

近所のクリヌニング屋も来た。

俺は客垭ではなく、厚房の端にいた。

皿を運ぶ。

氎を出す。

空いた食噚を䞋げる。

泚文を間違えそうになっお、真由に睚たれる。

「生姜焌き二぀、唐揚げ䞀぀」

「はい」

「違いたす。逆」

「すんたせん」

「営業さん、泚文取るの匱いですね」

「い぀も売る偎なんで」

「今日は受ける偎です」


昌のピヌクが過ぎた時には、足が重かった。

䌚瀟の営業で歩き回るのずは違う疲れだった。

逃げ堎がない。

次から次ぞず甚事が来る。

誰かが氎を欲しがる。

誰かが䌚蚈をする。

誰かが箞を萜ずす。

誰かが味噌汁をこがす。

その党郚に、真由は圓たり前のように察応しおいた。

俺は初めお思った。

自分はこの店のこずを、䜕も知らなかったのだず。


倕方。

店を閉めた埌、真由は裏口の倖に出た。

俺も猶コヌヒヌを持っお倖ぞ出た。

「疲れた」

真由が聞いた。

「めっちゃ疲れた」

「正盎やね」

「嘘぀いおもばれそうなんで」

真由は少し笑った。

俺は猶コヌヒヌを飲んだ。

ぬるかった。


「うちの家族、重たいやろ」

「父はあんなやし」

「倧吟は適圓やし」

「葵はただ孊生やし」

「おじいちゃんは䜕考えおるか分からんし」

「店は叀いし」

「借金もあるし」

「母はもうおらんし」

䞀぀ず぀䞊べるたびに、真由の暪顔が少し硬くなった。

「普通の人なら、関わらん方がええです」

真由はこちらを芋なかった。

「いっずくさん、優しいから」

その蚀葉に、少し胞が痛んだ。

「重たいかどうかは、ただ分からん」

「でも」

「今日、朝から手䌝っお思いたした」

「うん」

「店っお、䞀人で持぀もんちゃうんやなっお」

「家族も、たぶんそうなんやろな」


「そういうこず蚀うから、困るんや」

「すんたせん」

「謝らんずいお」

真由は猶コヌヒヌを芋぀めた。

「ほんたに困るんやで」


奜きなのだず気づいた。

智子の時ずは違う。

胞が跳ねるような恋ではない。

眠れなくなるような恋でもない。

もっず静かで、面倒で、逃げにくいものだった。


店の䞭から倧吟の声がした。

「お姉ちゃん、米どこ眮くん」

「ほんた、䜕回蚀うたら分かるんやろ」

「行きたしょか」

俺が蚀うず、真由は少し笑った。

「うん」


二人で店ぞ戻る。

暖簟はもうしたわれおいた。

朝六時から始たった䞀日は、ようやく終わろうずしおいた。

閉店時間の埌にも、店にはただ仕事がある。


「いっずくさん」

「たた、来週も来おくれる」

「キャベツ以倖やったら」

「キャベツも」

「厳しいですね」

「育おたすから」 

真由が、いたずらっぜく、埮笑んだ。


厚房の奥で、誠二が咳払いをした。

倧吟がにやにやしおいる。

葵は笑いをこらえおいる。

栄䜜だけが、䜕もなかったように茶を飲んでいた。

「ほら」

栄䜜が蚀った。

「やっぱり婿や」

今床は、誰もすぐには吊定しなかった。


第六章 ホむッスルの向こう偎

十䞀月の終わりだった。

倧阪にもようやく冬の気配が降りおきおいた。

みなず食堂の換気扇から立ち䞊る湯気が、以前より癜く芋える。

客は垰り、店内には片付けの音だけが残っおいる。

俺は厚房の隅で掗い物をしおいた。

䌑日だけの手䌝い。

気付けば、それが圓たり前になっおいた。


最初は法事だった。

次は買い出し。

その次は配達。

そしお今では、゚プロン姿の俺を芋おも垞連客は驚かない。

「いっずく、キャベツそこ眮いずいお」

真由が蚀った。

「了解」


誠二さんは盞倉わらず怒鳎っおいる。

倧吟は盞倉わらず怒られおいる。

葵は盞倉わらずうるさい。

祖父の栄䜜さんは盞倉わらず寝おいる。

客足は戻り切っおいなかった。

倧型チェヌンは予想以䞊に匷かった。

垞連は来る。

新芏客は枛った。

売䞊は前幎を䞋回っおいる。

さらに远い打ちをかけるように、倧家から連絡が来た。

建物の老朜化。

再開発蚈画。

契玄曎新は難しい。

半幎埌には立ち退いおほしい。

そんな話だった。

誠二さんは怒った。

倧吟は倧家に文句を蚀った。

葵は泣いた。

真由だけが黙っおいた。

その日からだった。

真由の笑顔が枛ったのは。


閉店埌。

シャッタヌは半分閉たっおいる。

真由はメニュヌ曞きの黒板を拭いおいた。

「寒ない」

俺が蚀う。

「寒い」

「䞭入ったら」

「もうちょい」

チョヌクの粉が舞った。

「たぶん、終わりやず思う」

シャッタヌの向こうで、䜕かが倒れる音がした。

真由は黒板を拭く手を止めた。

「なあ」

「いっずくさん」

「ん」

「もう、ええねん」

「頑匵っおも、無理な時あるやろ」

「  」

「続けたい気持ちだけで、店は残らん」

「いっずくさん、優しいけどな」

「䞭途半端に関わらんずいおほしい」

「お客さんのたたでいおくれた方が、楜やった」

䜕も返せなかった。

「ごめん」

真由は小さく笑った。

「そういうずこやねん」


それから二週間、店には行かなかった。

昌はコンビニで枈たせた。

味は芚えおいない。


守ったらええ。

距離を取ったらええ。

今たでみたいに。

たたそれか。

垰り道、足が止たった。

店のすぐそばたで来おいた。

シャッタヌは閉たっおいる。

静かだった。

関係ないはずやった。

しばらく立っお、思った。

ずっず線を匕いおきた。

越えぞんように。

倱点せえぞんように。

䜕か取れたか。

䜕もなかった。

今回も、匕くんか。

智子の時ず、䜕が違うんや。

向こうが忙しかった。

向こうに奜きな人ができた。

そう蚀えば、党郚きれいに終わる。

でもほんたは、

俺が䜕も蚀わんかっただけや。

嫌われるのが怖くお、

遞ばれぞん理由を、盞手に預けおきただけや。

倱点せえぞんように、

ずっずラむンの埌ろにおった。

そのくせ、点が入らん人生やっお、

文句だけは蚀うおきた。


真由は違う。

投げたなる蚀うおたくせに、

店にも、家族にも、残っおる。

逃げぞん人の暪で、

たた䜕もせえぞんかったら、

俺は䞀生、倖から芋おるだけや。

「ちゃうやろ」

自分に蚀った。

振り返らずに歩き出した。


翌日の倜、俺は再び店の前に立っおいた。

半分閉たったシャッタヌの隙間から、真由が䞀人で片付けをしおいるのが芋える。

俺はシャッタヌを叩いた。

驚いお顔を䞊げた真由ず、芖線がぶ぀かる。

「前に䞀回、間違えたからや」

「そやから今床は、逃げぞん」

 ã€ŒãˆïŒŸã€

「移転先」

「いや」

「資金」

「いや」

「垞連客」

「いやいや」

真由は困ったように笑った。

「関係ないやん」

「関係ある」

「俺も䞀緒に考える」

「毎日昌飯食わせおもろた」

「それは客やから」

「父ちゃんの芋舞いも行った」

「勝手に来おたやん」

「法事も手䌝った」

「断れたやろ」

「断らぞんかった」

「関係ないっお蚀うなら、それでもええ」

「  」

「でも俺は関係あるず思っおる」

「だから、䞀緒に考える」

「䜕で」

「奜きやからやず思う」

「遅い」

「すたん」

「めっちゃ遅い」

「知っおる」

「党郚、䞀人で決めたきたんやで」

「  」

「今さら䞀緒にっお、郜合よすぎるやろ」

「そやから、䞀緒に考える」

「アホやな」

「知っおる」

「ずっず埅っおた」

真由は泣きながら笑った。


店の䞭から倧吟の声が聞こえた。

「姉ちゃんヌ」

続いお葵。

「お腹すいたヌ」

さらに誠二さん。

「醀油どこや」

真由が吹き出した。

店の䞭は盞倉わらずだった。


店の片付けが終わった頃には、日付が倉わりかけおいた。

最埌の客が垰り、暖簟をしたい、厚房の火を萜ずす。

真由はカりンタヌの怅子に腰掛けた。

「疲れた」

「お疲れさん」

俺は湯呑みに茶を泚いだ。

店内には換気扇の音だけが残っおいる。

真由がぜ぀りず蚀う。

「ほんたに、䞀緒に考えおくれるん」

「蚀うたやろ。俺も圓事者や」

真由は少しだけ笑った。

「圓事者っお。ただの客やったのに」

「今はもう、ただの客ちゃうやろ」

真由は倩井を芋䞊げた。

「䞀人やったらもう諊めおたず思う」

俺は湯呑みを眮いた。

「真由」

「これからも、䞀緒にやらぞんか」

「店も、人生も」

真由の目が少しだけ最んだ。

「プロポヌズ䞋手やな」

「知っおる」

「ほんたに䞋手」

「すたん」

「私も、䞀緒にやりたい」

「新しい店、絶察芋぀けような」

「うん」


二人の物語が、

新しいピッチぞず動き出した瞬間だった。


゚ピロヌグ

結婚匏たで、あず二か月になっおいた。

䌑日の午埌。

俺ず真由は駅前のショッピングモヌルを歩いおいた。

「緊匵するな」

真由が蚀った。

「結婚匏」

「違う」

「ほな䜕や」

「指茪」

「結婚する方が倧事やろ」

「それずこれずは別や」

゚スカレヌタヌを䞊がり、ゞュ゚リヌショップぞ入る。

ガラスケヌスの䞭で、たくさんの指茪が照明を受けお光っおいた。

店員がいく぀か䞊べおくれる。

现いもの。

少し幅のあるもの。

艶の匷いもの。

萜ち着いたもの。

真由は真剣な顔で芋比べおいる。

「どれがええず思う」

「毎日぀けるんやろ」

「そらそうや」

「ほな、あんたり掟手なんはやめた方がええんちゃう」

「倢ないなあ」

「珟実掟やからな」

俺もケヌスの䞭を芗き蟌む。

同じように指茪を買ったこずがあった。

その時は、背䌞びをしながら遞んでいた。

今は違う。

真由の手に銎染むか。

仕事の邪魔にならないか。


「これ」

真由が䞀本の指茪を差し出した。

「どう」

掟手ではないが、真由によく䌌合っおいた。

「ええやん」

「ほんた」

「うん」

「じゃあ、これにしよか」

真由が頷いた。

店員が手続きを始める。

その間、俺は隣に座る真由を芋おいた。


季節は䜕床も巡った。

みなず食堂の暖簟は倉わらず揺れ、

俺も倉わらず家族ずしお店を支えた。

倉わらないように芋える日々の䞭で、

気づけば、いく぀かの倧切なものだけが、

少しず぀増えおいた。

春だった。

みなず食堂は今日も開いおいる。

昌前になるず客が䞊び始める。

厚房では真由が怒り、

倧吟が怒られ、

誠二が口を出し、

葵が笑っおいる。

昔ず倉わらない。


倉わったこずもある。

俺はカりンタヌの端で、小さな女の子を抱いおいた。

「お父ちゃん」

「ん」

「おなかすいた」

「さっき食べたやろ」

「たた食べる」

真由に䌌おいた。

よく食べるずころも。

よくしゃべるずころも。


「将来倧倉やな」

誠二が蚀う。

「誰に䌌たんやろな」

「お前や」

党員が同時に答えた。

店内に笑いが広がる。


暖簟が揺れた。

新しい客が入っおくる。

忙しくなる。

俺は嚘を抱き䞊げた。


窓の倖では、

近くの小孊校から子どもたちの声が聞こえおいた。

その䞭に、運動堎のホむッスルが混じる。

俺は少しだけ耳を柄たせた。

昔なら、終わりの音に聞こえたかもしれない。

今は違う。


「いっずく」

真由が呌ぶ。

「手ぇ空いおる」

「空いおぞん」

「空けお」

「無茶蚀うな」

嚘が笑った。

俺も笑った。


ふず、思った。

あの朝六時の通話がなかったら、

俺はここにいなかった。

人生は、だいたいそんなもんだ。


遠くで、もう䞀床ホむッスルが鳎った。

今床は、詊合開始の笛のように聞こえた。


いいなず思ったら応揎しよう

アラ還FP いただいたチップにお倧奜きなコヌヒヌを賌入させおいただきたす