
百年前の知恵が導く人生の道標80
この作品は、古江椢堂著『生命の灸』(1919年刊)から心に響く言葉を選び、現代語に訳してまとめたものである。
百年前に記された教えでありながら、その内容は今を生きる私たちにも驚くほど通じるものがある。私はその普遍的な知恵に深い感銘を受け、あらためて言葉の力を伝えたいと思い、本作をまとめることにした。
人とのつながりが希薄になり、心の拠りどころを見失いがちな現代社会において、昔の賢人の言葉は、静かに寄り添いながら生き方の道標を示してくれる。本作が、読んでくださる方の心に小さな灯りをともす一助となれば幸いである。
第1部 愛と情
1.
愛
目下の者を愛おしむのは美徳であるが、目上の者を大切にするのは更なる美徳である。
子を愛おしむのは犬や猫でもできるが、親を大切にするのは人間でなければできないことだ。
2.
愛の使い分け
若い者には苦労をさせて愛おしみ、
老いた者には楽をさせて愛おしむ。
第2部 心の持ち方
3.
怒り
怒りは多くの場合、他人を損なうよりもむしろ、自己を損なうこと大である。
4.
嘘の中毒
嘘は河豚に似て、毒に当らなければ、これほどうまいものはない。
しかしひとたび毒に当ったが最後、血を吐かねばならぬことになる。
たとえ毒に当らなくても、ビクビクおびえなければならない。
5.
心眼
眼を閉じよ。それでなければ本当には見えない。
欲を捨てよ。そうでなければ本当には儲からない。
6.
逆転
いつの世も、悪賢い奴が馬鹿正直な者をいじめているが、
運命とは皮肉なもので、時としてあべこべに、
正直者に悪賢い奴を征服させることがある。
7.
怒ることなかれ
善人に向かって憤ることは慎まなければならない。
それよりも、悪人に向かって憤ることは、一層慎まなければならない。
8
怒るな
川の上流から主の無い空の筏(いかだ)が流れてきて、それに突き当たって溺れた人は、
「筏が流れてくるのを避けられなかったのは自分の落ち度だった」と思うだろう。
しかし、もしもその筏に人が乗っていたなら、とたんに自分の落ち度を忘れ、憤然と怒ることだろう。
しかし自分の気づきのなさと、避けられなかった事実は変わらない。
人のせいにしない、筏のせいにしない、心の修養が必要である。
9.
心身とも美しく
どうせお洒落をするのであれば、外見だけでなく内面も磨きましょう。
10.
上下
人を押し上げようとする者は、自分も共に押し上げられる。
人を引き下げようとする者は、自分も共に引き下げられる。
11.
自縄自縛(じじょうじばく)
自由とは束縛を受けぬことである。
束縛は往々にして自縄自縛であることが多く、
他人による束縛は、滅多にあるものではない。
12.
堕落
信念を持たぬ生活、散漫な生活、メリハリのない生活を営む人は、退屈、疲労、煩悶、疾病より他に得るところがない。
13.
刹那の充実
過去や将来に安寧(あんねい)の地や穏やかな暮らしを見出すことは容易だ。
しかしそれは意義の無い、臆病かつ不真面目な態度である。
足裏を通して感じられる、人生に刻々と現れる矛盾、不安、不満、不快、暗黒、懐疑、動揺をその刹那(せつな)ごとに次々と踏破(とうは)し、超越し、解決して、より価値の高い生活を増やし、より高い自我を造り上げるのが、人生の勇者たる態度として、真に学ぶべきものである。
14.
同情の強請(きょうせい)
「自分ほど不幸な者はない」などと思っているのは、一種の自惚れだ。
自分を第一の不幸者と思うが故に、誰からも同情を得ようとする。
このような不幸の押し売り、同情の強請は、女郎根性、乞食根性、孤児根性だ。
15.
ぬるま湯
ぬるま湯に入ると、何時間でも浸かっていることはできるが、それでも湯から上がるのは肌寒い心地がするものだ。
その不愉快さといったらない。
遊蕩(ゆうとう)的な生活を脱することができない人は、あたかもそのような不愉快さを感じているからである。
16.
矛盾(眠ろうとして焦る)
眠ろうとしてあせると、なお眠れない。
眠れないのも道理である。
あせるということは活動であり、努力であり、主体的行為であるが、眠るということは休止であり、無為であり、無自覚なものである。
互いに相容れないもの同士を同時に追い求めようとして、無駄に時を過ごしてしまう。
世の中にはこのような馬鹿げた苦労をする人が余りに多い。
17.
明鏡止水
心は明鏡止水の如し、とは剣道の極意であるが、人の世に処すには、すべからく根底にこの心がけが必要である。
ことに臨んで色々なことを考えたり目論むのはかえって邪魔になる。
思い込みを捨て、妄想雑念に捕われず、直感を曇らすことのないよう、
即ち、いわゆる明鏡止水のごとく、心を研ぎ澄ましておくことだ。
そうやって臨機応変にことにあたれば、あたかも影の形に従い、響く声に応じるがごとく、たちどころに最適な方策をわきまえることができるのだ。
第3部 学びと知恵
18.
身体の欠陥
酒や煙草を欲しがるのは、もともと身体に何らかの欠陥があるからだ。
生活習慣などによって身体の何処かに病的な箇所を生じ、その欠陥を満たすために、これらの興奮剤を必要とするのである。
欠陥のあるうちは、酒や煙草を断つことは到底かなわない。
欠陥のある身体にとっては、酒や煙草を断った状態は不自然であり、酒や煙草を飲用している状態が自然なのである。
従って、まず欠陥を癒すことこそが必要である。
欠陥が治癒すれば、禁酒も禁煙も自ずから成る。
食べ物にしても、自ずと身体に良いものを嗜(たしな)まざるを得なくなる。
そうなれば、実に有難いもので、心の欲するままに従っても、健康を損なうことがなくなるのである。
19.
観察
ダイヤモンドでも一定の角度から見たときのみ燦爛(さんらん)たる輝きを放つ。
あらゆる角度に向けて、全て一様に光るわけではないのだ。
人を買いかぶったり、見損なったりするのは、この光と角度の関係を知らないからである。
20.
距離
目で物を見るには、適切な距離を必要とする。
その理由は、物体の影像が眼球に映ったものが曲折回転して網膜に写るだけの距離を中間にも要するからであるが、自分の目そのものにはその距離が無いから、自分の目でその目自体を見ることは出来ない。
このような視学的原理を心理に応用するならば、自己の短所欠点を見出しえないのは、自己には自己を観察するだけの距離がないからである。
距離を得よ。距離を工夫せよ。
21.
経験の真価
経験の真価は、必ずしもその回数によって決まるものではない。
生涯に一度しか経験しないことであっても、人格の根柢を揺るがすような経験であるならば、その真価は計り知れないものだ。
修禅の徒が歳月を重ねて苦心を経て、充分に機が熟した結果悟りに達し、一皮向けて成長する時、その刹那の歓喜は一生涯を支配する。
真に価値ある経験に於いては、むしろ繰り返されないことをその本質とするものである。
22.
散漫の気
携帯電話で話しながらゲームをしたり、新聞を読みながらご飯を食べたり、メールを打ちながら客と応対したりするようなことは、一見、器用な人のすることであるかのようにも見えるが、そのような習慣は、散漫の気を養うものであり、やがて瞳は焦点が定まらなくなり、耳は四方の音を拾いきれなくなる。
23.
趣向
見慣れた風景でも、股の間からさかさまに覗いて見ると、全く違った趣きに見えるものだ。
趣向を凝らせば、物事に飽きることはない。
24.
思想
水道の水は、その水源以上の高さに導くことはできない。
人間の活動も、その根源たる思想以上の高みに至ることはできない。
高い行いを成すには、先ず思想を養い、これを高めねばならない。
25.
自己創造
教育とは何か。最初は模倣することであり、中程に至っては学修することである。
しかし最後に自己創造を行うに至らなかったら、何の役にも立たない。
最初から中程までを遺憾なく修めた卒業証書の所有者が、ややもすると最後の自己創造の部分のみしか持たない無学者に先を越されることがある。
これは自己創造こそ教育の真髄であることを語るものである。
26.
自戒
白いものに墨がついたならば、それは汚れとみなされる。
黒いものに白い粉がついたら、それは汚れとみなされる。
これらの汚れ自体はもともと汚れたものなどではなく、地の色と異なるが故に汚れと認識されているだけである。
指物師は器を造る際に、必ず汚れの色を用いるのだという。
桑色、あるいは弁柄色など…これは皆汚れが目立つのを嫌って、敢えて汚れに近い、くすんだ色味を用いるということなのである。
智者は愚者を装い、識者は寡黙を守ってその識を汚さないように心がけるものである。
27.
樹木の破壊
樹木はあの硬い樹皮によって保護されていながら、しかもその樹皮を破壊しつつ成長を続けて行く。
樹木の破壊のある処に年輪の増加があり、年輪の増加のあるところに樹木の生長があるのである。
人間でも向上し進歩し革新する者には、常にこの樹木の破壊がある。
社会はこれを寛仮せねばならぬ。
28.
夢
おのれの胸の内の秘密に向き合い、無意識のうちに自らを評価して、明文化しえない判断に心をなぞらえるもの、それが夢である。
たとえ夢の内容が現実離れしたものであったとしても、その夢が自分の心身に関係のないものであるということはない。
夢は確かにその人の人となりによって異なるものであり、夢のあらわす品格によって、その人の徳の高さを知ることができる。
起きぬけに昨夜の夢を振り返ることは、おのれを知り、自らを戒めるのに良い修養法である。
29.
静かな光と揺らぐ光
室内ではロウソクのわずか5本の明かりでも、10ポイント程度の活字は読める。
しかし屋外の風にたなびく百本のロウソクの光では、いくら明るくとも、光と影が入り乱れて新聞を読むことができない。
静かな光と揺らぐ光のように、静かな心と千々(ちぢ)に乱れた心はその働きに大変な差があるのである。
30.
人格の力
面と向かった沈黙の中で発するオーラが示す人格に比べれば、筆や舌で語られる力は、はるか遠く及ばないものだ。
31.
有材
無くてはならない人となれ。
32.
守愚
柔術の奥義は、敵の力を利用して敵を倒すことにある。
この奥義を知ったものにかかると才人は才で倒され、智者は智によって倒され、富者は富によって倒される。
だから、才人は才を隠し、智者は智を覆い隠し、富者は富に奢(おご)らない分別が肝心なのだ。
『愚を守る』とは仲々の発想である。
33.
潜伏期間
病原菌には潜伏期間がある。因果の理を悟り得ない者は、潜伏期間中の表面的な健康状態のみを観て、現在を楽観視しているのだ。
34.
割り増し、割り引き
割り増して話すと、人は割り引いて聞く。
割り引いて話すと、人は割り増しして聞く。
35.
節から芽
天理教教祖の「お筆先」か何かに「節から芽が出る」という句がある。
節とは難関のことである。
事業の芽も人格の芽もこの難関から芽生える。
節が大事なのだ。
36.
即離
離れて物を見るということが、自己の思想の基礎を確立するためにも、欲望の紛乱を調節するためにも、実生活の方針を決めるためにも、最も必要なことである。
物に近づき過ぎては公正を失ってしまう。
37.
天秤
天秤の一端に誘惑とその動機があるならば、他方の端にこれより重い動機を加えなければ到底誘惑に勝つことはできない。
天秤の一端に酒や美人があって、この重量が`100 グラムだとするならば、他方の端には、衛生、名誉、子女、家庭、朋友などの、重量51グラムほどのものを二つ加えなければ意思を善道に傾けむることは出来ない。
人の意思は天秤である。常に重い方に傾くのだ。
38.
徳
もしも土が一切の汚物を受け容れなかったとしたら、世界中の汚物はどこへどうなるのだろうか。
土は、不潔を排斥して自分の潔白を保つのではなく、不潔を包容し浄化して、一大生命の産褥(さんじょく)とする。
徳とは、そのようなものではあるまいか。
39.
徳香道光
香木をたくとき、その本当の芳しい気は、煙が未だ立ちのぼらないうちに、ほとばしるものである。
人の心の匂いもまた同様であり、相対してまだ一言も語らず、握手も交わさぬうちに、徳香道光のごとく伝わってくるものがある人は、徳の高い人である。
40.
表裏
人間は誰でも裏表がある。
ただ裏を裏、表を表として用いるならば、誰も怪しまず咎めもしない。
紙幣は、顔のついている表を出しても、横文字の裏を出しても、世間に通用し、市場価値がある。
人間の表裏も同じことであろう。
41.
批評
他人の善良な企てに対し、ひと捻りして皮肉に見ることをやめられない、ある種の傍観者がいる。
他人の企てを批評する権利は、それを企てる人と同等以上の熱意を持った人にのみ許されることだ。
第4部 行いと習慣
42.
健全な精神は健全な肉体に宿る
身体が脆弱であれば、心が身体に従って弱気になり萎縮し、
身体が強健であれば、身体が心に従って大事を成し遂げる。
43.
自愛
真の自愛ということを知れば、あなたは健康であるはずです。
44.
持久
たびたび河岸を変えるようでは、魚は釣れない。
45.
心身一如
読書や研究は、精神のみの滋養ではなく、身体の滋養ともならねばならない。
勉強すればするほど身体が衰弱し、読書すればするほど顔面が蒼白になるようでは、どこかに間違ったところがあると言えよう。
要は、心身を一つにして書を読む呼吸を知らないためである。
46.
全身全霊
暗闇で脱いだ下駄を、暗闇で履くことができないのは、下駄を脱ぐことに全身全霊をかけていないからだ。
40や50になっても下駄一つ満足に揃えることができない人は多い。
未だかつて下駄を脱ぎ揃えることに心を配ったことがない人である。
47.
履物と泥棒
泥棒が一番に目安にするのは履物だそうだ。
履物が乱雑な家ならば、泥棒はきっと成功するそうだ。
48.
飯加減
修養とは手短に説明するならば、三杯食べたい飯を二杯半で済ませておくことだ。
二杯の飯では飽き足らず、三杯では後で食べすぎを後悔する。
二杯半にとどめておくことがなかなか難しい。
しかしてそこに修養の味わいがある。
飯の加減を誤らないようになれば、人間的にもある程度までの修養ができたというものである。
49.
錬鉄
鍛冶(かじ)が鉄を鍛えて錬鉄(れんてつ)とする。
その最も精錬されたものは、実に純金の50倍の価値を有すると聞く。
第5部 人間関係と社会
50.
与える
道徳のはじまりは「互助」にある。
その過程は「まず与えて、後に与えられる」でなければならない。
しかし究極の道徳は、単に「与える」ものでなければならない。
51.
犠牲
人を犠牲にしたがる者の前には、人の犠牲になりたがらぬ者が集う。
52.
小さな人間
自らすすんで世の中に奉仕しないような人は、小さな人間である。
53.
黄金神崇拝
「地獄の沙汰も金次第」というのは、今日に始まったことではないが、最近その傾向は加速度的に進んでいるようである。
今や金の威力は万能である。
男子の権威も女子の貞操も、多くは金の力に支配される。
特に僅かな努力もしないで成功を求め、何ら内面的な価値のない名誉を欲する人々は、まず金の力に頼るほかはない。
ふるうべき一本の筆もなければ、まわすべき三寸の舌もなく、もちいるべき経綸の才も無く、擁護すべき一片の真心も無い、世にはびこる人々は、お金の神様の前にひざまずき、自己の節操を売るに至るのである。
54.
出過ぎ
あの孤児が長々しい同情の強請(きょうせい)文句を声高に暗誦(あんしょう)しなかったら、白銅の一枚ももらえたであろうものを。
あの原案提出者の長々しい演説さえなければ、あの案も無事に可決されただろうに。
55.
肩空
維神道話 の一説に曰く、「大木をかついで運ぶのに50人であたるのであれば、ひとたびかつぎ上げた以上、50人全員が誰彼問わず、怠けることなく力を発揮しなければならない。
もしもそのうちの一人でも横着者がいて、かついでいるように見せかけて肩を軽くするようなことがあると、たちまちその相棒は腰が曲がり、足がねじれる。
一人がくずれれば、その又隣の者にも影響がでる。
そのようにして段々全体に影響が及んだあげく、しまいには大木は座り込んで動かなくなり、ここにいたっては、総勢50人が難儀(なんぎ)することになる。」とある。
全くその通りだ。
共同事業や社会事業などで成果の挙がらないものがあるのは、この「肩空」を決め込む輩が多いからである。
56.
経済的と道徳的
経済的観念で物を粗末にさせないとともに、道徳的観念で物を大切にさせる教育が必要である。
57.
回虫退治
肛門から回虫が出てくるときに、たらいにお湯を満たし、お尻をまくってこれに浸していると、回虫はぬるま湯を肛門の外だとは思いもせず、大腸の海のようなものと勘違いしてゾロゾロ這い出してくる。
これが回虫退治の秘伝だということだ。
部下の中の悪党や獅子身中の虫を退治するには、この秘伝を応用するとよい。
58.
使用人の心得
人に使われる者の心得は、使う人の要求を先に考え、自分の要求を後に考えることである。
それが順序というものだからだ。
59.
公益私益
『先ず私益を収めて後に公益を図ろう』などと言う人がいる。
我々は正直に努力さえすれば、炭屋が炭を売り、豆腐屋が豆腐を作るのがすなわち私益になり公益になるのである。
公益に一致しない私益というのは、必ず不正事業の利得である。
まず私益を収めて大富豪になり、しかる後に寄付をして慈善家になろうなどと思うのは、軍需品の缶詰に石ころを入れて大儲けし、しかる後に国家に大金を寄付して男爵になろうというようなものだ。
60.
人心掌握
民衆の力をあわせた力より大いなる力は無く、人の智恵を用いるより大いなる智恵は無い。
民衆の力を束ね、その智恵を用いんとするならば、先ずその人心を掌握しなければならない。
61.
人格の表現
事業とは、それを成す人格の表現であるがゆえに、尊いものである。
事業そのものもまた、人格に及ぼす影響あればこそ、尊いといえる。
事業の為に人格を傷つけるようでは、事業として何ら尊いところはない。
人を措いて事業なく、人の上に事業なし。
62.
失業者
失業者というものは身勝手に自己の要求ばかりを考えて、自分を使う人の要求を考えない人である。
63.
奢侈・贅沢
奢侈(しゃし)や贅沢ということは、或る意味において、社会一般人の共通する幸福快楽の類を、過分に横領しなくては出来ないものであるのだから、決して他人に喜ばれるはずがない。
64.
職業と矛盾
あまり自分の職業の繁盛にかたよって考えると、仏が鬼になる。
それは、僧侶が葬式が多くなることを望み、医者が患者の多くなることを望むようなことだ。
医者の理想はこの世の中から病人が段々少なくなっていき、しまいには医者では食べていけないようになればよいのである。
軍隊の理想は平和の担保にある。
したがって軍人は、結局自分達が飯の食えないような時勢にすることを天職とせねばならない。
ところが、軍人は平和が訪れることを悪夢として夢見るし、医者には流行性疾患がはやる年を歓迎する者が多い。
矛盾といえばこれほどの矛盾はない。
偽善といえばこれほどの偽善はない。
65.
性教育
心が厳粛であるならば、恋いを語り、欲を語ることに、なんら後ろめたいことはないはずだ。
この先母親というものは、娘にも息子にも、男女の関係などについて注意すべきことは、よく噛み砕いて教えるようにし、納得させねばならない。
我が子にそれを説くだけの心がけ、勇気のない母親であったら、それは仮面を被った親でしかないと言える。
子供は、教育を受けた男女である。
人情と理智とを噛み砕いて話すのであれば、理解できぬはずがない。
過ちや罪があるならば、泣き出すこともあるだろう。
そこまで徹底した教育をしないでいて、果たして親の役目など務まるだろうか。
66.
売買
物を買うのに、選びとって貶めては、値切る客がいる。
物を売るのに、だまして誉上げては、高値をふっかける商人がいる。
67.
不平と屈従
絶対に辞職すると言う。
先輩は『何処へ行っても同じことだから辛抱したまえ』と言う。
不平と屈従とが役所にも会社にも工場にも充満している。
使う人も使われる人も仕事を売買しているからだ。
68.
水と油
立派な人は水の如く、心の小さな人は油の如きもの。
水は沸騰すれば油を取り込むが、油を沸騰させるとますます水を弾くのみ。
君子はその意志を以って小人を許容するが、
小人が意志を貫けば、君子に反発してこれを受け容れない。
攻撃をやめず、排斥して相手を圧迫しようとする。
69.
処世術の秘訣
孫子の兵法に、「戦いの巧み」と言われた人は、普通の人には見分けのつかない勝機を捉えて勝ったものであるから、本当に戦いに巧みな人が勝った場合は、智謀に優れた名誉もなければ、武勇に優れた手柄もないのである。
これは処世術の秘訣でもあるとは言えまいか。
70.
無価値
およそ無価値な者、自分の価値をどうしても高めることのできないほど無価値な者は、他人の価値を傷つけ貶めることによって、相対的に自己の価値が向上したと錯覚する以外に道が無い。
劣等生は優等生の失敗を観て手をたたき、貧民は富豪の倒産を観て己の貧しさを忘れ、悪人は善人の秘密を探り当てて喝采し、容姿に恵まれぬ者は、美しい者の薄命を見て内心ほくそ笑む。
皆、自己の悲哀の軽減をはかるために、羨望の対象である他人を貶(おとし)めんとするのである。
71.
友人
眼が自分の眼を見るには、曇りなき鏡を要する。
心が自分の心を知るには、正直な親友を要する。
72.
友情
来られるのが迷惑だと感ずるようなときでも、
友人に訪ねて来られるのであれば嬉しいものだ。
病気のときとか、夜遅くとか、貧乏しているときとか…
第6部 人生の道
73.
因果
あばずれ娘が遊びで男と寝て妊娠した。
原因は遊びでも、結果は真剣に子を産まなければならない。
因果の法則は,原因の如何に関わらず、結果は責任を問われるもの」である。
74.
運命
成功者は運命を自分の力として解釈し、失敗者は運命の力として自己を弁護する者が多い。
75.
人生と清書
人生とは、書き損じが許されない清書のようなものである。
今日は下書きで、明日清書すればよい、というものではない。
日々の筆跡は書き直しがきかず、永遠に刻まれていく。
今日の生活を再び生き直すことはできないのだ。
人生は常に清書と心得て、日々を如何に立派に書き上げるか、即ち、毎日の生活を如何に充実したものとするか。
これこそ人生の使命なのである。
须知人生时常于誊清中知晓如何出色地写下每日之事,也就是说,如何充实每天的生活,这,才是人生的使命。
76.
人生
人生は坂道だ。
上らなければ必ず下る。
人生は自転車だ。
立ち止まればすぐに倒れる。
77.
罪
罪の最大なるものは、人の精神を殺すことだ。
78.
人間らしい旅
人生の長い旅路は、無自覚の幸福から、自覚した不幸へと追いやられていくものであり、決して容易なものではない。
むしろ一種の難行苦行の如きものだ。
その旅路を行く以外に、人間として行くべき道が無いことを思えば、その苦しみが強いほど、その悶えが大きければ大きいほど、それは人間らしい旅をしているということになる。
79 .
避妊
生殖とは残酷な義務だ。
そこで神様はその代わりに恋愛という褒美を与えておかれた。
すると科学という文明を発明した西洋人達は、その残酷な義務だけをごめんこうむって、ご褒美の恋愛だけを頂戴しようとした。
これが現在流行している避妊である。
80. 游於藝(芸に遊ぶ)
究極の仕事とは、遊びのようなものである。
遊ぶように働かなければ無駄だ。
古人の言う「芸に遊ぶ」とは、まさにこのことだ。
学芸や職業に追い回されて働いているようでは、人生の真の醍醐味に触れたとは言えない。
後書き
『生命の灸』と出会ったのは二〇〇九年の夏、古書店で偶然手に取ったことがきっかけだった。
最初は好奇心だったが、読み進めるうちに、百年前の言葉が驚くほど現代へ響いてくることに気づかされた。時代が移っても、人の悩みや弱さ、そして願いは変わらないのだと痛感した。
経済の停滞や社会不安が続き、人間性が揺らぐ出来事が相次ぐ今、古江椢堂の言葉は静かに心へ寄り添い、失われがちな温かさを思い出させてくれる。
この本が誰かの心を支える小さな灯りになるかもしれない――そう思い、本作としてまとめる決心をした。
本作が読んでくださる方にとっての「命の灸」となり、日々を歩む力の一助となれば幸いである。