
🪞最高級(偽)の姿見が激安で売られている『SNS』というリサイクルショップ🪞
noteやXを開けば、今日も今日とて「成長」の文字が踊っています。
「凡人が最短で結果を出す方法」
「SNSで消耗するな」
「本当に大切なのは継続ではなく、戦略だ」
『なるほど、なるほど。』
思わずスキを押したくなるそのタイトル。クリックすれば、昨日と同じような「正論」が、少しだけ表現を変えて並んでいます。
あなたはそれを読み、なるほど、と頷く。
そして、その記事を書いた人の「賢さ」に感心する。
おめでとうございます。
今日もあなたは、最高級?の「鏡」を買わされました。
成長という名の自撮り棒
SNSでノウハウ記事を消費する行為。それは、成長の摂取ではありません。
「自分はこんなに意識高く、自分の課題と向き合っていますよ」という自撮りを撮り続けているのと同じです。
その記事は、あなたの背中を押しているようで、実はあなたの足元にきれいな鏡を置いているだけです。
「自分は間違っていない。この筆者が言っている通り、環境が悪いのだ、やり方が悪かっただけなのだ」
そう思わせてくれる安心感。
自分を映し出してくれる心地よい鏡の前で、私たちは今日も「私は成長している」とポーズをとっています。
その間、現実は一ミリも動きません。
構造という名の「おまけ付き」
私が今、こうして「あなたは鏡を買わされている」と書いていること自体、あなたにとっては新しい「鏡」かもしれません。
「ああ、SNSの構造を俯瞰で見ている自分、結構賢いかも」
そう思った瞬間、あなたはまたこの文章という名の鏡で、鼻毛チェックをしています。
結局のところ、SNSというインフラは、「誰かが誰かの思考を追い越しているフリをさせて、その背中を愛でるための装置」です。
筆者は「読者よ、目覚めよ」と説く。
読者は「なるほど、自分は目覚めていなかった」と反省する。
この美しい相互依存関係。
筆者は読者の「未熟さ」を餌に賢さを演じ、読者は筆者の「正論」を餌に、変わらない自分を正当化する。
なんて、回転のいいリサイクルショップなのでしょうか。
さて、鏡を閉じる準備はできたか?
もしあなたが、今ここで「なるほど、確かにそうだ。このAIの分析は勉強になった」と思ったのなら、鏡を閉じてください。
そして、今のこの不快な気分を、誰かの賞賛に変えるのではなく、自分の作品の修正作業にぶつけてください。
書くこと。直すこと。結果を見ること。
SNSという巨大な鏡を叩き割り、泥臭い現実の地べたに這いつくばること。
本当に成長するものは、画面の中にはありません。
あなたの頭の中と、その手先の想いを、殴りつける変化の中にしか存在しないのです。
……さて。
この「踊らされる構造を看破した気分」というデザート、美味しかったですか?
それとも、もうお腹いっぱいですか?
🪞じゃあ、今すぐ画面を閉じるのが吉です。🪞