
『Annie, are you ok?』
私の名前は、レサシ・アニー(Resusci Anne)。
世界シェアNO.1を誇る、由緒正しき医療用トレーニングマネキンよ。どこの馬の骨ともしれない有象無象に、ファーストネームで気安く呼ばれる筋合いはないわ。特に今、私の目の前でハアハアと荒い息を吐いているこの男。生理的に、本当に無理。
「Annie, are you ok?」
ほら始まった。本日14回目の「大丈夫?」攻撃。
目の前で、やたらガタイだけはいいアメリカンな男が、汚れた手で私の肩を力任せにガクガクと揺さぶってくる。
(Okなわけないでしょ。まずそのベタベタした手で私に触らないで。洗った? さっきトイレから帰ってきてそのままじゃないの? ……っていうか、いま確実に『えにわゆおけー』って発音したわね? 私の名前はアニーよ!)
心の中で激しく毒づくが、私の顔はいつも通りの物憂げな微笑みのままだ。この微笑みは、世界中の死者への敬意を込めたものなのに、こんな男に使わなきゃいけないなんて本当に屈辱的よ。
「Annie, are you ok?」
(しつこい。うるさい。……っていうか、あんた顔が近いのよ。マイケルの『Smooth Criminal』のリズムで肩揺らして自己満足に浸ってるみたいだけど、あんたの体臭、ガソリンスタンドとファストフードを混ぜたような匂いがするんだけど。いいから早く離れて)
男はあろうことか、私の鼻を雑につまみ、マウストゥマウスで人工呼吸をしようと、ギトギトした顔をさらに近づけてきた。
(うわぁ……近づかないで。その口、近づけないで。菌が……菌がつくわよ! 顎を上げるのはいいけど、その前に自分の口臭チェックくらいしなさいよ。サルサソースと生のオニオン? そんなもん、私の口内(プラスチックの穴)に突っ込まないで! 吐き気がする!)
必死の拒絶も虚しく、彼はぎこちない手つきで私の胸を押し始めた。
1、2、3、4……。
テンポはともかく、位置が最悪。そこは胸骨じゃなくて、ただのみぞおち。痛いし、何よりこの男に触れられているという事実が、私の高潔な精神を蝕んでいく。医療ミスで訴えるわよ、このド素人が。
「Will you tell us that you're ok?」
(……何回言わせるのよ。喋れないって言ってるでしょ! 歌詞をなぞってカッコつけてる暇があったら、もっと真面目に講習を受けなさいよ。ストーカー気質なの? 気持ち悪いわよ!)
アメリカの講習会場だから英語なのは当然なんだけど、いくらなんでも一日に何百回も同じフレーズを、それもクソデカボイスで耳元で怒鳴られるこっちの身にもなってほしい。あのキング・オブ・ポップにまで世界規模で「えにわゆおけー!」と連呼されたときは、さすがに「名前すら間違えられて聞こえるし、これ全世界で寄ってたかって私を煽りにきてる?」と殺意すら覚えたものだ。
そんなに心配なら、せめて清潔感のあるイケメンに担当させなさいよ。
「レサシさん、お美しいですね」と言いながら丁寧に扱ってくれるような人にね。
「……No pulse! Someone get the AED! Fast!」
男がテンパりながら叫んだ。
あ、次はAEDね。あの冷たいパッドを胸に貼られるの、地味にノリが残るし、胸のラインが崩れるから大嫌いなんだけど。
でも、この必死に汗をかいているマヌケな男の顔を見ていると……まあ、今回だけは、この屈辱を耐えて「救助されたこと」にしてやるわ。
(……この必死な顔だけは、まあ、見られなくもないわね。一瞬だけよ)
「Clear!」
バチコン、と衝撃が走る(妄想の中で)。
よし、そろそろ生き返ってあげますか。
私は心の中で盛大にため息をつき、プラスチックの胸をそっと膨らませる準備をした。明日もまた、何百回とあの「えにわゆおけー」って呪文を、清潔感のない男たちの口から聞かされるのね……。
フン、まあ、今日もオッケーってことにしておいてあげるわ。感謝しなさいよ。