メインコンテンツへスキップ
見出し画像

海は、本当に青くなくちゃいけないのかな。

    「海を緑に塗ったら、違うと言われた」

    空波さんの企画で指定された記事、

    「夏の1コマ|海を緑に塗った子と、締切を破った私」

    を読んでいて、この男の子の話に、私はある日のことを思い出しました。

    三男が幼稚園に通っていた頃のことです。

    幼稚園でザリガニ釣りをしたあと、その日のことを絵に描いたことがありました。

    大きな画用紙に描かれていたのは、小さなザリガニが一匹。

    私はその絵を見て、どうしてこんなに小さく、一匹だけ描いたのだろうと思いました。

    すると三男は、

    「釣れたザリガニの大きさだから」

    そして、

    「一匹しか釣れなかったから」

    と答えました。

    私は思わず笑ってしまいました。

    すっごくリアル。

    でも今思えば、三男は何もおかしなことをしていなかったのです。

    見たものを、見たまま描いただけ。

    一匹しか釣れなかったから、一匹。

    小さかったから、小さく。

    そこには「画用紙が大きいから、もっと大きく描いたほうがいい」とか、「ザリガニを何匹か描いたほうが絵らしくなる」といった考えはありません。

    自分が見た世界を、自分が見た通りに描いていた。

    この記事に出てくる男の子も、きっと同じだったのでしょう。

    海が緑に見えたから、緑に塗った。

    ただ、それだけ。


    海は青いと、いつ覚えたんだろう

    海の色は?と聞かれたら、多くの人が「青」と答えると思います。

    私もそうです。

    でも、本当の海はいつも青いわけではありません。

    晴れた日と曇った日。

    朝と夕方。

    季節や場所によっても、その色は変わります。

    緑がかって見える日だってあるでしょう。

    それなのに、いつの間にか私たちは、

    海は青。

    太陽は赤や黄色。

    葉っぱは緑。

    そんなふうに「正しい色」を覚えていきます。

    もちろん、それが悪いわけではありません。

    たくさんのことを知り、覚えていくことも、大人になるということなのでしょう。

    でもその途中で、

    「私にはこう見えた」

    という感覚を、どこかへ置いてきてしまうことがあるのかもしれません。

    三男のザリガニの絵を見たとき、私は大人の目で画用紙を見ていました。

    大きな画用紙なのだから、もっと大きく描くものだと思っていた。

    でも三男が見ていたのは、画用紙ではありませんでした。

    あの日、自分が釣った一匹のザリガニだったのです。


    もうひとつ、思い出したこと

    そしてこの記事を読みながら、もうひとつ、ずっと昔の記憶が浮かびました。

    私自身が小学生だった頃のことです。

    卒業文集に、私はこんな意味のことを書いていました。

    人生は、真っ白な大きなキャンバスに色を重ねていくようなもの。

    大人になってから、すっかり忘れていた言葉です。

    今振り返ると、小学生の私がどうしてそんなことを書いたのか、不思議な気もします。

    あの頃の私は、これから自分の人生にどんな色が重なっていくのか、もちろん知りませんでした。

    楽しい色だけではなかったと思います。

    思い通りにならないこともあったし、できれば消してしまいたいと思った色もあったかもしれません。

    それでも今、あの頃の自分の言葉を思い出すと、少し違って見えます。

    人生のキャンバスには、きれいな色だけを塗らなくてもいいのかもしれない。

    明るい色も、暗い色も。

    少し濁った色も。

    自分でも「これは何色なんだろう」と名前をつけられない色も。

    そのとき本当に感じた色なら、それも私の人生の一部なのだと思います。


    大人になると「正しい色」を探してしまう

    私はnoteで文章を書いています。

    書くことが好きなのに、ときどき言葉が出てこなくなることがあります。

    「これで伝わるかな」

    「こんなことを書いていいのかな」

    「もっときれいにまとめたほうがいいかな」

    そんなことを考え始めると、真っ白な画面の前で手が止まります。

    今回の記事に登場する大人も、書けない文章から逃げるように公園へやってきます。

    その姿が、なんだか他人事に思えませんでした。

    もしかしたら、文章も絵と同じなのかもしれません。

    「海は青く書かなければ」と思った瞬間、本当に自分が見た海から離れていく。

    誰かにとっての正解ではなく、

    私は何を見たのか。

    私はどう感じたのか。

    そこから書けばいい。

    三男が小さなザリガニを一匹だけ描いたように。

    男の子が海を緑に塗ったように。


    この先にある「色」は、自分で確かめてほしい

    この記事には有料パートがあります。

    ここから先のことは書きません。

    ただ、無料部分を読み終えたとき、私はとても気になりました。

    海を緑に塗った男の子は、このあとどうなるのだろう。

    締切を過ぎようとしている大人は、書けなかった文章をどうするのだろう。

    そして、偶然同じベンチに座った二人は、お互いに何を残すのだろう。

    読み終えてからタイトルをもう一度見ると、

    「海を緑に塗った子」と「締切を破った私」

    この二つが並んでいることが、最初とは少し違って見えました。

    その理由は、ぜひ記事の中で確かめてほしいと思います。


    まだ塗っていない場所がある

    小学生の私が思い描いていた、大きな真っ白なキャンバス。

    あれからずいぶん時間が経ちました。

    キャンバスには、いろいろな色が重なりました。

    思っていた色にならなかった場所もあります。

    塗り直したところも、きっとあります。

    でも、まだ白いところも残っています。

    これからそこに、どんな色が重なっていくのでしょう。

    今の私にはわかりません。

    そして、わからなくてもいいのだと思います。

    そのとき見えた色を、そのときの私が選べばいい。

    海が緑に見えたなら、緑に。

    ザリガニが一匹だったなら、一匹だけ。

    人生も文章も、誰かが決めた「正しい色」で埋めなくてもいいのかもしれません。

    そう考えたら、まだ色のついていないキャンバスが、少し楽しみに見えてきました。

    さて。

    これからの私は、どんな色を重ねていくのでしょう。

    それは、その景色を実際に見たときに決めようと思います。

    Yufu


    この記事は、空波さんの企画に参加して書きました。

    ひとつの記事を読んで、そこから自分の記憶や経験、感じたことを綴る「ちょっとオトナの読書感想文」。

    今回、この企画がなければ、三男が描いた小さなザリガニのことも、小学生の私が卒業文集に書いた「真っ白なキャンバス」のことも、思い出さなかったかもしれません。

    素敵なきっかけをくださった空波さん、ありがとうございました。

    🌿 空波さんの企画記事

    📖 今回読ませていただいた指定記事


     
     
     
    営業事務として働きながら、 50歳を前に人生を書き始めました。 いじめ、DV、離婚を越えて今ここに生きています。 朝の緑茶とお香、鳥のさえずり、朝日と花が好き。 誰かの生きる力になれたら。

    あなたへのおすすめ