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あの日の短冊が、今も私を支えている

    今年も七夕が近づいてきました。

    先日、実家へ立ち寄ると、母は今年も色とりどりの七夕飾りを作り、玄関前の笹に一つひとつ丁寧に飾っていました。

    風に揺れる短冊の中で、私の目に留まったのは、母が書いた「みんな仲良く」という願いごとでした。

    母らしい、やさしい言葉です。

    その短冊を眺めているうちに、私の心には一枚の小さな短冊が浮かびました。

    それは、次男が四歳の七夕に書いた、忘れられない願いごとです。

    * * *

    次男が幼稚園へ通っていた頃。

    園には大きな七夕飾りがあり、園児たちや先生方の願い事が、色とりどりの短冊に書かれて飾られていました。

    まだ文字が書けない子どもたちは、先生が一人ひとりに願い事を聞き、代わりに書いてくださっていたそうです。

    「仮面ライダーになりたい」

    「野球選手になりたい」

    「焼肉食べ放題」

    子どもらしい願い事が並び、見ているだけで自然と笑顔になります。

    そういえば、入園した年の次男の願い事は「メロンをいっぱい食べたい」でした。

    今年は何を書いたのだろう。

    そんなふうにワクワクしながら我が子の名前を探していると、担任の先生が私に声をかけてくださいました。

    「お母さん、きっとびっくりしますよ。」

    先生は少し笑いながら、次男の短冊を指さしました。

    そこに書かれていたのは、

    「世界平和(せかいへいわ)」

    という四文字でした。

    思わず「えっ?」と声が出ました。

    四歳の子どもが、こんな壮大な願い事をするなんて。

    先生も驚いて、「どうして世界平和なの?」と尋ねたそうです。

    すると次男は、何の迷いもなくこう答えました。

    「みんながしあわせだと、僕もしあわせだから。」

    その言葉を聞いた先生は、思わず涙がこぼれたと話してくださいました。

    その話を聞いた私は、先生以上に泣いてしまいました。

    * * *

    あの頃のわが家は、慌ただしい毎日でした。

    次男が幼稚園へ入園する前の月に三男が生まれ、その数日後には祖母が亡くなりました。

    新しい命を迎えた喜びと、大切な人との別れ。

    その二つが一度に訪れ、心が追いつかないまま毎日を過ごしていました。

    三男は十五分おきに目を覚ます赤ちゃんで、私はほとんど眠ることができませんでした。

    昼も夜も抱っこをして、ようやく寝かしつけたと思ったら、また泣き声が聞こえてくる。

    気がつけば朝になっていることも珍しくありませんでした。

    幼稚園の送り迎えは、しばらく実家の母にお願いしていました。

    春になっても外へ出る余裕はなく、その年は桜を見ることさえありませんでした。

    そんなある日です。

    幼稚園から帰ってきた次男が、小さな両手をぎゅっと閉じたまま玄関へ入ってきました。

    「ママ、プレゼント。」

    そう言うと、私の目の前で両手を大きく開いたのです。

    その瞬間、私の目の前に小さな桜吹雪が舞いました。

    幼稚園からの帰り道、一枚一枚拾い集めてくれた桜の花びらでした。

    外へ出られず、春を感じることもできなかった私に、次男は春を届けてくれたのです。

    気づけば、涙があふれていました。

    あの日、目の前を舞った桜吹雪も、その向こうで満面の笑みを浮かべる次男の顔も、私はきっと一生忘れません。

    今振り返ると、あの子は幼い頃から、人の笑顔を自分の喜びにできる子だったのだと思います。

    * * *

    あれから長い年月が流れました。

    次男は大学進学を機に家を離れ、今では年に二回ほどしか帰ってきません。

    七夕が近づくたびに、私はあの短冊を思い出します。

    「世界平和」と願った四歳のあの子。

    桜を見ることもできなかった私に、小さな春を届けてくれたあの子。

    幼い頃に見せてくれた優しさは、大人になった今も変わらず、私はその姿に安心しています。

    けれど、大学進学で家を離れる日を迎えたときの私は、不安でいっぱいでした。

    ちゃんと食事はしているだろうか。

    体調を崩していないだろうか。

    困ったことがあっても、一人で抱え込んでしまわないだろうか。

    親になれば、子どもがいくつになっても心配は尽きないものなのかもしれません。

    そんな私に、一人の友人が静かに言ってくれました。

    「心配するより、信用しよう。」

    その一言に、私ははっとしました。

    そうだ。

    あの子は四歳の頃、「みんながしあわせだと、僕もしあわせだから」と願った子。

    誰かを笑顔にしたくて、桜の花びらを大切に抱えて帰ってきてくれた子。

    たくさんの人との出会いの中で、人を思いやる心を育み、自分の足で歩いてきた子です。

    私は、その子を信じればいい。

    そう思えた瞬間、不思議と心が少し軽くなりました。

    もちろん今でも心配になる日はあります。

    体調を崩していないだろうか。

    ちゃんと食べているだろうか。

    そんなことを思う日は、これからもきっとあるでしょう。

    でも、そのたびに友人の言葉を思い出します。

    「心配するより、信用しよう。」

    心配しないことが、信用することではありません。

    心配する気持ちは、そのままでいい。

    そのうえで、この子が歩んできた時間を信じること。

    それが、親としての「信用する」ということなのかもしれません。

    七夕の物語には、一年に一度だけ会える織姫と彦星が登場します。

    離れて暮らす今の私たちも、どこか少し似ています。

    会える日を楽しみに待ちながら、お互いの毎日を願うことしかできないけれど、それでいい。

    もし今、次男に七夕の願い事を聞いたら、どんな答えが返ってくるのでしょう。

    その答えは、聞かなくてもいいのかもしれません。

    あの日、「世界平和」と願った四歳のあの子は、人を思いやる優しい青年へと成長しました。

    私は、その歩みを信じています。

    心配するより、信用する。

    友人が贈ってくれたあの言葉を胸に、今年も私は夜空を見上げます。

    そして、あの日の短冊は、これからもきっと私の心をそっと支え続けてくれるのだと思います。

     
     
     
    営業事務として働きながら、 50歳を前に人生を書き始めました。 いじめ、DV、離婚を越えて今ここに生きています。 朝の緑茶とお香、鳥のさえずり、朝日と花が好き。 誰かの生きる力になれたら。

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