
【実話】「じぃ、死んじゃだめだよ」その一言が父を救った
※この記事には、うつ病や希死念慮についての実体験が含まれています。
今、心が疲れている方は、どうか無理のないタイミングでお読みください。
この記事を投稿する今日は、9月9日。長寿を願う「重陽の節句」だそうです。そんな日に、「生きていてくれて、ありがとう。」という父への物語を届けられることに、私は小さなご縁を感じています。
父は今、70歳を過ぎても元気に働いています。
今年の父の日。
私の家族、妹の家族、弟の家族。
総勢15人が集まりました。
孫たちの笑い声が響く中、父は少し照れくさそうに笑っていました。
そんな父の姿を見るたびに、私は思うのです。
「あの日、帰ってきてくれて本当によかった。」
今日は、父がうつ病になり、私たち家族が一緒に長い冬を越えた頃のお話を書こうと思います。
1.父は、とても真面目な人でした
私の父は、口数の多い人ではありません。
どちらかというと、おとなしくて、不器用で、自分のことをあまり話さない人です。
でも、人に頼まれたことはなかなか断れない。
困っている人を見ると放っておけない。
そんな優しい人でした。
朝は誰よりも早く起き、職場にはいつも一番に出勤する。
仕事を任されれば、最後まで責任を持ってやり遂げる。
若い人が困っていれば、一生懸命に仕事を教える。
父にとって、働くことは単に生活のためだけではなかったのかもしれません。
誰かの役に立つこと。
必要とされること。
自分に与えられた仕事をきちんと果たすこと。
そういうことを、とても大切にしていた人だったように思います。
私はそんな父を、子どもの頃から尊敬していました。
だからこそ、あんな日が来るなんて、想像もしていませんでした。
2.「何もできなくて、ごめん」
以前の記事にも書きましたが、高校卒業を控えた私は、父が勤めていた会社を受験する予定でした。
その会社に入ることを目標に、勉強も資格取得も頑張っていました。
ところが、校内の推薦選考もすべて終わったあと、企業側の手違いで求人そのものが取り消されてしまったのです。
私は受験することすらできなくなりました。
就職氷河期だった当時、新しい求人が簡単に見つかるような状況ではありませんでした。
これから歩いていくはずだった道が、突然なくなったような気がしました。
そんな私に、父がぽつりと言ったことがあります。
「何もできなくて、ごめん。」
私は驚きました。
「お父さんは何も悪くないよ。」
すぐにそう答えました。
私は知っていたからです。
父が会社の関係者に、
「どうにかならないのか。」
と何度も相談し、私のために必死に動いてくれていたことを。
父には何の責任もありません。
それなのに、父は自分を責めていました。
傷ついている娘を目の前にして、何もしてやれない。
そんなふうに思っていたのでしょうか。
今振り返ると、あの
「何もできなくて、ごめん。」
という言葉は、父の心から出ていた小さなSOSだったのかもしれません。
でも、当時の私は気づくことができませんでした。
私自身も、自分のこれからを考えることで精いっぱいだったのです。
その後、ありがたいご縁があり、私は別の会社への就職が決まりました。
少しずつ人生は動き始めました。
そして私は20歳で結婚し、長男を出産しました。
私の人生が新しい方向へ進み始めた頃。
父の時間は、少しずつ止まり始めていたのです。
3.「頑張って」が言えない病気
私が結婚して二、三年が過ぎた頃でした。
ある日、母から相談を受けました。
「最近、お父さんが朝起きられない日があるの。」
私は少し不思議に思いました。
父は昔から早起きでした。
仕事の日は誰よりも早く準備をし、職場にも一番に着くような人でした。
だから最初は、
「仕事で疲れているんじゃない?」
そんなふうに家族みんなが考えていました。
ところが、その状態は少しずつ悪くなっていきました。
二日休んで、一日だけ出勤する。
また数日休む。
そのうち、一週間仕事へ行けないことも出てきました。
ちょうどその頃、父は職場で責任のある立場を任されようとしていました。
仕事熱心で、若い人にも丁寧に仕事を教える父。
そうした姿勢を会社の方々も認めてくださっていたのだと思います。
けれど、普段からおとなしい父にとって、人の上に立ち、人を動かしていく立場は、想像以上に大きな負担だったのかもしれません。
病院を受診しました。
診断された病名は、
「うつ病」
でした。
会社は療養休暇を勧めてくださり、父はしばらく仕事を休むことになりました。
薬を飲むようになると、父はぼんやりしていることが増えました。
テレビはついているのに、ただ画面を見つめている。
話しかけても、
「うん。」
「そうか。」
返ってくるのは短い言葉だけ。
家の中から、少しずつ笑い声が消えていきました。
母は心配していたと思います。
でも、父の前ではできるだけ普通に振る舞っていました。
私も何気ない話をしてみたり、子どもの話をしたりしました。
けれど、本当は家族みんなが戸惑っていました。
どう接したらいいのだろう。
何を言えばいいのだろう。
以前のように、
「頑張って。」
とは言えません。
もう十分すぎるほど頑張ってきた人に、それ以上何を頑張れと言えばいいのでしょう。
何かしてあげたいのに、何をすればいいのかわからない。
父が苦しんでいるのに、その苦しみを代わってあげることもできない。
家族にとっても、長いトンネルに入ったような日々でした。
4.父が帰ってこなかった日
そんなある日のことです。
父が、
「少しドライブしてくる。」
そう言って家を出ました。
いつもと変わらない口調だったそうです。
だから最初は、誰もそれほど心配していませんでした。
でも、夕方になっても帰ってきません。
夜になっても帰ってきません。
電話をしてもつながりません。
時間が経つにつれて、家族の中に不安が広がっていきました。
「警察に相談した方がいいのかな。」
「もう少し待ってみようか。」
そんな話をしながらも、誰も落ち着いていられませんでした。
時計の針だけが静かに進んでいきます。
嫌なことを考えないようにしても、どうしても考えてしまいます。
お願いだから、帰ってきて。
ただ、それだけでした。
そして、ようやく玄関のドアが開きました。
父でした。
帰ってきた。
その姿を見た瞬間、張りつめていたものが少しほどけました。
けれど、安心したのも束の間でした。
父は泣きながら話し始めたのです。
「ダムまで行ったんだ。」
そして、続けました。
「もう、生きるのをやめようと思った。」
頭の中が真っ白になりました。
父がそんなことを考えるほど追い詰められていたなんて。
同じ家族なのに。
すぐそばにいたのに。
私は何もわかっていなかったのです。
父は涙を流しながら続けました。
「でも、その時だった。」
「はっきり聞こえたんだ。」