
アイコンとチーズケーキ
何をするにも取り掛かるのが遅い方で、かといって決断力もない。
レストランでメニュー表と睨めっこなんていうのはしょっちゅうだし、普段使うような日用品から文房具、化粧品や電化製品だって、ネットにこれでもかと流れてくる批評レビューをああでもないこうでもないと長時間眺めて、結局、決まらないことも多々ある。
選択肢と情報が多すぎるのは、選びきれない私からするとデメリットに思えてくる。
Xのアカウントをジャンルで使い分けるようになって、アイコンを変える頻度がグッと減ったのも、その延長だろう。
適当に決めようと思いながら、いざiPhoneのアルバムを見返すとなかなか選べない。なんといっても私の顔になるのだ。イメージになるものだ。適当で良いけれど、あまり適当すぎるのもコイツ何なんだと思われそう。
──いや、そんなに見られてないか。自意識過剰か。
考えが行ったり来たり、ブランコのように揺れ動く。
私如きのアカウントなんてそうそう見られてないだろう、とは考える。
それでも指先一つで世界と繋がれてしまうのは、楽しくもあり不安でもあり。このnoteを今読んでいる方がいることを想像すると、打ち込んでいる最中から少しだけ背筋が伸びるのだ。
結局、幾つもあるアカウントのアイコンは、大半がカフェで食べたケーキの写真に落ち着いている。ケーキを乗せて可愛らしく彩られたプレートはそれだけで華があり、それだけで絵になるのが良い。
逆光と影に泣かされる私の撮影の腕前でも、可愛い写真になるのも良い。
アイコンぐらいは可愛くありたいなんて乙女心は、まだあったのかとちょっと驚きもする。
そうやって一度決めてから何年も変えていないアイコンは流石にもう見慣れてしまって、時々、変えたくなる気持ちも湧き上がる。あまりに変化がなさ過ぎるのも良くないのではないか。面倒な性分だけど、やっぱり誰かの目線が気になる。
あれこれ考えながらじっとひとつのアイコンと向き合うと、その写真を撮った時のことを思い出す。
なんてことはないチーズケーキの写真は、神戸で食べた思い出のものだ。
大学の卒業旅行といえば海外が定番なのだろうが、色々な事情も重なって、友人たちと国内旅行に行くことに決めていた。もう何年も前の話だ。関西に1週間、その拠点は神戸に決まった。
神戸には私の伯母家族が住んでいて、一回り以上歳の離れた従姉がいた。綺麗で優しい従姉は私の憧れだった。
卒業旅行で関西に行くこと、拠点は神戸にして滞在中に神戸観光をしたいことを伝えると、伯母家族はとても喜んでくれただけでなく、従姉は観光案内も買って出てくれた。
異人館をぐるりと巡ったことは覚えている。
萌黄の館の前で撮ったツーショットの写真も残っているし、ヒールの高い靴を颯爽と履きこなす従姉が、何故ああも軽やかなのかといった具合に急坂を歩いている姿は今だに忘れられない。
いつまでもぺたんこの靴とお友達な私にすれば、従姉のヒールを履いた姿は思い出の中でも眩しい。
観光地巡りの中で連れて行ってもらった喫茶店で食べたもの、それがアイコンにしているチーズケーキだった。
砕いたビスケットを土台にした濃厚なものだった……と思う。何せ古い記憶で写真1枚だけがどうにかデータとして残っているだけ。喫茶店が階段をのぼった2階にあったことは薄らぼんやりと覚えているのだが。
──あの喫茶店の名前は?
それをいつか聞こうと思っていた。いつでも聞けると思っていた。
就職して忙しくなり、神戸に行く機会も無くて、すっかりと忘れていた。
まさか従姉が伯母達よりも先に天国に行くなんて、想像もしていなかったから。
卒業旅行が、直接会って喋る最後の機会になるなんて思ってもいなかったから。
結局、喫茶店の名前は聞きそびれたまま、まだあるのかも分からない。
私はそれからも歳を重ねて、年上だったあの頃の従姉の歳に近付いている。
もっと色々な話をしたかった。卒業旅行の思い出、伯母たちの話、好きなこと、今の仕事、これから先の人生について。本当に色々、今だから話せる話もあっただろう。
あの時と同じ喫茶店じゃなくても、美味しいケーキを食べながら、たわいもない時間を過ごしたかったと、不可能になった今になって余計に考える。
2度と過ごすことが出来ない時間は、従姉がいないからこそ想像の中で膨らんでいく。それがとても寂しい。
あの時食べたチーズケーキの写真だけは、楽しかった時間のカケラのように私のiPhoneの中で残り続けてくれている。
天国にいる人を思い出すと、その人の頭の上に花が降ると言う。
それなら私がアイコンを見て、思い出す度に従姉の頭には花が降っているのだろうか。
色とりどりの花は、綺麗な従姉にきっと似合うことだろう。
アイコンはまだしばらく、そのままにしておくことに決めた。