
さくら水産と卵かけご飯について、あるいは僕がコンサルになった理由の一片
朝、ゆっくり目を覚まして、納豆と卵だけで朝食を済ませることがある。ご飯がなくても、特に問題はない。
言ってしまえば、たまごと納豆があれば僕の朝は事足りる。そういう朝もある。
ついでに言うと、夜もたまごかけご飯でOK。糖質オフにしたい時にも納豆+卵は罪悪感の軽減に有効だ。
子どもの頃、僕は卵屋さんになりたかったらしい。なぜ卵屋さんだったのか、今となっては記憶の靄の中に埋もれてしまったけれど。
それはたぶん、卵という存在にある種の可能性を見ていたのかもしれない。あのまんまるの白と黄の境界線。割ることで初めて何かが始まる、そんな儀式的な感覚。
けれど、現実は少し違っていた。僕は卵屋にはならず、ITコンサルタントになった。国産SIerに入り、外資に転職し、プロジェクトマネージャーとして今日も東京と神戸を走り回っている。そんな自分が、ある日ChatGPTに頼んで「たまごかけご飯」のLINEスタンプを作った。

大人になるって、そういうことだ。夢がひとまわりして、少し形を変えて戻ってくる。
さくら水産という場所について
大学生の頃、池袋の裏通りで偶然見つけた「さくら水産」は、僕にとってひとつの桃源郷だった。500円。ワンコインで、卵が食べ放題だった。味噌汁も、ご飯も、お新香もついてきた。
その頃の僕は、時間と胃袋を惜しみなく「卵かけご飯」に捧げることができた。醤油をほんの少し、かけすぎないように注意しながら。手元の茶碗の中で、卵が白米に染み込んでいく。静かな幸福。
社会人になってからも、さくら水産はときどき顔を出す店だった。プロジェクトが変わってオフィスの近くにあればランチにふらりと立ち寄ることもあったし、夜遅く仕事が終わった夜、ギョニソーを50円で注文し、ちびちびと日本酒を飲むこともあった。
そして、消えていくものたち
最近、そのさくら水産が激減しているという記事を読んだ。
最盛期170店舗から、今では10数店舗。ランチは1000円以上。もちろん、卵かけ放題はもうない。
「なぜ蕎麦」も随分前に卵は一個までになったし、インフラ的存在としての“たまご”は、静かに退場を始めている。
テラケンという会社は、価格勝負の業態から転換を図っているらしい。今は「魚がイチバン」という名前で、アワビや活車エビを出すらしい。
それはそれで正しい選択かもしれない。時代は変わるし、採算も大事だ。けれど、僕の心のどこかには、変わらないままの“あの店”が静かに残っている。
卵と人生と、たまごかけご飯の行方
僕にとってたまごかけご飯は、人生のある時期を象徴するメタファーみたいなものだ。
夢がまだ飽和しておらず、現実に押しつぶされる前の、ちょっとした余白。
さくら水産の500円ランチには、そういう「余白」がたしかに存在していた。
それはご飯でも、卵でもない。卵をかけるという行為そのものに、価値があったんだと思う。
最後に
もうあの500円のたまごかけご飯には戻れないかもしれない。だけど僕は、いまだに納豆と卵だけで朝を始めることがある。
そうやって静かに、自分のペースで、人生を再起動しているのかもしれない(だとしたら、リブートが頻発するマシンはそのうちクラッシュするだろう)。