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花のお江戸のガーデニング

    *はじめに*

     花の都パリ!フィレンツェ!バラの香りに包まれたイングリッシュガーデン、オランダのチューリップ畑、スペインのヒマワリ畑、お洒落な窓辺を飾るゼラニウムにブーゲンビリア♬
     ヨーロッパって、お花に囲まれているイメージがありますね。しかし、それは近代になってからのお話!何度かあった氷河期にダメージを受けて、ヨーロッパの植生はあまり良いものではありませんでした。それを補うために、大航海時代が始まると世界中から植物が集められ、今に至るのですが、それは後のお話で・・・
     そんなヨーロッパに負けないくらい前から園芸大国だったのが、江戸時代の日本でした。戦国時代が終わった太平の世に、品種改良、園芸道具と今にも引けを取らない技術と園芸ブームが何度も起こりました。それは幕末、文明開化後に来た西洋人たちを驚かせるものでした。
     本編は、そんな江戸時代の園芸を3匹の羊たちが、面白おかしく、挿し絵、マンガで解説したものです。
    (今は、挿し絵が間に合わず”画・○○”として書いてあります。
     悪しからず@(*´ω`*)@

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    この3匹の羊たちがウゴウゴ動きます。

    その1 江戸っ子は花好き、物見遊山好き

    上様から、長屋のひっつぁん、クマさんまで花見にGO!!

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    時には大家さんも一緒に行きます。落語のお話にもありますね。

    洋「一年の花の見頃をまとめた【花暦】【花しをり】なんてガイド本も出て    
      いて、江戸っ子は、それを見て行く場所を決めていたべ~。」
    羚「本当に、江戸時代の人は花が好きだったみたい。」

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    群「花に関する言葉も多いべよ!花の終わり方の表現も、『散る』『舞う』『くずれる』『しがみつく』」

    その2 上様のお花畑、殿様のお花畑

    洋「江戸成立期の江戸城を描いた【江戸城屏風】を見ると『御花畠』がある 
      べ~。
    羚「可愛い庵もあるべ♪ ここで花を見ながら休んだのかな?」
    +図・江戸城屏風を見る羊たち
    群「家康公は、中国から本草書を取り寄せてMY薬を作るのが趣味だったが
      2代目の秀忠さんは、本当に園芸好きで『花癖有り』と言われていた
      べ~。」
    現代も上司のご機嫌取りにゴルフに行ったり、好きなものをプレゼントしたりするが、江戸時代もそれは同じ。
    各藩の殿様は素敵な庭園を造って上様を招待したり、領地のお花畑で植物を育てて、献上していました。
    洋「今も残る花畑の地名は、そんな庭園のあった場所でもあるべ。」
    羚「庭でも、園でもなく花畑というのが可愛い♬」
    群「他にも、火事の広がりを抑えるために、幕府が積極的に作るように奨励
      したべな。」
    藩主の邸宅に作られた日本庭園は、武芸鍛錬や特産品(薬、食品、器物)の開発の場であり、社交の場でした。
    殿様は、上様や他の殿様、時には家臣も庭園に招いて楽しみました。
    *戸山公園
    洋「白馬に乗った将軍様の時代劇では、悪役のイメージがある尾張藩主です
      が、江戸の園芸を調べている内にイメージアップしたべ~」
    群「中でも藩主が作った『富山公園』がスゴイ!小田原宿を再現したテーマ
      パークだったべ!」
    羚「そこで家臣を宿の人に変装させて、庶民の生活を体験できるという遊び
      をしたべよ。」
    洋「元祖体験型テーマパーク!」
    群「家斉さんも来たべー。この将軍は、園癖将軍と言われるぐらいだから、
      庭園好きだったんだね。」
    羚「オットセイ将軍と言われるよりは、いいんじゃない。」
    +図・戸山公園で遊ぶ羊たち

    *羊話休題 御家人の内職

    洋「御家人は上様直属の名誉ある家来だったが、お給金が低くて、いつも家
      計は火の車。」
    群「その代わり拝領地が広かったので、それを利用して内職に励んだべ。」
    ・麻布→草履
    ・代々木、千駄ヶ谷→鈴虫、コオロギ
    ・下谷→朝顔、金魚
    ・青山→カサ、提灯
    ・山の手→凧、小鳥、竹細工
    +図・内職に勤しむ羊たち
    羚「御家人は3日行ったら1日休みの勤務だったから、時間はあったべ。」
    洋「貧乏暇有りだべ~」
    群「それが繫盛して産地になったり、花木栽培なら観光名所にもなった。」
    羚「芸は身を助くだべ~♫」

    その3 桜

    洋「今はソメイヨシノが有名だが、江戸時代は、白、桃色、紅、黄色、緑と
      花色も多彩で、いろんな種類があったべ。」
    羚「最近は、他の種類にも光が当たりはじめたけどね。」
    群「各地で自生していたものが、自然交配して、少しずつ種類が増えたいっ
      た。その中から、特別キレイなものを、人が山から持ち帰って植えたの
      が、栽培の始まりと言われているべな。」
    洋「更に江戸になって参勤交代が始まると、殿様たちが国元から独自の桜を
      持ち込んで、また交配がすすんだべ~」
    +図・羊の参勤交代
    群「江戸末期には、250種の品種がたったべよ。」
    羚「𠮷原の桜ページェントは、今のライトアップ・イベントも真っ青だった
      べ~♪」
    +図・羊おいらんシャナリシャナリ
    洋「そんな桜天国だった日本だが、文明開化で大打撃!」
    羚「桜なんて古臭いと言われて・・・」
    群「日本の桜守りも、崩れた庭園から桜を救い出して頑張ったが、第二次世
      界大戦で、更に大打撃!」
    +図・炎の中を苗を持って、逃げ惑う羊たち
    洋「そんな絶体絶命のピンチを救ったのが、皮肉なことに敵国・イギリスの
      イングラムさん」
    +羊小劇場マンガ『太白里帰り大作戦』

    その4 ツツジ・サツキ 

    洋「日本庭園と言えばぁ~、ツツジやサツキが必ずと言って良いほど植えて
      ありますが・・・日本はツツジの宝庫だった!」
    羚「よく蜜を吸ったなぁ~」
    群「他の植物も宝庫だらけなんだな。」
    羚「小さな島国なのにね♫」
    洋「大名屋敷の庭園を防火地にしようと幕府も幕府も推奨していたが、その
      庭園に花を添えたのがツツジ!」
    群「江戸は関東ローム層という火山灰地で、ツツジが育ちやすかったべ。」
    羚「それに目をつけたのが、巣鴨染井村の植木屋・伊藤伊兵衛さん家の3代
      目の三之丞さん。」
    洋「九州からキリシマという種を接木して、更に色々と品種改良して、一大
      ツツジ王国を築いたべな♬」
    群「そして、庶民にもわかりやすい文と画で園芸指南書も出したべ~」
    三「花を愛するのに、身分の上下の差はない。」
    3羊「素敵ィ~~♫」
    +図・3匹の羊たちに囲まれる三ノ丞
     プラントハンターのフォ-チュンさん(これから、よく出てきます。)も
    世界でも見たことのない大型のツツジがあったと『日本探訪記』に書いています。

    その5 江戸の植木村

    洋「武蔵の国の原っぱに江戸幕府が開かれると当然、建築ラッシュも起こる
      べなぁ~」
    羚「大きくてキレイなお庭はステイタスだから、大名だけでなく、大店でも
      庭造りか盛んになったべ。」
    群「そこに草木を供給していたのが、三ノ丞さんもいた巣鴨、駒込で造園業   
      をしていた植木屋の集まりだったべよ。
      植木屋が集まれば植物も集まる。人の手で交配もされたが、集まった植 
      物が自然に交配したものあったと思う。」
    羚「そこは花見の観光地にもなったべ~♪」
    洋「そして、来た人に植木を売るという商売も、ふふふ。」
    群「植木鉢が普及すると長屋でもガーデニングができると、小さな草花を売
      る新興の植木屋も出てきたべな。」
    羚「そんな植木屋は下谷、浅草の下町に多かったけど、そこは川砂交じりの
      土で、草花栽培に向いていたべ。」
    洋「小さな盆栽や草花の鉢は寺社の縁日で売られ、江戸っ子の楽しみだった
      べよ。今の朝顔市やホオズキ市の元祖。」
    群「時代劇に出てくる棒手振りでも売っていたべ。」
    羚「花の棒手振りはイケメンが多かったべ~」
    洋「イケ緬羊だべ。」
    +図・縁日で遊ぶ羊たち、棒手振り

    *羊話休題 園芸道具

    ・植木鉢
    洋「これは園芸界に革命をもたらす発明だったべ♬」
    羚「お庭がなくてもガーデニングができるようになったべよ♪」
    群「最初は中国から輸入していて超高級品!」
    +図・テレビショッピング風に開設する羊たち
    群「日本でも陶磁器が作られるようになるともう少し普及するが、それでも
      高級品だったべな。」
    洋「ちょっとお洒落な器の底に穴を開けて、鉢の代用にする人も。」
    羚「今もやるよね、うふふ。」
    群「その後、ガーデニング・ブームの広がりで安い素焼き鉢もできて、一気
      に広がったべ~」
    ・如雨露
    群「読んで字のごとく、雨、露の如く水をまいてくれる道具だべ。」
    洋「竹筒に蓮口(蓮の実の形)をつけたり、ほぼ現在と同じ形のものもある
      べよ。」
    羚「浮世絵に描かれているべ。」
    ・温室
    洋「ええ!温室と思うが、ちゃんとあったべ~」
    群「熱帯の植物を育てるのに使われたべな。庭に専用の『岡室』という小屋を作ったり、押し入れや床下を利用した物も!」
    羚「それで育つと知っていたことがスゴイべ~♬」
    群「他に雨避け障子という物もあった。雨や日光から守るために和紙で作っ
      たべ。もう至れり尽くせり!」
    +図・押し入れからのぞく羊たち
    ・大根
    洋「ええ!大根!!と、また思っただろうが、大根も立派な道具でした。
      侮るなかれ!!」
    +図・大根掘り
    羚「桜のところにあった『太白里帰り作戦でも大活躍。」
    群「接木をするために切った枝を枯らさないために、水分の多い大根に刺し
      たべよ。」
    洋「昔の植木屋さんでは、ポピュラーな手法。」
    羚「これで海を渡ったのもスゴイ!太白の時はジャガイモを使ったべ。」

    その6 菊

    洋「日本原産のものと中国から渡ってきたものが自然交配して、現代の家菊
      の元になったと言われているべ。」
    +図・タライ舟で菊娘を連れて来る
    群「江戸時代に京から諸国に広まってブームになったべな。」
    羚「寺院や料亭で品評会もよく行なわれたべ~」
    群「人気になれば、品種改良が行われるのも世の習い!」
    洋「そして、できたのが『芸をする菊』」
    羚「芸菊、狂菊、中菊、江戸菊と呼ばれたべ♫」
    群「一度咲いてから、花弁が立ち上がり、渦巻いたり、折れ曲がったりと
      様々に変化して、十日くらいで完成するが・・・その完成形を『芸を極 
      まる』と言うべ~~、なんという表現力!」
    *図・感動しすぎて倒れる群
    羚「今も秋になると各地で菊祭りがあるけど、そこに必ずある菊人形も江戸
      時代からあったべよ♬」
    群「富士山や歌舞伎の場面もあったべ。」
    洋「そこで集まった人に菊の鉢を売って、、またガッポガッポ、ふふふ。」
    羚「洋ちゃん、悪い顔になっているよ・・・」

    *羊話休題 食用菊

     雪国は、昔から菊の花を食べるのですが、
    『もってのほか』菊の御紋だったから
    『おもいのほか』食べたら美味しかったから、と面白い名前があります。
    今の主流は『かきのもと』という品種。
     西洋ではマーガレットくらいしか菊はなかったので、フォ-チュンさんは日本や中国で多彩な菊を発見して歓喜しました。

    その7 茶道、華道

    洋「日本で園芸が盛んになった影の功労者は、お茶とお花と言っても過言で
      はないと思うべ~」
    群「お茶の席では必ずお花が飾られるし、生け花は言わずもがなだべ。」
    羚「家斉さんの頃には、お達しもあったしね。」
    +図・立て札の前でワチャワチャする羊たち
       立て札に書いてあったのは、
      『年頃の娘さんはお茶とお花を習うように』
    洋「安土桃山時代では、モノノフの嗜みだったのにね。」
    群「南北朝時代の武士で、4本の桜の根本を囲って、『生け花♥』と見立て
      宴会をした武士もいるべ~」
    羚「いつの時代も、そういう人っているよね・・・」
    群「独眼竜政宗さんも生け花にハマっていたべな。」

    その8 世界のカメリア・椿

    群「椿は特に茶道、華道で人気の花だったべ~」
    羚「後水尾天皇はんも好きだったから、家康さんも積極的に育てて、送り物
      にしたべよ。」
    洋「けっこう朝廷には強く当たることもあったけど、そこはゴマすり狸だっ
      たべなぁ。」
    家「ゴマすり言うな!政治的駆け引きだポン」
    +図・怒る狸家康
    群「二代目も花癖将軍だし、三代目も花好きだったから、そこは大名もゴマ
      すりするよね。」
    大「ゴマすり言うなぁーー。日本人、特有の気配りだべーー」
    羚「あっ、移った。ぷぷぷ。」
    洋「そんなこんなで江戸時代を通じて、椿は人気だったべ。一庭に必ず、一
      椿の木というくらい。それを見たフォーチュンさんが目にとめて、海外
      へ渡ったべ~。」
    群「椿は花の形のままポトンッと落ちる様が、打ち首みたいと武士に敬遠さ
      れた言うが、そうでもなかったようだべ。」
    洋「幕末の大変な時に、花に熱中させないための風評だったそうだ。」
    羚「それだけ現を抜かす武士が、多かったんだべなぁ。」

    *羊話休題 世界三大

     椿、ツツジ、バラは世界三大花と言われていた(今は違うものもあるが。)その内の椿、ツツジが日本の影響が大だったのは感慨深いです!
     椿のように寒い冬に咲く花は、厳しい冬のヨーロッパでは特に重宝されたでしょうね、冬のバラとも言われている。(有名なシャネルの花グッズ・カメリアも、ずっとバラと思っていた(苦笑)
     前にTVで、ドイツ・ドレスデンの巨大な稼働式温室の中の椿の大木を見みましたが、出島にいたツンべリーさんが250年くらい前に持ち帰ったものと知った時は驚愕でした。
     火事で焼けそうになった時もあったそうですが、消火の水が瞬時に凍って、火と寒さから守ったという逸話はアメージング!!

    その9 プラントハンターは花の島を目指した!

     西洋が大航海時代に入ると、船が持ち帰る珍しい物を見た人々間で、空前の博物学ブームが起こりました。
     まずは近場のアフリカから、珍しい動植物が入ってきました。もちろん一番の目的は実用的な物もでしたが、人間って奴は役に立たないものでも、珍しい!キレイ!なものに財布のヒモがゆるみます。中でも植生の乏しいヨーロッパでは園芸用の植物が喜ばれました。よく街角の窓辺を飾っているゼラニウムはアフリカ原産です。
     そこから、今度は東インド会社のサラリーマンたちが、アジアに進出してきました。
    洋「産業革命が起こって、自然が遠くなってしまったから、花を求める心も
      強くなったのかも?」
    群「中間層が増えて、余裕もできたことも一因かな?」
    羚「やっぱり生活に彩りは大事ということだべ~♬」
    群「しかし温室のようなものを持てるのは貴族やブルジョワジー!」
    洋「そこで現実的に考えて、路地に気軽に植えられる寒さに強いものが求め
      られたべよ。」
    羚「そこで、目をつけたのが東アジア♪ 特に、日本は垂涎の魔とだったべ
      よ。」
    群「中国も規制はされていたけど、植物採取はできた。日本は鎖国だったか
      ら、出島からチョロチョロ出るくらい。」
    洋「有名なシーボルトさんは、弟子を使ってけっこう集めて送ったけど、そ
      の前のケンベルさんやツンベリーさんは、家畜の飼料で運び込まれた干
      し草から、種を探すという・・・涙ぐましい努力を!」
    羚「そんな宝島の鎖国が解かれたら!ヨーロッパのプラントハンターが続々
      来たべ~♫」

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     プラントハンターが集めた植物を枯らさずに送るのは、このミッションの一番の問題でしたが、それを解決したのが、この『ウォードの箱』でした。
     博物学ブームで珍しい魚を室内で飼うのをアクアリウムと言ってましたが、植物版はテラリウムと言われて、これも流行りました。
     ビクトリア時代のお洒落なお部屋には、趣向を凝らしたテラリウムが置かれました。そこから実用的に発展したのがウォードの箱でした。(ウォードさんは医者で園芸が趣味でした。)
     この閉鎖空間で育てるという理論は、現代の月や火星の移住計画にも使われているのは、スゴイですね~!

    *羊話休題 江戸の商人魂!
     鎖国が終わって海外から人が来るようになると、みんな日本人の勤勉さと技術に驚いたそうです。そして、商魂も! 
     プラントハンターも初期は、日本の野山で真面目に採取をしていたのですが・・・次第に、外国人が植物を高値で買ってくれるという噂が広まって、植木屋が用意周到に準備して持っていくようになったそうです。
     プラントハンターたちも、植木村でお手軽にウインドーショッピングです。
     そして、ウォードの箱もないから作ってと頼むと・・・
    +羊小劇場(マンガ)
    フォ「ウォードの箱を作ってくれないか?」
    羊「合点承知の助だべ~」
     あっという間に木枠は作ってきたが、ガラスは高価でやったことがないと言う。
    フォ「仕方ない、そこはオランダの職人に頼むか。」
    羊「みすた、これを運ぶついでに見学して、いいべか?」
    フォ「もちろん、いいよ」
    羊「さんきゅ、さんきゅ、みすたー」
     しばらくして横浜港に現れた羊たち。
    羊「みすた、れでー、どうだべかぁ?」
     「わぁどの箱入りの日本のびゅうてぃほうな花だべ~」
     「このまま、直ぐに船に運べるよ♬」
    フォ「あの羊たちィ~~」
     暗がりから見つめるフォーチュン。

    その10 バラとユリ

    洋「どちらも洋花のイメージが強いが、日本やアジアの品種が改良に大きく
      貢献したべ~」
    群「昔はバラと言えば中国だったべ。日本にはノイバラやハマナスがあった
      が、中国からコウシンバラ、モウッコウバラが入ってきて愛好されたべ
      べよ。」
    羚「源氏物語にも出てきたね。」
    群「ヨーロッパの原種は十種類くらいだったが、アジアの方は九十種類!
      十字軍の遠征で持ち帰ったり、貿易で渡ったバラから多くの品種が生ま
      れたべよ。」
    洋「しかし遠征中に持って帰る余裕があったのか!」
    羚「バラの改良と言えば、ナポレオン妃だったジョセフィーヌさん。色々、
      言われている人だけどバラ界ではレジェンド♬」
    +図・十二単やドレスの羊たち
    洋「ユリもヨーロッパでは、小さい花で種類も少なかったが、日本から言っ
      た”超”巨大輪のユリで改良されたべ~」
    羚「”超”がつくんだ!」
    群「日本は原種が多くて、野山にポンポン咲いていたべな。それを見たプラ
      ントハンターは、さぞ狂喜乱舞しただろうなぁ。」

    その11 梅屋敷 花屋敷

    『山師来て 何やら栽えし 隅田川』
    洋「五世・市川團十郎が詠んだ、この川柳は、今もある向島百花園のことだ
      べ~」
    群「骨董商の佐原鞠烏さんが廃園を利用して作った、江戸の文化人サロンで
      もあった公園♬」
    羚「しかも文化人だけど商人でもあるから、経営もちゃんとしてたべよ。」
    洋「梅の木を植えて実を取れば生活費になると!!更に、その梅の木は知り
      合いの文人や大店の主人におねだりしたという徹底ぶり。」
    群「お百姓さんが自分のお庭を開放した『梅屋敷』が先にあったけど。」
    羚「今のオープンガーデンの元祖だべ♪」
    群「それに対して『新梅屋敷』と言われたけど、梅以外にも野草を植えてい
      たので『百花園』とも名乗った。」
    羚「こういう私設の公園がいっぱいあって、江戸っ子の楽しみだったべ♥」
    洋「梅干しや植木を売って、ちゃっかり稼いでいたけど、運営費は大事!」
    群「今も人気の花屋敷遊園地も、江戸時代の花屋敷だったべ~。植木屋の森
      六三郎さんが作った。」

    *羊話休題 江戸の文人たち

     江戸の園芸を調べていると文人と言われる人たちが出てくる。ほとんど御家人で貧乏暇有りの人たち。暇な時間に知識を蓄え、趣味を磨いて、それが収入にもなった、江戸の粋な知識人。
    洋「百花園に今も残る行灯の『お茶きこしめせ 梅干しも さむらふぞ』は
      橘千蔭さん。大河『べらぼう』に、よく出ていた太田南畝さんは、園に
      梅を寄贈したり、変化朝顔の本の題字を書いたりしたべな。」
    群「この人たちは”連”という(連中の連)同好会を作って楽しんでいたが、
      狂歌のような文学的なものもあれば、園芸も多くあったべ。」
    羚「品評会をしたり、図譜や本を出したりして、園芸の普及に大きく貢献し
      たべよ♬」
    群「植木商も文人のネームバリューを使って、花木に箔をつけてた。」
    洋「持ちつ持たれつだべ~」
    +図・庭園で遊ぶ羊たち

    その12 変化朝顔

     江戸の園芸を語る上で、欠かせないのが『変化朝顔』!
     朝顔自体、市があったりして江戸の町で親しまれていた花だが、それが江戸っ子好みに千変万化したら、放っておく訳がない!
    洋「江戸っ子は突然変異で変わった植物が好きだったが、特に朝顔は花、
      葉、茎と全て変わったから面白がられていたべよ。
    群「なので、名前は花、葉、茎を表すものだったべ。」
     例えばーー
    【青班入渦並葉 燕 紫吹雪獅子咲】これでも短い方。
     ←葉の説明→ 茎 ←花の説明→ になります。
    羚「呪文みた~~い。」
    群「漢詩だべな、漢詩。」
    +図・竜、虎、蓮の花に乗った羊たちの朝顔名前呪文合戦
    洋「元々、中国から薬草として入ってきて、最初は青色しかなかったが、自
      然に色が増えていって、園芸としても人気になっていったべ~」
    群「育てやすいし、植木鉢でいいし、長屋でも、みんな育てていたべよ。」
    羚「そこに、ある日、不思議な形があったら夢中になるよね。」
    洋「残念なのは一代限りで、種ができないこと・・・」
    群「羊たちの師匠は、『日本人の園芸上の嗜好が明確に示されている。一期
      一会的な、微妙な日本的分類』と仰っているべな。」
    羚「うんうん。」
    洋「江戸時代は過熱しすぎて、禁止令が何度か出た。明治時代もブームにな
      ったことがあったが・・・また、あの戦争だよ!第二次世界大戦で絶滅
      状態になったべ!!」
    羚「戦争は何もかも壊すべ~、シクシク」
    群「それでも近年、変化朝顔の押し花が見つかったりして、今でも育ててい
      る人がいるべ♬」
     毎年、夏に日比谷公園で展示会もあります。

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    『江戸の変わり咲き朝顔』の著書・渡辺好孝氏が古本屋で種を見つけたお話

    その13 江戸っ子は変なもの好き!

    洋「変化朝顔でもわかるように、江戸っ子は変わったものが好きなんだべよ
      なぁ。」
    群「いわゆる突然変異で生まれた珍品奇品の植物だべ~」
    羚「スッゴイ人気で、一鉢何十両、何百両もしたものも!」
    洋「オランダであったチューリップ狂と同じで、投機目的になったべな。」
    群「いつの時代も、人間の考えることは・・・」
    羚「で、また禁止令が出ると。」
     代表的なものは、万年青、カラタチバナ、ラン類(このランは、花が地味
    で、葉を楽しんだ。)だが、シダ類から針葉樹まで、多岐に渡った。
    ・葉代わり→斑入り、縮、捻じり
    ・幹茎代わり→矮化(小さい)帯化(広がる)
    洋「だいたい葉を楽しんでいたんだよね。」
    羚「フォーチュンさんも、イギリスではアオキくらいしか斑入り葉がないの
      のに、日本ではラン、シュロ、椿、茶の木まであるなんて!と大興奮だ
      べよ。」
    群「斑が入るのを、”錦”と言う表現が好き♥」
     造園学者の白幡洋三郎氏曰く、
    「西洋に比べて、異国からの導入が少ないため、国内の微妙な相異や変化、奇形を観賞する風土が育ったかも。」
     江戸時代に人気があった菊、菖蒲、桜草、朝顔も変異種が出やすから好まれたかもですね。
     今の多肉植物ブームもその流れ?!

    *羊話休題 奇品の影に事件あり!

     羊たちの記憶の羊毛を手繰り寄せると!小羊の記憶に奇品があった!!
     時代劇好きだった小羊だが、その中に『万年青殺人?事件』があったことを思い出しました。
     同心のお庭かな?いっぱい並んだ棚に万年青の鉢があって、その中の奇品が盗まれたとかいう事件でした。今でも欲しいもの盗んだりする話がありますからね。実際に、そういう事件もありそう。
     江戸園芸を書いた時代小説では、朝井まかてさんが書いたものが秀逸♬
    +図・同心羊と岡っ引き羊が、御用だ御用だ!

    その14 歌舞伎役者は花を背負う・浮世絵を探せ!

     江戸時代のブロマイド=浮世絵には歌舞伎役者がよく使われていましたが、そこに一緒に描かれていたのが、当時、人気の花でした。
     大首絵のバックにも花!まるで、現代の少女漫画の花バックみたいですね。
    +図・大首絵の羊たち
     歌舞伎の舞台背景や小道具にも、菊の垣根や植木鉢が使われていました。
    『花かつみの三五郎』という花売りの役まで!
     どちらも江戸の華でした♫
    洋「浮世絵を見ると、こんなものが!って発見があるべ~」
    群「如雨露も描いてあったべなぁ。」
    羚「一番、驚いたのはバックの棚にあったサボテン!しかも、今のイラスト
      みたいな🌵で、驚くやら、同じだぁーと笑ったべ♫」

    *羊話休題 江戸っ子の遊び心

    ・おもちゃ絵
     童が遊ぶ千代紙には、色んな模様がありましたが、その中には、園芸物もありました。多種多様な花木に、庵、垣根、植木が刷られていて、それを切って、別の紙に貼れば、自分だけのお庭ができました。
     ガーデニングの英才教育?!
    ・ヒエマキ
     器にアワやヒエの種を蒔いて、芽が出るとそれを田んぼに見立てて、小さな案山子や水鳥、家を置いて楽しみました。
     そういえば江戸っ子は、ミニチュアも刷られて好きでしたね。
    ・つり忍
     これは今も夏のホームセンターに行くと売っていますね。シダの根を形よく整えて吊るし、出てきた葉っぱを楽しむ夏の涼。

    その15 江戸っ子の園芸技術

     幕末に来たプラントハンターたちは、植物の豊富さにもビックリしたが、植木屋の園芸技術にも驚愕した。
     品種改良や温室で開花時期をずらす方法なんて朝飯前!もっとスゴイものもありました。
    ・三段式の印籠のそれぞれに箱に、松竹梅の木を植える。
    ・百種接分菊
     一つの菊の株に種類の違う菊を接木して咲かせる。これは明治の博覧会の 
     浮世絵に絵が残っています。長年、廃れた技術でしたが、2004年の花
     博で、再現されました。
     明治でも、
    ・スイセンの球根を二つはり合わせて、色々な方向に花や葉を出す。
    ・キャベツの片側の葉を取って、洞窟に見立てて、中に小物を置いて楽しん
     だ。キャベツは枯れないように処理していました。

    その16 故郷に錦を飾った花たち

    +羊小劇場マンガ
     振袖を着た花たちが船に乗って、手を振る。
    花「さようなら~」
    羊「達者でなぁ~~」
    花「私たち、向こうでも立派に咲いてみせま~~す。」
    羊「体に気をつけてェ~~」
     紙吹雪が舞い、やがて船と繋がったテープが切れ、遠くなっていく船影。
     月日は流れ・・・
    花「ハロ~~」
     西洋ドレスを着た花たちが戻ってくる。
    羊「まるで、マイ・フェア・レデーみたいだべ!!」

     日本から旅立った花たちは異国の地で、咲き誇ったのでした。
    ・ツツジ→アザレア
    ・アジサイ→ゴージャスな西洋アジサイ(ハイドランジャー)
    ・山ユリ+鹿の子ユリ→カサブランカ
    ・アヤメ→多種なアイリス
    ・菊→スプレー菊、クッションマム、ポットマム
     色々、改良されて逆輸入されました。
    群「よくフレンチやジャーマン、ダッチ(オランダ)と名前に着くけど、そ
      の国に関係がある訳ではないべ~」
    洋「雰囲気だよね。フレンチは上品で、ダッチは小さい、ジャーマンは大き
      くて粗野・・・」
    羚「ドイツ人に失礼なんじゃ・・・」

    *羊話休題 行くも帰るも、やってくるものも

     海外に行って戻ってくるものもいれば、海外からやってくるものもいました。
    洋「鎖国でしたが、けっこう色々入ってきました外来種!」
    群「浮世絵にも書いたけどサボテンとかね。」
    羚「名前がスゴイべよ!覇王樹」
    群「仏桑花はハイビスカス、丈菊はヒマワリだべ。ほかにもカーネーション
      、トケイソウ、サルビア、カラー、パンジー、コスモス、チューリップ
      、ヒヤシンスと(ゼェゼェ)今と変わらないラインナップだべよ。」
    洋「ブツは出島経由で入ってきたべ~」
    +図・サングラスをかけて、怪しい取引
    羚「秋海堂、小手毬、百日紅、沈丁花なんて、昔から日本にありそうな感じ
      だけど外来種!!」

    *あとがき*

     元々ガーデニングは好きでしたが、江戸の園芸に興味を持ったのは、グリーンカーテン用に育てていた朝顔に変化を見つけた時からでした。
     その前から、変化朝顔は知っていましたが、こんな身近にもあるんだ!とビックリして、色々調べている内にハマってしまいました。
     あと現代のプラントハンター・西畠さんの本も読んで、昔のプラントハンターにも興味がわいたら、江戸と繋がっていて、こんなお話になりました。
     この企画は前から書いていたのですが、今回、noteさんの大賞を見つけて、出せそうかも?と思って、ギリギリに仕上げました(;^_^A汗

     参考文献
    ・江戸の幽明
    ・花空庭園
    ・ゴードン・スミスのニッポン仰天日記
    ・伝統園芸植物と盆栽
    ・浮世絵で巡る江戸のはな
    ・江戸の花競べ
    ・大名庭園
    ・江戸の奇品解題
    ・十九世紀の日本の園芸文化
    ・チェリー・イングラム
    ・プラントハンター
    ・プラントハンター東洋を駆ける
    ・日本は外国人にどう見られていたか
    ・日本植物誌
    ・江戸変わり咲き朝顔
    ・テーマで歴史探検
    ・昔も今もすごいぞ日本人
    ・えど時代御家人の生活
    ・日本のバラ
    ・菊つくりコツのコツ
    ・色分け花図鑑、桜草、椿、花菖蒲
      






    #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 #園芸#歴史#江戸時代

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