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レイナアブソルータ〜フローレス・デ・イベリア#1第一章

    カガミキョウコ


    第一章  大臣たちとの交渉と義母との話し合い


    契りの後で

    「契りの証を持て、参る」
     そう天蓋の帳を開けて、アヴドゥルが寝台から出ていく。
     侍従がアアヴドゥルに、再び服を、鎧を、つけ始めた。
     それを見たのか、クロエがクラウディアの元に、寝台に近づいてきた。
    「姫様お支度を。そして、申し訳ありませんが、契り証を大臣たちにお持ちしなくてはなりません」
     そう言うやいなか、テキパキとクラウディアの支度を始めた。
     見苦しくないように、ガウンを着せてクラウディアを部屋の隅にある椅子に、ゆっくりと座らせた。そして、アヴドゥルの侍従と共に丁寧にシーツを畳み始めた。
     アヴドゥルは、クラウディアの側にゆっくりと歩み寄り、その顔には深い満足感と温かい微笑みが浮かんでいる。
    「クラウディア、本当にこんなに性急にことを…」 
     そう言いかけたのをクラウディアの手が止める。
    「分かっております。さあ大臣たちも司祭も待っております」
     クラウディアは扉を指差し、微笑む。
    「明日も来る」
     そうはにかみ、くるりと身を翻すと、
    「扉を開け!」
     と強く言い放す。
     固く閉じていた部屋の扉が開き、そこにエマヌエルとヒメノが転がり込んできた。
     アヴドゥルは、それをなんのこともないと、一瞥すると、再び護衛に守られながら出て行った。
     大臣たちへの案内はマリアがするのか。
     それを、アヴドゥルを見送る形で確認したクラウディアは、目の前の二人の側近に向き合う。
    「クラウディア様…」
     辛そうに言葉を顔を顰めて声を出したエマヌエルに、クラウディアは、軽く、
    「エマヌエル、アヴドゥルと共に会議に出席しなさい。今回のことで、アヴドゥルが有利になっています。王位には、私ひとりが立ちます。それを大臣とアヴドゥルにも分からせなさい」
    「王位…それは?」
     と問えば、クラウディアはニコリと笑い、
    「ええ私がこの国の王になります」
     その言葉で、今までの顔はなんだったのかと言うように、破顔したエマヌエルは、
    「はっ!」
     と返事もそこそこに、クラウディアの前から転がるように退出していった。
     一緒にいたヒメノは、未だに不安顔で、クラウディアを眺めていた。
    「ヒメノは、お義母様のところへ一緒に行ってもらいます。今回のことで義弟が担ぎ上げられるのは明白。どうしても女はってムオニ辺りがいいそうですから。先に手を打ちます」
    「御意」
     と静かに返事をした。 
     パンパンと手を叩く音がして、その方を二人が見れば、クロエが、
    「なら姫様、お支度をしなくてはなりませんね。そのお姿ではね。ヒメノ、さあお部屋から出なさい。そして、貴方は扉の前で、この部屋に誰も入れないように守りなさい。奥方様への取次は誰がいいかしら。そうね…」
     そう言いながら、クロエはヒメノに扉を守らせた。そして、次々と、側仕えたちに指示を出しながらクラウディアの身体を拭き始めた。
     その時、ふと自分の身体から香る薔薇の香りに、クラウディアが気づき、
    「そうか、先ほどまでーー」
     そうひとり言のように小さくこぼす。すると、突然、顔が蒸気した。
     そんなクラウディアの様子を気がつかないふりをして、彼女を鏡台の前に座らせて、
    「さあカスティーリャ、一の姫様にしますよ」
     とクロエは言う。
     きっちりと結い上がる髪。
     鏡に映るのは、蒸気した頬をペタペタと触るクラウディア。それを微笑ながら眺めているクロエが鏡に映る。
    クラウディアは、ひとり言のように、
    「私は何か変わったのからしら、その…」
     その言葉を拾ったクロエが、
    「とてもお綺麗になられていますよ、姫様。ではありませんね。ス・マヘスタ(女王陛下)」 
    そういうと、お祖母のマントを肩にかけ、父から贈られた銀細工の留金で止めてくれた。
    「さあさあ、あちらも、父君のことでお話を聞きたいことがあるようですね。そうそうにと申しているようです」
     先ほど、クラウディアの髪を結っている時、鏡越しに、侍女が見えた。それを思い出したクラウディアは、納得して、
    「お父様の訃報しか、届いてないのかしら? まあ、あの時、あの場には、城の重鎮がほとんどいたのだから、私が、アヴドゥルに凌辱されて、かわいそうとか思っていそうよね。あのお義母様なら。女は、男に従ってこそとか、男の地位こそ女の幸せとか思っていそうだもんね」
     そう言い、鏡台から立ち上がって、自分の姿をくるりと一周して眺めていた。
     そして、
    「さあ、参りましょう」
     その言葉の本当の意味に気がついていたのは、この場では、クロエだけだったのかもしれない。

    義母の離れ

     義母は本館でなく離れにいる。長い渡り廊下を渡り向かう。そろそろ陽が翳ってきた。まだ寒いけど、陽は長くなっている。やはりマントは正解だった。そんなことを思っているのか、クラウディアは、マントの合わせをきつく閉じた。

     カスティーリャは、九ヶ月の灼熱と三ヶ月の極寒と言われる。
     陽が伸びたので、そろそろ畑の準備にかかれると思ったクラウディアが、
    「春の遠征がカスティーリャに来ないことも祈らなくてはいけないわね」
     そうひとり言のように呟いた。それをクロエが、
    「アヴドゥル様がこちらに来られたのはやはりということですか?」
    「うーん、ちゃんと話していないから分からないけど、今年はレオンに行っても得るものはないわ。ナバラはこの間、アルマンソールに娘だったか妹だったかを、贈ったって聞いたわ」
    「姫様、それをどこでお聞きになられたのですか?」
     ちょっとこの間、クラウディアの荘園で聞いたことだけど、クロエは、またクラウディアがトレドに行ったと思っているのだろう。クラウディアは首をすくめた。
     そんな無駄話をしていると、やっと離れに着いた。
     顔見知りの騎士が警護に当たっていた。
     すかさずヒメノが騎士に、
    「クラウディア様です。ベアトリス様にお取次を」
     と言った後、何か話している。
     戻ってきたヒメノが、
    「エマヌエルの差配だそうです」
     今にも舌打ちしそうに報告してきた。
    「ふふふ、そんな顔をしなくても、良いのです。ヒメノにはヒメノにしかできないことをやってもらっているのだから」
     そんなことを言っていると、扉が開けられて、ここの主人ベアトリスの侍女の姿がみえた。
     クロエが前に一歩でて、
    「奥方様にお目通を」
     というと、侍女は、
    「お待ちしておりました。こちらへ」
     と主の承諾なく、案内してくれる。
     通された部屋は、ベアトリスの私室に近い少し小さめな部屋だった。窓側に丸テーブルが置かれ、
    「まだまだ陽がありますから、こちらの方がよろしいかと」
     そう笑顔で、案内してくれた。
     丸テーブルということは、身分を考えなくてということだ。
     それでも奥に、ベアトリスが座った。
     席に着くと、玻璃のグラスが二つ。置かれている。
     それをクラウディアは目をすくめるように見た。
     そして、隣には同じ玻璃の透明な瓶に入った黄金色の液体。シードルだった。
     シードルが、グラスにそこに注がれた。
    「まあお義母様、ご自分の故郷の逸品を振る舞って下さるなんて、光栄ですわ」
     と、クラウディアが無邪気な謝辞を口にするが、これを産業にしたのは、もちろんクラウディアである。
     サンタデールの船場街を作るときに見つけて、地域の地場産業とした。それに目をつけ、近くだから、サモラでもと、いい寄ってきたのは、アレハンドロだ。目の前の女の兄である。

     その上、うまくいかなくて、クラウディアに、難癖をつけてきた。もちろんクラウディアは、気候のことや発酵技術もあるから忠告はした
     聞かなかったのは、アレハンドロだった。
     そんなことに、全く興味もなく、事情も知らないのだろう、ベアトリスは、無邪気に明るく、
    「義理とはいえ、可愛い娘のためですから、どうぞお飲みになって。玻璃のグラスもいいでしょう。今日は気分を変えるように、ハーブを入れてみましたの。ほらこんなに綺麗」
     と、クラウディアに渡したのは、少し薄荷の香りのするシードルだった。
     クラウディアはさらに目をすくめた。玻璃のお陰で色も香りもよくわかる。
    「こんなハーブ入りのシードルがあったのなんて、存じ上げませんでした」
     隣で毒味のためにクロエが飲んでいる。
     こんな時こそ、毒殺を警戒しないといけない。今、クラウディアが死ねば、この領地の第一継承者は、彼女の息子になる。今回のこのハーブは、そんな物騒なモノでなく、単なる堕胎剤のようだった。クロエに飲ませるまでもなく、香りでクラウディアは気がついた。川を渡り、野を駆け回っているクラウディアにとって、薬草は、生きるために必要なモノだったのだ。山の主のような老婆に色々と話を聞いた時期もあった。
     このハーブ入りで、あちらがアヴドゥルとクラウディアのことを知っていると暗にしめしている。それでもなんのこともないように、
    「父が亡くなりました。教会での和平交渉に出たのに、そこで…」
     そう告げれば、
    「そうですか? では次の領主を決めないといけませんね」
     ふと、クラウディアは頭を上げ、彼女を見つめた。それはどう父が死んだのかと質問がなかったからだ。
     クラウディアは テーブルにあった手を強く握った。
    「なぜお義母様は、父がどうして身罷られたかお聞きしないんですか?」
     そう訊ねた途端に、ベアトリスは、ワナワナと震え出した。
    「クラウディア様はわたくしが、兄と共謀してと言いたいのですか?」
    「はて? お義母様は、主犯がラモス伯爵とご存じでしたか。それに、私は、存じ上げております。お義母様は、ずっとここに、離れにいらっしゃたんですから、そんなことは無理なこと…… 」
     そう言うと、先ほどまで強く握っていた手でグラスを持ち上げる。それを眺め、悲しそうに言葉を続ける。
    「まあ、それ以上に、父が貴女の言葉に、耳を傾けるたことがございましたかしら」
     そんな事実は、彼女の精一杯の矜持を傷つけるのに充分だった。彼女はこのカスティーリャに来てから、ほぼ幽閉状態だったからだ。

    (女の幸せはどこにあるのだろう)
     そう、目の前で、ガタガタ震えている女を見て、クラウディアはふと思い出した。
     そして姉が嫁いで行く時に言われた言葉、もう忘れようと思っていても、忘れない言葉が蘇ってくる。
    『わたくしが、父と同じくらいの歳の男に嫁がなくてはならなくなったのは、全てクラウディア、貴女のせいよ。カスティーリャが昔みたいな貧乏な領地だったら、誰も奪おうとしないのよ。どんなに裕福になっても、所詮、女は政治の駒でしかないのよ。貴女だって、そうやって奢っていれば、すぐに足元を掬われるわ』
     その言葉は今のクラウディアにつき刺さってくる。
    「そうかもしれない。私は今、足元を掬われているのかもしれない。アヴドゥルがこの国を望んだら、もう私は単なるアル=アンダルスの第二夫人でしかないのだから」
     思わず、声が溢れてしまったのか、そんな、クラウディアを見て、
    「何言っているのよ。ひとりでぶつぶつと。本当に気味の悪い子ね。何回も言うけど、女に継承権はないわ。わたくしの息子が領主となるのよ。それに貴女はガルシアの血を本当に継いでいるのかしらね。その髪の毛と瞳の色で」
     クラウディアは、ベアトリスからの父ガルシアの血をひいていないという指摘を受けて、言葉を失った。
     そう小さい頃から何回も何回も指摘されて、傷ついてきたのだった。
     クラウディアの母は、彼女の幼い頃に亡くなっている。父との間にはクラウディアを入れて五人の子供がいる。クラウディア以外は全て金髪碧眼。
     そして、母の貞操を疑われる理由もある。
     長兄が亡くなったときに、父が切り捨てた。レオン王国の捕虜だった兄は脱獄を試みて失敗。そのときに、兵士に殺されてしまったのだった。腕が立ったことが災いして。相手の兵士が自分を守るために殺すしかなかったと。そして、そのせいで、気鬱になった母をアルマンソールがたぶらかし、父の暗殺計画に一枚加わらせた。
     それに父がいち早く気づき、そして母は、持っていた毒を口にして…
     私は、生まれた時から、もしかしてと言われて育った。有名な『じゃじゃ馬姫』だからではなく、この血統に問題があるということで、婚姻相手がいなかった。

    「ベアトリス様は、本当に愚かで…」
     クラウディアは泣いて喚く代わりに静かに、よく通る小さな声で言い切った。
    「父を裏切ったのは、母だけてはないと思います」
     そう言い切ると、目の前の愚かな女を眺める。
    「女というのは不幸な生き物。自分で自分の人生の主人公になれませんからね。そしてそれを求めてて足掻く。浅はかだと思いませんか? お義母様」
     クラウディアは手に持っていた、毒入りのシードルを悠然と飲み干した。そのクラウディアの瞳には、慈悲など微塵も浮かんでいなかった。
     絶句し、幽霊でも見たかのように顔を強張らせるベアトリスを、彼女はもはや視界にも入れない。
    「この程度で、私をやり込めたと思うな。私がいなくなればカスティーリャは持って五年だ。今ある物を発展させる能力のあるものはこの後から生まれる。其方の息子は何歳だ。五年後にどうなっているかわからないのに、領主になって不安はないのか? 私はこの領地をレオン王国から真の独立を目指す。自治権なんてケチくさいもので満足しない。そして、このキリスト教国の一の国とする。私に従うか否かは、其方が決めれば良い。邪魔した」
     そう言うと、クロエが椅子を引き、クラウディアは席を立ち退出しようとした。
     ベアトリスも慌てて立ち上がり、椅子がガタンと倒れる。
     ベアトリスは、そんなことに気にも止めずに、クラウディアを捕まえようと手を伸ばす。
     「待って!」という叫びは喉の奥で潰れ、ベアトリスはただ必死にその裾を掴むだけだった。
     振り返るクラウディアの動きには、自ら炎を操り、溶かし固めた玻璃はりの輝きにも似た、鋭く硬質な優雅さが宿っている。
     彼女は動じない。ただ、マントを掴むその手を、道端の塵か、あるいは這い出したばかりの虫けらかと見紛うばかりの眼差しで眺めた。それは、丹精した作品に混じった不純物を冷酷に撥ねのける職人のような、あるいは這い寄る虫を無造作に踏み潰す農夫のような、徹底した「無」の眼差しだった。
    「ク、クラウディア様の…、言う通りにすると、どうなるの?」
     ベアトリスがやっと絞り出した声で訊ねる。
    「ふん、あくまで、己の利益を求めるのか? 其方頭を使ったことはあるのか? 今の現状を見ればわかるはすだ。其方が私に堕胎剤を飲ませるくらいなのだから、アヴドゥルとのことを知っておるのだろ? まあ、私とアヴドゥルの子はこの国の領主になることはないだろう。この国はキリスト教国だ。しかも、レコンキスタの最前線だ。ならアル=アンダルスの血を引くものはどうなる? 少しはその頭を使え。考えて考えぬけ。そうすれば分かるだろう。こんなことは無駄だと。話合いは終わった。私は領主になれるらしい」
     そうクラウディアが言い終わるか否かの時、扉から侍女が入ってきて、ベアトリスに耳打ちする。
     ベアトリスは、目を丸くし、クラウディアを見る。
    「其方だって、男の力を利用しているではないですか‼」
     ふと、クラウディアが窓の向こうに目をやると、エマヌエルが急足でこちらに向かってくるのがみえた。笑顔だ。
     それを見たクラウディアは、自分の領主就任を大臣たちが認めた事を、そして、それは、アヴドゥルが、今年の春の遠征を回避することを餌に認めてさせたのだなあと、そんなことが、今のベアトリスの放った言葉から確信できた。
    「この程度のことを予測できないで、次期の領主代理が務まるのか」
     放たれた言葉はどこにも届かない。
     クラウディアは、アヴドゥルの自分に対する甘さを利用することを決めた。男に愛されなかった女に、男に愛された女は、最高の毒だから。
    「ああ、何が悪い? アヴドゥル様は、私に甘いのだ。この程度のこと、彼の方にとってたいした事ではない。 今年は新しい種が手に入ったのでなあ。お頼み申したのだ。ふふふ」
     そう笑うと、目の前の女は目を丸くした。
    「アル =アンダルスの『春の遠征』に、この国に入ってもらうと困るからなあ。まあ良かった。思わぬ所で情報が得て。さあ、お義母様も父の葬儀の準備でお忙しいでしょうから、お邪魔ですね。私はもう帰ります。お義母様、御息災で。今回で、守ってくださる方もお亡くなってしまいましたからね。これからは、どうなるのでしょうか?」
     笑みを称えて最終宣告を告げれば、
    「待って、ねえ、待って。わたくしは何も知らないわ。息子を担ぎ上げだのはムニオ様だもん。薬草とシードルを持ってきたのも。わたくしは何も知らないわ。どうすれば良いのよ」
     などと、あくまでも自分を悪者でないと捲し立てる。
    「その軽い口を慎んで頂きたいですね。私が今それを、知っているということは秘密にしたいのでね。
     ではこうしましょう。私が義弟を後継とします。それなら文句はないですね。それで、ベアトリス様が絆されてとしましょう。それと、こちら側に来てくれたお礼に、もう一つ情報を差し上げます。貴女の良い人はもうここに来れなくなったみたいです。残念ですね」
    「どう言うこと? フルエーラ様に、何を」
     ベアトリスは、自分の秘密をクラウディアが知っているということにやっと気がついたのか、もたらされた情報で驚いたのか、分からないまま、最高機密恋人の名まで口にした。
     それを耳にしたクラウディアは、口角を広げ、
    「私が何かしたわけではありません。大方、あちらの仲違いでしょう。流石ゴンザロ叔父ですね。仕事が早い」
     というだけだった。
    「ひっー。卑怯だわ」
     悲鳴とも叫びともつかない声がベアトリスの口からもれる。
    「だから、何度も言っているように、私は何もしていません。では、本日はありがとうます」

     ベアトリスの部屋を出ると、クラウディアは、戻ってきたエマヌエルに、目を向けて、声をかける。
    「ご苦労だった、万事うまくいったようだな?」
     薄笑いで臣下を褒めれば、
    「なぜそれを、クラウディア様がご存じなのですか?」
     驚きを顔に浮かべ、訊ねてきた。
     クラウディアはベアトリスの部屋の扉に目をやる。
    「それは、あちらからね。あんなに、だだ漏れなので大丈夫か?」
     エマヌエルは、苦笑しながら、
    「その方がこちらとしてはよろしいかと。あれどうしたヒメノ?」
     自分の同僚がいぶくっているのを見て、声をかける。
    「ベアトリス様がクラウディアの血筋がと揶揄った」
     まるで悪いものを食べて、ぺっと口から吐き捨てるような言い分だった。
    「なにそれくらいで、怒っているのだ」
     エマヌエルが宥めても、
    「エマヌエルはなぜそんなに平気なんだ。なんでクラウディア様ことを、みんなあんなこと言うんだ」
     そんなことをぼやくヒメノをエマヌエルが、肩を叩きながら慰める。
     それを見て笑うクラウディアが、 最高機密を口にした。
    「そうだエマヌエル、ベアトリス様のお相手はフルエーラ様だ」
    「なるほど、やつですか。イケメンですからね。では、義弟君の血統に異議の申し立てを教会にしますか?」
    「いや、今は良い。何かあった時で。それより、私の領主承認の条件はなんだ」
    「いや、ほとんどアヴドゥル様の独壇場となりまして、ほぼこちらの条件を飲んでいただきました」
    「ほう、で誰が摂政となる」
    「それも、相談役になりました。ムニオ伯父が名乗りましたが、今回の和平交渉の窓口がムニオ伯父なので、皆が、お疑いのようでした。なので年若い者が良いとなり、ディエゴ様となりました」
     すると、
    「なんでムニオを廃して、子のディエゴ・ムニョオなんだよ。嫌がらせにも程がある」
     そうヒメノが溢すくらいの人選だ。彼は、父ムニオと違い人畜無害だが、若いのに覇気がない。
     その上、やる気もない。
     二人はお互いに頷き合っていた時、
    「そうですね」
     そうエマヌエルが口を開く。そちらを二人の顔が向く。
    「彼には、ベアトリス様の離宮とこちらの連絡係として、あちらの中に入ってもらうのがよろしいかと。ムニオの息子だ、何、自分たち味方だと思って手厚く世話を焼いてくれるだろ。それで証拠集めをしてもらう。そして、あの次期様の教育係もやってもらおう」
     エマヌエルとディエゴは従兄弟同士で顔見知りだ。
     だから、的確な明確な差配をする。 
     クラウディアは、エマヌエルの案に口を挟むことはなかったが、不安もあったのか、何か言いたそうに微笑んだ。
     そのクラウディアの不安を肯定するように、未だ肌寒い三月の風がヒューっと吹いた。
     その時、クロエが、
    「さあさあ、こんなところで立ち話するのもクラウディアの御身に差し障ります。お部屋戻りましょう。まだまだ外はお寒うございます。姫様お身体は大丈夫ですか?」
     クラウディアはその言葉で、自分の身体が、ギシギシと痛んでいることに気がつく。
     ふらっと、渡り廊下の壁に寄りかかり、手を頭に持っていき、
    「ああ、やはり少し辛い」
     その言葉を聞いたクロエは、
    「当たり前です」
     クロエは少し首を上げて、クラウディアを睨む。いつもなら、この後に、全くこの姫様は自分のことをすぐ後回ししてと続くはすなのに、今回は、何も口にせず、クラウディアの背中を優しく撫で部屋に急がせるだけだった。
     クラウディアはクロエの優しさに、少し居心地が悪くなり、部屋へ急ぐ。クロエは、そんなクラウディアの態度をみて、安心できるいつもの声で、
    「さあ、お部屋でゆっくりお休みください。多分マリアが温かいワインを作っていますよ。あの子はそういうことに、すごく気がつく子ですからね。いい拾い物でしたよ」
     そう言う。
     アリアは、戦争孤児だった、クラウディアが視察に赴いた時に、道端で蹲っていた彼女を見つけた。慌てて自分の荘園に連れてきたのだった。
    「クラウディア様は、よく動物を連れて帰ってきますが、さすがに女の子を連れてきたのには驚きました」
     荘園の学者や職人たちからは、よくこう言われたものだ。
    「こんな幼い子が倒れていたんだぞ。哀れに思わないか? 捨てておくことなどできない。施政者としても不甲斐ない。それに、私が救えるのは、私の目に入った者だけだ。ほんの僅かでしかないのだ。」
     そう言って、行くあても住む場所もない彼女を、荘園の雑用係として置くことにした。もともと頭の回転が速く、飲み込みも早い子だった。雑多だった荘園も、彼女のおかげであっという間にきれいに整い、皆が気持ちよく過ごせるようになった。
     そうなるとクラウディアは、荘園に入り浸ってしまう。
     それで、荘園から中々城に戻ってこないクラウディアを、連れ戻そうとやってきたクロエが、マリアの存在を知り、クラウディアの側仕えとして城で召し上げしまったのだった。
     クラウディアの意を汲める侍女は少ないということもあったが、マリアは物怖じせずに、すぐに城になれた。いつもクラウディアの側に控えるようになった。
     部屋に戻り、いつものお気に入りの椅子に、どさんっと腰掛けたクラウディアから、
    「ひっうっ!」
     悲鳴ともうめきともつかない声がした。
    「姫様、先ほど申し上げたように、お身体をお愛おいくださいまし。先ほど床入れがあったばかりです。もうお休みしてもいいのですよ」
     そう心配顔でクラウディアを見るクロエ。
    「いや、今はエマヌエルの報告を詳しく知りたい」
     部屋には、薪が焚かれたのか、少し煙いが、暖かい。目の前のテーブルには銅器に入ったホットワインが置かれている。中を見ればオレンジ、グローブ、シナモンなどが入っていた。それを見て、クラウディアは、目を見開き、マリアを見つめた。
    「だってクラウディア様がご結婚なさったんですよ。お祝いしないといけないのに、先代のことはわかります。でも何にもないなんて悲しすぎます」
     マリアがそう悔しそうにそう言えば、
    「なら、そこのハチミツも入れてもらおうか」
     とクラウディアが笑いながら応える。クロエが棚からハチミツの瓶を出して、注ぐ。
     マリアのお陰で少し場が和む。さらに、
    「でもアル=アンダルスってすごいですね。あんなに、お水を使ってもいいなんて。それに香油の香りがとても良い香りで…」
     うっとりと語り始めた。
     この部屋にうっすらと残っているのは、アヴドゥルの残り香りだ。それを意識したのか、途端にクラウディアの顔が赤くなる。
    「うわー、クラウディア様のそのお顔。いやーお綺麗です。いいな、思い人と添い遂げられて」
     マリアが本当に羨ましそうに言えば、
    「いや私はそんなのではない。カスティーリャのためを思って」
     と、クラウディアが否定する。
    「またまたそんなことを」
     ヒメノまでクラウディアの言い分を否定してきた。
    「全く、この姫様の情緖はどうなっているのかしら」
    クロエも、頭が痛いと言わんばかりだ。
    「えっー、昔から、大好きだったんですよね。トレドの学者先生たちも仲のおよろしい様子が一幅の絵の様とか言ってましたよ」
     さらにマリアがクラウディアに確認のように荘園でのことを話す。
    「私がか? アヴドゥルのことを、大好きだった。そんなことは…」
     そう否定し、顔の前で手を左右に振るクラウディア。
     そして、マリアの言葉から、思い出されたのは、アヴドゥルに初めて出会った時だった。

    前編

    後編





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