
【短編小説】髪型
やっぱり少し頭頂部が薄くなって来た……か?
髪型を整える俺が鏡の中で少し眉を寄せながら、伸ばした髪を左右の耳にかけた。
肩に届くくらいのこの長髪は、俺のこだわりだ。
かつて好きになり今もファンである、フォークシンガーのミュージシャン、教師役がヒットした俳優、単なるアイドルから脱却した俳優。
彼らへのリスペクトから長髪を愛し続けた俺は、職場の上司からはしつこく髪を短くするよう言われた。
その度に俺は、髪の長さは個人のアイデンティティに直結する大切なものであり、他者からそれを侵されない権利を持つもので、女には髪を切るよう言わないのに男にだけ要求するのはおかしい、という主張を続けて来た。
損ねてしまった上司の心証は職場での俺の評価にも影響し、次々と昇進して行く同期に対して、なかなか昇進できない上に閑職に追いやられる事態に陥ることになった。
それでも、俺の好きなものを頭ごなしに否定する失礼な奴に主張を曲げてまで屈したと思われるのが嫌で、髪を短くしたいとは思えなかった。
しかしそんな俺も年を経て、加齢と共に前髪の生え際が少しずつ後退し、頭頂部が薄くなって来たように感じ始めた。
高校時代からの友人である康男はそんな俺の髪型を、「全体的に短くしたら薄さも目立たないし、普通に年相応のイケオジに見えると思うけど」と言う。康男自身そういう髪型にしている。
確かにそうかもしれないとは思う。
高校時代、共に野球部に所属し、強制的に坊主頭にさせられ、「引退したら髪を伸ばしたい」と言い合っていた康男だからこそ、俺の髪に対するこだわりも理解した上で言っているとも思える。
それでも俺は、長年愛着を感じて来たものを簡単に手放せない心境で鏡の前から離れ、一緒に酒を飲む康男との約束のために、一人暮らしのアパートを後にした。
土曜の夜の街は、腹を満たし交遊を図ろうとする人々で活気づき、どこもそれなりの賑わいを見せていた。

待ち合わせ場所で合流した俺と康男は居酒屋に入り、それぞれに注文すると、運ばれて来たビールを乾杯の後グビリと飲み、お互いに「旨いな」と言い合った。
そんな中、焼き鳥の串を口に運びながら、康男が「ところで」と口を開いた。「耕助、お前今、つき合ってる人とかいるか?」
「恋人とかか?」
俺とは違って既婚者で妻も子供もいる康男から、そんな話題が出るとは思っていなかった俺は、少し驚きながら尋ねた。
頷く康男に、「いや、まだ俺のこの髪型に好感を持ってくれる人は現れてない」と答えると、康男は「そうか」と少し苦笑を漏らした。
「実はな……」と言い康男は表情を曇らせた。「俺の3つ下の幼馴染の女性で、結婚相手を探している人がいるんだ」
「へぇ」
3つ下と言うと46歳くらいか。年齢的に、子供がほしくなったという理由ではなさそうだ。
「結婚相手を探しているという以上、独身ということだな」
「そうだ」
「今までそういう相手はいなかったのか?」
子供が目的でないにせよ、結婚相手を探しているという言葉からは、積極的かつ性急な雰囲気を感じさせた。他人の恋愛遍歴に興味があるわけではないが、今まで結婚につながるような相手はいなかったのか、漠然と疑問が湧いた。
「若い頃にはそういう相手も2人はいたって話だ。だが、どちらともダメになったそうだ」
「ふ~ん」
高校野球をやっていた時にバレンタインデーにチョコレートをもらったのが人生最高のモテ期だった俺とは、少し違うようだ。
「やっぱり価値観の違いとかか?」
「いや、彼女が医師だからだ」
俺の問いに答えた康男は厳しい眼差しをしていた。
康男の話によると、奴の実家の近所に住んでいた幼馴染である進藤弓子さんは、幼くして母親を病で亡くし、父子家庭にて育ったそうだ。
お互いが小学生だった頃は、弓子さんの父親が仕事から帰るまでの時間、康男の家で遊んで過ごしたり、夏休みに両家族で一緒に花火大会に行ったこともあったそうだ。
年を経るごとに少しずつ交流は薄れ、康男は大学で知り合った女性と大学卒業数年後に結婚した。
成績優秀だった弓子さんは大学卒業後医師になったが、大学時代から交際していた男が老舗旅館の跡取り息子で、「女将になれないのなら結婚は認めない」と相手の親から猛反対され、医師を続けたかった弓子さんは仕方なく別れたそうだ。
数年後、知り合った製薬会社の男と交際する関係になったが、弓子さんの方が高収入なことが相手の親には不満だったようで、親から皮肉や嫌味を言われた男から、収入的には困らないから家族円満のために仕事を辞めて家庭に入ってほしいと頼まれ、医師を続けることに理解が得られない関係を諦めて別れたそうだ。
弓子さんは寂しそうに笑って、「医師の私に結婚は縁がないみたい」と言っていたそうだ。
康男は、実家に帰省した際に会った弓子さんからそんな話を聞いたのだった。
連絡先を交換しながらも特にやり取りもなく過ぎた10数年後のある日、弓子さんの父親が病で入院した。癌で、5年生存率は高いとは言えないものだった。
医師の仕事の忙しさから、「少し調子が悪い」と言いながらも病院を受診するよう言う弓子さんに「大丈夫大丈夫」と言っていた父の、不具合の急激な進行を気づけなかったことを弓子さんは後悔していた。
そして、恋愛や結婚に縁遠くなったまま過ごして来たものの、今になって現実的に結婚を考え始めたのだ。
結婚する姿を見せて少しでも父を喜ばせ安心させたい。そして、いつか父亡き後独りになってしまわないよう、人生を共に歩める相手がほしい気持ちからだ。
弓子さんは、康男に連絡して現在の状況を説明し、結婚相手を探しているが誰か心当たりはないか、と相談したのだ。
結婚相手を見つけるには様々な手段はあるが、まずは父親のことも知っており信頼できると思える幼馴染に話を聞いてほしかったのだろう。
そして康男はそれを共有してほしくて、高校時代からの友人である俺に話をしたというわけだ。
「それは、酷いな。かつての相手や親が、だよ」
「うん」
「別に女将になれなくったって旦那が切り盛りすればいいわけだし、嫁より稼げない旦那が格好悪いと思う考え方が格好悪いだけだろ」
「そうだな」
康男は杯を傾けながら頷いた。
父子家庭で大変なこともあっただろう状況でそれでも医師になれたのは、単に頭が良かっただけではなく、かなりの努力と努力ための熱意があったからだ。金だって随分かかっているだろうし、その金を捻出するための苦労も相当あったはずだ。
そんな何もかもを簡単に否定したり蔑ろにできてしまう奴の無神経さと想像力のなさに、俺は憤慨した。
「康男、別れたのは『医師だから』じゃないよ。医師を続けることを理解されなかったから、だ」
「いや、全くだ」
俺の厳しい訂正に、康男も同意した。
「男だったなら、医師でもとやかく言われなかっただろうに、理不尽な話だよな」
俺はそう言いながら、弓子さんの状況は、男であるために長髪を切る要求をされ続けて来た俺と似ているような気がしていた。もちろん、大変さや深刻さは比較にならないほど彼女の方が上だと思うが。
「うん。……まぁそれで、手近なところでお前とかどうかな? と思って話してみたわけだよ」
「なるほど、そこにつながるわけか。……って俺?」
「うん」
「手近過ぎるだろ。まぁ、俺の髪型を好きになってくれないまでも、毛嫌いしないでくれるのなら、可能性はあるかな。髪だけに」
ははは、と笑って受け流しながら康男は、「大事なものを否定されて心を痛めた人が、相手の大事なものを否定したりはしないだろ」と請け合った。
そう言い切れるところが康男のいいところであり、長く交流が途切れていた相手にも信頼されるところだろう。
「とは言え、理屈じゃなく生理的に受けつけない、というのも世の中にはあるだろ。まぁ何にせよ、取りあえず3人で会ってみるか。……え~っと、条件とかは出されてるのか?」
俺の問いに康男は首を振った。
「特には。……ただ、医師を続けることへの理解と、年齢的に子供は生まないってことへの理解は、言うまでもないよな」
「当然だな。その辺なら大丈夫だ」
こうして、俺と康男に弓子さんを加えた3人で、取りあえず会おうということになった。
この日康男が俺の髪型に一切とやかく言わなかったのは、話を進めるために俺の機嫌を損ねないようにしたのかもしれない。
日曜の昼間に、昼食を交えて話すことにした俺達は、街中のイタリアンレストランで待ち合わせた。
俺が店内に入ると既に2人は到着していて、窓際の席で康男が俺に気づいて手を挙げた。隣に座る女性が弓子さんだろう。
席に近づく俺は、女性の顔を見てハッとした。知的で美しいその顔は、どこかで見た記憶があった。
それは、入院する実家の母に付き添って市内の総合病院に行った時のことだ。診察室に呼ばれて病状も丁寧に説明された。白衣の胸元には「進藤」という名札があったはずだ。
「もしかして……緑ヶ丘病院の進藤先生ですか? 入院で母の栗林道代がお世話になり、お会いしたような……」
俺の言葉に、記憶を巡らしていた弓子さんも、「あぁ……」と思い出したような声を上げた。
「お母様に優しく付き添っておられましたね。着ておられたスウェット服の上着に『Not defeated by illness』……日本語で『病気に負けない』とデザインされたものを見て、ホッコリしたのを覚えています」
そう言う弓子さんから優しい笑みがこぼれた。
俺自身は全く無自覚に着ていた服のそういうところに着目するのも医師らしい。
「なんだ、知り合いだったのか。……まぁ座れよ」
康男に促されて椅子に座る俺に、弓子さんは言った。
「でも、今日はプライベートで、ここは院外ですので、『先生』はご遠慮ください」
確かに職場以外でも「先生、先生」と言われたら落ち着かないだろう。
俺は「了解しました。では『弓子さん』で」と答え、にっこりと口角を上げてみせた。
それぞれ料理を注文し、あらためて弓子さんと俺は紹介し合った後、話は和やかに進んだ。
弓子さんの趣味は映画鑑賞で、派手なアクションシーンを観てストレス発散をしているとのことだ。
俺はどんな俳優が好きか尋ね、見聞きしたことのない外国の役者名や登場している洋画名をメモし、機会を作って観てみることにした。
弓子さんは、俺と康男が高校野球をやっていた話や、その後もプロ野球に感心を持って観ている話に好意的な反応を示してくれ、それぞれが応援している球団や選手に対する話で盛り上がった。

運ばれて来た料理はどれもなかなかの味だった。調味料についての知識を絡めながら味の感想を口にする俺に康男は、俺が一人暮らしで自炊に長けていることを弓子さんに説明した。
「料理も掃除も洗濯も、何でもしますよ」と、当たり前のこととして言う俺に、弓子さんは「素敵ですね」と微笑んだ。
……あぁ、そうか。
世間の男達の中には未だに、家事は女の仕事、と思っている連中もそれなりに存在するわけで、医師の仕事以外にも当たり前のようにそれを求められるとしたら、そりゃあ大変になる。
だから、「素敵ですね」なんだ。
俺は弓子さんを安心させるように微笑み返した。

料理の後のコーヒーを飲みながら、弓子さんはあらためて結婚相手を探すに至った経緯を話してくれた。
弓子さんの母親が亡くなったのは彼女が7歳の頃で、悲しみの中で母親の死を受け止めながら、自分が将来医師になることで母親が克服できなかった病を世間において克服できるようにしたい、と思ったのだそうだ。
それが直接的でなくても、母親の病に対して何もできなかった無力感を克服することになり、亡くなった母親も喜んでくれるのではないか、と考えたのだ。
目まぐるしいほどの医療の進歩によって、当時弓子さんの母親が亡くなった病にて、現代では死に至るほどの人はいなくなった。
それでも、医師の仕事への理解が得られず、破談になって結婚に縁遠くなり、仕事の忙しさから父親の病を早期に発見できなかったこともあり、人生は思うようにはいかないものだ、と弓子さんはやや自虐的にこぼした。
俺は、「破談は弓子さんのせいじゃないですよ」と言った。
「弓子さんによって助けられた人はたくさんいるはずです。実際に母もそうですし。医師であることが弓子さん自身における大切な要素なら、それを受け入れた上で協力するのが、家族になるってことじゃないですか」
弓子さんは俺の言葉に目を見開いた。
「だから堂々としていてください。弓子さんは弓子さんのままで、ありのままでいいんです」
「はい……」
弓子さんは涙をこぼし、それでも微笑んでみせた。
俺は、儚さと強さを併せ持つ弓子さんに魅せられ、心を揺さぶられていた。
弓子さんの父親は弓子さんの勤める病院に入院しているため、毎日のように様子を見に行っているのだそうだ。
俺は大事なことを思い出し、弓子さんに質問してみた。
「男性における好きな髪型ってありますか? もしくは嫌いな髪型とか」
弓子さんは少し考えると、バッグからスマートフォンを取り出し、ある写真を出してみせた。
そこには、白衣姿の弓子さんと、病衣姿の痩せた老年男性が写っていた。男性の頭部に髪はなく、よく見ると眉の毛もないようだ。
「父です」
弓子さんの静かな声に、俺はハッとさせられた。おそらく癌治療の副作用で髪も眉も毛が抜けたのだろう。
「私は父に、『スキンヘッドの似合う男性が好き』とは言っています」
それは弓子さんの本心からだろうか。それとも毛の抜けた父親を労わっての言葉だろうか。
俺は、何だかくだらない質問のような気がして、「長髪はどうですか?」とは聞けないまま、この話を終えたのだった。
また会う機会を設けることにして会食をお開きにした俺達は、それぞれ帰路に就いた。
弓子さんが俺のことをどう思ったのか気にはなったが、それは相手も同じかもしれない。
俺は帰宅して早速、弓子さんが好きだと言っていた役者が出ている外国映画を見てみることにした。
1本目は、癖の強い探偵2人組が悪徳組織の悪事を暴く話。
2本目は、型破りな刑事が上司とぶつかりながらも犯罪集団を壊滅させる話。
3本目は、退役軍人の傭兵が命を狙われる依頼者をボディーガードとして守り抜く話だ。
どれも良い作品だった。笑いあり、涙あり、心温まり、痛快で、爽快な気分を味わえた。
そして、そのどれもに登場していた、弓子さんが好きだと言っていた役者は、茶目っ気とニヒルな笑みがギャップ萌えする、スキンヘッドのイケオジだったのだ。
俺は、探偵にも刑事にもボディーガードにもなれないだろう。
それでも、父親の病に心を痛めながらも医師として人々に尽くす尊い女性を、傍で支える者にはなれるはずだ。
俺自身がそうしたいと望むなら、彼女を笑顔にする方法は確かにあるのだ。
次の日曜に、街中の和食料理店で再び3人で顔を合わせた際に、俺の頭を見た康男も弓子さんも、驚いて絶句していた。
「お前……全体的に短くしたら、とは言ったけど、まさかスキンヘッドにするとは……!」
「まぁな」
俺は2人に向けてニヒルな笑みを決めてみせた。
目を細めた弓子さんが感慨深げに「素敵です」と言ってくれ、俺は心の中で大きくガッツポーズした。
おそらくこれは、高校時代以来のモテ期というやつだ。俺の髪の長さとモテ具合は、見事に反比例だったのだ。
これで弓子さんも、気兼ねなく俺を父親の見舞いに伴えるというものだろう。
長い間愛着を持っていたものを失うのは、寂しくないわけではない。
それでも、失うことで得られるものがあるのなら、それはきっと無駄ではないと、弓子さんに微笑みながら強く思うのだ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
よかったら「スキ」→「フォロー」していただけると嬉しいです。
コメントにて感想をいただけたらとても喜びます。